16話 今日だけは
開発地区の一角で、大量の機械兵が暴れ回っていた。ヴィクトル率いる軍警の兵士達が、銃を乱射しながら応戦している。
「副官っ! キリがありませんっ!」
「数は減っている! 一体ずつ確実に仕留めろ!」
すると、どこからか悲鳴が上がった。振り向くと、四足歩行する巨大な機械兵が、縦横無尽しながら暴れ回っていた。明らかに銃の乱射だけでは止められない。
「砲台搭載型戦車を出せ! 連続砲撃で畳み掛けろ!」
「数が限られてますっ!」
「出し惜しむな! この際弾数も…」
ヴィクトルが指示を出している途中だった。遠くから誰かが雄叫びを上げながらやって来る。はっと気づいたヴィクトルが見上げると、巨大な機械兵に向かって高く跳躍しているアルマの姿があった。
「もらったああああああっ!!」
アルマの左手のリボルバーが激しく回り、突き出された瞬間風穴が開いた。機械兵はバラバラに砕け、崩壊した。その様子を見ていた兵士達から、おおーっと歓声が上がった。
ヴィクトルはそんなアルマを呆然と見つめていた。
なんとか殲滅し、軍警は人命救助に入った。瓦礫の撤去は重機と軍警所属の機械人が担当だ。当然そこにはアルマもいた。軽々と大量の瓦礫を持ち運ぶアルマに、機械人達は羨望の眼差しを向けていた。
「お前さん、若いのによくやるなあ!」
「ああ! スカウトしたいくらいだ!」
機械人の兵士二人がアルマを褒め称える。
「なあ、マジで軍警に入るつもりはねえか? あんたがいると色々と良いことありそうでさ……」
「お誘いは嬉しいけど、今はやめとく! 今のオレは大事な人とそばにいるのに時間を取られたくないんで!」
「大事な人、だと……!?」
「あんた、彼女持ち……!?」
二人がショックを受けていたが、それも一瞬だった。
「がっはははは! 青い! だがそれがいい!」
「いい彼氏だな、あんた……! 彼女さん、大事にしてやれよ……!」
「おい新入り共! こいつの潔さを見習えよ!」
遠くにいる新人達が元気よく返事を返した。そこへ、無言でヴィクトルがやって来た。
「ヴィク! どうした?」
「……ちょっといいか?」
「?」
アルマはヴィクトルに連れられ、作戦本部になっている場所に向かった。
「……違うなら忘れてもらって構わん。あの少女、大空美香と何かあったか?」
「えっ? 何かって?」
「……また喧嘩とかしたか?」
「喧嘩っ? いや、してないけど……」
「そうか……」
「ミカとはちゃんと本音をぶつけたからな! 自慢じゃねーけど、仲めっちゃいいぜ!」
胸を張るアルマをヴィクトルは怪訝そうに見つめている。
「……あれから無理してないだろうな?」
「大丈夫大丈夫! お前がくれたあのドリンクがすっげー効いてさ! この通りぴんぴんしてる!」
「そうか……それは、良かった……」
「ひょっとして心配してくれてるのか?」
ぎくりとヴィクトルは肩を震わせた。
「……貴様が本調子でないと困るからな」
「そっか! ありがとな、ヴィク! あっ、ちょっとあそこ手間取ってるっぽいからオレ手伝ってくる!」
「あっ……」
アルマは颯爽と走り去る。しかし手間取っていると言って向かった方向は、誰もいないはずだとヴィクトルは気づいていた。
「……?」
怪しいと見たヴィクトルは、アルマに気づかれないように後をつけた。たどり着いた先は人の気配がなかった。
「この辺にいるはずだが……」
ヴィクトルが周囲を見回していると、遠くから誰かが息を吸う音が聞こえる。間隔が早い。呼吸困難になっているようだ。要救助者かと思い、ヴィクトルは警戒しながらその呼吸が聞こえる方へ向かう。念のため銃を出して近寄った。呼吸は路地裏から聞こえる。ヴィクトルは銃を構えながら路地裏を覗き込んだ。
「……!?」
路地裏を見てヴィクトルは驚愕した。彼の目に映っていたのは、アスファルトの上でしゃがみ込みながら苦しそうに呼吸するアルマの姿だった。息を吸う声が高い。明らかに尋常ではなかった。
「うっ……あ、はっ……!!」
アルマはよろめきながら壁に手をつき立ち上がろうとするが、力が足りずずるずると落ちた。地に膝が着いた途端、変身が解けた。アルマは苦しそうに胸に手を当てる。
──静まれ、静まれ静まれ静まれ静まれ静まれ静まれ静まれ静まれ静まれ静まれ。
心の中でアルマは呪文の様に繰り返す。
──怖くない、怖くない怖くない怖くない怖くない怖くない怖くない怖くない怖くない。
押し上がってくる何かを必死に堪える。油断してしまえば後戻りできない。それでは意味がない。そう自分に言い聞かせていた。だがいくら深呼吸しても落ち着かない。だからといって止めるのも危険だ。必死になって呼吸を繰り返す。
「おいっ!!」
声と共に突然誰かが後ろから肩を引かれた。振り向かれた先にいたのは、ヴィクトルだった。
ヴィクトルの目に映る今のアルマは、顔が真っ青で冷や汗が出ており、瞳孔も開ききっていた。こんな彼は初めてだった。
「……大丈夫、か……?」
ヴィクトルはゆっくりとそう話した。アルマは何かを返そうとしたが口ごもり、一呼吸すると困り笑顔を見せた。
「ああっ、ごめんごめん! ちょっと張り切りすぎちまったみたいでさ! ダメだなー、これくらいでへばるなんて! もっと特訓しないとだな!」
「はあ……」
「じ、じゃあオレもう行くわ! じゃあな!」
アルマはふらふらながらも走り去った。彼が見えなくなるまで、ヴィクトルはその後ろ姿を見つめていた。ふと、イサミの言葉がよぎった。
「外側と中身が矛盾しているような感じ、か……」
♢
ヴィクトルと別れた後、アルマは開発地区の公園にあった水道の水で頭を濡らしていた。
(くそっ……何やってんだオレは……!! ヴィクにあんなかっこ悪い姿を見せるなんて……!! ああさすがに心配しちまうよなあ……あいつに心配かけるなんてどんだけ馬鹿なんだよ、オレ……!!)
アルマは悔しそうにTシャツを握りしめる。
(もっと強く、冷静にならないと……ハーツが言ってたじゃねーか……怖いより強い感情を出せばいいって……!! 今は怖くない、怖くない、怖くない……)
「あれ? アルマ?」
聞き覚えのある声にはっとなったアルマは、慌てて顔を上げて蛇口を閉めた。公園の入口近くに、ルカがいた。
「ルカ! 奇遇だな!」
アルマはすぐさま明るい顔に切り替えた。
「何してるの? 髪びしょびしょだけど?」
「ああっ、ちょっと汚れちまってな! お前こそやちょーかんさつは終わったのか?」
「うん。今日は早く上がれたんだ。これから千枝を保育園に迎えに行こうと思ってるんだ」
「チエを?」
「穂乃果から頼まれてさ。急用が入ったって。康二も明里も美香も難しいみたいだから、オレに頼んできたってわけ。そうだ。アルマ、今暇? 良かったら一緒に行く?」
「行く!」
アルマは迷うことなく返事した。二人で保育園へ向かうと、千枝が嬉しそうに駆け寄ってきてくれた。千枝はアルマと手を繋いでスキップしている。楽しそうな彼女にアルマの頬が緩む。
「チエはいつも楽しそうだなあ」
「まあ、まだ子供だしね」
すると、急に風がびゅうっと吹いた。千枝の黄色い帽子が飛ばされていく。
「あっ!」
「あ~っ!」
千枝の帽子が後ろに飛んでいく。それを見たルカがすぐさま走りだす。
「取ってくる!」
「頼んだ!」
ルカは帽子を追って遠くへ行ってしまった。
「ルカが戻ってくるまで、ちょっと待っていようか」
「帽子はー?」
「大丈夫だって! ルカがちゃんと取ってくれる!」
アルマは千枝を近くにあったベンチに座らせた。
「ここでちょっと待っててくれ! 何かジュースでも買ってく…」
そう言いながらアルマが自販機へ行こうとした時だった。突然激しく誰かとぶつかった。
「ぎゃあああっ!?」
アルマとぶつかったその人は大袈裟に転んだ。
「ああっ!? わ、悪ぃ! 大丈夫か!?」
「痛たたたあ!! 肩脱臼したっすー!!」
「ええっ!?」
「おいおい兄ちゃん、何してくれてんだあ?」
明らかに柄の悪そうな二人がアルマを囲んだ。
「こいつうちの可愛い可愛い舎弟なんだよ。何怪我させちゃってんの~?」
「わ、悪かったって! まさか怪我するなんて……」
「許してもらいたかったら金出しなあ! そうだなあ……慰謝料込みで一万円なら見逃してやってもいいぞお?」
「いちまんえん……」
アルマは慌てて持っていた小銭入れを確認した。中は五百円玉二枚、つまり千円しか入ってない。しかし何かしら払わないとまずいと判断したアルマは、ダメ元で小銭入れを不良に差し出した。
「ん~? おいおいおい! 千円しか入ってねーじゃんか! 一万円って言ったよなあ?」
「そ、それしかないんだよ……」
「ああ~! 足も挫いたみたいっす~!」
「マジか!? こりゃ大変だ! じゃついでにプラス一万円だな!」
「だ、だから金は……!」
「兄貴ぃ! ちょっとちょっと! この女の子とかどうっすかー?」
不良の一人がいつの間にか千枝のそばにいた。
「!?」
「ああ? そんなちびっ子が金持ってるわけねーだろ?」
「違う違う! そーじゃなくて、身ぐるみ剥いで好き勝手ってやつっすよ」
「おおっ、なるほどな。それは名案だ」
不良の親玉が千枝に近寄る。二人の威圧感にさすがに怖いと感じたのか、千枝は震えながら怯えている。
「おじょーちゃん? 良かったらお兄ちゃん達と、これから良いことでもしない?」
危険を察知した千枝はぶんぶんと首を横に振る。
「おい! チエに手ぇ出すんじゃ…」
千枝を助けようとしたアルマだったが、怪我を負ったはずの不良がアルマの首根っこを掴んだ。
「おっと、兄貴の邪魔はしないでもらえるかあ?」
不良はアルマをぶん投げた。不良三人に囲まれ、千枝は泣きそうになっている。
「チエ!」
尻餅をついていたアルマはすぐさま立ち上がろうとした。
「……!?」
しかし次の瞬間、アルマの目に映る景色が、千枝と不良三人の姿が、あの悪夢と同じ光景に変わる。ラルカが美香を追い詰めている光景だ。心臓が強く鳴った。
「な、んで……!?」
アルマは胸を掴んだ。心臓部がバクッバクッと鳴っている。体が震えだし、足がすくむ。
(何でっ、こんな時に……!! 怖くないっ、怖くない怖くない怖くない怖くない怖くないっ……!!)
必死にアルマは落ち着こうとするが、体が言うことを聞いてくれない。不良の手が千枝に迫ろうとした、その時だ。
疾風が吹いたかと思ったら、不良の腕を帽子を取りに行っていたはずのルカが掴んでいた。
「な……!?」
驚く不良をルカは真顔で見据える。
「……ねえ、何やってるの?」
その声は冷たく響き、真顔も相まって恐怖感が感じられた。ルカの手は強く握られ、不良の腕がねじれる。
「いっ、痛でででで!?」
「子供を怖がらせるとか一体どんな神経してるの?」
ルカは掴んだ腕を下に降ろした。
「このまま折るか逃げるか、どっちか選んで」
「くっ……くそがっ!!」
ルカに怯えた三人はそのまま走って逃げた。
「ふっ、ふっ……ゔあああああんっ!!」
不良がいなくなって安心したのか、もしくは緊張の糸が切れたのか、千枝が大声を上げて泣きだした。
「千枝、大丈夫だよ。怖い奴らは追い払ったから」
ルカは優しく千枝の頭を撫でると、近くにいるアルマに目を向ける。怪我でもしたのかと思い、ルカは近寄る。
「大丈夫? アルマ」
ルカが手を差し出すと、アルマはその手を両手で掴んだ。
「!」
アルマの顔は真っ青で、ルカに助けを求めているかのようだった。
「アルマ……?」
何が起きたのかわからず、ルカは呆然としていた。
♢
「すまん! 千枝を泣かせてしまって!」
アルマは玄関にいる穂乃果に頭を下げた。
「オレが目を離さなかったらこんなことには……」
「アルマ君……ああ、もうそんなに自分を責めないで。千枝が無事だったなら大丈夫よ」
穂乃果は優しくアルマを宥める。
「ちぃちゃんもう怖くないよ!」
「警察にも一応連絡したし、二人共ああ言ってるし、ほら、もう気にしない方がいいって」
「……っ」
アルマは頭を下げながら苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
「……さ、この話はもう終わり。早く上がろう」
ルカはアルマを連れて玄関へ上がる。とりあえず夕飯までもう少し時間があるので、アルマは部屋に戻ることにした。
「アルマ」
部屋に向かっていた時にその声は聞こえた。美香の部屋の近くに、美香本人が壁にもたれながらいた。彼女の姿を見つけたアルマは、浮かない顔から明るい顔に切り替えた。
「ミカ! どうしたんだ? 何か困ってるのか? なんでも言ってくれよ? オレはミカのためならなんだってやるからな!」
明るく振る舞うアルマを、美香は切なさと痛ましさを含めた瞳で見つめていた。そんな彼女を見たアルマはまずいと感じた。明らかにあの表情は心配の表情だ。そんな目で見られると、今まで溜まりに溜まったものが溢れ出そうになる。アルマは下唇を噛むと、必死に笑顔を作る。
「何だよミカ~? ミカにそんな顔は似合わないって! ミカは笑ってろよ! 笑顔だ笑顔!」
すると、美香は真剣な表情を見せながら、アルマの手を引いた。
「へっ?」
「来て」
美香はアルマを自分の部屋に入れ、扉を閉めた。何をするのかとアルマは疑問に思いながらも、とりあえず美香の言うことを聞く。
「えっと……とりあえず、座って?」
美香はベッドを指差した。座ってと言われたので、アルマはベッドの上に座った。
「……ごめんね。アルマは背が高いから、こうでもしないと届かなくて……」
そう言いながら美香はアルマの前に立った。
「届かないって、何が…」
アルマが疑問を言いかけようとした時だった。
美香は両手で優しくアルマの頭を包み込むと、そのまま自身の左肩に埋めた。
「ん……?」
「苦しかったら、言ってね? こういうのほとんどしないから、加減がわからなくて……」
美香は照れ臭そうにそうつぶやいた。
「ど、どうしたんだよっ? 急に。なんか珍しくねーかっ? ミカからこんなことするなんて」
「……そうだね。いつもは私がされる側だもんね。でも、今日は私にさせて?」
「それは別にいいけどよ……何でまた? オレ何かこうされて当然なくらい活躍とかしたか? それともミカに何かあったとか?」
「……ここには私以外誰もいないから、そういう強がりとかもしなくてもいいんだよ」
美香はアルマの頭を優しく撫で始めた。
「私は君みたいに強くないし、戦ったりすることもできないから、実際の気持ちとかは共有することはできない。だから、上手く寄り添うこともできないかもしれない。一応今こうしているのも、私なりの励ましのつもり。これだけで解決できるとは思えないけど、今の私にはこうすることしかできないから。昔、穂乃果さんにこうされたおかげで私も少しだけ救われたから、今度は私が」
「な、何言ってんだっ? 励ましって? オレ、励まされるくらい落ち込んでたのか?」
「落ち込んでるって言うより、打ちのめされてる、かな……? 何かそんな気がしてね。この間の戦いで何があったかはわからないけど、きっとすごく怖い思いをしたんじゃないかな?だってあれから君、ちょっと無理していたから」
「それは、あれだよ……引きずらないように、切り替えようと……」
「アルマは私以外のみんなにも優しいから、心配をかけたくなかったんだよね? わかるよ。私がアルマでもそうするもん。心配をかけたら戦いずらくなる、違う?」
図星だった。美香にはお見通しなのかと思うと、アルマはちょっとだけショックだった。多分これ以上彼女の前で見栄を張っても無意味だと、アルマにはわかっていた。しかし、ハーツからの助言も一理あったせいもあり、それでもアルマは虚勢を張ってしまう。
「あ、はは……さっきからどうしたんだよ……? 今日のミカ、何か、その……」
喉が詰まり、言葉が出てこない。何か話さないととアルマは心の中で必死に抗っている。
「心配するよ、そりゃあね。でも今私が心配しているのは、今の君。いつもの君じゃないから心配しているの」
「いつものオレ……?」
「明るくて、無邪気で、素直で活発で、時々正直すぎて、無茶しがちで、でも、それは誰よりも優しくて、お人好しだから。今の君は、そんな悪いところすらも押さえ込んでる。すごく辛いはずなのに、頑張って頑張って無理してる。そんなの、心配しない方がおかしいよ」
アルマはまずいと感じ逃げようとしたが、撫でられている美香の指の柔らかな感触から、どうしても逃げることができない。
「ミカ……もういいよ……もう、十分、だから……」
必死にアルマは言葉を紡ぐ。美香はアルマの耳元に顔を近づけて、囁いた。
「……今日だけは、泣いていいよ」
たったそれだけだった。しかしそのたった一言からは、慈しみと愛しさ、そして優しさが感じられた。それだけで全てを肯定された気がした。
そしてそれは、さっきまでアルマを支配していた、嘘偽りの、虚飾の仮面をひび割れさせ、壊した。
アルマは仮にもサイボーグのため、それがサイボーグでもアンドロイドでもない普通の人間のものと同じかどうかはわからない。人間の体液を真似ただけのものかもしれない。だが少なくとも、それを出す条件は同じだった。
「……あれ……?」
アルマは流れ出たそれに困惑した。
「……ミカ……オレ、何か、変だ……目から何か変なの出てるし……心がすげー苦しい……」
「うん、わかるよ。でもそれでいいんだよ。そのままでいいから、話してごらん? 言葉にならなくてもいいから」
美香は頭だけでなく、背中もさすりだす。手の平からも温もりを感じた。アルマは美香から湧く温もりに包まれ、自ずと口を開いてしまった。
「……ああ、怖……かった……すげー怖かった……すげー辛かった……死ぬかって思うくらい、めちゃくちゃ痛かった……!!」
「うん」
「あれから毎日、夢を見て、美香があいつに殺されそうになるの、オレは、怖くてっ、何も、できなくてっ……こんなんじゃダメだって思って、必死に、必死になんとかしようと思って……!!」
「うん」
「そんな時、ハーツが言ってくれたんだっ……怖くて辛いなら、それ以外の感情を強く出せばいいって……だからオレ、ミカやみんなに心配かけたくなかったから、頑張って、頑張って頑張って頑張って頑張ってっ、必死に怖いの抑えてた……!!」
涙が止まらない。胸が苦しい。こんな風になるのは目覚めてから初めてだった。ここまで来てもなおアルマは、これ以上はと必死に止めようとするが、一度崩壊してしまったものは戻らない。暴走するが如くそれは溢れ出る。
「でも、そうする度にっ……自分が自分でなくなりそうになってっ、あっ……ここ、心がっ、うあっ……すげー痛くて……!! だけど、うっく……ミ、ミカやみんなに、心配かけて、悲しくさせるのっ、うっ……それだけっ、それだけは絶対嫌で……っ!!」
嗚咽混じりのその声は聞く度にどんどん酷くなる。しかし美香は拒絶することなく聞き入れる。
「うん。わかるよ」
「あっ、あっ……ミカにはっ、笑ってっ、ほしいからっ!! ふっ、ふっ……オレもっ、強くなりたかったからっ!!」
アルマは強張って震える腕をなんとか動かし、美香の腰をぎゅっと強く抱きしめた。
「だからっ、あっ、だからっ、こうして強がることしかできなかったんだよおおおおっ!!」
そこから先は言葉が出ず、嗚咽と叫びしか上げられなかった。もうこの際他人から見た自分なんて知るもんかと思わせるぐらい、アルマは子供の様に、子供以上に泣き喚いた。美香はただただそれに相槌を打ち、優しく頭と背中を撫でる。
実際にその場所にいなかった美香にとって、アルマの苦しみや恐怖がどれほどのものかなんて、当然理解できない。だが、それで辛そうになっているのは見ていてわかっていた。だからせめて、今日だけは爆発していい。自分の前で泣いてもいいと促してあげた。それで全て解決とまではいかなくても、何もせずに抱え込むよりはマシだから。
♢
閉ざされていた部屋の扉がノックされた。扉を開けたのは、ハーツだった。
「大空美香。そろそろ夕飯の…」
「しーっ」
美香はハーツの言葉を遮って、静かにするよう唇に人差し指を当てる。美香はベッドを背に床に座っていて、彼女の膝元には、目を真っ赤に腫らしたアルマが、穏やかな寝息を立てて眠っていた。
「……?」
仕草が静かにするよう求めるサインであると認識したハーツは、静かに開きかけた口を閉ざした。ゆっくりと部屋に入り、静かに眠るアルマを不思議そうに見下ろす。
「アルマは寝ているのか?」
「うん。疲れて寝ちゃったみたい」
「疲れた? 何故だ?」
「色々あったの。今日はそっとしてあげて」
所謂膝枕をされている状態のアルマは、表情こそ少し悲しそうだが安心感も感じられた。
「何度見てもアルマの寝顔って、子供みたい。今日は特にそう思う」
美香はふふっと笑いを漏らす。そんな彼女をハーツは冷静に見ている。
「……二人の夕飯は取っておくよう、穂乃果に頼んでおくとしよう」
ハーツはそう言い残して美香に背を向けた。
「ハーツ君」
美香からそう呼ばれたので、ハーツは振り向く。
「……アルマにアドバイスしてくれてたでしょ?」
「何のことだ?」
「怖いより強い感情を出せって」
「……ああ、あれか」
ハーツにはすでに忘れかかってたことだった。
「ごめんね。せっかくアドバイスしてくれてたけど、アルマには合わなかったみたい。でも、ありがとね」
「……? 何故感謝する? アドバイスは上手くいかなかったのだろう?」
「だってハーツ君、アドバイスをしたってことは、アルマのことを気にかけたってことでしょ? 君は優しいんだなって思ったから、ありがとうなの」
美香はハーツに向けて柔らかく微笑む。ハーツはそれに対して特にリアクションもせず、二人を残してそのまま部屋から出ていった。
「優しい……」
ただ、美香が放った“優しい”という言葉に、どことなく違和感を感じていたのだった。
♢
やってしまったとアルマは心の中でそうつぶやいた。美香だけは、美香にだけはあんな姿を晒したくなかったのだ。何故なら勝手ながらアルマ自身が描いた美香の理想的な自分とは、決して弱い部分を漏らさず、強く、勇敢で、たくましい。そんな自分だ。なのにさっきの自分はそれとは真逆で、もはや醜態と言っても過言ではなかった。
アルマは自発的に目覚めた直後、恥ずかしさと悔しさと虚しさがごちゃ混ぜになり、ベッドの掛け布団を自身に包んで不貞腐れていた。
「アルマ……いつになったら機嫌直るのかな?」
しばらくそうしていると、美香が苦笑いを浮かべながら心配してくれた。
「……だって、情けないなって思ったから」
美香に背を向け、アルマは低くそうつぶやいた。
「ミカの前であんな姿見せて、落ち込まないわけねーだろ……」
「何で? 何で落ち込むの?」
「……ミカがガッカリしたと思うから」
「ガッカリって?」
「さっきのオレの姿だよ。ミカが思うオレは、強くてかっこよくて、さっきみたいに泣くことなんてないだろ? だから、その……かっこ悪かっただろ? 男は女の前ではかっこつけたいんだよ……」
あっ、と美香は声を漏らした。やっぱりアルマも男なんだなと感じた。だが、そんなの美香には関係なかった。
「アルマ、君はちょっと誤解してるよ」
「……何が」
「たとえアルマが泣き虫でかっこ悪かったとしても、私はそれくらいでガッカリなんてしないよ。勝手に君がそう思い込んでいるだけ。それに……」
美香はアルマに近寄った。
「私の思うアルマはさっき言ったでしょ? 明るくて無邪気で素直で活発で、時々正直すぎて、無茶しがち。でも誰よりも優しくて、お人好し。かっこいいは……まあ、思ってないって言ったら嘘にはなるしあれだけど、そんなに強くは求めてないよ?」
美香はそっと布団をめくり、アルマの顔を覗く。
「ただ、これだけは言える。君は君らしくあれば、それで十分だから」
「オレらしく……?」
「さっきみたいに強がりすぎなければいいの。楽しい時は楽しい、悲しい時は悲しいってちゃんと素直に言うこと。特に私に対してはね。いつもとは言わないけど、たまにはちゃんと本音を伝えること。できる?」
美香の優しい微笑みに、アルマの胸が温もりで満たされていく。逆らうなんて不可能だとアルマは悟った。
「……ミカの前で、なら……」
アルマは照れ臭そうにそっぽを向きながらそうつぶやいた。
「じゃあ約束」
そう言って美香は小指を出した。指切りだとわかったアルマは、恐る恐る小指を近づけてゆっくりと絡めた。
窓から差し込む月の光が、二人を優しく照らすのだった。
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