9話 傷だらけのヒーロー〈後編〉

 私には双子の姉がいた。顔は二卵性双生児のため全然似てない。

 姉は私の味方だった。どんなことがあっても、私を支えてくれた。黛さん達に会うまでは、姉だけが私の生きる理由だった。

 姉は私の実家、大空家の誇りだった。勉強も運動も得意なのはもちろん、将棋やボウリングなどの趣味関係のものまで難なくこなせてしまう。性格も明るくフレンドリーなことから交友関係も広く、まさに完璧超人だった。私の両親はそんな姉に期待し、姉のためならなんだってしてくれた。それは、愛情も含めてそうだった。

 双子とは思えないくらいに私は姉とは違っていた。消極的だし、勉強も運動も姉どころか他の人よりも劣っていた。両親はそんな私を幼い頃から疎ましく思えていたのだろう。何に関しても姉だけを優先し、私は二の次か完全無視。小さい頃は疑問に思ってはなかったが、大きくなるにつれて疑問は膨れていた。

 何で姉しか見てないのだろう。

 何で私はいつも後回しなんだろう。

 何で、何で、何で。

 でも、姉だけは違った。

 姉はいつだって私に寄り添ってくれた。故に両親に対しても反発していた。美香のことも見ろと口癖のように言っていた。でも両親は姉を擁護するばかり。時にはそのことを責められた時もあった。


「わかってるでしょ? 真央ちゃんはすごいの! あんたなんかとは月とスッポンの差なの!」

「とにかく、真央の足を引っ張るようなことはするなよ? もし真央に何かあれば大変だからな」


 この時点で気づくべきだったのかもしれない。私の両親はおかしいということに。でも、彼らが本当に私を愛していないのなら、すぐにでも施設やら親戚やらに捨てるはず。今思えばそれは見栄を張るためのスケープゴートが必要だったからとわかるが、当時はそんなこと考えてはいなかった。私をただの人としてしか見てもらってない中で、姉だけは私を見ていてくれた。


「何があっても美香は美香だもん! 私はそんな美香が大好きだよ!」


 本来あんなに甘やかされていたら、姉自身もおかしくなるはず。しかし姉は屈せず、優しかった。いつだって姉は私の味方でいてくれた。

 それは、中学に入って、私がいじめの標的にされてからも変わらなかった。加害者側の理由はただ一つ。陰キャラでムカつくから。いじめはかなり悪質だった。ロッカーに閉じ込めたり、ドッジボールで標的にされたり、酷い時には給食を運ぶ際に襲撃されたりもした。当時私と姉は同じクラスだったこともあり、いつも姉は私を庇っていた。正義感が強かった姉は、こんなの間違ってると周りに助けを求めていた。しかし、教師陣は知らん顔。両親に至ってはこんなことを言う始末だった。


「そんなの理由は簡単よ。美香に原因があるからじゃないの? ほら、あの子鈍臭いし」

「確かにな。いじめられて当然だろうな」


 そんな両親に対して姉は憤慨した。


「何てこと言うの!? 二人は美香の両親なんでしょ!? 子供がピンチなら助けてあげるのは当然じゃない!! お母さん達おかしいよ!! もし私がいじめられていたら、私にも原因があるって言うの!?」

「真央ちゃんは別よ! 真央ちゃんをいじめる方が悪いの!」

「ああ、わかるだろう? 真央。お前と美香は違うんだ。わかってくれるな?」


 この話を聞いて確信した。ああ、両親は私のことなんてどうでもいいんだと。こんなことがあったからか、以来姉は自分だけで妹を守る責務に駆られた。大人なんて信用ならないとわかったのだろう。だから自分がなんとかせねば。そんな姉の気迫もあってか、一時期はいじめが収まった頃もあった。だが、安心したのも一瞬だった。

 転機となるある事件が起きた。


「大空、本当うぜえんだよ。学校来んな、ブス」


 その罵言と共に、私は長い黒髪を切られた。姉が綺麗だと言ってくれた、ちょっとしたチャームポイントがなくなった。ざっくばらんになり、短くなった髪。それを見た姉は顔色を変え、私をぎゅっと抱きしめた。


「ごめんね……ごめんね、美香……!! 怖かったよね……嫌だったよね……!!」


 嗚咽混じりの声に私はさらに泣きそうになる。


「……逃げよう、美香。学校も、お母さん達も、もう信用できない。あそこ……黛さん家に逃げよう。黛さんは優しいから、きっと助けてくれるはず」


 黛さんと聞いて、私は安心感を感じた。確かに黛さん家やその近親者の方々はみんな良い人ばかりで、従姉妹に当たる穂乃果さんも優しい。きっと力になってくれるはずだ。


「いいの……? 本当に……?」

「当たり前じゃない! 私は美香が幸せになるならなんだってする! 美香を泣かせる人なんていらない! 何があっても、私が美香を守るから……!」

「!」


 その言葉を聞いて、私は心の底から安心した。私には姉が味方でいてくれる。姉がいるなら何も怖くない。私は、ひとりぼっちなんかじゃないと、この時は信じて疑わなかった。

 でも、私は愚かだった。私をいじめていたいじめっ子達が、あんな狂気に満ちていたなんて思いもしなかったんだ。


 学校が終わり、私達は家に帰ろうとした。


「とりあえずさ、そのざっくばらんになった髪を少し整えないとね! 大丈夫! 美香はショートでも可愛いよ!」

「う、うん……!」


 信号が赤のため、私達は横断歩道で待つ。ここの赤信号は長いため、待つのが億劫になる。早く青にならないかと待っていた時だった。突然誰かが私の背中をドンと押した。


「……!?」


 私はまだ赤信号の歩道に出てしまった。誰かが悲鳴を上げたのが聞こえた。気づいた時には、私の横で大型のトラックが急ブレーキをかけながら走って来ていた。


「美香っ!!」


 姉の声が聞こえたような気がした。ガシャーンと大きな音が響いた。


「……?」


 私はいつの間にか道路に倒れていた。けどかすり傷を負っただけで大した怪我はなかった。


「君!! 大丈夫か!?」

「怪我はない!?」


 トラックの運転手らしき人や通行人の女性が駆け寄ってきた。


「あ、はい……大丈夫、です……」


 誰かが助けてくれたのか。一体誰が。そんな疑問はすぐに解かれた。


「まずいって、マジまずいって!!」

「救急車呼んだの!?」


 止まっているトラックの近くには、血溜まりに倒れた姉の姿があった。何が起こったのか、頭の中が真っ白になった。周囲の声が聞こえなくなる。

 この瞬間、私がこの世界に生きる唯一の理由が、完全に消滅したのだ。


 ♢


 病院の遺体安置所から、母が泣き喚く声が聞こえる。父も膝から崩れ落ちて泣いていた。私は安置所の外にあるソファーに座っていた。

 姉が死んだ。その事実を受け止められなかった。私がソファーで呆然と座っていると、私の前に誰かがやって来た。


「残念だったわねえ?」


 嫌な猫撫で声。私ははっとなって顔を上げた。私をいじめていた主犯格の三人だ。三人はにやにやと私を笑っている。


「あんたの方が死ねばお姉さんが絶望して、その隙に私達が新しいおもちゃにさせるって作戦だったのに、余計な正義感出しちゃったわね」


 それを聞いて確信した。ああ、こいつらが私の背中を押したのか。私を殺して、姉を絶望させるために。


「でもまあ、これはこれでありか! だってこれであんたに味方する人なんて、世界中どこを探してもいないんだもん。あ、だからって誰かに言っても無駄よ? うちは揉み消しできる家柄だから」


 主犯格の女が私の胸ぐらを掴んだ。


「地獄へようこそ、大空さん。せいぜい死ぬまで楽しませてちょうだいね?」


 三人は嫌な笑い声を上げて帰っていった。

 絶望。まさにこの言葉通りだ。でもそんな私に、彼女達に復讐する余裕はなかった。精神的にも、物理的にも。何故なら……


 ♢


「この人殺しっ!! だからあんたなんていらなかったのよ!!」

「私達の誇りを踏み躙りやがって!! お前はどこぞで野垂れ死ねばいい!!」


 ♢


 姉の死は私のせいだと思い込んだ両親は、私を完全に拒絶した。葬式にも連れて行くことは許さず、私は姉の最期を見届けることはできなかった。

 そして、告別式が終わってすぐ、私は無理矢理学校を辞めさせられ、ある場所に売られた。そこは、明らかにカタギではない人達が集まる、異様な空気を纏う場所だった。


「ほお……この娘が?」

「へえ! なんでも姉を殺した罰として好き勝手やっていいと!」

「……いけないねえ、お嬢ちゃん? 大事な家族を殺しちゃうなんて。やってしまった分、ちゃんと罪滅ぼししないとね?」


 そこから先のことはほとんど覚えていない。多分、考えることを放棄したからだ。唯一わかるのは、私の体が、心が、何かに汚染されていく感覚だけ。最初のうちは抗ったけど、本当に最初だけだ。助けを呼んでも誰も来ないことを理解したのだろう。時間の感覚もわからなくなっていた。私はこのまま、何も感じることなく、廃人として死ぬ運命。そう思っていた。


 ♢


 次に意識がはっきりしてきた時、私は病院にいた。消毒液のツンとした匂いがする。私は今、点滴を打たれながら寝ていた。目の前にはパネル状の天井があり、

 そして、近くには誰かがいた。目を真っ赤に腫らして泣いている、穂乃果さんだった。私が目を覚ましたことに気づくと、穂乃果さんはぎゅっと私を抱きしめた。


「ごめんね……ごめんね、美香ちゃん……!! もう美香ちゃんに酷いことする場所には行かせないから……!!」


 ♢


 事態が急転したのは、姉が死んでから三年、黛さん夫婦が事故で亡くなってから二年が経った頃だ。

 その日、穂乃果さん達黛家関係者は、法事で親戚の集まりに来ていた。その中には私の両親もいたのだが、穂乃果さんを含めたわずかな親戚が疑問に思った。私がいないことだ。元々親戚付き合いの機会が少なかった大空家は、かねてより親戚から家族仲が良くないのではと噂はされていた。そこで穂乃果さんが何気なく訪ねてみた。美香ちゃんはどうしたのか、と。返ってきた答えはこうだった。


 ──美香って誰?


 それを聞いて穂乃果さんは戦慄し、嫌な予感を覚えたと言う。穂乃果さんはすぐに本家の人間にそのことを話し、本家は両親に問いただした。両親は最初はぐらかしていたがすぐに観念した。真央を殺した殺人犯に罰を与えてやっただけ。切り捨てて何が悪いと言い張っていた。本家は怒り心頭に発し、警察に訴えると言い出す始末になった。両親は逃げだそうとしたが、彼らのやったことに怒った親戚達が止めてくれた。その中には花井のおじいちゃんもいたらしい。結果、両親は逮捕され、私の居所も暴かれた。私が売られた場所は、未成年売買で稼ぐ悪徳金融機関と呼ばれる場所だった。皮肉にもその場所は、かつて穂乃果さんが働いていた、銀座のとあるお店の近くだった。私が発見されたことでそこも摘発された。ちょうどその時、穂乃果さんは仕事中だったのだが、私が見つかったと知って飛び出したらしい。これがことの顛末だ。


 その後、私は病院で何日かリハビリを受け、あのシェアハウスに引き取られることになった。


「今日からここがあなたの家よ。ここにあなたに酷いことをする人はいないから、安心して過ごしてね」


 とは言われたものの、私は無反応だったと言う。無理もないだろう。大好きだった姉が死んで、両親から拒絶されて、人間らしさも奪われて。私は感情そのものを失っていた。そんな私を心配したのだろう。穂乃果さんは居間に私を案内すると、すっと正座した。


「来て」


 そう言われたので、私は近寄った。


「座って」


 そう言われたので、私は正座した。すると、穂乃果さんが優しく私を抱きしめた。


「……もう大丈夫よ。あなたの味方はちゃんとここにいる。明里も、康二さんも、ルカ君も、もちろん私も。あなたのことは絶対に守るわ。だから……」


 耳元で穂乃果さんがこう囁いた。


「もう、泣いていいのよ」


 その瞬間、空っぽになっていた私の中身が、あったかい何かで満たされた。気づけば私は穂乃果さんを力一杯抱きしめ、大声を出して泣きじゃくっていた。ずっと押し殺していたものが、一気にダムの放水のように溢れ出したのだ。穂乃果さんは私の背中を優しく摩り、私が落ち着くまでずっといてくれた。

 だけど、どんなに泣き喚いても、失ったものは二度と戻ってこない。そう思うと虚しさは相変わらずだった。ああ、今ならわかるかもしれない。何故私はアルマ君に惹かれたのか。


 ──何があっても、ミカはオレが絶対守るから。

 ──何があっても、私が美香を守るから……!


 そうだ。だからあの時見えていたんだ。アルマ君は姉に、お姉ちゃんに似ているんだ。きっと無意識のうちに求めていたのかもしれない。姉の様に強く、勇敢で、明るい人を。自分より誰かを優先する、そんな人を。

 だけど、きっとそれじゃあ私との相性は

 最悪に違いない。だって私は、幸せを望めば不幸になる。そう気づいてしまったから。

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