9話 傷だらけのヒーロー〈前編〉

「遅いなあ、ミカ……」


 美香がいつまで経っても帰ってこない。本を読みながらアルマは愚痴をこぼした。


「何かあったのか?」


 心配になってきた時だった。何やら外が騒がしい。


「ねえ聞いた!? 梶ノ浜公園に怪物が出たって!」

「逃げてきたカップルが言ってたな! 着ぐるみみたいな気持ち悪いやつが来たって!」

「公園……?」


 そのワードを聞いてアルマははっとした。


「ミカ!!」


 ♢


 紫色の異形の化け物の背中に乗りながら、少女は怪しく美香を見つめる。


「まさかこんなにあっさり見つかるなんて、キューちゃんってばラッキーだお!」

「あ、あなたは……!?」


 美香は恐怖で震えながら少女に問う。


「キューちゃんはキューピッドだお。でも覚えなくていいお。だってあんた、これから死ぬんだし!」


 すると、化け物が拳を振り上げる。


「!!」


 咄嗟に美香は逃げる。拳は地面を激しく抉った。


「キューちゃん知ってるお!あんたをいじめればあいつ、“無心の刃”が必ず現れるって!」

「む、無心の刃……?」


 何を言ってるのか美香にはわからない。


「何の事っ? あなた何がしたいのっ?」

「だあーかあーらあー! これから死ぬやつには必要ない情報だお! あ、それともキューちゃんのファンになりたいのかお? キューちゃんにご奉仕してくれるなら嬉しいお~! でも残念。ファンクラブはハイスペック男子限定なんだお」


 再び化け物が拳を振り下ろした。


「きゃあっ!?」


 衝撃に巻き込まれ、美香は転んだ。


「あっはは! 何その悲鳴? ブッサイクだお~!」


 キューピッドは黒い笑みを見せている。


「うっ……」


 美香は立ち上がろうとするが、どうやら足を怪我して上手く立てない。化け物が美香に近づいてくる。


「あっ……」

「安心するお。あんた殺したら次は無心の刃をメッタメタにしてあ・げ・る」


 化け物の拳が美香に迫った。


「っ!!」


 美香は思わず目を瞑る。しかしその一瞬、誰かが美香を抱きしめ、ふわっと浮かんだ感じがした。


「!」


 目を開けると、目の前にアルマがいた。


「ミカ!!」

「アルマ君……!!」


 アルマのおかげで助かった。美香はほっとしたのか今にも泣きそうになる。


「……っ!!」


 美香の足が血を流して負傷していることに気づくと、アルマは激しく喘ぎながら目をかっと見開く。


「やっぱり来た! ゼハート様の言う通り! てことは、へえ~? そういう関係なんだお?」


 キューピッドがにやにやと二人をからかう。しかしアルマは動じることなく、美香を抱き抱えた。


「ひゃっ!?」


 所謂お姫様抱っこの状態に美香はドキッとした。アルマは美香を近くの木の幹に座らせた。


「ア、アルマ君……」


 すると、アルマは美香の額に顔を寄せる。


「待ってろ。すぐ終わらせる」


 小さくつぶやいたその声は、わずかに震えていた。


「う、うん……」


 美香はとりあえずこくりと頷く。


「うわっ、ガン無視された挙句お姫様抱っこ? リア充とかまじウザったいんだけ…」


 キューピッドの言葉は遮られた。アルマが猛スピードで加速しながら変身し、化け物を物凄い力でぶっ飛ばしたのだ。


「わっ!? わあああ~っ!?」


 キューピッドは化け物と共に後ろへ飛ばされ、公園に設置されていた休憩所の壁にぶつかった。


「オレの大事な人に傷付けてんじゃねーよ!!」


 怒りが込められたアルマのその叫びに、美香の体温が一瞬上昇したかの様な感覚がした。

 土埃が上がると、キューピッドは化け物をクッション代わりにしていて無傷だった。


「ふう~、危なかったお……」


 気を取り直してキューピッドは化け物の背中に乗る。


「ちょっとお! 乙女に何するつもり!? いきなり襲うとかどういう神経だお!?」

「それはこっちの台詞だ!! せっかくのデートを邪魔するんじゃねえ!!」

「うわっ、堂々とデート宣言!? 本っ当ウザすぎてムカつくお! ベーちゃん! さっさとスクラップにするお!」


 化け物がアルマに向かって拳を振り下ろした。アルマはその拳をガシッと掴んだ。ギリギリと力強く捻り回し、激しく千切った。


「うっそおー!?」


 あまりの馬鹿力にキューピッドは驚愕する。


「ベーちゃんの皮膚は破れにくいはずなのにー!!」


 千切れた左腕がバチバチと電流を漏らしている。


「悪いがさっさと終わらせてもらうぞ!」


 アルマの左手が換装された。リボルバーが激しく回りだす。


「ええっ、ちょっ待っ!?」


 慌てふためくキューピッドをよそに、アルマは跳躍して拳を振り上げる。


「おおおおおおっ!!」

「きゃああああっ!!」


 キューピッドは悲鳴を上げた、はずだった。


「……なーんてね」


 すぐににやりと口の端を上げる。

 すると、それまで現れ出なかった化け物の口が大きく開かれた。化け物の口はアルマの左腕を食らった。


「……え?」


 呆然としたのも束の間だった。化け物はアルマの左腕を食らいながら激しく揺さぶった。がしゃあーんと嫌な金属音が響き、アルマと化け物は分断された。


「アルマ君──っ!!」


 美香は思わず叫んだ。


「あっ……がっ……!?」


 数歩後退しながらアルマはよろめき、膝から崩れ落ちた。電流が漏れる嫌な音が耳につんざく。アルマは恐る恐る左腕を見る。肩から先がない。バチバチと電流が流れているだけだ。


「ーっ!!」

「あっはははははは!! そう!! その顔!!

それが見たかったお!!」


 キューピッドが恍惚とした表情でうっとりとしている。

「はあ~、最高~……!! その絶望に駆られた表情、やっぱりたまらないお~……!! ベーちゃんよくやったお!」


 キューピッドは化け物をよしよしと撫でた。化け物は噛みちぎったアルマの左腕を咀嚼させている。


「野郎……っ!!」

「さあーて、これで一応お相子だけど、明らかにそっちの方が激しく動揺してるお! そんな状態じゃ戦えないと思うけどお~?」


 キューピッドは美香に視線を移す。


「じゃ、片腕のサイボーグに用はないし、さっさとあの子殺っちゃうお!」


 キューピッドがウインクをすると、化け物が高くジャンプし、美香に迫った。


「あ……!!」

「ミカ……っ!!」

「ちょっと理解できないお。こんなブサイクのどこに守るべき要素があるんだお? 美人だったらちょっとは納得かもだけどね。あ、それはないかー! だってキューちゃんより可愛い子なんてどこにもいないよねー!」


 化け物は大口を開けた。はあーっと嫌な吐息が掛かる。


「あんまり痛くないよう丸飲みしてあげるから、安心してあの世に行きやがれだお」


 美香は恐怖で顔を真っ青にして震えている。牙が差し迫った時だった。突然化け物の頭がぐしゃりとひしゃげた。アルマが満身創痍ながらも蹴りを繰り出し、美香を守ったのだ。


「アルマ君!!」

「うっそ!? 片腕なのに!?」


 息を荒げながらアルマは美香の前に立つ。


「ミカには……指一本触れさせねえ……!!」

「!!」


 ──やめなよ!! こんなことして恥ずかしくないの!?


 美香には一瞬だけアルマの後ろ姿が、別の姿に見えた。


「お姉……ちゃん……!?」


 美香の目から涙が滲む。


「うわー、今度は騎士様気取りかよ。ふーん。そんなにそのブサイクが大事なんだ? そんなに大事なら……」


 すると、化け物のうなじに当たる部分から、無数のコードが生えてきた。


「死なせずに守ってみせなよ!!」

「ミカッ!!」


 アルマは美香を抱き寄せて庇う。コードのプラグ部分から電流が流れてきた。


『ああああああっ!!』


 二人は激しく感電する。身体中がビリビリと激しく痺れ、今にも焼き殺されそうだ。アルマは残った片腕で美香を強く抱く。


「アルマ君っ!!」

「ミ、ミカはっ……絶対に、死なせねえっ……!!」

「しつこいお!! ならこれは!?」


 さらに激しい電流が流れてきた。


「がああああっ!!」


 アルマの頬が、肩が、足が、少しずつ焼かれていく。


「ああっ……!!」

「あっははは!! そのまま死んじゃえーだお!!」


 キューピッドが高らかに笑っていた時だった。突然電流がぴたっと止まった。


「あ、あれ? ベーちゃん?」


 見ると、化け物の様子がおかしい。電気を漏らしながらピクピクしている。


「え……えええっ!? オーバーヒートオッ!? こんな時に限って!?」


 やがて、化け物はズンと倒れた。


「もお~っ!! あとちょっとだったのに~!! ふん! 命拾いしたお! でも次会った時はこうはいかないお!」


 キューピッドは懐から棒の様な物を出す。そこから光が発射されたと思いきや、いつの間にか姿を消したのだった。

 すると、さっきまで晴れていた空が急に曇り、雨が降り出した。


「アルマ君っ、アルマ君っ……!!」


 アルマが庇ってくれたおかげで、美香は軽い怪我と体の痺れだけで済んだ。しかし肝心のアルマはボロボロだった。今にも崩れそうなくらいに。

 アルマはよろめきながら片腕で美香の肩を掴み、苦しそうに顔を歪めている。しかし美香が無事だと認識すると、なんとか笑顔を取り繕う。


「……よかった……無事、で……っ」


 そう低くつぶやくと、アルマは美香の肩に顔を埋め倒れ込んだ。変身が解け、普段の姿に戻ったが、左腕は欠損したままだった。


「アルマ君っ……!!」


 美香は必死に声を上げるが、反応はなかった。


「ごめんっ……ごめんねっ……アルマ君……!!」


 何もできない自分に美香はただ泣くしかできなかった。

 するとそこへ、バイクが走る音が聞こえてきた。ヴィクトルがバイクを走らせながらやって来たのだ。


「こちら軍警! 通報を受けて来た! 通報にあった異形種は……っ!?」


 ヴィクトルは息を飲んだ。アルマが片腕を失い倒れている状況に、嫌な予感を感じ取った。


「あっ……アルマ、君が……っ!!」


 美香は涙を流しながらこちらに助けを求めていた。ヴィクトルは状況を把握し、二人の元へ駆け寄った。

 雨が激しく降り続く。


 ♢


 キューピッドによる奇襲を受け、アルマは咲世子の病院に緊急搬送された。治療室でミネルヴァが機材を操作し、アルマの治療にあたった。集中治療室に運ばれたアルマは、全身がたくさんの管に繋がれ、痛々しく見えた。

 咲世子に怪我の治療をしてもらった美香は、集中治療室の外にあるソファーに座っていた。隣には宗介が寄り添っていた。


「……気に病むことないよ、美香ちゃん。アルマ君は美香ちゃんを守ってくれてたんでしょ? 美香ちゃんのせいじゃないよ」

「でもっ……でももしアルマ君が死んじゃったら、絶対に私のせいだよ……!!」

「美香ちゃん……」


 宗介は何て言葉をかけていいかわからない。しばらくして、咲世子がやって来た。


「姉さん! アルマ君はっ?」

「大丈夫よ。今ミネルヴァが治療してる。今のところ命に別状はないわ」

「そうか! それは良かった……!」

「左腕の損傷も安心して。ミネルヴァがちゃんと復元してくれる」


 とりあえず一命は取り留めたことに宗介は一安心したが、美香は浮かない表情だった。


「……心配しないで。アルマは大丈夫よ。ミネルヴァを信じなさい」


 咲世子が美香の肩を叩いてそう励ました。


「アルマ君のことは僕達が見ておくから、美香ちゃんは先に帰ってて? ね?」


 宗介にそう諭されたため、美香は仕方なくシェアハウスに戻った。怪我して帰って来た美香を心配した穂乃果に、美香はことの顛末を話した。


「……そう、アルマ君が……」


 穂乃果は寂しそうな表情を浮かべた。


「大丈夫なんだよねっ? アルマ君、死んじゃってなんかないよねっ?」


 話を聞いた明里が激しく心配する。


「大丈夫よ。ミネルヴァさんは腕の良い人だから」


 美香は正座しながらスカートを握りしめた。


「みかちゃん、大丈夫ー?」


 無邪気に千枝が様子を伺っている。


「……なんか、悪かったな。デート行ってこいなんて言ったばかりに」


 康二が罰が悪そうに頭を掻いている。


「康二は悪くないよ。悪いのはそのキューピッドとか言ってた空気読めない人でしょ?」

「そうだけどよお……」

「……私、何もできなかった……っ」


 美香の目から涙が落ちてくる。


「ただアルマ君が傷つくのを、見ていることしかできなかった……いつもそうだっ……! 私、誰かに助けられてばかりだっ……!」

「美香ちゃん……!」


 その様子に穂乃果ははっとなった。美香はすっと立ち上がる。


「私っ……保護者失格だ……っ!!」


 美香は泣きながら走って居間を出た。


「美香ちゃん!」


 明里は後を追うが、自室に入ったため追いかけることはできなかった。


「美香ちゃん……」


 結局、美香はそのまま部屋から出ることなく、穂乃果達はそっとしておくことにした。お風呂上がりの明里は髪をタオルで拭きながら、美香のことを心配していた。


「美香ちゃん結局ご飯食べなかったね。そんなにショックだったのかな……?」


「うーん、いくら俺に非がないとはいえちと罪悪感あるな……よし! ならこうしよう! 次は俺の奢りでちょっとお高めのレストランを二人のために予約させるってやつをだな…」

「何余計に傷口に塩を塗るようなこと考えてんの? それじゃ返って逆効果だよ」


 ルカがゲームをしながら正論を突いてきた。


「デスヨネ……」

「みかちゃん、涙がぽろぽろしてたね。ねえ何で? 何でなの?」

「そりゃあ、アルマ君があんなことになったから、悲しくてしょうがないんだよ」

「……ああ、それもあるんだけどね」


 穂乃果が優しく千枝を抱き寄せる。


「あの様子じゃきっと、思い出しちゃったのかもね……」

「?」

「……美香ちゃんにはね、お姉ちゃんがいたんだ」

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