31話 傷と涙とラーメン

 長く降っていた雨が止み、朝焼けが濡れた町を照らし出す。スズメが朝を知らせるように鳴いている。


「えーっと……とりあえず今日の分のご飯はこれね。お小遣いも念の為入れておくから」

「すまないな、穂乃果……助かる」


 ハウス入口でハーツは穂乃果から手荷物を受け取った。近くには祐介、健次郎、純香が待っていてくれた。


「ハーツ君……」


 穂乃果のそばで明里が心配そうに見つめている。そんな明里に対して、ハーツは柔らかく微笑む。


「心配はいらないさ、明里。美香は必ず助ける。オレも必ず生きて帰ってくるから」

「うん……絶対、絶対に帰ってきてね!」

「探偵事務所としても、必ず大空美香さんは救出します! だから、待っていてください!」


 祐介が拳をぐっと握って決意表明する。この上なく頼り甲斐があるのがわかる。


「よろしくお願いします……!」


 穂乃果はぺこりと頭を下げた。すると、車のクラクションが鳴った。


「そろそろ出るぞ!」


 車の窓からヴィクトルが顔を出す。ハーツは頷きを返して反応すると、明里の頭を優しく撫でた。明里は悲しそうながらも笑顔を見せた。全員が車に乗ると、すぐに出発した。


「達者でなー!」

「がんばれ〜!」


 走り去っていく車を、千枝と康二とルカが見送った。


「……」

「大丈夫よ」


 穂乃果が明里を優しく抱きしめた。


「アルマ君も美香ちゃんも、きっと大丈夫。ハーツ君達がなんとかしてくれるわ」

「お姉ちゃん……」

「今は信じましょう」


 ♢


 軍警所有の車は、静かに道路を走る。目的は七倉町ただ一つ。美香誘拐から二日がすでに経っていた。車の中にはヴィクトルとイサミ、ハーツ、そして夏目探偵事務所から祐介、健次郎、純香がいた。


「悪いな……祐介、健次郎。まだ安静にしておく必要があっただろうに……」

「何言ってんだ! 後輩の友人がピンチだってのに、呑気に寝ている場合じゃねーっての!」

「ええ! 僕個人としても今回の事件は見過ごせませんし!」

「にしても、厄介な事態になったわねえ。その大空美香って子の件もだけど、まさかこの間のブラックスコーピオンとホワイトスネークの主らしき人物にも関わることになるなんて」

〈死伝天使。俺も噂には聞いていた〉


 純香の電話から烬の声が聞こえる。ちなみに烬は今回、外せない出張で不参加だ。


〈ここ最近、機械人を狙った殺人事件が多発していて、その主犯格がその名を口にしていたんだ〉

「アズライール……元ネタはおそらく、キリスト教における死を司る天使の名前ですね?」

「機械人を狙う殺人鬼……そしてそいつがおそらく参加するであろうイベントが……」


 ヴィクトルがこくりと頷く。


「おそらくあのヨシタダとか言う男が言っていた刺客も、そいつの可能性が高い。思えばあの日から仕組まれていたんだろうな……」

「まさか貸切権を懸賞にしていた福引の運営会社が、その男に唆されていたとはな。大方アルマ殿達の誰かが当たるように仕向けたのだろう」

「面目ない……」

 福引の時点から仕組まれていたことに、ハーツは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「誰も気づきにくい状況だったんだ。謝ることはないぞ」

「そうですよ! 誰も福引で嵌められるなんて想像すらできないんですから!」

「ま、運が悪かったってことよ。福引のせいで友人殺されたってね」

「純香さんっ!!」

「……アルマと大空、双方に関しての捜査は?」


 イサミが端末を操作して確認する。


「……すまない。あまり芳しくはない。特に大空殿に関しては消息すら不明で……」


 悔しいのかヴィクトルは拳を握りしめる。


「そう強く自分を責めるな、副官殿。確かに一民間人である大空殿を危険に晒したのは不甲斐ないことだ。だが今回ばかりは相手が狡猾だった。一枚上手だったんだ。この汚名は賭けにおける勝利にて挽回すれば良い」

「……わかっている」

(貴様がこんなところでやられるわけがない……信じているからな、アルマ……)


 車が発車して約一時間半、グランドールオブデュエルが開催される七倉町に到着した。会場は町最大の球場、七倉フェスホールだ。


「ここが会場か……」

「あっ、もう人がいますね」


 祐介の視線を辿ると、会場の周辺にはいくつかの屋台があり、すでに何人かの人が集まっている。


「みんなGoDのために?」

「だろうな。無関係者もいるだろうが、大半はGoDの参加者か観戦者かだな」

「GoDって違法賭博の一種なんだろ?これだけ大勢いたら気づかれてしまうんじゃないか?」

「あれよ、あれ」


 純香が顔を動かして視線を誘導させる。見ると、球場に横断幕が出ている。横断幕にはでかでかと、“ウィルトラマンツアー 200year anniversary”と書かれてある。


「ウィルトラマンツアー!?」

「ああいうのがカモフラージュになってるおかげで、十回も続いているってわけ」

「なるほど……だから気づかれにくいってことか……」

「屋台も普通の店だぞー? 飯も普通に美味いし」


 と言いながら健次郎は屋台で買ったポップコーンやらリンゴ飴やらを食している。


「ケンさん……ちょっとは緊張感持ちましょうよ……人の命関わってるんですから……」

「イサミ。例の件は頼むぞ」

「承知」


 イサミはヴィクトルに敬礼すると、数名の軍警と共にどこかへ行ってしまった。


「イサミはどこへ?」

「ああ、ちょっと別任務だ」


 特にそれ以上は話してくれなかったため、ハーツは深く考えないことにした。


「よし、GoD開催は明日。それまでは情報収集に徹するぞ」

「はい! 大空美香さんと死伝天使の情報収集ですね!」

「ああ。どんな些細な情報でも構わない。少しでも事件解決に進められるよう、情報を集めておこう」

「ラジャーっす!」


 ハーツは会場である球場を見上げた。明日、ここで美香の命運を賭けた闘いがある。救うには勝つしかない。緊張感がハーツの胸によぎった。


 ♢


 真っ暗な空間。どこからか声が聞こえる。


 ──人殺し


「……!?」


 アルマははっとした。自分は今、大勢の人に囲まれており、その大半は幼い子供だった。


 ──人殺し、人殺し、人殺し


「人殺し!」

「人殺しの化け物め!」

「近寄るなよ!」

「気持ち悪い!」


 容赦なく来る暴言に耐えきれず、アルマは耳を塞いでしゃがみ込む。


「人間を辞めた半端者め!」


 今度は低い男性の声が聞こえる。


「お前は人の形をしただけの兵器よ!」

「おぞましい!」

「なんと醜い!」


 誰かに見られているわけではないのに、どこからか見られている感覚がする。


「……!!」


 アルマの胸が恐怖で満たされ、自ずと体が震えている。


 ──人殺し、人殺し、人殺し


「違うっ……オレは、オレはっ……!!」


 ふと、アルマは自分の両手を見た。


「なっ……!?」


 両手は血で汚れていた。そしてその視線の先には、血溜まりに倒れる大勢の人間がいた。


 ── エルトリア国民を血の海に沈めた、

 人の形を模った化け物だよ


「っ!!」


 アルマは意識を覚醒させた。目に映るのは、白い天井と小さな照明だった。


「夢……」


 さっきまで夢であったことに安心したのか、アルマは深く息を吐いた。意識がはっきりしてきたところで、アルマは寝ながら周囲を見回す。

 病室とは少し違う雰囲気の一室の部屋だ。ちゃぶ台と座布団、キッチンと玄関がある。そして自分はベッドの上で寝ているのを確認した。


(ここは、病院か……? いや違う……部屋みたいだけどハウスじゃない……)


 ここでアルマは、意識が途切れる前の出来事を思い出す。


(そうだ! 確かオレ、誰かに助けを求めてて……じゃあ、ここはその誰かの家か……? いや、んなこと知ったこっちゃねえ! 今はミカを助けるために七倉町へ行かねーと!)


 アルマは慌てて起き上がるが、急に起きたせいか体に激痛が走った。


「ぐっ……!!」


 ふと、たまたま目の前にあった姿見を見ると、自分は全身包帯だらけだった。頭にも包帯が巻かれ、頬にはでかめの湿布が貼られてあった。

 すると、ベッド近くからガチャリと扉が開く音が聞こえた。はっとなってアルマが振り返ると、そこから洗濯カゴを抱えながら癖の強い黄土色の髪をした男性が出てきた。


「あっ!? 気がついたかい!?」


 男性はアルマの姿を見てぱあっと顔を明るくさせた。洗濯カゴを置いて、男性はアルマの手を掴んだ。


「ああ〜、良かったあ〜! 昨日一日中反応なしだったから、もう死んじゃったかと思って心配したよ〜!」

「えっ、あっ、あの……!?」

「痛みはないっ? どこかおかしなところはっ?」


 困惑するアルマはとりあえず首を横に振る。


「いやねえ、すっごく大変だったんだよ? ここに運ばれてきた時、壊れたかと思うくらいに君はぼろぼろだったんだ。救急車は呼ばないでほしいってだったから、とりあえず機械人用の傷薬を大量に塗って応急処置しといたんだ。あー失礼。というわけでちょっと様子見せてね?」


 男性はそっと頬の湿布を剥がした。機械部分が露わになっていた頬は、まだ露わになっている部分はあるものの、だいぶ周りに薄皮が出ていて修復されていた。


「おお〜! まだ完治はしてないけどだいぶ修復されているね! また薬塗り直そうか!」


 男性は救急箱からチューブを取り出し、アルマに巻かれている包帯やらガーゼやらを優しく剥がすと、チューブから黄緑色の軟膏を出して損傷した傷口部分に塗っていく。


「……ありがとう」


 照れ臭くなったアルマはぼそっと礼を言った。


「いやいや、礼を言うなら莉央に言ってくれ。僕はただ治療をしただけだから」

「リオ?」

「覚えてないかい? 君を保護してくれたんだよ。今はちょっと仕事でいないけど、もうそろそろ帰ってくるはずだよ」


 すると、玄関のドアが開く音がした。


「あっ、噂をすればだ。莉央、おかえり…」


 男性が笑顔で出迎えようとしていたが、すぐにそれは固まってしまった。何故なら玄関に立っていた彼、莉央がどういうわけか返り血を浴びたままの状態だったからだ。目の前に男性が立っているため、アルマにはその姿は見えない。男性はゆっくりと振り返り、乾いた笑い声を上げながらすぐさま莉央と共に外へ出た。


「何やってんのさ!? 血まみれじゃないか!!」


 慌てた様子で男性は莉央の頬に付いた返り血をタオルでゴシゴシと拭いた。


「別に驚くことですか?」

「今患者さんがいるでしょ!? 君が保護してほしいって言ってた!! 怖がったりしたらどうするのさ!?」

「……あー、殺し屋だってバレたらって意味っすか?」

「いやそうじゃなくてっ、そうでもあるんだけどっ!!」


 返り血をなんとか払拭すると、男性は莉央を引きずって部屋に入る。


「とにかく!! 君はお風呂入って!! ちゃんとボディソープ多めでね!!」

「いやシャンプーで事足りるんで……」

「匂いを消すの!!」


 男性に無理矢理風呂場に入られ、しばらくするとさっぱりした様子の莉央が出てきた。


「それじゃあ改めて自己紹介ね? 彼が柊莉央。ちょっとここじゃ言えない訳ありな仕事をやってるんだ。で、僕は黒崎克典。一応、父親じゃないけど莉央の保護者やってまーす!」


 嬉しそうにピースする黒崎に対して、莉央は冷ややかな視線を送る。


「心底気持ち悪いんでやめてください」

「ひどーい!」


 若干ショックを受けながらも、黒崎は咳払いをして話を変える。


「こほん……で? 君の名前は?」

「ア、アルマ……」

「アルマ……! 機械人らしいかっこいい名前だ! で、アルマ。君は七倉町に行きたいんだったね?どうして行きたいんだい?」

「あ、ああ! そうなんだよ! オレの大事な人が悪い奴に攫われて、助けるには七倉町でやるなんとかってイベントに参加しなきゃいけねーんだ!」


 必死に語るアルマを見て、黒崎は何故かじーんと感動していた。


「そうだったのか……! 大事な人のために傷だらけになりながらも助けに行こうとするなんて……! 君ってばなんて良い人なんだ……!」


 黒崎は目頭を押さえて泣きそうになっている。


「ええっ? お、お前が泣くことかっ?」

「あー……こいつ見た目より歳いってるから涙腺ガバガバなんだよ。気にすんな」

「ぐすっ……ごめんごめん、話を戻そうか。君の言ってる七倉町のイベントって、ひょっとしてグランドールオブデュエル?」

「そう! そのグラなんとか!」

「……本気?」


 黒崎は心配そうに言葉を詰まらせながら言った。だがアルマの表情から本気なのがわかる。


「君、知ってて言ってる? グランドールオブデュエルが何なのか」

「え? ううん?」


 あーと声を漏らしながら黒崎は頭を抱え、莉央は不機嫌そうに舌打ちした。


「……グランドールオブデュエル。通称GoDは、毎年必ずと言っていいほど死者が出てくる違法賭博の一種だよ。今の君が参加したら、絶対スクラップになるよ? 正直言ってかなり危険だからおすすめしないよ?」

「それでも行かなきゃいけねーんだ! オレの大事な人の命が掛かってんだ!」


 アルマのたったそれだけの一言に、またしても黒崎は感動してしまった。


「ですよねー! 君良い人ですもんねー! わかった! 協力しよう!」

「何さらっと前言撤回してんすか……」

「実を言うとね、そこの莉央も訳あってGoDに参加をする予定だったんだ。良かったら一緒に七倉町まで送っていこう」

「ほ、本当か!? 助かる! じゃあ早速連れて行ってくれ!」

「ああっ、待って待って! そのGoDは明日開催なんだ。だから……」


 黒崎はアルマに掛け布団を掛け、ゆっくりと寝かせた。


「?」

「昨日一日中寝てただろうから多少は安心できるけど、念には念をだ。今日一日と明日半日は絶対安静にすること! それを飲んでくれるなら連れて行こう!」

「は……はあっ!? いやいやいやいや! そういうわけにはいかねーんだよ! 一刻も早くミカを助けないと危ないんだ!」


 慌てたアルマは掛け布団を剥がし、ベッドから飛び降りた。


「ああっ!? ちょっ、ちょっと待って! ダメだって! 安静にしないと傷口が開いちゃう!」

「平気だっ! これくらいもう大したことな…」


 すると、また強い激痛が体に走った。


「うっ、ぐっ……!?」

「ほら言わんこっちゃない! さあ、ベッドに寝て!」


「大……丈夫……! こんなの、怪我のうちには…」


 すると、カチャリとアルマの顔の近くで何かの音がした。


「へっ?」


 見ると、アルマの目の前に銃口が向けられていた。ベッドの近くにいたはずの莉央が、いつの間にかアルマの目の前に移動していた。


「撃たれて死にたくなきゃ寝ろ」

「ああっ!? 莉央ーっ!?」


 銃を向けている莉央に黒崎は顔を真っ青にした。


「な、何だよそれ!? 脅しのつもりか!?」

「言っとくがこれは本物だぞ。セーフティも解除済み。引き金を引けばいつだってお前を殺すことができる」

「なっ……!?」


 一瞬躊躇したアルマだったが、すぐに覚悟を決めたのかすくっと立ち上がった。


「?」

「いいぜ……撃ちたきゃ撃ってみろよ……!」

「!」

「ええ〜っ!?」


 まさかの展開に莉央は目を丸くし、黒崎ははあわあわと慌てふためく。しかしさすが殺し屋といったところか、莉央はそれくらいでは引かなかった。

 緊張感漂う沈黙の中、莉央は引き金を引いた。


「っ!!」


 撃たれると感じたアルマは目を瞑る。しかし、撃たれる感覚はなかった。


「……?」


 莉央は何回も引き金を引くが、パンと引き金を引く音だけが聞こえる。


「は……?」


 莉央はアルマに銃の中身を見せた。中に弾は入ってはなかった。


「か、空撃ち……!」


 黒崎はほっと胸を撫で下ろした。


「……そんな状態で撃ち殺したら萎える未来しか見えない」


 ため息をつきながら莉央は銃をしまった。


「あ……?」


 すると、ずっと力んでいたせいか、急にアルマからふっと力が抜けた。


「おっととと!」


 慌てて黒崎が支えた。


「ふう……はいー、ベッドに戻ろうねー?」


 黒崎はにこにこと微笑みながらアルマをベッドに座らせた。


「あのね、アルマ。その大事な人を早く助けたいのはわかるよ? でも、まずはちゃんと休まないと、助けられるものも助けられないよ」

「だけどっ……!」

「まずは生き延びたことに感謝しないと。生きてることは素晴らしいことなんだから」

「……オレが生きてても、ミカがいなきゃ意味ねーよ」


 ぼそっとつぶやいたアルマのその一言に、莉央は不機嫌そうに舌打ちした。


「自殺願望者か? お前。GoDに行きたいっつってんなら、なおのこと休むべきだ。それとも何だ? 今この場で本当に病院送りにしてやってもいいんだぞ?」


 そう言いながら莉央はスマホを掲げる。画面には119と表示されており、すぐにでも救急車を呼べる準備ができている。


「い、いやっ、それだけは!!」

「だったら休め。傷が悪化したらどう責任取るんだ?」

「うんうん。莉央の言うことには一理ある! 戦いに出るにはまず休息を取るべし! これ、常識ね?」


 黒崎はアルマの肩に布団を掛けた。


「たとえ勝てたとして、傷だらけの君を見たら、その大事な人も悲しむよ?」

「……っ」


 アルマは苦虫を噛み潰したような顔をすると、布団を自身に包んでうずくまった。


「あ、拗ねた……」

「ガキかよ……」

「まあ、とりあえず大人しく寝ておいてね? さあーてと、そろそろ朝ご飯にしなきゃだね。莉央、何かリクエストは?」

「美味いもんならお任せします」

「お〜けぃ。じゃあその間、監視頼むよ?」

「うっす」


 黒崎は鼻歌を歌いながらキッチンへ向かった。莉央はベッドのそばに座り、アルマが逃げないよう監視した。布団に包まりながら、アルマは一人不貞腐れていた。


(情けねえ……ミカがピンチだってのにこんな有様なんて……ミカの騎士、失格だ……)


 しばらくして、いい匂いが部屋中に漂ってきた。


「さあ〜、出来たよ〜!」


 運ばれてきたのは、どんぶりに入ったラーメンだった。厚切りのハムと小ネギともやし、ゆで卵が入ったありきたりなラーメンだ。三つのどんぶりを黒崎はちゃぶ台の上に置く。


「今日は僕の大好きなマロちゃん生麺とんこつしょうゆ味だ! 莉央も好きだろ?」

「……小ネギともやし抜いてもらえません?」

「ダメダメ! ちゃんと野菜も取らなきゃ! その代わりハム増量しといたから!」

「どーも」

「ではでは……この世の全ての食材に感謝を込めて、いただきます!」

「……いただきやーす」


 二人はちゃぶ台を囲んでラーメンを食した。


「う〜ん、今日も完璧だ! 豚骨のコクと醤油の塩味が見事にマッチしてるねえ〜!」


 ふと、黒崎はアルマに視線を向けた。アルマは布団に包まりながら背を向けている。


「……ラーメン冷めるよ?」

「……」


 アルマは返事もせずただうずくまる。


「……いつまで拗ねてんだよ。ちゃんと休めば七倉町には連れていってやる。おっさんはその辺嘘つかないから安心しろ」


 すると、黒崎はベッドに座った。


「どうやら君は、自分には厳しいタイプのようだね」


 黒崎はアルマに体を向け、優しく頭を撫でた。


「……!」

「事情は知らないけど、君は今、自分のことを許せない状態だね? 何もできなかったせいで、その大事な人を危険に晒してしまった。そしてその大事な人は、それだけ君にとって

 特別で代わりのいない存在。そんな状態だったら許せなくなるのも無理はないよ」


 話したわけでもないのに、大体見透かされている。意表を突かれたアルマは目を丸くした。


「でもねアルマ。そんなことを続けてたら、いつか絶対ぽっきり折れてしまうよ。時には自分を甘くしてもバチは当たらないさ。まあ、僕は常に自分に甘いから言えた義理ではないんだけどね!」


 黒崎は苦笑いを浮かべて自嘲する。


「自分に厳しくするのは悪いことではない。それが時に誰かを守ることだってあるからね。だけど、それは抱え込んで苦しむのと同じさ。それがずっと続けば、楽しいことも楽しいとは思えなくなる。それはとても悲しいことだからね。君の大事な人も、アルマが追い詰められていたら悲しむんじゃないかな?」

「!」


 アルマはかつて、無理していた自分を慰めてくれた時の美香を思い出した。

 美香は自分を心配してくれていた。恐怖を無理して乗り越えようとする自分が、あまりにも心配だったから。自分が美香を笑顔にさせたいように、美香自身もアルマには笑ってほしい。そう願ってのことだったのだろうと改めて思い知らされた。

 黒崎はアルマの背中をぱんっと叩いた。


「さ、元気を出すためにも、まずはラーメン食べよう!」


 黒崎に促されるまま、アルマはベッドから降り、座布団の上に座った。目の前には、透き通った茶色いスープに入ったラーメンが湯気を立てている。ふと黒崎に目を向けると、彼はにこりと笑った。躊躇いながらもアルマは箸を取り、麺を掬い上げる。恐る恐るアルマは麺を一口かじった。


「……!」


 たった一口、切れ端をかじっただけなのに、優しい感じが口に広がった。たまらずアルマは箸で掴んだ麺の束をすすった。とんこつしょうゆの複雑な味と麺のコシが口いっぱいに広がる。噛み締めていると、やがてアルマの目から、大粒の涙がぼろぼろと溢れ出てきた。


「……ふっ、ううっ……!!」


 その瞬間を見てしまった莉央は、麺を箸で掴んだままぎょっとした。何故今泣きだしたのか。泣くほど美味いのか、不味いのか。それとも二つとも当てはまらない何かなのか。それぐらいしか莉央は思いつかなかった。


「あっ、あっ……ああ……っ!!」


 堪えきれない嗚咽を漏らしながら、アルマは大声を上げて泣いた。黒崎は優しくアルマの背中を摩った。


「辛かったね……よく頑張ったよ」


 そう黒崎が言ったものの、事情を知らないため深い理由はなかった。しかしそれでも、アルマが大変な目に遭ったことは目に見えていた。


「さあ、冷めないうちにお食べ」


 黒崎にそう言われ、アルマは涙を拭きながらもラーメンを食べる。しかし、一口噛み締める度に涙が溢れ、胸が張り裂けそうな感覚に襲われ、また嗚咽を漏らして泣きだす。その繰り返しだった。黒崎はそんなアルマを拒絶せず、ただただ優しく見守った。そして莉央もドン引きながらも何かを感じ取ったのか、自分の分のハムを一枚だけアルマに譲った。

 やがてラーメンを完食すると、泣き疲れたのか、安心して力が抜けたのか、アルマは座布団を枕代わりにして、床の上でうつ伏せの状態で眠ってしまった。


「いいんすか? 食っちゃ寝ですよ? さすがに行儀悪いとは思いません?」

「いいんだよ、これくらいは。彼、思い詰めてた顔をしていたからね。しばらくはゆっくり休んでおくといいさ。ほら、見てごらん? 保護した時とは違って顔が穏やかだ。よほど安心したんだろうね」


 目を真っ赤に腫らして寝ているアルマを、莉央は静かに見つめていた。


「元気になったら、拍車をかけられるようなご飯を作ってあげないとだね」

「元気になりすぎて脱走とかしたらどうするんですか?」

「あはは……その時は莉央が殺さない程度に、お仕置きをしてやってくれたまえ」

「自信ないです」


 そう淡々と吐き捨てると、莉央はアルマの前髪を自身の人差し指に絡めて弄る。静かに寝息を立てるアルマを、莉央は真顔でただ見つめていたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る