22話 ハートオブハーツ〈後編〉

 解放されたハーツはその場に膝立ちする。


「ハーツ……!」


 すぐさまアルマは近寄ろうとするが、ヴィクトルに制止させられた。


「待て! まだ油断するな!」

「でも!」

「兵器自体は破壊したが、奴本人がどうなったかはわからん!」


 ハーツは膝立ちしながらゆっくりと顔を上げた。今の彼の表情は、明らかに苦しそうだった。


「……本体に破損箇所は無し……だけど、胸が、苦しいっ……!!」


 ──それが心よ、ハーツ。


「!?」


 突然響く少女の声。美香や明里のものではない。ましてや穂乃果や千枝でもない。


 ──あなたにもあるの、ここにね。


「ある、のか……!?こんなオレにも……アンドロイドのオレにも……心ってやつが……!?」

「ハーツ……!!」

「……っ」


 ヴィクトルが苦虫を噛み潰したような顔をした後、真面目な表情でハーツを見つめる。


「わからないなら敢えて聞く! 貴様が今までしたことは許されないことだ! それに対して罪悪感は感じるか!? 苦しいと感じるか!?」

「!!」


 今までしたこと。それは機械人の襲撃のことだろう。始末した後の機械人の苦しそうな喘ぎ声が、ハーツの脳裏に浮かぶ。


「……そうだっ、オレは、悪いことをしたっ……!! 今ならわかる……苦しいって感じる……っ!!」

「そうか……なら、貴様にも心があるということだ!」

「!?」

「罪悪感を少しでも感じるのなら、それは心が少なくともあるという証拠だ。いや、きっと貴様には元々あったんだ。じゃなきゃあの時、僕を庇ってなかったからな!」

「……!!」


 ハーツは自分の胸を押さえた。


「アルマ……これが、心なのか……!? こんなに苦しいものを、お前は……!?」


 すると、アルマは自分の胸に手を当て、ハーツへ近寄って跪いた。


「ああ、そうだよ……心があるから苦しいんだ。オレだってお前がラルカだって知った時、心がすげー苦しかった。怒りと悔しさと、信じたくないって気持ちがごちゃ混ぜになって、胸が苦しくなって、一瞬だけ捨てたいって思っちまった……でも、なんとなくだけどわかった気がするんだ……苦しいって気持ちはきっと、諦めたくないって気持ちと同じなんだって……」

「諦めたくない……?」

「苦しいからなんとかしたい、解決しないとって思える。それって、諦めたくないってことだとオレは思う。その気持ちがあるから、前を向こうと思えるんだ。オレもその気持ちがあったから、お前を助けたいって思ったんだ。お前がアドバイスしてくれた時もすげー苦しくて、自分が自分でなくなるくらいに苦しかった。でも、ちゃんと前を向けるってわかるきっかけになった。だから、苦しいって気持ちも必要なんだ。前を向こうっていつか思えるように……」

「前を、向く……」

「それって、すごく大事な気持ちだと思う。前を向けるから強くなれるし、誰かを守りたいって思えるから!」

「守る……」


 ハーツの脳裏に浮かぶのは、明里の笑顔だ。


「オレにも、守りたいものが……あるのか? さっきから頭の中で、明里の顔が浮かんでくる……オレは……明里を守りたいのか……?」

「……!」


 それを聞いたアルマの顔がぱあっと明るくなった。


「ああっ! きっとそうだよ! オレがミカを守りたいように、お前はアカリを守りたいって思ってる! もう十分心がある証拠じゃねーか!」

「……!」


 すると、ヴィクトルがハーツに近寄ってきた。


「まあ、こいつの言ってることは単純かもしれんが、筋は一応通ってはいる。何かを、誰かを守りたいって思える時点で、もう心があるのかもしれないな」

「だろ! オレが言うんだから間違いないって!」

「根拠があやふやだぞ」

「いいだろ? それくらい」


 二人を見ていたハーツの頬が、ふっと柔らかくなった。


「ハーツ、お前今……!」

「そうか……やっとわかった気がする……オレにも、心が、あったん……!?」


 すると突然、ハーツは頭を抱えだした。


「あ、ああっ……!?」

「ハーツ!?」

「どうした!?」

「な、何だっ……何かが、オレを……!?」


〈貴様に心は不要だ、ラルカ!!〉


「二人共っ、離れろっ……!!

 このままじゃ……あっ、がっ……!!」

「ハーツ!!」

「……そう。陛下、決断したんですね」


 レイジュがそうつぶやいた。


「何を仕掛けた!?」


 警戒したイサミが銃を向ける。


「陛下は彼を調整した際、最終手段としてある機能を追加したとおっしゃられた……“暴走”と言う名の自滅をね!」

「!!」


 まさかと思いイサミが叫んだ。


「離れろ二人共っ!!」

「ああああああああっ!!」


 ハーツの目が真っ赤に光りだした。


「ハーツ!! なあハーツって!! どうしちまったんだよ!?」


 すると突然、ハーツが急速に立ち上がり、アルマに向かって踵落としを繰り出した。


「アルマッ!!」


 叫んだと同時にヴィクトルが割り込み、左手でアルマを突き飛ばし、右手でハーツの足を受け止めた。盾を出すタイミングが間に合わず、ガシャアーンッと嫌な音が響いた。ヴィクトルの右肘から先が破壊された。


「ヴィクッ!!」

「勝利殿っ!!」


 怯む隙もなく、ハーツはヴィクトルを蹴飛ばした。ヴィクトルは激しく飛ばされて林の中へ姿を消していった。


「ああああああああああっ!!」


 悲鳴にも似た絶叫を上げながら、ハーツはパンチとキックを凄まじい速度で繰り出す。アルマはそれを避けるのに精一杯だ。


「ハーツ!! 頼むっ、目を覚ましてくれ!!」


「無駄よ!! もうそいつは誰にも止められないわ!! 破壊でもしない限りはね!!」

「……っ!!」


 破壊というワードを聞いて、イサミは最悪な状況を理解した。確かにハーツを破壊すれば万事解決だが、果たしてアルマがそれを快諾するのか。否、拒否する確率は極めて高い。


「ああああああっ!!」


 ハーツの激しいパンチがアルマの腹部にヒットした。


「がはっ……!!」


 アルマは真上に飛ばされ、地面に倒れた。想像以上にダメージが大きく、なかなか立ち上がることができない。


「ハー、ツ……!!」

「ああああっ、ああっ、あああっ!!」


 ハーツはその場で雄叫びを上げている。アルマからすればそれは、悲鳴を上げているようにも見えていた。またハーツの攻撃が来る。


「っ!!」


 先ほどのダメージのせいで避けれないことを悟ったアルマはぎゅっと目を瞑った。しかし、攻撃された感覚が来ない。


「……?」


 恐る恐るアルマは目を開ける。目の前にいたのは、ハーツを抱きしめて受け止める明里だった。


「アカリ!?」


 明里はハーツの腹部を抱きしめ、必死になってハーツを止めていた。


「ハーツ君……!!」

「ああああああああっ!!」


 ハーツは明里に抱かれながらもがいている。


「やめて……もうやめてよっ、ハーツ君……!! これ以上ひどいことしないで……!!」


 その言葉から明里の悲痛さが伝わってくる。


「私の知ってるハーツ君はっ、そんなことしないよっ……!! だってハーツ君はっ、優しいんだもんっ……!!」

「アカリ……!!」

「アルマ! 明里ちゃん!」


 そこへ、美香が駆けつけてきた。


「あああっ、ああっ、あああああああっ!!」


 ハーツは明里を離そうとするが、明里は離れるギリギリのところで離そうとしない。


「ハーツ君っ……これ、覚えてるっ?」


 明里はハーツを捕まえながら懐から何かを取り出し、ハーツに見せた。それは、ハートの形にピンク色の宝石が埋め込まれた小さなストラップだった。


「動物園に行った時、私が一目惚れしたのをハーツ君が買ってきてくれたよねっ? 私、すごく嬉しかったっ……! ハーツ君の心、すごく伝わってたっ……!」

「こ、こ、ろ……!?」

「そうだよっ! だって……!」


 明里はゆっくりと手を伸ばして、ハーツの頭の上に乗せた。


「だってハーツ君は、優しいんでしょ?」

「……!!」


 明里が発した優しいと言う言葉が、ハーツの中で何度も何度も木霊した。


「あっ、ああっ……!?」


 ドクン、ドクンとハーツの中で何かが脈打つ。


「ああっ、ああああっ!?」

「ハーツ君っ!! 思い出してっ!!」

「黙れええええっ!!」


 ハーツは激しく明里を突き飛ばした。


「きゃあっ!!」

「明里ちゃん!!」


 美香は慌てて明里のそばへ寄った。突き飛ばされただけで大したことはなかった。


「うううっ、あっ、ああっ!?」


 ハーツは胸を押さえて苦しそうにしている。


「ハーツ……」

「な、何がどうなってるの!? あいつが追い込まれているって言うの!?」


 ハーツの異変にレイジュは狼狽えている。


「……わからないのか?」


 そこへ、林の中まで飛ばされたはずのヴィクトルが出てきた。ヴィクトルは右腕を抱えながらハーツを見据える。


「勝利殿!」

「ここまで来てまだ理解できんのか? あれは心がなければできない。心無くして苦しむことなんてあるのか?」


 苦しむハーツの姿を、アルマは悲哀の込めた目で見つめる。


「……」


 すると、アルマは何を決心したのか、自ら換装を解除した。


「アルマ!?」

「!? あいつ、何を……!?」

「ああああああああああああああああっ!!」


 苦しみながらもハーツは走りだし、アルマに向かって拳を突き出す。アルマは防御の構えすらせず、ただその場で立ち尽くしたまま、ハーツの拳を受け止めた。アルマの腹部が嫌な金属音と共に貫かれる。


『ーっ!?』


 その光景に美香と明里は絶句した。


「アルマ殿っ!!」

「なっ……!?」

「嘘でしょ!? あいつ自分から!?」

「あああっ、ああ……!?」


 腹部を貫かれたまま、アルマはそっとハーツを抱きしめる。


「……苦しいって気持ちは前を向くのに必要だって言ったけど、やっぱ苦しいもんは苦しいもんな……」


 ハーツの耳元でアルマは優しく囁いた。


「苦しいんなら、泣いてもいいんだぜ」

「……!!」


 そのたった一言で、ハーツの中の何かが音を立てて壊れた。ハーツから力が抜けて、アルマの腹部から無意識に腕を離し、だらんとなった。


「は……あ、あっ……!?」


 真っ赤だったハーツの目が元に戻り、代わりに涙が流れだす。と同時に、緊張の糸でも切れたのか、ハーツ自身も元の人間の姿に戻った。


「あっ、ああっ、あああっ……!!」


 堪えきれない嗚咽を漏らしながら、ハーツはがくんっと膝から崩れ落ち、アルマは倒れないように支える。


「ううっ、あっ、ああっ、ああっ……!!」


 言葉にならない泣き声を上げ、ハーツは何もかもをアルマに委ねる。そんな彼に対しアルマは頭を優しく撫でる。


「そんな……こんなのありえるわけが……!」


 レイジュはその様子に落胆する。すると、イサミが彼女を拘束していた拘束具のスイッチを押した。アラーム音と共に拘束具は外された。


「!?」

「勘違いするな。これは情けというもの。これ以上の抵抗は勧めず、帰還せよという意味のな」

「わ、わかったわよっ! 帰ればいいんでしょ、帰れば!」


 レイジュはあたふたしながらその場を去った。


「アルマ!」

「ハーツ君!」


 美香と明里がアルマとハーツに駆け寄ってきた。


「明里……」


 すると、明里はがばっとハーツに抱きついてきた。


「良かった……いつものハーツ君だ……!」


 涙を堪えながら明里はぎゅっと抱きしめる。


「……!」


 ハーツは涙を拭い、明里を抱き寄せた。


「……明里、ありがとうな」

「ハーツ君……!」

「アルマ!! アルマってば!!」


 悲鳴にも似た美香の叫びに二人ははっとした。振り返ると、腹部に大きな穴が開いてぐったりとうなだれているアルマがそこにいた。美香は泣きだす寸前の顔で呼びかけている。


「アルマ!! しっかりして!!」

「……ん……う……」


 顔をしかめながらアルマは意識を呼び戻す。アルマに意識があることを確認すると、美香はすごい勢いで首にしがみつく。


「アルマ……!!」

「……ミカ、あんまり絞めないでくれよ? 今、すっげー痛い……んだから……」


 その言葉を最後にアルマはぐらっと美香に寄りかかって倒れた。


「アルマ!? アルマッ!!」


 すると、美香の肩をヴィクトルがぽんと叩いた。


「安心しろ。これくらいじゃ死なない」

「でも……!!」

「個人差はあるが、戦闘用は腹部をやられたぐらいでは大したことない。まあ最も、こいつは頑丈だしな。とはいえ念には念だ。救助が来るまでそばにいてやれ」


 美香な泣きそうになりながらも堪えて静かに頷いた。


「……さて、ここからが本腰だな」


 ヴィクトルはすっと立ち上がった。


「ハーツ。貴様は軍警まで来い。一応それが本来の目的だからな」

「……ああ、わかっている」

「あ、あのっ! ハーツ君はっ……」

「心配するな。悪いようにはしない」

「……その前に、頼みがある」


 ハーツは明里と共に立ち上がる。


「オレは……穂乃果、シェアハウスの寮母の記憶を操作して潜入した。その手法は記憶操作だけでなく、エルトリアへの洗脳も刷り込まれてしまう。だから、軍警に連れて行かれる前に、彼女を元に戻したい。罪滅ぼしにはならないが、せめてそれだけでも……」

「……そうか、わかった。ならそれが完了次第、連絡を…」

「おおーい!」


 そこへ、聞き覚えのある声が聞こえてきた。振り返ると、穂乃果を背負った康二とルカがこちらに向かって走って来た。


「あれっ? 康二さんにルカ君!? てか、お姉ちゃんどうしたの!?」

「説明は後でするっ! それよりハーツは?」

「オレはここだ」


 ハーツは康二の前に立つ。


「……穂乃果を洗脳したの、君でしょ?」


 ルカが真顔でハーツに問いただす。


「なんかおかしくなってるんだよね。穂乃果に何をしたわけ?」

「……っ」


 ハーツは顔をしかめて俯いた。


「……すまない。オレは穂乃果の記憶を操作した。エルトリアによる洗脳プログラムを、彼女の脳に作用させたんだ。全てはアルマの抹殺のために……」

「マ、マジ、かよ……!? ルカの言ってたことは本当だったのか……!?」

「……まあ、なんか怪しいなとは思ってたけどね。でも詮索するのもあれだし、敢えて聞かなかったオレにも原因はあるけど」

「怒らないのか……?」

「別に。まあ穂乃果にしたことにちょっと思うとこはあるけど、怒るほどではないしね」

「と、とにかく! あんた穂乃果さんがおかしくなったの、治せるんだよなっ? だったらやってくれると助かる!」

「ああ……そのつもりで来る予定だったんだ」


 すると、穂乃果が目を覚ましたようだ。


「おおっ、目ぇ覚ましたかっ?」

「あら……私、今まで何を……?」


 すかさずハーツは穂乃果と目を合わした。キュイーンと言う音と共に、穂乃果の両目に光が当てられた。


「……!!」


 穂乃果ははっとなって顔を上げた。


「あ……私……そうだ、思い出したわ……」

「……」


 ハーツは苦し紛れに頭を下げた。


「すまなかった……!」

「お、お姉ちゃん! あのねっ、ハーツ君は…」


 すると、穂乃果は康二から降り、ハーツを優しく抱きしめた。


「……!?」


 ハーツは何が起きたかわからず困惑している。


「でも、関係ないわ。だってあなたはもう、家族の一員ですもの」

「……!!」

「お姉ちゃん……!!」


 嘘偽りない穂乃果の優しさに、ハーツはまた涙が出そうになった。


「……ありがとう、穂乃果っ……!!」

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