第17話 生き残る

 

 異形の蜘蛛。


 村のいたるところに糸を張り、一番安全であろう場所に巣の中心を置く。


 糸の一本一本が蜘蛛に情報を送り、まるで村全体を把握しているかのように鎮座している。


 人の気配はない。


 全ての人が蜘蛛に喰われたのか、それともどこかに隠れているのか。


 隠れていたとしても、少しの動きで察知されるだろう。


 いつからその異形の蜘蛛は居るのか、隠れてるとして人はどのくらい我慢できるのか。


 異形の蜘蛛は巨体だった。


 その巨体ゆえ、入れない場所も有るだろう。そういう場所でなら、生き残れているのかもしれない。


 人は恐怖によって突き動かされ、また、凍りつく。


 レイモンドが異形の蜘蛛と遭遇し戦っていた時には、誰の気配も無かった。


 異形の蜘蛛も、レイモンドにだけ集中していたように見える。


 生き残りの人々がいるとすれば、それは、恐怖によって凍りついた人々だろう。


 だから、レイモンドと蜘蛛が戦っている時にも、逃げ出さなかった。動かなかった。


 レイモンドを喰い、巣の中央に戻った異形の蜘蛛は自分の腹に違和感を感じていただろう。


 喰らった相手がなかなか消化されない。


 鎮座はしているが、落ち着きが無い。


 人間で言えば、胃もたれだろうか。


 異形の蜘蛛は、妙に痙攣しだしていた。


 なぜならば、異形の蜘蛛の胃の中で異変が起こっていたから。


 噛み傷を負い、飲み込まれたレイモンド。その体が原因。


 傷からは血が流れ棘と化し、消化液でただれる皮膚は硬質化していく。


 消化される事で、また再び、レイモンドは自らの鎧化を果たそうとしていた。


 消化が早いか、それとも、レイモンドの甲殻化が早いか。


 いや、しかし、レイモンドの血で出来た刃は溶かされたはず。それなのに今は、耐性を付けたかのように胃

液に耐えはじめている。


 全身が消化液に包まれ、普通の人間であれば溶けて骨も残らない。しかし、硬質化した後も消化され、さらに消化されにくい甲殻が形成されていく。


 傷から流れでた血で出来た棘も同様に、溶けては再生し、溶けない棘となっていく。


 胃は脈動し、そして、動く度にレイモンドの傷の棘が胃に刺さる。


 今のレイモンドには意識はない。しかし、意識のないまま、異形の蜘蛛に攻撃を与え続けている。


 レイモンドを完全に殺し、そして喰ったのならば違っただろう。いや、もし死んでいてもレイモンドの体の機

能だけでこうなったかもしれない。


 異形の蜘蛛が移動を始める。中央から外れ、村の一番はじへと。


 一番狭い、隠れられる場所へと。


 恐らくは蜘蛛としての本能だろうか。しかし、攻撃は体内から。


 傷口からは流れ出る血。しかし、そこからはレイモンドの体に胃液も入り込んでいる。


 レイモンドの体もまた、異形の蜘蛛の攻撃を受け続けている。


 蜘蛛は巣の端に隠れている。


 だが、そこで体内のレイモンドとの壮絶な戦いが行われている。


 胃液は傷口からだけでなく、口や鼻からもレイモンドの体の内部を襲う。


 激痛がレイモンドの意識を現実に引き戻され、そしてまた、激痛故に気を失う。


 神経毒で侵されてるはずのレイモンドに、あろうことか痛覚。


 毒に対する耐性までが、つき始めている。


 レイモンドの体は、戦う度に変わっていく。


 まるで、進化する様に。


 時間が経てば人の姿に戻りこそすれ、中身が変わっている。


 常人離れした体力はもとより、腕力、脚力。そして、反射神経。


 言ってしまえば、人の皮を被った化け物。


 他の人から見れば、そういうことになるだろう。


 そして今、レイモンドは人の皮さえもかぶっていない。


 異形の蜘蛛の胃液を体中に浴び、また、体内にも流れこんだ事で外見も、そして、体内までも異変が

生じ始めている。


 外見はまるで甲虫。


 手足や頭など人の姿ではあるが、その外見は甲殻に覆われ、まるで甲虫だ。


 体内もまた、胃液を飲み込み、それは胃だけではなく肺まで入り込み体を侵食し、そして、耐性が付い

て行く。


 人間は長い年月をかけて環境に適応し、進化していく生き物だ。


 しかしレイモンドの適応速度は、人間のそれではない。


 異形の蜘蛛の胃の中で変異していくレイモンド。蜘蛛の胃はなんとか消化しようと(ぜんどう)運動を繰り返す

が、それこそが、レイモンドの体から突き出た血で出来た棘の効果を生み出す。


 遂には異形の蜘蛛の胃は破れ、胃液は体内に流出した。


 町の片隅で悶え苦しむ異形の蜘蛛。自分の胃液に内蔵を溶かされ、苦しみもがく。


 そして、強すぎた胃液はいつしか異形の蜘蛛の体さえ溶かし始め、そこからレイモンドがこぼれ落ちた。


 蜘蛛がまるで甲虫を産卵したかのよう。しかし、その蜘蛛は死期に抗うのか、原因だろうレイモンドに爪

を振るう。


 爪は安々とレイモンドに突き刺さるかと思われたが、しかし、体の表面を覆った甲殻に弾かれる。


 レイモンドに意識はない。


 蜘蛛が糸を使いレイモンドを引きずりあげるも、力なくされるがまま。


 首や関節など甲殻に覆われてない部分を攻撃するも、やはり蜘蛛の爪は通じない。


 硬くはないが、その恐ろしいまでの弾力が爪を弾き返す。


 人間の体のなかで、表面にあって一番弱いところ。それは、眼球。


 まぶたで閉じて居なければ、水晶体がむき出しのはず。


 異形の蜘蛛もまた、獲物として一番弱い所を知っているのだろう。


 どこを攻撃しても殺せる人間たち。だから特に弱点を攻撃しなくても喰えた。しかし、目の前のコレは違う

と感じているのだろう。


 そこに、レイモンドの血の剣を溶かした溶解液。


 胃液と違うのか、それは口以外の牙の先に充填され、そして射出されていた。


 レイモンドの顔も甲殻に覆われ、目の部分も妙な形に覆われている。


 その覆いに溶解液が当たり、効いているのか蒸気のようなものを発生させる。


 しかし、わずかに溶けはしたものの、すぐに再生。


 異形の蜘蛛はレイモンドを糸でぐるぐる巻きにしたまま、後ろに飛び下がった。


 野生生物の勘か、それとも、何かしらを理解したのか。


 絶対に勝てない生物の前にしての防衛本能。


 異形の蜘蛛は、蟻型の異形のモノよりも知能があるのかもしれない。


 レイモンドはまだ気を失ったまま。しかし、異形の蜘蛛はレイモンドから目を離さず距離をとりさがってい

く。


 前足も牙も、威嚇の構えを見せたまま、まるで消え入るようにさがる。


 そして、ある程度の距離をとったところで、異形の蜘蛛は力尽きた。


 自分の胃液に内蔵を侵され、体には穴が開き、果ては絶対的生物を前にしての恐怖か。


 異形の蜘蛛はその場で伏し、そして、動かなくなった。


 死んだか、擬死か、それとも休養か。異形の蜘蛛は動かず、傍から見れば死んでいる。


 そして死産で産み落とされたかの様な人型の甲殻虫。


 異様な光景だ。


 異形の蜘蛛が動かなくなった後も、村には人の動きはない。


 レイモンドが助けたかった村人は、この村にはいなかったのだろうか。


 時間にして数時間、体を包んでいた甲殻が剥がれだし、そして、レイモンドの意識は薄っすらと戻り始め

た。


 視界がぼやけ、記憶が交錯する。


 異形の蜘蛛の毒にやられたところまでは、なんとか覚えている。しかし、その後が解らない。


 地面を這いずり建物に寄りかかる。


 悪寒は既にしない。すぐそこにある異形の蜘蛛の姿。しかし、悪寒はない。


「誰が……倒したんだ……」


 自分の手元には武器も何もない。


 服さえボロボロで、既に服とは言えない。まるでボロ布が体のそこかしこに張り付いて残っているかの様。


 体中の傷は癒えているとはいえ、体力は底をついている。


「一匹でこれか……」


 力不足を感じながら、よろめくも立ち上がる。


 レイモンドが得た感覚では、蜘蛛は動かない。死んでいるように感じる。


 多少の嫌悪感はあるが、残骸の観察。


 こいつはどんな敵なのか。自分はなんで負けたのか。どうして助かったのか。


 他の異形の蜘蛛が来るかもしれない中、次のには勝てるようにしたい。


 そうでなければ、守れない。


 牙を見れば、その牙の先に毒液を出すだろう部分が見える。針の様に尖ってはいるが、先端が注射器

のように穴が開いている。レイモンドが噛まれた時に、ここから毒が注入されたのだろう。


 口の部分の奥、そこには、レイモンドの武器が刺さっていた。


「口の中は刺さるのか……」


 流石に疲れてる。


 戦いの最中、片方を落としたのは覚えている。だが、何処で落としたか覚えていない。


 口の中にあった方も、持ち手の部分に巻いてあった皮が綺麗に溶けてなくなっている。


 口の中にも消化液はあったのだろう。そして、武器は消化液には耐えたが、持ち手の部分の皮はだめだ

ったらしい。


 もうろうとする意識。


 血が足りないが、そんなことはレイモンドには解らない。つまりは貧血だ。


 大量の血で棘が作られ溶かされの繰り返し。皮膚は溶かされ再生の繰り返し。


 どんな生物であろうと、体力には限りがある。


 レイモンドは蜘蛛の消化に耐え抜き、進化だけで勝った。


 本人が知らないだけで、レイモンドの体が勝ったのだ。あらん限りの体力と血を使って。


 異形の蜘蛛に剣を刺してみる。


 刺さる。切り裂きづらくはあるが、直線的には刺さる。


 体毛は剛毛。その毛は剣の刃を邪魔し、斬りぬく事はできない。だが、刺さりはする。


 なんとなく納得。だからの、スピードか。攻撃が皮膚に当たる前に移動していれば剛毛で体がまもられ

る。だから異形の蜘蛛は早く動いていたのか。


 レイモンドにとっては倒し方さえ解ればいい。


 頭だろう場所におもいっきり剣を突き立てる。


 すでに異形の蜘蛛は死んでいた。だから、反応は無い。


 ここだろうなという場所に刺してみただけだ。


 町中に張り巡らされた、死んだ異形の蜘蛛の糸。


 それらは未だ邪魔くさく、もう片方の武器を探すレイモンドの邪魔をする。


「早く見つけて、シュリアのところに戻らないと……」


 残してきたシュリアと3人が心配だった。


 こんなのが居るんじゃ、あの場所も安全とは言い切れない。


 早く、早く、戻らないと……。


 レイモンドはよろけながら歩こうとするが、再び意識を失ってしまった。




 南の海の道。


 あらゆる災厄が訪れた道だ。


 そこに建設される巨大な壁。


 壁の建設には技術的な問題と、精神的な問題があった。


 技術的な問題は、海風と暴風。それらにまみれながら作業し、そして、異形のモノ達さえも越えられな

い壁をつくり上げるということ。


 精神的な問題は、異形のモノがいつ現れるかわからないということ。


 何人の騎士が飛びかかろうとも苦もせずなぎ払う力。


 それが何匹も現れ、建設の場に襲いかかれば、死者は数えきれないだろう。


 どちらの問題も、気を許せば死を意味する。


 その状態で士気を高める存在が、レヴィアスだった。


 王直下の上位の騎士が自ら出陣し、この現場を取り仕切る。


 軍に所属する者にとっては、最上位の司令官。兵や傭兵にとっては、憧れの存在。


 しかし、そのレヴィアスであっても、異形のモノには敵わない。


 現に、建設の最中に2匹ほどの異形のモノが現れた。


 みな資材に隠れ、怯え、様子を見た。


 異形のモノは獲物を探して徘徊する。


 そのままだったら、全員が殺されていたかもしれない。


 しかし、一番心が弱かっただろう男が、我慢の限界を超えた。


 物陰から飛び出し「いやだぁぁぁぁぁっ」という叫び声を上げながら逃げ出したのだ。


 一人が逃げ出すと、呼応するものが現れる。


 4人。それぞれ逃げ出し、そして最初に逃げた1人も含めて5人を異形のモノ達は追った。


 異形のモノからすれば、南の壁がある事自体は、村の壁や家屋が有ることとの違いは無いのだろう。


 ただ、人が、餌が、居るかもしれないと現れたのだろう。


 そして、居た。


 餌が5匹。


 逃げ出し、遠くへ走っていく。


 誰も助けようとしない。助けることは出来ない。いや、どうにも出来ない。


 今はただ、壁を作ることしか出来ない。


 騎士さえも重い甲冑を脱ぎ、剣を置き、建設に携わっていた。


 そんなかの出来事だ。


 例え鎧を着て剣を持っていても勝てたかどうか。


 未だに、普通の人々は異形のモノに勝つすべを持たない。


 ただ、道を塞ぎ、今以上に被害が広がるのを防ぐ。それで防げることを祈るだけ。


 建設を急がせ、しかし、周囲にも気を配る。


 自らも力仕事をこなしながら、レヴィアスは逃げた5人の冥福を祈っていた。


「周辺の定期監視はどうか?」


 レヴィアスが聞いたのは、力仕事をこなせないが身の軽い者たち。


「周辺には先程の2匹以外の敵影無し。また、先ほどの2匹も他の場所へと向かいました。2人が見張

っております。そしてその、この様な物を見つけたのですが、いかが致しましょうか?」


 触ることもためらったのか、鎧のカブトで砂ごとすくったと思われるソレは聖鎧。


 レヴィアスは僅かに絶句し、しかし、部下の動揺を考えて冷静な風で「そのままの状態で私のテントへ。

漂流物は王室付きの研究者に渡す。絶対に触らず、保管せよ」と答えた。


 聖鎧とは答えない。


 聖鎧は勇者の鎧。しかし、それは人を喰らい、適合者でなければ使うことは出来ない。


 適合者であるかどうかも、命を賭して確かめるしかない。


 命を賭す必要があることを教えずに、ただ聖鎧と答えれば、幾人もの若者たちが勇者たらんと試すだろ

う。そうすれば何人もの命を見殺しにすることになる。


 適合者であった老兵は消え、聖鎧だけが残った。


 跋扈していた異形のモノ達を数限りなく屠り、この建設が出来るまでに減らしてくれた。


 騎士として、畏敬の念を持って聖鎧に消えた騎士達と、老兵に心のなかで敬礼した。


「さっきの2匹は、こちらには向かっていないのだな?」


 再度聞く。兵の一人が答える。


「こちらに向かうことがあれば、報告に来ることになっております」


 レヴィアスは建設を急がせた。


 急がせたが、丁寧に、そして頑強に作れとも命じた。


 異形のモノが爪を立てようが壊れない壁を作るのだ、と。


 何度敵が来ただろうか。


 その度に隠れ、やり過ごし、隠れきれなかった者を見殺しにした。


 何度壁は崩れただろうか。


 海からの強い波に土台を破壊され、壁を作る前に置いた土嚢は流れ去った。


 強い風に高く積んだ材料は吹き飛ばされ、穴蔵の様な場所で少しでも風の弱い日を待つしか無かった

時もある。


 しかし、それは完成を見た。


 壁と言うにはおかしいかもしれない。


 海風に耐え、波を弾くために最終的に作られた形は、円柱形の塔であった。


 巨大な塔。


 それが、道と人の世界を隔絶する。


 道の端に作られた塔は、道を塞ぎ、そして、人の世界を守る。


 道以上の大きさの直径は、道をしっかり防ぐためのもの。


 角を作らなかった理由は、風や波を受けての強度の分散だ。


 塔の人間の世界側には、岩を積み上げた壁。


 海側の部分は武器で削られ、鏡のように磨かれている。


 これも爪で登れないようにという工夫。


 援軍は僅かだった。


 領主が数人、軍勢を連れては来たが大して役には立たなかった。


 誰もが海に怯え、暴風に耐えかねた。


 レヴィアスの指揮がなければ、完成はなかっただろう。


 そして、まるで前線に置かれた要塞の様に、周囲も岩が積み上げられた。


 既に上陸している異形のモノに対抗するため。


 ここで守りを果たすなら、あらたなる襲来にも備えねばならない。


 その時誰も居なければ、誰も知らないままだろう。


 いつの間にか塔は崩され、また異形のモノが人々を殺すかもしれない。


 レヴィアスは騎士として、前線で戦う決意をしていた。


 ここを死守する、と。


「王へ伝達を。――壁は作られた、と」



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