第16話 表と裏
異形の蜘蛛は、入念に糸を張り巡らしていた。
糸の一本一本が、人の視認できる細さを超えている。
超えているのは、太いということではなく、細いということ。
異常なまでに細く、しかし、強い。そして、鋭い。
それらが蜘蛛が最初に村を襲った時、人々を捕らえた。
糸のどこにそれがあるのか、強力な粘性が人々に付着し、そして、捕らえた。
僅かな時間に、異常な速度で動く異形の蜘蛛が走り抜けた場所には糸が張られ、それらに触れた人たちが次々に捕獲され、捕食される。隠れた者たちはわけも わからず、どこかに避難したかもしれない。もしかすると、人知れず周りから人が減っていき、異変に気づいた時には終わりの時だったのかもしれない。
蟻の様な異形のモノと違い、見えない恐怖。
異形の蜘蛛は巨大だった。しかし、その姿は速度故に視認されない。
群れをなして人を襲う蟻型の異形のモノと違い、単体で縄張りを確保するタイプなのか、巣の糸は村の隅々まで届いている。
巣の中心では、糸の振動を待つ異形の蜘蛛。
僅かな振動でも、ソレが何か解る程の知覚。
動かない。
村の住人は何処へ行ったのかと、誰もが危険を知らずに足を踏み入れるだろう。
知らずに足を踏み入れ、そして、糸に触れて異形の蜘蛛に音もなく襲われる。
他の異形のモノが居ないのも、これが居るせいかもしれない。
そして、今まで異形のモノを倒してきたレイモンドでさえも噛まれ、喰われた。
飲み込まれれば、消化されて異形の蜘蛛の栄養にされてしまう。
静けさに襲われている村。
静寂に抑圧されている村。
村そのものが、巨大な罠と化している。
シュリアは遠くから眺め、そして、去った。
助けた3人は閉ざされた町の前まで案内しただけで別れた。
レイモンドに見せたのとは全く違う、冷淡な対応だ。
助かった理由、襲われずに生き残った理由さえも聞いてもいない。
いちおう町まで案内はしたが、それだけだった。
その後、レイモンドの後を追うも、急ぎもしなかった。
信用していたというよりも、結果を見に行っただけ。そんな風だった。
「あの武器、回収出来るかなぁ」
のんびりとした言い回しだが、レイモンドを心配する言葉はない。
村に近づこうにも、身を隠して入れそうな場所は山林側のみ。そして、岩場側からは丸見えだ。だからレイモンドは山林側から入った。
シュリアは岩場の上から、様子を伺う。
目も良いのか、糸が見えるのか、蜘蛛の糸に触れること無く動きまわり、様子を探る。
「難しそうですねぇ」
僅かな言葉が作る空気の振動にも糸が揺れる。しかし、異形の蜘蛛はまだ餌とは思わないらしく動きはない。それを知ってか知らずか、村の様子を外周から見て回る。
異形の蜘蛛がどこにいるのかも、シュリアにはわかるのだろうか。
淡白な表情で村を見下ろすシュリアの視線は何処か定まらず、何かを探しているかのようにも見える。
武器の回収。シュリアはそう言った。溶けずに排出されるのであれば、待っているのはそれであろうか。だが、村のどこかに武器が落ちていたとしても、どうやって回収するのか。
少なくとも、レイモンドを探しているようではない。
のんびりと構えてる風に見えるが、周りの気配の動きには鋭い。
異形のモノや異形の蜘蛛が居る場所ではあるが、少しは野生動物もいる。それらが動く気配も全て把握しているようだ。そして、その手はすぐに武器に届く位置にある。
レイモンドと居た時の穏やかな印象はどこかへ。
「暫く様子を見ましょうか……。さようなら、レイモンドさん」
そしてシュリアは山林の中に消えていった。
新たなる軍旗を翻し、反乱軍は王都を制圧していた。
民衆ばかりしか居ない、無血開城だ。
王さえも北の城へ逃げ、残された民衆は自分たちの行く末を考えて怯えていた。
北から南へ向かう行軍は王都で物資を補給しただけで通過し、王都を守ろうともしない。
どの行軍もそうだ。
領主たちの行軍が近くを通った時も、王都の民衆は守りを期待した。しかし、まるで略奪のように食料や物資を奪い、そして、南へと消えていった。
王都に駐留する戦える人たち。自分たちを守ってくれそうな人たち。
それが王軍であろうと、反乱軍であろうと、民衆には関係がない。
ただ、牙も爪もない民衆が望むのは、自らの命。
それを守ってくれるのが誰であろうと、頼るしか無かった。
「王都は我らが手にあり! 北の城で王を討ち名を上げろ!」
王都を取り戻されては元も子もない。だから、ある程度の軍勢を残し、僅かな護衛に守られた王を追う者の志願を募る。
王軍との戦闘で疲れきった者達も、王都での歓迎で安らぐ。
戦える者たちが、戦えるようにもてなす。力なき民衆が出来ること。
全てを剥ぎ取られ命を晒していた民衆たちは、今、反乱軍という剣と盾を得た。
確かに反乱軍に対して好意を抱かない者もいる。しかし、それでも自分達を守ってくれるかもしれない存在は重要だった。
対して王軍は敗走。
しかし、その数は激減していた。
負けたからではない。負けを認め後退や撤退をした者は僅かだ。ほとんどの敗残の兵が反乱軍に寝返ったのだ。
お互いが戦っている中でも、立場が様々に変わる。
命のやり取りをしている最中、味方から攻撃を受けることもあり、敵の脅威におののくこともあり、忠誠心の薄い者達にとっては「勝ち戦」で有りたいと思ったのだろう。だからこそ、勝てる側に付く。
領土同士の戦い、また、自らが守る何かがある戦いならば揺るがない。しかし、今は国自体が揺るがされている。そんな中、その他扱いされる様な兵や、カネ目当ての傭兵がどちらに付くか等は考えるに容易い。
王都に久しぶりの賑わい。
人は今までも居た。しかし、騒ぐことはなかった。
騒げば異形のモノに察知される。
察知されれば、襲われ、殺される。
そういう恐怖が人々に静寂を押し付けていた。
だが今は、戦ってくれる兵が居る。
異形のモノに勝てるかどうかではなく、戦う人達がいる。
弱くても武器があれば、わずかでも可能性を感じるのと同じ。
だから今、王都は賑わい、沸き立っていた。
僅かな希望を得た民衆と、王都を得た反乱軍によって。
「死にましたか?」
シュリアの元を訪れたのは、元いた村の者だった。
表情を変えず「そうみたいですね」と答えるシュリア。
まるで自分と関係の無いことのように、あっさりとしたものだ。
「見たことの無い大蜘蛛です。彼も勝てませんでした。あの村は要注意ですね」
高台の丘から遠くに見える岩場と山林の隙間。
山林の木々に阻まれ村があることは視認出来ない。
村の者が「回収は?」と聞くと「無理」とだけ答える。
視線は村のある方向。
「もったいない事をしたかも知れませんな」
レイモンドの事か、それとも、武器の事か。
シュリアは視線を外さずに「そうね」とだけ言い、そして、なにもないのに避けるしぐさ。
村の者は不思議そうに見ている。
「糸、飛ばしてきたわよ。こっちに気づいてるみたい」
視認できない風に乗せて飛ばされた糸。そして、それを余裕で避けるシュリア。
その糸に触れればどうなっていたのだろうかと、村の者は血の気が引いた。
そして、その糸を避けられる認識と技量を持ったシュリア。
見たことのない大蜘蛛。そう言った。しかし、シュリアはレイモンドと異形の蜘蛛との戦いを見るだけで、蜘蛛の糸を避けた。
「それでは、報告に戻ります」
レイモンドとの会話の時は「はーい」だったのが「ええ」と対応まで違う。
村の者は馬で走り去った。シュリアもまた村の者が去った時には、その場にもう居なかった。
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