10話 涙落ちて、壊れていって
電子音が聞こえる。そして鼻にツンとした消毒液の匂い。ゆっくりと瞼を開いた。一度強烈な光が差したため、慌ててぎゅっと閉じた。もう一度ゆっくりと開けてみると、眩い光を放つ手術用ライトと天井が見えた。
「……?」
生きているとアルマは状況をとりあえず飲んだ。
「ここ……は……?」
「あら、気がついたかしら?」
そこへいきなり、ミネルヴァがずいっと現れた。
「あんたは……?」
「天才科学者のミネルヴァ様よ~! あなたの治療を任されたのよ」
「治療……っ!!」
急に意識が覚醒したアルマは、がばっとベッドから飛び起きた。
「そうだ……オレ、ミカを守ろうとして……あっ」
アルマは慌てて左腕を確認した。肩から先は、ちゃんと復元されていた。
「左腕なら復元したわよ。この前の一般化の時のデータが役に立ったわ。ただ馴染むのはもう少し時間がかかるけど」
言われてみれば、関節を動かす度にウィーンと機械音が聞こえている。
「まったく……あなた無茶しすぎよ!! いくら戦闘用に作られたからって程度ってものがあるでしょ!? あと一歩遅かったら本当に危なかったのよ!?」
「……悪い」
正論言われたため、アルマはぐうの音も出ない。
「とりあえず明日まで検査入院! 絶対安静にすること!」
「……あっ! そうだ! ミカは!?」
「あの子なら大丈夫よ。あなたが無茶してくれたおかげで軽い怪我で済んだわ」
「そっか……良かった……!」
美香が無事なことにアルマはほっとした。すると、治療室に宗介が入ってきた。
「アルマ君! 良かった、目覚めたんだね!」
「おう! この通りピンピンしてるぜ!」
「とりあえずあの子に連絡しておいて。目覚めたから明日迎えに来いって」
「はい! 美香ちゃんに連絡しておきますね!」
宗介は腕時計型端末を操作する。
「……完全に負けちまったな……あれは……」
アルマは体育座りをして表情を暗くさせた。
「ミカを危険に巻き込ませてしまった……オレがもっと強かったら……」
「アルマ君……」
「……でも!」
アルマは拳をぎゅっと握った。
「……次はぜってー負けねー!」
その瞳には確かな闘心が宿っていた。もう絶対に負けないと言う、強い意志が。
♢
宗介から連絡を受けた美香は翌日、学校終わりに咲世子の病院へ向かった。病院に入ると、咲世子が迎えてくれた。
「いらっしゃい、美香ちゃん。アルマ君がお待ちかねよ」
そう言って咲世子は美香を研究室へ案内した。研究室には、アルマとミネルヴァが待っていた。
「ミカ!」
二日ぶりの再会にアルマは目を輝かせ、すぐさま美香に抱きついた。
「アルマ君……」
「ごめんな! ミカ! 心配かけて! もうこの通り大丈夫だから!」
「でも油断したらぶり返すわよ。最低でも一週間は安静にしなさいよ」
「はーい!」
「それとあなた。ちょっとこっちへ」
ミネルヴァは美香を誘いだしている。どうやら大事な話のようだ。
「……ごめん、アルマ君。ちょっと待っててくれる? すぐに終わるから」
「おう! じゃあここで待つ!」
美香はミネルヴァに連れられ、人気のない廊下に向かった。
「あの……アルマ君のことで何か?」
「ちょっとね。ああでも安心して。別に機能がどうとか命があれとかじゃないから。結論から言うわね。あなた達、しばらく距離を置きなさい」
「距離を……ですか?」
何か重大な話かと緊張していた美香だったが、意外な話に拍子抜けしてしまった。
「もうわかってると思うけど、彼はあなたに対して特別な想いを寄せているわ。あなたを守るっていうモチベーションが、戦うための心の支えになっている。それ自体は別に問題ないわ。ただ、彼はその想いが強すぎる。故に自分のことを犠牲にしがちに見えるわ。このままあのモチベーションで戦いに身を投じたら、遅かれ早かれ彼は折れるでしょうね。物理的にも、精神的にも」
ミネルヴァはこう言いたいのだろう。アルマは美香を強く想っている。美香を大切にしたいがあまり、自分を犠牲にしてしまうということだ。それは美香自身もなんとなく感じてはいた。
「だから、あなたから彼に言ってやりなさい。もう自分のために戦うなって」
「っ!!」
「わかってる。聞いてくれないのかもでしょ? 確かに彼はサイボーグの割には自我が強いもの。でもこれは彼のため、あなたのためよ」
美香は顔を歪めて拳を握る。
「ずっとそうしてとは言わないわ。しばらくでいい。少し距離を置いて、それからどうするか考えなさい」
♢
帰宅許可を得て、アルマは美香と共にシェアハウスへ向かう。帰路に着く中でアルマは入院中の愚痴を吐露している。
「いやー、検査中はずっと退屈だったぜー! ミカには会えないし、ずっとベッドだし、びょーいんしょく? ってのはめっちゃ薄くて美味しくないし、もう散々だった! 早く帰ってホノカの料理が食べたいなあ」
美香はそんなアルマから一歩下がって歩いている。
「しばらくは安静にしろってうるさく言われたし、戦うのもちょっとだけお休みだな。でも大丈夫だって! どんな状況だったとしても、オレはちゃんとミカのそばにいるからさ!」
すると、美香は歩くのを止めた。
「……ミカ?」
美香は終始俯いていた。
「どうしたんだよっ、ミカ? オレならもう大丈夫だって!」
美香は俯きながら、アルマの左手を両手で包んだ。
「ミカ……?」
「……左腕、痛かったでしょ?」
「え……あ、ああ! そりゃあ、ちょっとな! まだちょっと変だけどすぐに治るってさ!」
「……電流、痛かったでしょ?」
「ま、まあ、結構痺れたけど……」
美香はアルマの頬に触れた。
「治ってる……」
確かに焼かれて露わになっていた頬は、完全に治っていた。
「ミネルヴァの腕が良かったんだよ! あいつなら信用できるしな! これならどんなに傷ついてもすぐにピッカピカに治るし! だってオレは…」
「やめてっ!!」
喉を詰まらせながら上げた美香の叫びに、アルマはびっくりした。
「ミカ……?」
「……私はっ、あなたに傷ついてほしくないっ……私のせいで、傷ついてほしくなんかないっ……!!」
「いやっ、あれはミカのせいじゃ…」
「いつだってそう……!! 私は、自ずと誰かを傷つけてしまう……私のためにって誰かが不幸になってしまう……私はっ、そんなの望んでないのに……っ!!」
美香の目から涙が溢れ出る。
「……お願い、アルマ君……!! もう私のために戦わないで……!! たとえあなたが千年前の人間だとしても、戦闘用に改造されたとしても、あなたには幸せになってほしい……!! 戦って傷つくとこなんて、見たくないよ……っ!!」
堪えきれず漏らす嗚咽。苦しそうな美香に、アルマは胸に手を当てた。
「……ミカ」
すると、今度はアルマが美香の右手を両手で包んだ。
「ミカがオレを幸せにしたいって気持ち、すげーよくわかった。オレだってできれば戦いたくはない。戦わずにミカを幸せにしてやりたい。この幸せな日々を満喫だってしたい。でも、エルトリアが、そこの皇帝がぶっ壊そうとしているのなら、それを止められるのがオレだけなら、オレは戦わないといけない……何より、ミカの笑顔を奪おうとするなら、絶対にそんなこと許さねえ。だってミカは、オレに心を思い出させてくれた! そんな優しいお前を、泣かせたくないんだよ!」
「……っ!!」
「……そりゃあ、戦うのが怖いって言ったら嘘になる。傷つくのも、痛いのも、そりゃきついよ。でも、それが全部ミカを守るためなら…」
「私はっ!! 君に守ってほしいなんて頼んだ覚えはないよっ!!」
そう言いながら無理矢理手が振り解かれた。
「!?」
「……私はもう、嫌なの……っ!! 私のせいで誰かが傷つくの……っ!! このままじゃきっと、君だって不幸になる……っ!!」
美香の涙が止まらない。今にも全て流れ出そうだ。
「……こんな辛い思いをするなら、目覚めさせなければ良かった……!! あそこでずっと眠っていれば、君が傷つくことだって……私がこんな思いを抱くことなんてなかったのに!!」
半分怒りが込められた叫び。アルマは顔を強張らせて硬直している。美香を見つめるその瞳からは、哀れみも感じられた。
「……!!」
ここにきてやっと自分がしでかしたことを、美香は認識してしまった。だが、もう取り返しがつかなかった。
「……もう、ほっといて……っ!!」
美香は泣きながらアルマの横を走り去る。アルマは追いかけることなく、しばらくその場に立ち尽くすことしかできなかった。
シェアハウスに戻った時、美香はいなかった。どうやらまだ帰ってないらしい。アルマは戻った途端、膝を抱えて畳の上でふて寝した。どんよりとした空気に康二が心配する。
「おーおー、どうしたっ? 無事に退院できたと思ったら」
ルカがアルマに近づいてしゃがむ。
「美香と喧嘩でもしたの?」
「……」
「したんだね。だっていつも二人は一緒だし」
アルマは何も答えずうずくまる。かなり深刻な状況なのはルカでもわかった。
「あー、それはいかんなー。だったらちゃんと仲直りしないと」
「多分難しいと思うよ? なんか深刻っぽいし」
「マジかー……」
「元気出しなよ」
とりあえずルカなりにそう言って励ましたが、今のアルマには響いてないようだ。
「……そういえば」
何か思い立ったルカは時計を見た。今は午後五時半を差している。ルカはふうとため息を吐く。
「……康二が奢ってくれるってさ!」
「はっ!?」
「退院祝いがてら気分転換しようよ」
そんなわけでアルマと康二はルカに無理矢理連れられて、何故か銀座にたどり着いた。
「おいおいおいおいっ? 奢りって何だっ? 聞いてないぞっ?」
二人はルカにずるずる引きずられている。
「だって康二、今月稼いでんじゃん。今日くらい良いでしょ?」
「ここ、銀座だよなっ? どこ行く気だよっ?」
「どこってあそこに決まってるでしょ? あそこぐらいしかオレ知らないし」
「いやいやだとしても、俺とお前さんはともかく、アルマは仮にも未成年だけどっ?」
「大丈夫だって。ジュースもあるし、高いけどフルーツとかチーズもあるし。いっつも元気なアルマが元気ないと、こっちの調子が狂っちゃうの!」
そうこうしているうちに三人がたどり着いたのは、“Bar Marionnette”と書かれたお店だった。入口のドアを開くと、鐘がカランコロンと鳴った。
「いらっしゃいませ!」
出迎えてくれたのは、なんと穂乃果だった。しかし今の彼女はいつものエプロン姿ではなく、綺麗なマーメイドドレスに着替えていた。お化粧もしており、いつもとは雰囲気が違う。
「あら、康二さんにルカ君! アルマ君も! 遊びに来てくれたの?」
「お、おー! 遊びに来やした~」
「急にごめんね。部屋空いてる?」
「ええ、ちょうど今空いたとこよ。こちらへどうぞ」
三人は個室に案内された。テーブルにはお酒の瓶やフルーツやチーズ、氷やたばこの灰皿が置いてあった。
「はい、康二さん」
穂乃果は氷入りのウイスキーを康二に手渡した。
「ありがとさん!」
「はい、ルカ君はこれね。Gタンクαの油分多め」
ルカにはコップに入った琥珀色のロボット用燃料を手渡した。ルカのお気に入りらしい。
「どうも」
ルカに手渡すと、穂乃果は隣に座っているアルマを視認した。アルマは浮かない顔をしながらうずくまっている。明らかに楽しくなさそうだ。穂乃果は小声でルカに話しかける。
「アルマ君、どうかしたの? やっぱりまだ回復してないのかしら?」
「なんか美香と揉めたみたい。何か元気になるものとかないかな?」
「まあ、そうなの? ちょっと待ってて」
そう言って穂乃果は席を離れた。
「……なあルカ」
「何?」
「ここどこ?」
「どこってバーだよ。バーマリオネット。穂乃果、ここで週に一回助っ人として働いてるんだ。昔は正社員として週三日働いてたけど、シェアハウスの仕事が落ち着いてきたから、今は正社員辞めてお手伝いとして来てるってさ。ここの店長、黛家の親戚のおばさんで、働いていたのもその縁だって」
「ふーん……」
すると、アルマの席に何かが置かれた。
「?」
置かれたのは、クリームソーダだった。
「はい、私からの退院祝い。通常メニューのメロンソーダに特別にアイスを乗せてみたわ。クリームソーダって言うの」
「あ、ありがとう……」
穂乃果が再び隣に座ると、アルマの耳元で囁いた。
「何があったかは聞かないけど、これ飲んで元気出してね」
「!」
雰囲気は違うが、間違いなく穂乃果だ。アルマはそう確信した。
「……ホノカ、なんだよな?」
「そうよ。びっくりした?」
「ホノカも変身できんだな……」
「まあね」
女の人ってすごいなとアルマは感心した。
「がははははっ!! やっぱりここの酒は良いよなあ~!!」
さっきまで乗り気じゃなかった康二はというと、いつの間にかウイスキー三杯飲んですっかり出来上がっていた。
「今日は明けるまで飲むぞお~!! 野郎共っ!! じゃんじゃん飲め飲め!! 今日は俺の奢りだあ~!!」
「よく言った! それでこそ康二だー!」
「ーって、あああっ!? しまったあーっ!? ルカてめえこれが狙いだったかー!!」
嵌められたことに康二は落胆した。楽しそうな二人に穂乃果は笑っていた。
普段シェアハウスにいる彼女と、今ここにいる彼女。雰囲気こそまったく違うが、どちらの彼女も綺麗だとアルマは感じた。
♢
穂乃果のおかげで少しだけ元気になったアルマは、帰宅後、美香の部屋の前に立つ。さすがにもう帰っていると信じて、アルマは美香の部屋の扉をノックする。
「……ミカ?」
一声かけるが反応がない。
「オレだよ。今いいか?」
部屋にはいないのか。はたまたいるだけで無視されているのか。扉を開けない限り、それはわからない。
「……オレの何が悪いのか、今はよくわかんねえ。でも傷つけてしまったんなら、ちゃんと謝るよ。ごめんな……」
アルマは扉に背中を預けて座り込む。
「……オレが傷つくのがそんなに嫌か? オレが戦っているのを見るのがそんなに嫌か? ……嫌なら、それでもいい。けど、それでもオレは戦わないと。ミカのことを抜きにしても、エルトリアは放ってはおけない。放っておいたら、ここが、心が叫ぶんだ。オレは、取り戻したこの心に正直でいたい。嘘はつきたくないんだよ……頼む、これだけはわかっててくれ……」
美香に聞こえているのかはわからない。もしいなかったらこれはただの独り言だ。しかし、それでもアルマは続ける。
「……オレ、もっともっと強くなるよ。傷つかなくて済むように、ミカが悲しくならないように。だから、待っててくれ」
アルマはそう言い残して自分の部屋に戻っていった。
美香は……部屋にいた。アルマの声も、ちゃんと聞こえていた。美香は膝を抱えてベッドに寝ていた。その目からは涙が流れていた。
「……違うよ……そんなんじゃ、ない……っ!」
とある廊下。
足元に緑色のライトがあるだけで周囲は薄暗く不気味だった。その廊下を歩く二人の影。
「無心の刃が弱かった?」
「思わず拍子抜けしたお。あれ、完全に普通の人間と変わらないお」
「つまり、殺すなら今が好機と?」
「多分ね。一応ベーちゃん貸してあげるから、近いうちに大暴れしてくるといいお」
「……そうね。そうさせてもらうわ」
カツンカツンとヒールの音が響く。メイクをバッチリ決めた黒髪ロングの女性が、不敵な笑みを浮かべていた。
「無心の刃……裏切り者の首を差し出せば、ゼハート様に尽くすことができる……!」
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