17話 シャドウチェイサー

 とある晴れた昼下がり。

 今日も今日とて軍警で特訓をしていたアルマは、やっとひと段落ついて休憩に入っていた。疲れたとぼやきながら天井を見上げていると、そばでヴィクトルが飲み物を差し出してきた。


「おっ、ありがとヴィク!」


 ヴィクトルは無言でアルマの隣に座り、ペットボトルに入った飲み物を飲む。


「……その様子では、悩みは解決したようだな?」

「えっ? ああっ、まあ、一応な!」


 アルマは困り笑顔を浮かべながら頬を掻いた。


「お前にも心配かけちまったな。でももう大丈夫だ! この通りオレは元気だぞ!」

「そうか。なら今度こそもう無理はするなよ。前にも言ったが、貴様が本調子でないと困るのはこちらだからな」

「はい! ヴィク先輩!」


 道化じみた明るさではないとわかったのか、ヴィクトルは少し安堵した。あの時見た苦しそうな姿と比べれば、幾分マシだと思ったからだ。


「ヴィク、昨日はオレ抜きで戦ってたんだろ? 負傷したってマコトから聞いたけど、その辺は大丈夫なのか?」

「軍警の技術士達を甘く見ないでもらいたい。まあもっとも、あれくらいの負傷は僕にとっては日常茶飯事みたいなもんだ。問題ない」

「そりゃあヴィクは強いからあれだけど、それでも心配は心配だ! 昨日はさすがにメンテナンスで行けなかったけど、いざとなったらオレもすぐに駆けつけるからさ!なんならメンテナンスしながらでも行くけど?」

「無茶苦茶なこと言うな! それで貴様の身に何かあったら、貴様のとこの保護者が泣くぞ」


 あっとアルマは声を上げた。


「まったく……泣かしたくないと言ったのはどこのどいつだ……これ以上頭のネジ飛ばすつもりなら、特訓も付き合ってやらんぞ!」

「ああっ、それは勘弁!」


 二人のやり取りを、イサミが角から見つめている。仲良さそうで何よりだとイサミは安心し、静かにその場を去った。


「……そう言えば、あいつはどうなった? まだ機械人を襲ってんだよな?」


 真面目な表情のアルマに、ヴィクトルは気を引き締めた。


「ラルカか……ああ、まだ終わっていない」


 ヴィクトルは人差し指を真下に降り、モニターを出現させた。映し出されるのは、事件現場の画像と、被害者の状況だった。


「未だ奴の目的は不明だ。唯一わかっているのは、奴には命令を下している主がいるということ。せめてそいつの素性だけでもわかればいいが……」


 ヴィクトルは口に手を当て思案する。


「あと、気になるのはやはり奴の行動パターンだな。何故深夜早朝の時間帯で活動するのか」

「確かに! やるなら正々堂々とどんな時でもかかってこいってやつだよな!」

「……まあ、それは極端な例ではあるが……ひょっとしたら、何か理由があるのかもしれないな。あまり人前に姿を見せない何かが」


 ヴィクトルはモニターと睨めっこしながら、一人で推理し始めた。


「そうだな……例えば、民間人に変装して、何か情報を集めているとか? もしくは、昼間で活動できないよう、何か制限をかけられているのか? 奴が機械人ならその道理は通じるかもだが……」

「ヴィク! おいヴィクって!」


 ヴィクトルの前でアルマが手を振っている。それにヴィクトルははっと我に返った。


「何一人でぶつぶつ言ってんだよ?」

「あ、ああ、すまん……」


 ここでヴィクトルはふと思い出した。それは、ラルカがアルマを無心の刃と呼んで狙いを定めていたことだ。


(もしや、狙いはこいつか? だとしたら……)

「ヴィク?」

「なあ、最近貴様の周りで変わったこととかないか? 特にここ二週間ぐらいで」

「変わったこと?」


 アルマは腕を組んで考えた。


「そーだなー……あ、うちにアンドロイドが来たことぐらいかなー? ホノカの知り合いから預かったってやつ」

「アンドロイドが?」

「ハーツって言うんだ。こいつ」


 そう言いながらアルマはスマホをヴィクトルに見せた。スマホにはハーツの写真が映っている。


「この間までオレちょっと変だったろ? こいつがオレにアドバイスしてくれてさ、辛いならそれ以外の感情をそれ以上に出せって。だからちょっと無理しちゃってな」

「そうか……」


 何か引っかかったヴィクトルは眉をひそめた。


(辛いならそれ以外の感情を出せだと? アドバイスにしては重すぎはしないか? まるで奴を鼓舞と言うより追い詰めている気がするな……)

「こいつの認識番号はわかるか?」

「番号? えっと……R1-82ってルカが言ってたような……」

「R1……万能型か……」


 まだ写真だけなため疑惑を持つのはあれだったが、ヴィクトルの猜疑心は晴れなかった。


 それからしばらく経ったある日、アルマ、美香、明里の三人が学校から帰宅していた時だった。アルマのスマホにヴィクトルからメールが来た。


〈明後日金曜、貴様の経過観察のため自宅に訪問することになった。面談もしたいので金曜の夜は空けておくように〉

「えっ!? マジか!?」

「どうかしたの?」

「ヴィクが明後日の金曜、うちに来るって! 経過観察がなんちゃらって……」

「そうなのっ? また急だね……明里ちゃん。今度の金曜日にヴィクトルさんがハウスに来るみたいなんだけど、来てもらっても大丈夫かな?」

「ヴィクトルさん?」


 そのワードに明里ははてなと首を傾げた。


「ほら、会ったことあるでしょ? 軍警の副官さん」

「軍警の……」


 すると、明里ははっと思い出した。


「はっ!? ひょっとして、あのめっちゃ顔の良い男の子!? 嘘っ!? うちに来るのっ!?」


 きゃあああっと明里は黄色い悲鳴を上げた。結局明里からは返答を聞けなかったため、ハウスで穂乃果に尋ねてみた。


「うちは大丈夫よ。アルマ君がお世話になってるみたいだし、いつかちゃんとお礼をしたかったしね」

「ありがとうございます! じゃあ私から連絡しときますね」

「じゃあじゃあ美香ちゃん!! 晩ごはんも一緒にどうぞって連絡して!!」


 明里が異様に興奮している。よほど彼に惚れてしまったのだろうか。


「きゃー、何話そうかなー? 今の流行りとか知ってるかなー?」

「明里! 話すのはあなたとじゃなくてアルマ君よ? 経過観察の面談だって言ってたし」

「あ、それなんですけど、さっきアルマを通じて連絡が来て、できればハウスの人全員と話してみたいって……」

「やった! 大チャンスじゃん!」

「あら、そうなの? わかったわ。じゃあ金曜日はみんないるよう頼んどくわね」


 すると、美香のスマホに着信が入った。相手はヴィクトルだった。


「あれっ? またヴィクトルさんから……」


 メールの内容はこうだ。


〈補足。そちらで預かっているハーツと言う機械人と話がしたい。彼をなるべく自宅にいさせてくれ〉

「ハーツ君……?」


 何故彼と話がしたいのか。この時の美香には知る由もなかった。


 ♢


 そして、約束の金曜日が来た。

 夕方になると、アルマと明里は早く来ないかとそわそわと落ち着きがなかった。そうこうしているうちに、インターホンが鳴った。


「来たっ!」


 アルマは徐に立ち上がり、明里はひゃっと変な声を上げた。一目散にアルマは玄関に向かい、勢いよく扉を開けた。


「来たぞ」

「お邪魔する」


 ヴィクトルがイサミを連れてやって来た。


「来たー! ヴィクがうちに来たー!」


 その事実がよっぽど嬉しいのか、アルマは玄関で回りながらスキップしていた。その様子にヴィクトルは若干引いた。


「そんな喜ぶほどのことか?」

「だってさ! ヴィクにオレん家のこと、いっぱい話したくてしょうがなくって!」


 まるで家庭訪問の時の小学生だなと、美香は思わず苦笑いした。


「てかお前……いつもと違うな?」


 今日の二人は軍警の制服でも、甲冑でもなかった。

 ヴィクトルは黒のタートルネックにノースリーブのデニムジャケットを羽織り、青のスラックスを履いている。イサミは黒のショートボレロに白のキャミソール、ベージュのフレアスカートと、まさに休日感のある服装だった。いつもアルマと美香が見ている二人とは雰囲気が全然違っていた。


「てっきりいつもの格好で来ると思ってた」

「あの格好は仕事だから装備しているだけだ。この民家の中でがっちり固めて装備する馬鹿がどこにいるんだ? 僕だってちゃんと切り替えている」

「ほう? センスがわからないからどんな格好で来ようか、局長殿に頼んでいたのは自分の見間違えだったかな?」


 イサミにそう言われた途端、ヴィクトルは赤面した。


「なっ!? それを言うなっ!!」

「まあとりあえず入れよ!」

「失礼する」


 二人はハウスに入り、居間へ案内された。初めて見るシェアハウス秋桜の中を、二人は興味深そうに見回している。


「珍しい内装だな……開発地区では滅多に見られない雰囲気だ」

「ああ。樋口家本家を思い出すな。懐かしいとはこのことだろう」


 二人が正座して周囲を見渡す中、明里は二人を前に(正確にはヴィクトルを前に)顔を真っ赤にして固まっていた。


「今日はわざわざありがとうございます。いつもアルマ君と美香ちゃんがお世話になっているようで」


 穂乃果が二人にお茶を出してくれた。


「ああいや、こちらこそ急な来訪ですまなかったな。わざわざ時間を割いてもらって」

「いえいえ、お客さんが来るのはうちにとっては素敵なことですから」

「ここはシェアハウスだったな? 二人以外にも住人が?」

「はい。もうちょっとしたら仕事から帰ってくると思いますので」


 すると、ヴィクトルの近くからひょこっと千枝が出てきた。


「!?」


 いきなり出てきたため、ヴィクトルはびっくりした。


「きかいの匂いがするー!」

「こら千枝! すみません……」

「いや……問題ない」


 千枝は二人をまじまじと観察している。そんな彼女をイサミは柔らかく微笑んで対応した。


「機械人が珍しいんだろうな」


 イサミは千枝を抱き上げ、膝の上に乗せた。


「どうだ? 人間とは少し違うだろう?」

「なんかちょっと硬ーい」


 するとイサミは、ボレロの胸ポケットから何かを取り出した。ビニールで梱包された小さなチョコレートだった。


「小さい子がいると聞いてな、大したものではないが」

「!」


 千枝の顔がぱあっと明るくなり、嬉しそうにチョコレートを手にした。


「ありがとーござーます!」

「すみません」

「いえ、気にするほどでは」


 難なく千枝に対応するイサミに、ヴィクトルは意外そうな表情を見せた。


「……慣れてるんだな?」

「忘れたのか? 自分は樋口に仕える人形。勝利殿のことも幼い頃から世話していたんだぞ?」


 あっと声を上げ、ヴィクトルは照れ臭くなった。すると、玄関の扉が開く音が聞こえた。


「おーう! 帰ったぞー!」

「ただいまー」


 康二とルカが仕事から帰って来たようだ。


「おかえりなさい」

「ん? 客人か?」

「軍警の人がアルマ君と面談ですって」

「軍警が? 珍しいね」


 二人は居間へ向かった。


「どうも」


 イサミが正座しながら深々と頭を下げた。


「ーっ!?」


 イサミの姿を確認した康二に、稲妻が走ったかのような感覚が来た。少し間が空くと、康二はイサミの手を取った。


「お嬢さん、名前は?」

「イサミだ」

「イサミさん……立川康二、三十六歳、独身です」

「はあ……」


 何故自分に向けて真剣な表情を見せているのか、イサミには理解不能だった。


「俺、イサミさんに惚れたみたいです……あなたのような見目麗しい御方と出会えた今日この日に感謝を…」

「はい、エロ男爵終わり」


 そう言いながら背後からルカがゲンコツを下した。アンドロイドきっての怪力も相まって、一発で康二は気絶した。ルカはやれやれと肩を落としながら康二の首根っこを掴んだ。


「ごめんごめん。次変なことしたら即逮捕してもらって構わないから」

「あ、ああ……」

「誰か来たのか?」


 キッチンからハーツが出てきた。


「あ、ハーツ君。ヴィクトルさん、彼です」


 美香はハーツを二人の近くに引き寄せた。


「誰だ?」

「ヴィクトルさんとイサミさん。軍警の人」

「!?」


 その一瞬だった。イサミの胸に恐怖がよぎった。ハーツと視線が合うと、身が強張った。


「……っ!?」

「イサミ?」


 イサミの異変にヴィクトルが察知した。


「どうした? バイタルが緊張を示している。オレに何かあるか?」

「あ……いや……失礼ながら、どこかでお会いしたことは……?」

「?」


 ハーツは首を傾げた。


「オレはお前とは初対面だ」

「あ、ああ……そうか……すまない、どうやら人違いだったみたいだ……」


 顔を青くさせてよろめくイサミを、ヴィクトルは怪訝そうに見ていた。


 アルマの経過観察を兼ねた面談は、約一時間ぐらいで終わった。面談内容は実にシンプルで、最近何をしたかとか変わったことはないかなど、他愛もない話ばかりだった。これといって気になる箇所はないなと、ヴィクトルは少し安堵した。気になったのは先ほどのイサミだった。今はだいぶ落ち着いてはいるものの、明らかに様子がおかしかった。ここで聞くのも見当違いなため、後で詳しく聞こうと決心した。


 時刻はもうすぐ六時を指そうとしている。


「お二人はご飯食べられますよね? 良かったら晩ごはん、一緒にどうですか?」


 穂乃果が優しく誘っている。


「すまない、恩に着る」

「ああ、お言葉に甘えさせてもらおう」

「何かリクエストあります? 今日は大体何でもできますよ。ハンバーグとか、コロッケとか!」

「ハンバーグ……」


 そのワードにヴィクトルは反応し、さっきまでの真面目な表情が少しだけ綻んだ。そのわずかな変化をイサミは瞬時に捉え、ふっと笑みをこぼした。


「で、ではハンバー……!」


 ハンバーグと言いかけたヴィクトルだったがはっとなってすぐに口を閉ざした。彼のすぐ近くには、アルマが座っていた。ここでハンバーグなんて言ったら絶対深掘りされてしまうと見たのだ。それだけはならんとヴィクトルは強がりだす。


「……いえ、脂質控えめで味が濃くなければ何でも……」

「まあ……ああでもそうですよね。機械人とはいえ立派な成人ですもの。大人の味が好みなんですね?」

「あ、ああ……一応……」


 よしとヴィクトルは安心したが、どこか寂しさも感じてしまった。


「……では、自分はハンバーグを希望しようか」


 イサミが挙手しながらそう言った。


「!?」

「おっ? イサミはハンバーグが好きなのかっ?」


 アルマが興味深そうにイサミに近寄る。


「今日は単純にそういう気分だ」

「あら、イサミさんは意外ですね! 勝手なイメージですけどイサミさんは精進料理しか食べないかと。じゃあ今日はハンバーグにしましょうか!」

「……おいっ」


 ヴィクトルが肘でイサミの脇を小突く。


「何だ?」

「……何のつもりだ」


 ヴィクトルが低く小声でつぶやいた。


「気を効かせてやったんだ。不服だったか?」

「……いや、別に」


 ヴィクトルはばつが悪そうにそっぽを向いた。


 さて、先ほどからガチガチに固まっている明里はというと、キッチンで半分涙目になりながら、あああと声を漏らしながら力なく塞ぎ込んでいた。


「どうしたのよ? 明里。あんなに話したそうにしてたじゃない」


 夕飯の支度をしながら穂乃果が呆れ気味に話す。


「だ、だっていざとなると頭の中が真っ白で、何話していいかわかんないもん……! それに話次第では呆られそうで怖いんだもん……!」

「話してみなきゃわからないでしょ?」

「そうだけどさあ……!」

「何か困っているか?」


 悩む明里の背後に、いつの間にかハーツがいた。


「わああっ!? ハ、ハーツ君!?」

「明里のバイタルが緊張を示している。何かあったのか?」


 そう言われた明里ははっとした。ハーツが万能型機械人だと思い出したのだ。


「そうだ!! ハーツ君助けて!!」


 明里はすがる思いでハーツに助けを求めた。


「話してみたい人がいるんだけど、頭の中真っ白になっちゃうの!! 何話せばいいのかな!?」

「……」


 ハーツは腕を組んで首を傾げた。


「質問の意味がわからない」

「ええーっ!? わ、わかんないかなっ!? こう、話してみたいんだけど何話せばいいかわからなくて、でも話次第では呆られそうでっ!」


 首を傾げたままハーツは真顔だ。


「普通に話せばいいのでは?」

「だからっ、何を話せばいいかっ……!」

「もうすぐ夕飯の時間だ。話すならご飯は美味しいかとか何が好きかとかを話すのが普通だと思うが?」

「そ、そんなのでいいのっ?」

「話しかけたいのだろう?」

「ハーツ君の言う通りよ。何気なく話すだけでも十分よ」

「わ、わかった……」


 そんなこんなで夕飯が出来た。どこにもありそうな家風ハンバーグに、ヴィクトルはバレない程度に顔を綻ばせる。


「なかなか良い感じだな?」


 イサミがヴィクトルを見ながら言った。


「ま、まあな……」

「お二人は味付け自由にしてみてくださいね」

「あ、ああ。では……いただきます」

「いただきまつかる」


 明里は不安そうだった。上手く話しかけられるかどうかと、果たして黛家のハンバーグを気に入ってもらえるかの、二つの要素に対してドキドキしながら見ていた。二人は箸でハンバーグを一口分に切り、口にした。


『……!』


 味付けはいたってシンプルだが、仕事柄普段こういった家庭料理をあまり食さない二人にとっては、特別な味に感じた。


「美味しい……」

「うん。なかなかだな」


 好評価なのを確認した明里は、思わず身を乗り出した。


「でしょ!? お姉ちゃんのハンバーグはすごく美味しいんですっ! 気に入ってもらえました!?」


 いきなり話しかけてきたので、二人は目を丸くしていた。それを見た明里ははっとなり、顔を真っ赤にしてしぼんだ。


「す、すみません……」

「いや、謝ることはないぞ? 本当に美味しい」

「~っ!!」


 耐えきれなくなったのか、明里は悲鳴を堪えて一目散にキッチンへ逃げた。


「アカリー? 食わないのかー?」

「そっとしときましょ」


 穂乃果はにこにこと去り際を見つめていた。

 すると、ヴィクトルの隣で紙パックの燃料を飲み終えたハーツが、すっと立ち上がった。


「出かける」

「!」

「あら、こんな時間に? どこへ?」

「食後の散歩というやつだ」


 ハーツは手ぶらでそのまま出ていった。出ていく瞬間まで、ヴィクトルは見据えていた。


「……外出した。追跡を開始しろ」


 そうヴィクトルは小声でつぶやいた。


 ♢


 月が良く見える夜の元、ハーツは一人で歩いていた。そんな彼の背後を追う人影。影は塀の上から監視をしていた。ハーツはそのことに気づいていないらしく、そのまま歩き続ける。


「……こちら追跡班。異常は今のところありません」


 その日、シェアハウスがあるこの下町は、軍警によって取り囲まれていた。課せられた任務はただ一つ。

 ラルカと同一人物の可能性が高いハーツの監視だった。

 この任務こそ、ヴィクトルとイサミがシェアハウスにやって来た本当の理由だ。先日のアルマとの会話から疑惑が晴れなかったヴィクトルは、アルマの経過観察と兼ねてこの任務を実施することになった。もちろんこのことは局長である誠には報告済みだ。ラルカとハーツは同一人物なのか。それを確かめ、事件の真相を掴むのが狙いだ。状況は随時、ヴィクトルに内蔵されている“思念通話機能”で報告される。

 思念通話機能とは、所謂テレパシーが科学的に実現されたものだ。脳波から言語を読み取り、それを通信機器に接続することで声に出さずとも通話ができるのだ。これにより、スパイなど隠密行動がより細かになったのだ。

 ヴィクトルはこの機能と部下を使用し、ハーツの行動を監視する。あらかじめ襲撃現場にされると予想される場所には、軍警の部隊が待機してあった。


〈待機四班、準備はいいな?〉


 コードネームを付けられた四班が点呼する。


「ブラボー、OK」

「グレート、OK」

「アメイジング、OK」

「エクセレント、OK」

〈待機場所に現れた場合、奇襲を仕掛けた場合のみ攻撃を許可する。破壊は禁止する〉

『了解』

〈……始まったか〉


 イサミも自身に内蔵されている思念通話機能でヴィクトルに話しかける。思念通話なので、穂乃果達には聞こえない。


〈なるべく奴を出さないように善処したいところだな。こんな閑静な町で騒ぎを起こしたら厄介だ〉


 もしラルカがこの下町で破壊行動を起こせば、被害は当然出るし、場合によってはアルマを出す必要性が出てしまう。ヴィクトルはそれを危惧していた。なるべく穏便に済ませる。それが今回の任務だ。二人もなるべく悟られないよう、普段通りを演じる。


「こちら追跡班。ターゲットが商店街に入りました」

〈人混みの状況は?〉

「夜なのでまばらですね。混んでいないのが幸いでした」

〈どこかの建物に入る可能性はあるな……目を離さないよう注意しろ〉


 未だ普通に散歩しているハーツを、軍警の兵士一名が監視している。ハーツは花屋と八百屋の間にある路地裏へ入る。兵士は見逃さないよう建物を飛び伝いながら後を追った。路地裏へ移動しようとした時だった。

 突然背後に誰かが現れ、兵士の視線を奪った。追跡班からの通信にノイズが発生した。


〈どうしたっ?〉

「……失礼しました。無線機を落としてしまって」

〈そうか。気をつけろよ〉


 兵士はハーツを追いかける。しかし、彼の背後には、追われているはずのハーツの姿がそこにいた。ハーツは冷ややかに兵士の背後を見つめ、そのまま姿を消した。ハーツの姿を追う兵士の目には、赤い光沢が帯びていた。


「こちら追跡班。ターゲットは路地裏を出ました。目立った動きはありません」

〈今のところは特にない、か……〉


 ヴィクトルが訝しんでいた時だった。彼の真横からぬっと現れた影に、ヴィクトルは躊躇なく捉え、捕縛した。


「あ」


 ヴィクトルの手が掴んだのは、箸を持ったアルマの腕だった。


「何のつもりだ」


 ヴィクトルは冷たい目でアルマを見据える。


「い、いや~、食べないならもらっちゃおうかなーなんて……」


 ヴィクトルはギリギリとアルマの腕を握りしめる。


「痛だだだだだっ!?」

「アルマ……さすがにお行儀悪いよ?」


 見ていた美香が呆れていた。


「大空美香。保護者ならちゃんと見ろ」

「すみません……」


 ヴィクトルはアルマを睨みながらも状況を把握する。


〈追跡班、状況は?〉

〈目立った動きはありません〉


 その一言にどことなく違和感を感じた。まだ監視を始めたばかりだから気を張っているだけだろうと、ヴィクトルはとりあえず流した。すると、待機場所から連絡が割り込んできた。


〈こちらブラボー! ラルカ出現! ラルカが出現しました!〉

「!!」


 状況はイサミにも届いているため、イサミもすぐさま状況を確認する。


〈状況はっ?〉

〈電柱の上に立っています!〉


 その言葉通り、下町の公園にある電柱の上に、ラルカ本人が立っていた。軍警の兵士達は銃をラルカに向けている。


「迎撃しますか!?」

〈襲撃の気配は?〉

「今のところは!」

〈そのまま警戒は維持!〉


 ラルカは電柱の上に立ったまま何も動きはない。


〈追跡班! ハーツはっ?〉

「先ほどコンビニに入りました」

「!?」


 つまりハーツとラルカは違う人物。そういう結論に至る。


(同一人物ではないということか……!?)

〈こちらブラボー! ラルカが消えました! 追跡をしますか!?〉

〈……いや、必要ない! 待機四班は警戒を維持!ターゲットの行動次第、追って指示する!〉

〈こちら追跡班。商店街を出ました。帰路に着くようです〉

〈……そうか〉


 ハーツに動きがないまま、そのままハーツはシェアハウスに戻ってきた。


〈……先ほど戻ってきた。あとはこちらで対処する。各自解散〉

『了解』

〈同一人物ではなかったのか……〉

〈らしいな……〉


 腑に落ちないまま、任務は終わった。このまま居続けていても進展はないと見做し、二人は早々に切り上げることにした。

 帰り際、穂乃果が二人にお土産を渡してくれた。残ったハンバーグとご飯とお漬物をパックに入れてくれたのだ。


「わざわざすまないな」

「いいえ。気に入ってくれたなら何よりです。またいつでも来てください。歓迎します」

「ま、またキテクダサイ……」


 終始明里は緊張したまま対応していた。


「ヴィクー! イサミー! ありがとなー! また来いよー!」


 アルマは嬉しそうに二人を見送った。釈然としない終わり方にはなったものの、何もなかったわけではなかった。


「……いい所だなと思ったか?」

「!」

「顔を見ればわかる」

「……まあ、悪くはなかった」

「機械人の自分でもわかる。あそこはいい場所だ。アルマ殿がおおらかな理由も納得だ」

「……そうだな」


 抱えているお土産からは熱を感じた。暖かく、体の芯まであったまる感覚がした。

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