15話 偽りの仮面

 土曜日の朝。シェアハウスに響くは、フライパンとお玉が打ち合う音と、おもちゃのラッパの甲高い音だ。


「はーい! 朝ですよー! 土曜日だからって寝ないでくださーい!」

「さーい!」


 明里がフライパンとお玉をカンカンと叩き、千枝がそれに合わせてラッパを吹いている。すると、部屋から康二が顔だけ出した。康二の顔は真っ青で具合が悪そうだ。


「うお~……勘弁してくれえ~……オレ昨日の飲み会でしくじって二日酔いなんだよお~……」

「自業自得でしょ! お姉ちゃんが朝ごはんにしじみ汁用意してあるからさっさと起きて! 千枝!」


 明里は千枝と一緒に無理矢理康二の首根っこ部分を掴んで引きずる。


「ぐあ~……鬼ぃ~……!」

「アルマ君と美香ちゃんも起きてー!」


 明里が呼びかけるも、反応はなかった。


「……あ、そっか。いないんだった」

「ねーちゃん、おじちゃん死んでるよー」

「え? 康二どうかしたの?」


 そこへ、ルカが通りかかってきた。


「あのねー? おじちゃんふつかよい? だってー」

「……あー、なるほど。いつものことか」


 ふとルカは、アルマの部屋を見つめる明里を見た。


「……また任務?」

「みたい」

「朝になっても帰ってないってことは、ややこしいことになったってことかもだね」

「……無事だといいんだけど」

「それは大丈夫だと思う。だってアルマ強いし、美香もいる」

「……うん。そうだね」


 明里は寂しそうに笑った。


「そういえばさ、ハーツ見てない? 部屋開きっぱなしだったから中見えたんだけど、姿が見当たらなくて」

「えっ? そうなの? 私は見てないなあ」


 気になった明里はハーツの部屋へ向かう。確かに中にハーツはいなかった。


「本当だ。どこ行っちゃったんだろ……?」


 ♢


「二ヶ月前は左腕損傷して今度は全身ボロボロってどういう状況よっ!? 無茶させるなってあれほど言ったでしょーが!!」


 ミネルヴァがお冠状態ながら機材を操作している。昨日の戦闘で負傷したアルマの治療にあたっているのだ。アルマはベッドの上で横たわっており、遠隔操作されている機材によって治療させられている。


「本当に何度もすみませんっ!!」


 美香はぺこぺこと頭を下げて謝っている。


「あんたが私に謝っても意味ないわよっ!! せめて謝るならこいつがやりなさいよっ!!」

「すみませんすみませんっ!!」

「……まあでも運が良かったわね。一般化の時に感じたけど、彼めっちゃ頑丈だわ。彼が今時のサイボーグだったら、とっくに死んでたわね」

「そんなに酷かったんですかっ?」

「酷いってレベルじゃないわよ。損傷の度合いを見ても尋常じゃないわ。ここまで追い込めた相手が普通じゃないってことよ」


 それは確かだ。美香は遠くからしか見てないため、ラルカの実力を直に見たわけではないが、アルマの状態とあの衝撃からして尋常じゃないのは痛いくらいわかる。


「ラルカ、だったわね? ポーランド語で人形の名を持つ機械人……そして命令に対しての異常なこだわり……開発者か所有者かどっちかは知らないけど、どっちにしろ彼の主は普通じゃないってことね。あと気になるのは……無心の刃、だったっけ? そいつは彼のことを

 そう呼んでいたそうね?」

「はい。ヴィクトルさんが言ってました」

「無心の刃……これもエルトリア関係かしら? 調べようにもなかなか難しいし、彼の記憶が戻るのを待つしかないわね」

「無心……」


 無心ということは心がないということ。しかしアルマには心がある。一体どういうことなのか、美香にはわからない。


「ああ、あとこいつに言っときなさいよ」

「はい?」

「いくらサイボーグで修正が効く体だからって、何度も何度も壊れたら絶対いつかボロが出るわよ! 心というものがあるなら尚更! 時には自分を大切にしろって、ちゃんと言い聞かせなさいよ!」


 そう言われても難しい問題だった。アルマは美香のために戦おうとしている。美香がいるから、存在するから、だから無理してでも戦おうとする。その上自我意識もかなり強い。そう言ったところで聞いてくれないのがオチだ。多分どれだけ注意したところで、ミカのためだからと言ってくるはずだ。それは二ヶ月前に経験している。しかしだからと言って、ミネルヴァにも一理ある。自己犠牲は繰り返せばいつか必ず爆発する。果たしてアルマにそれが耐えられるのか。


「アルマ……」


 美香は眠るアルマの手を優しく握った。


「……私に、何ができるのかな?」


 ♢


 暗闇の中、足音が聞こえる。カツンカツンとこだましながらゆっくりとこちらに向かってくる。


(誰だ……誰かがこっちに来る……)


 ぼんやりとした意識の中でアルマはその足音を聞いていた。影が晴れ、姿が見えた。ラルカだった。


「!!」


 ラルカはこちらを見下ろしている。そして今の自分は座り込んでいることに気づいた。顔はバイザーで隠れているためどんな表情をしているかはわからないが、きっと冷たい目で見ているだろう。アルマにはそう感じた。ラルカは足を振り上げると、容赦なくアルマを蹴り飛ばした。


「がっ……!?」


 アルマは吹っ飛ばされ、壁にぶち当たる。


「ぐっ……!!」


 よろめきながらもアルマは立ち上がろうとするが、ダメージがでかいのか上手く立ち上がれない。


「何でっ……このっ……!」


 すると、ふとアルマの視界にある光景が映った。壁を背に怯えて座り込んでいる美香と、彼女を見下ろすラルカの光景だった。


「ミカッ!!」


 まずい、助けねばとアルマは必死になって立ち上がろうとする。しかし、何故か足が震えて立ち上がれない。そればかりか、全身も微かに震えており、心臓が大きく鼓動しているのがわかる。これは間違いなく恐怖だ。


(何やってんだっ……!! 早くミカを、オレが……っ!!)


 思うように体が動かない。アルマは苛立ちながらも抗うが上手くいかない。ラルカの足が上がった。ぷしゅーと煙を上げながら形を変え、美香に向かって勢いよく振り下ろされた。


 ♢


「ミカッ!!」


 アルマはがばっと跳ね起きた。


「……!?」


 景色がさっきと違う。夕焼けが差し込むオレンジ色の部屋が視界に映っている。


「夢……!?」


 さっきまでの光景は幻。そう認識すると、アルマは息を吐いて安堵した。


「アルマッ?」


 ドアが開かれる音と共にその声が聞こえた。音のした方を見ると、そこには美香がいた。


「ミカ……」

「大丈夫っ? さっき、すごい大きな叫びが聞こえたから、どうかしたのかなって……」

「あ……」


 何て答えればいいかわからず、アルマは目を泳がせた。美香は部屋に入り、アルマが寝ているベッドのそばにあった椅子に座って近寄る。


「……怖い夢でも見た?」

「っ!」


 図星だった。そのことをアルマは言いかけたが、ぐっと堪えて口を閉ざした。美香に心配をかけたくない。その一心だったからだ。それまで苦しそうな表情だったが、アルマはすぐに困り笑顔に切り替えた。


「ああ、悪い悪いっ! ちょっとびっくりする夢を見ちまっただけだよ!」

「えっ、そうなの?」

「そう! いきなりでっかい巨人に食われそうになってさ! あれはびっくりしたなあ~!」

「……本当に大丈夫なのっ?」

「平気平気! もうこの通りぴんぴんしてる!」


 アルマは腕を曲げて元気な証拠を見せた。


「そっか。なら良いけど……」

「ミカは大丈夫だったか? 怪我とかしてないよな?」

「うん。私は全然大丈夫。転びはしたけど擦り傷だし、ヴィクトルさんが守ってくれてたし」

「そっか! やっぱヴィクに任せて正解だったな! 次オレに何かあったら、あいつに任せられるな!」

「アルマったら……」


 美香は心配そうにアルマを見つめている。


「……そんな顔すんなって」


 アルマが美香の頭を優しく叩いた。


「言ったろ? オレはそう簡単に折れたりしないって。今回はちょっとあれだったけど、次は絶対に勝つから! ミカのことも絶対に守り通す!」

「アルマ……」

 素直な彼の思いに思わず美香は頬を赤らめたのだった。


 ♢


 帰宅を許可された時には、もうすでに夜だった。玄関を開けると、穂乃果が迎えてくれた。

「遅かったわねえ、お疲れ様」

「ご心配おかけしました……」


 美香は頭を下げて謝罪した。


「いいのよ。無事で何よりだわ。お腹空いたでしょ? 早く上がって」

「アルマ君!」


 玄関から明里が飛び出してきた。


「よかったあ~、無事で!」

「悪い悪い! 心配かけちまったな」

「あ、そうだ。二人共ハーツ君見なかった? 今朝から姿が見えないの」

「ハーツ君が?」


 すると、後ろで扉が開く音がした。


「戻った」


 そこにはハーツの姿があった。


「ハーツ君!」

「あらあら! 今までどこ行ってたの?」

「脚部を損傷した。だから修理しに行ってた」

「そうだったの。なら言ってくれればよかったのに」

「ん? ああ、アルマと大空美香か。お前達も出かけていたのか?」

「まあ、そんなとこかな」

「おかえり」

「うん。ただいま」


 三人はハウスに入り、ちょっと遅めの夕食に入った。


「さあどうぞ!」


 明里が食卓カバーを外す。今日は唐揚げ定食だ。


「ごめんね、わざわざ」

「ううん」


 一方でハーツは相変わらず燃料だけを飲んでいた。


「ハーツ君も唐揚げ食べればいいのに~。今日のは二度揚げしたから美味しいよ?」

「必要ない」


〈──次のニュースです。今日夕方、埼玉県入間市にて、男子高生が何者かに暴行を受け、重傷を負った事件が発生しました。男子高生は顔と全身を強く殴られ、病院へ搬送されました〉

「……!」


 ふとアルマは耳にしたニュースに注目した。


〈警察の調べによりますと、男子高生は素手で顔を殴られ、そのまま足で体を蹴られ続けたと供述。警察は暴行事件として調べを進め、犯人の行方を追っています……〉


 そのニュースは一分半くらいの短い時間だったが、アルマには長く感じた。


「……っ!?」


 ニュースを聞いていた時だった。箸を持っていた右手が無意識に震えだし、力が入らなくなり落としてしまった。箸が落ちた音に美香と明里が反応した。


「……っ!」


 震える右手をアルマはなんとか抑えようとする。しかし、どんなに強く抑えても、微かな震えは止まらない。


「アルマ?」


 すると、美香が近寄ってアルマの右手にそっと自分の手を添えた。


「あっ……」

「大丈夫?」


 美香が優しく添えたおかげか、震えが収まった。すると今度は、明里がアルマの額に手を当てた。


「熱……はないね。あ、でも機械人だから風邪とかは引かないか。待ってて! 何かあったかいもの持ってくる!」


 そう言って明里はキッチンへ向かった。


「……悪い」


 アルマは申し訳なさそうに俯く。美香は首を横に振り、アルマの頭を撫でた。


「!」

「大変だったもんね。今日はゆっくり休んで」


 優しく微笑む美香に、アルマは胸に手を当てた。そんな二人の様子を、ハーツは冷ややかに見ていた。


 ♢


 ゆっくり休めとは言われたものの、アルマはなかなか寝つけなかった。とりあえず眠くなるまで起きていようと、アルマは居間へ向かう。


「?」


 居間に入ると、すでに誰かがいた。縁側の窓から差し込む月光を見つめるハーツだった。


「お前……」


 アルマの声を聞いたハーツがこちらに振り向く。


「……? まだ起きていたのか?」

「なんか眠れなくってさ」

「そうか」


 二人は居間にあるソファーに腰掛けた。


「体調は良くなったか?」

「えっ? ああ……お前も気づいてたか。心配かけて悪かったな」

「心配? 心配って何だ?」

「えっ……それは、えっと……不安になったり、ドキドキしたりとか?」

「ドキドキ?」

「心臓がこう、ドクンってなること」

「オレには心臓なんてない。アンドロイドだから」

「例えだよ! 例え! お前にはないのか? この部分がこう、ざわざわしたりとか」

「……?」


 ハーツは首を傾げている。


「……難しいか。まあオレもそんなにわかんないしな! 心があるって大変だしな」

「こころ……?」

「ああ、オレには心がある」


 アルマは自分の胸に手を当てる。


「ミカが教え、取り戻してくれた心が」

「そうか……」

「でも……時々厄介だなーって思う時もある。悲しいことや辛いことがあると、心がぎゅって締め付けられる。正直言って、今日もそうだった……」

「そんなに辛いなら捨てればいい」

「……いや、そういうわけにもいかないんだ。そりゃあ嫌なこともあるけどさ、心があるから楽しいって思えるし、誰かに対して寄り添うこともできる。あとは何より、ミカがくれたこの心は大切にしたい。この体が壊れるまでは」

「辛いのにか?」

「……」


 ハーツにはどうやらわかっているようだ。今のアルマは辛いということが。


「……すげえな、お前は。お見通しってわけか」

「先程お前のバイタルを確認した。身体的バイタルは特に問題なし。健康そのもの。あるとするなら感情、精神的バイタルと見做した。だが、オレには理解できない。だからこれといった最善策は練れない」

「アドバイスしようとしてくれてたのか? それはありがとう! 気持ちだけでも嬉しいよ」

「……」


 ハーツは窓から差し込む月光を眺める。


「……辛いと言う感情がお前を苦しめていて、なおかつ解決が難しいのであれば、それ以上の感情を出せばいいのでは?」

「え?」

「辛い以上の、辛いを超えるほどの感情で満たせば、それもやがて忘れるのでは? それが何かは理解できないが」

「……!」


 アルマははっとした。つまりハーツはこう言いたいのだろう。辛いと考えるから辛い。なら別のことを考えればいい。辛いより強い何かを、と。


「……だよな。うん、そうだ。うじうじするのはオレじゃねーもんな」


 アルマは顔を上げた。


「ありがとな、ハーツ! ちょっとだけ元気になった!」

「……そうか」

「ハーツにもちゃんとあるみたいだな! 心ってやつが!」

「こころ?」

「そ!」


 アルマはハーツの胸に拳を当てた。


「……!」

「心はここにある! 誰にだって、な」


 その一瞬だった。ハーツの視界にノイズが走り、アルマの姿が一瞬だけ違う姿に見えた。


「……?」

「ハーツ?」

「オレの……心……」


 ハーツはアルマに当てられた胸に手を当てた。


「……やはり理解できない」

「ゆっくりでいいんだよ、こういうのは! オレはハーツにも心があるって、信じてるからさ!」


 アルマはすっと立ち上がった。


「付き合って悪かったな。おやすみ!」


 部屋に戻るアルマの後ろ姿を、ハーツはぽかんとしながら見つめていた。


 ♢


「あっくんおはよー」


 千枝の声でアルマは目を覚ました。ベッドの近くに明里と千枝がいた。


「体調大丈夫? 起きられる?」

「あ……ああ!」


 アルマはベッドから軽やかに飛び起きた。


「この通りすっきりしたぞ!」

「そっか! それは良かった! 朝ご飯出来てるから早く来て!」

「ああ!」


 明里と千枝が部屋から出ると、アルマは両手で頬を叩いた。


「……よし!」


 ♢


 その日以降、アルマは異様に張り切りだした。今日この日もエルトリアの機械兵と戦っていたが、機械兵の一体が倒されると、次! 次! と妙に押しが強かった。まるで八つ当たりのようだ。それはヴィクトルも勘づいていた。


「おい、貴様……」

「はい次っ!」


 アルマはさっさと戦場に向かう。


「アルマさんすごいなあ。今日も絶好調だ」


 近くで二人を支援していた軍警の兵士達が割り込んできた。


「さすがはサイボーグ。天井知らずってあれのことだろうな」

「……貴様ら、本気でそう思ってるのか?」

「えっ? 違うんですか? 副官」

「……上手くは言えんが、あれはかなり無理しているぞ。八つ当たり感が見え見えだな」


 戦闘が終わっても、アルマの張り切りは止まらない。

 源蔵の和菓子屋を手伝ったり、スクールでの勉強や活動に積極的に参加したり、穂乃果からの頼みを事あるごとに承ったりと、目まぐるしく走り回っていた。

 当然こんな生活が一週間も続くと、さすがのアルマでも疲労困憊になった。疲れ果てて背もたれ無しベンチで仰向けになって寝ているアルマを、ヴィクトルは呆れながら見下ろしている。


「貴様……一週間もあれだけ張り切ってたら当然そうなるとわからなかったのか?」


 ヴィクトルはやれやれと肩を落とすと、アルマの顔の近くに缶を置いた。


「……?」

「飲め。機械人専用のエナジードリンクだ。機械部分稼働効率を一時的に上げさせてくれる」

「ありがと……やっぱヴィクは良い奴だなあ……」


 ふんと鼻を鳴らし、ヴィクトルは隣に座った。


「これに懲りたら今日は休め。このままのテンションでは絶対故障するぞ」

「そういうわけにはいかないんだよ!」


 アルマはなんとか起き上がる。


「今オレがやるべきことは二つ! あのラルカって機械人をぶっ飛ばすことと、それまでに強くなるってことだ!いつまでもくよくよなんてしてらんねーし、ちゃんと切り替えないと!」

「充分切り替えれているじゃないか」

「まだまだ! どうもオレ、引きずりやすいみたいでさ、ちょっと油断するとまた落ち込んじまうんだ。だからそうならないように、いつでもポジティブスイッチをオンにしないと!」

「……良かった。それなら心配はいらなさそうだ」


 そこへ、聞き覚えのある声が聞こえた。振り向くと、そこにイサミがいた。


「イサミ! もう大丈夫なのかっ?」

「一応はな。軍服ではあるが、大事をとって今は一週間の休職中だ」


 するとイサミは、アルマの前に立って頭を下げた。


「自分のために負傷したこと、深くお詫びする。本当にすまなかった、アルマ殿」

「いやいいって! 顔上げろって!」

「あれは貴様の落ち度ではないと言ってるだろう? 貴様の方こそいい加減切り替えたらどうだ」

「しかし……」

「オレなら大丈夫だって! 次こそ絶対奴を倒すからさ! それでチャラってことにしようぜ!」

「……?」


 イサミは目を丸くさせた。


「ああっといけねえ! この後シオンと面会だった! じゃあオレそろそろ行くな!」

「また動く気か!?」

「約束しちまったんだよー!」


 アルマは急いで走っていった。


「まったく……壊れても知らないからな」


 イサミは浮かない顔で去り際を見つめていた。


「……それより、アルマ殿はどうかしたのか? また大空殿と喧嘩でもしたのか?」

「? いや、そんなことは一言も言ってなかったし、そんな雰囲気はなかったぞ? 何故そう思う?」

「気のせい、だろうか……? なんだか今のアルマ殿、ちぐはぐな気がしてな……外側と中身が矛盾しているような感じだ……まるで、素顔を仮面で隠しているような……」

「はあ……? ポーカーフェイスができなさそうなあいつに、そんな技術はないと僕は思うが?」

「思い過ごしだったらいいのだが……」


 ♢


 約束していた詩音との面会は夕方まで続いた。この日は詩音の指導の元、小学校二年生級の漢字ドリルを勉強した。詩音はドリルに付いていた小テストの結果を見ている。


「うーん、アルマ君は読み書きは得意だけど、意味を問う系の問題が苦手みたいね?」

「難しく考えるの苦手で……」

「でも漢字って意味を知れば楽しくなるわよ? 例えば、“人”って漢字は人間の形からそう作られて、その人が立っている様子から“立”って漢字が生まれたのよ」


 おおっとアルマは歓声を上げた。


「次からはこの辺りを中心にやっていきましょうか! 苦手なことでも着実にやっていけば、上手く付き合えるだろうし」

「おう! よろしく頼むぜ!早く色んなこと知って、ミカにすごいって褒められるようにならないとな!」

「……?」


 イサミの時と同じように、詩音も目を丸くした。


「……ねえ、アルマ君」

「ん?」

「気のせいならいいんだけど、君、なんか無理してない?」

「へ?」

「ん~、なんかね? ここ最近の君はすごい頑張ってるよね? それは別にいいんだけど、なんていうか、無理して頑張ってるって感じがするのよ」


 一瞬だけアルマは息を詰めた。


「……何かあった?」


 詩音が真剣な表情でこちらを見ている。一瞬アルマは言葉を詰まらせたが、すぐに笑顔を浮かべた。


「無理って何だよっ? オレはいつも通りだぜ? 元気なのがオレの取り柄なんで!」


 結局アルマは終始これだったので、詩音はあまり深く掘り下げることはできなかった。

 なので面会後、美香を呼んで話を聞くことにした。


「そういうわけで、何か変わったこととかないかな?」

「変わったこと……」


 そう言えばと美香は振り返る。


「言われてみれば、最近妙に張り切ってるなあとは思いますね。いや、元から彼はそんな感じですけど、なんていうか、輪にかけてって言うか……」

「そう……何かきっかけとかはわかる?」

「強いて言うなら……」


 美香は詩音に一週間前に起きたことを簡単に説明した。


「なるほどね……もしかしたらアルマ君、必死になって切り替えようとしてるんじゃないかしら?」

「切り替え、ですか?」

「何があったかはわからないけど、その戦いの中で何かあって、それが悪いもので今の彼に強く影響しているとするなら、周りに悟られて心配させないようにしてるのかも」


 それは一理あった。彼は自分自身をあまり大切にしない傾向がある。自分より他の誰かを優先している。詩音の推測は当たっているかもしれないと、美香ははっとさせられた。


「それは……あるかもです。彼は自己犠牲が強いので……」

「だったら、大空さんが寄り添ってあげて」

「私が、ですか?」

「アルマ君は誰よりも大空さんを信頼しているでしょ? 大空さんになら本音を言うかもしれないわ。きっと大空さんがそばにいれば、打ち明けてくれるんじゃないかな?」


 確かにそうかもしれない。だが果たしてそう上手くいくのだろうか。先日搬送された時も、アルマは美香の前でも無理していたのがわかる。アルマにとって心配をかけたくない一人なのだろう。それに過干渉するのも気が引ける。しかしだからと言って、このまま続けばいつか爆発するのは目に見えている。どうしたらいいものか、美香は夕焼け空を眺めながら悩んでいたのだった。

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