第46話 化粧品の普及

「お聞きになりましたかな」


 パチリ


 商業ギルドの待合室に置かれた将棋盤を挟んで対局が行われていた。テッドが王家向けの100組を納めたあと、貴族家の御用商人を経由してゆっくりと商人の間にも浸透していき、いまや対局は商人の挨拶代わりとなっていたのだ。


「メリーズの基礎化粧品のことですか?もちろんですとも」


 パチリ


「私の妻も使用しておりますが、なかなかの効果のようで」

「ほう、一体どこのだれが特許登録などしたのでしょうな」


 メリーズの基礎化粧品は匿名で特許登録され商業ギルドにて委託製造、委託販売されている。このような儲け話をわざわざギルドに全面委任する奇特な商人がいるとは。盤上の駒を眺めながら、その人物像を想像する商人たち。


「ふふふ、考えるまでもありませんな」

「確かに。そもそも隠す気があるのか・・・」


 シャトーメリアージュ、メリアスそしてメリーズ。ネーミングが、あからさまに過ぎる。第一、「説明通り使用して問題が起きた場合は100%治す」などと、責任問題に対して用心深い商業ギルドにそこまで言わせることができる人物はたった一人しか思い当たらなかった。


「そのあたりは、かの錬金薬師殿の十四歳らしさというべきでしょう」


 パチリ


「ところで、基礎というからには応用、発展させた化粧品もあるのでしょうな」

「かの薬師殿であれば、隠し玉の十や二十はあって然るべきでしょう、それ王手です」


 バチン!


「あいや、待ったですぞ!」

「待ったは無しです」


 こうしてメリアの知らぬところでまことしやかに幻の化粧品の噂が広まっていくのであった。


 ◇


「メリア、化粧品を作ってくれないか」

「は?美肌ポーションを使用した上で既存のものをお使いになればよろしいのでは?」


 エリザベートさんによると、メリーズなるブランドで噂の基礎化粧品を作り出した私なら、その上に施す化粧品にも詳しいのではと市中でもっぱらの噂だそうだ。そこで秘匿している化粧品の要請がエリザベートさんに届くようになったとか。

 ちょっと待ってよ、なんで匿名で全面委託したのにバレてるのよ!


「メリア、まさか隠してるつもりだったのか」


 よほどわかりやすかったのか隠してるとも思われてなかった。トランプ勝負と同じでどうしてか全くわからない。匿名制度とは一体。

 いえ、この際、それは後で考えるとして化粧品の話に集中よ。


「そんなに化粧品に詳しいわけではないですけど今はどんなものを使っているんですか」


 これだと白粉おしろいを見せてくれた。ん?これはまさかと鑑定してみる。


 白粉(−):微量の鉛を使用したおしろい

 白粉:微量の水銀を使用したおしろい


 ちょっと!慢性鉛中毒や慢性水銀中毒にでもなりたいの?こんなの使ってたら・・・キュアポーションでなんとかなるけど肌に悪すぎるわよ。


「毒じゃないですか!長く使ってたらキュアポーション無しだと死にますよ」

「なんだと、それはまずいな」


 1,200年前くらいに化粧品を研究した先人もいるけど、錬金薬師にとって化粧で誤魔化すのは自らの敗北を宣言するようなものだから、一般には伝えなかったようだ。そして化粧で隠す必要がない水準までポーションが進化した後は、世間でも化粧の技術は廃れていったのだろうけど、あまりに原始的過ぎるわ。江戸時代じゃないのよ。

 仕方ないわね。1,200年前の先人には錬金薬師の恥を晒すようで申し訳ないけど毒を使われるくらいならと許してくれるはずよ。私の前々世の知識も加えて、新しいメイクアップ化粧品を一通り作ってやるわ!


「まず最低限として、安全なファンデーション、ベビーパウダー、口紅、アイシャドー アイラィナー、 頬紅、 マスカラを作ります」


 なんだか心配になってきたから香水も用意します。ネイルまで面倒見切れないからポーション使ってください。あと、今使ってる白粉は廃棄して顔に付けたものは綺麗に落としたあと、念のためにキュアポーションを飲ませてください。自分で服毒してたら、いくら薬師が居ても面倒見切れません。

 それにより損害を受ける商人もいるだろうし、しばらくは私が作った安全な化粧品の売り上げは、白粉おしろいの不良在庫を買い上げて確実に廃棄させる資金に充ててもらいましょう。


「わかった、今までの白粉おしろいは使用禁止の触れを出そう」


 ふう、これで安心ね!私の自由時間が削れるだけで・・・がくり。


 ◇


 隠しても仕方なくなったので、新しい化粧品の製造法をギルドに伝えて追加で特許登録と製造・販売の委託をし、前々世の知識に起因する直接的に化学式から生成する成分については、製造法が確立するまで私が供給することになったわ。

 使い方がわからないということなので、化粧の仕方については、年代ごとの基本的なメイクの仕方を王宮のメイド長さんとその直属の女官だけに伝え、それ以降は女官を通して各貴族家に広めてもらうことにした。常勤メイクアップ講師までやっていたら時間がなくなってしまうもの。

 やがて来た講義の最終試験の日、私の前で女官たちによって化粧を施された王妃様はエリザベートさんとよく似ていた。いえ逆だわ、エリザベートさんが似ているのね。


「よし、合格よ!」


 やっぱりロイヤルファミリーは素がいいから化粧映えするわね。美肌ポーションで素の肌年齢も若いから姉妹で通る…とまではいかないかもしれないけど、かなりの線までいったわ。


「こ、これがわたくし?」


 王妃様は差し出された鏡をみて黙り込んでいたので、少し心配になって「何か問題でも」と聞いてみたけど、ゆっくりかぶりを振っていたから問題ないわね!これで水銀中毒や鉛中毒とはおさらばよ。

 私は薬師として水銀や鉛入りの白粉を駆逐したことに軽い達成感を覚えながら、錬金薬師としての礼を取り王妃様の御前から退出した。


 ◇


白粉おしろいの使用を一方的に禁ずるなど横暴だと多く貴族が陳情のため謁見を求めてきています」


 毒であるということから即時の対応をしたのが裏目に出たかと宰相はため息をつく。新しい化粧品の売上で金銭的な補填をすると言っても、すぐに代替品が供給されるわけではないし、多くの貴族からすれば金銭的な問題ではないのだ。

 困ったものだと謁見の間の扉を伺う宰相は、ふと、奥の間から妙齢の女性が女官を連れ立って歩いて来るのが見えた。


「エリザベート様?」

「まあ、お上手ね。宰相」


 はあ!?声色から目の前の妙齢の女性が王妃様であることを知り、驚愕の声を上げてしまった。た、確かに・・・今は引退した父がまだ宰相だった頃に拝謁した在りし日の王妃様がだぶって見える。動揺が取れぬうちに、こんなところでどうしたのか問われ、白粉おしろいの差し止めで陳情のため謁見が行われていることを話した。


「私に任せてくれないかしら?」


 颯爽さっそうと謁見の間に続く扉への向かう王妃様に我に返り、宰相は慌てて後を追った。


 ◇


「ぜひ、白粉おしろいの差し止めを撤回していただきたい!」


 そう言い放った公爵をはじめとした夫人を連れ立って謁見にきた貴族たちに返事を返そうとしたその時、後ろの扉が勢いよく開かれ宰相と共に妙齢の女性が姿を現した。


「・・・妃、であるか?」

「まあ、陛下。長年連れ添った私の顔を見忘れたのですか」


 忘れるわけがない。忘れるわけはないが、余は夢を見ているのか?エリザベートが生まれる前くらいまで若返って見えるその美しい横顔に、顎が外れるかと思うほど口を広げて驚くしかなかった。

 妃は余に寄り添うようにして謁見の間に集まった高位貴族たちを見ると、嫣然とした笑みを浮かべながら話しかけた。


「なんでも、の化粧を使い続けたいと陳情に来られたとか」


 そんなぞんざいな言葉を投げかけられながらも、先ほどまで大声を上げていた公爵ですら、妃の外見の劇的な変化に口をパクパクさせながら声が出せないでいる様子だった。連れ立ってきた夫人たちに至っては、謁見の間であることを忘れて驚愕に目を見開いて妃を凝視している。


「ほほほ、別に構わないんじゃないですか?陛下」


 親切心でこの化粧品の素晴らしさを伝えようとしていたのですが、余計なお世話だったようですわ。それほど大量に作れるわけではないようですし、高位の貴族が進んで旧来品で我慢してくれるというのなら、それは大変結構なことではないですか。

 そう話す妃の意図を汲み取り、余は公爵に揺さぶりをかけた。


「そうであるな。公爵よ、長年の功績を鑑み、望み通りお前たちに限っては特例として撤回してやろうではないか」

「あ…ありがたきしあわゴフッ・・・」


 条件反射で返答しそうになった公爵が、横から公爵夫人に肘鉄を食らわされているザマを見て思わず吹き出してしまいそうになるが、長年鍛えた鉄面皮でやり過ごす。その後、公爵たちの非常に苦しい言い訳をしばらく堪能たんのうした後、頃合いを見て新化粧品の融通を条件に白粉おしろい禁止令の推進に協力させることで手打ちにした。


 メリアスフィール・フォーリーフ、噂以上の逸材のようだ。余は輝くような笑みを浮かべる妃を見ながら、久しぶりに腹の底から笑った。

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