第8話 すれ違い

 領主代行を任されたジグルは、頭を抱えていた。


 洞窟の中では悲痛な泣き声と呻き。


 しかし、苦悩の言葉もあった。ジグルだ。


 出口はわかる限り一つしか無い。


 レイモンドかガインが知らせてでもくれなければ、外が安全かどうかわからない。


 安全でない場合、外に出たら終わりだ。


 二人の先導により洞窟に逃げたものは多い。しかし、持ち込めた食料はわずかだ。


 もともと食料庫としても使っていた部分はある。しかし、それも人数に対しては少ない。


 いざとなれば、誰かを人柱にするしか無い。


 安全を確認できれば戻っても良い。だが、危険に出会い、逃げ戻ったとしたらどうする。


 異形のモノをわざわざ招き入れることになる。


 そうなれば、誰も生き残れないだろう。


 入口はまだ異形のモノには見つかっていないだろう。


 二人が上手くやってくれてただろうこそ、まだ無事でいられる。


 それでも、食べ物がなくなり、寒さで凍えていくのは辛い。


 ここでは火を炊くことも出来ない。


 煙が流れ出れば、異形のモノに気づかれるだろう。


 それ以前に、洞窟の中の煙が蔓延すれば、中に居られなくなる。


 誰もが自分の保身を気にかけている。


 偵察に行ってくれと頼んでも誰も立ち上がらないだろう。


 もとより、異形のモノと対峙する勇気がない、体力がない、知恵がないものが逃げ込んだのだ。


 老人と子供ばかり。戦える様な者は僅かだが、家族を守るために逃げる事を選んだ。


 入口まで行くことさえ、怖さを感じる。


 扉を開くことで、中に人が居ることが解ったらどうなるだろう。


 だから、行けない。そして、行かせてもらえない。


 誰も行かない。


 みんな考えてはいるのだろう。だが、口には出せない。


 少しでも危険の可能性があれば、それを拭い去りたいのだ。


 食料が尽きる前にはなんとかなるという楽天的な者もいる。


 食料の保管には、入口から少し入った拾い場所が選ばれた。


 そこまでは行ける。


 怯えながらも食料を取りに行き、無事に戻っている。


 だが、怖い。もし、異形のモノが高度な知恵を持っていたとしたら。


 一人が食糧をとりに行くのを見とめ、それを陰ながら追い、全員がいる場所を確認しているとしたら。


 そんな不安が常にある。


 入口の扉に近づくのさえ、とびきりの勇気が必要。その勇気を絞り出したとしても、みんなに説明しなければ、説得しなければならない。


 1日、2日と過ぎ、誰もが不安に身悶える。


 ジグルはそんな中、一番不安と焦燥に駆られていた。


 代行を仰せつかった自分が、一番何もできていない。


 そんな中、誰ともなく「他に出入り口はないのか」と。


 枝分かれした道を全て探索したわけではない。


 権利者のガインでさえ、全てを知っていたわけではない。


 もしかすると、他の出入り口があるかもしれない。


 何処か他に通じる場所があるかもしれない。


 ガインは地底湖の水が綺麗過ぎる事を言っていた。だから、どこか水脈とつながっていて、そして流れ出ているのではないかと。


 この世界の海も、塩分を含んでいる。しかし、地底湖にには塩分はない。つまり、海とつながっていたとしても、地底湖からの一方通行だ。


 岩の隙間から染みだした地下水が、また滲みでて抜けていっている可能性もある。


 しかし、どこかに通じているのかもしれないと言っていた。


 だが、今いる人々に潜れとは言えない。


 水温は低い。この世界には無い言葉だが、低体温症になるだろう。凍え、死期が早まるだけと。


 だから、枝分かれした道をたぐるほうが、まだ可能性はある。


 だがもし、出たところが異形のモノ達のまっただ中だったら?


 そんな意見も出る。誰もが考え、口にしなかった言葉だ。


「いいか。もしここが見つかれば逃げなきゃ殺される。次に避難する場所を探すだけでも良い。とにかく枝分かれした先を確認するんだ」


 なるべく説得力を持たせたいが、この状況ではこの程度が限界だ。


 脅し文句を入れて、なんとか動けるものを動かす。


 領主代行という肩書もあり、みんなは命令に従う。


 洞窟の探索で疲弊することも、体力を奪われ食料が早く減るだろうことも言わない。


 まずは逃げ道があるかを知らないといけない。


 灯りは壁ごと削りとった苔。


 終わりの見えない、いや、先の見えない探索が始まった。


 既に地上では聖鎧が異形のモノを駆逐し、行軍も来ている。


 だが、行軍も洞窟の事を知らない。


 洞窟にいる人々も、地上の事を知らない。


 洞窟に避難している事を知らせられるレイモンドとガインは死んだ。


 町で暮らしていた騎士であれば、洞窟のことは知っているだろう。


 だが、逃げ込めたかどうかはわからない。


 異形のモノが巣食ったかもしれない。


 そんな所を開いてしまえば、異形のモノの餌食になるのは自分たちだ。


 騎士は自らの自尊心が傷つくのを恐れたのか、それとも行軍の安全を考えてか、洞窟の事を口にしない。


 自分が居た町であることを口にしない。


 他の騎士は知っているが、口に出さず、ただ行軍に従う。


 恐らくは最後まで口にしないだろう。


 つまらない自尊心の方が、民衆の命より大事に思える者もいる。


 だが、言ったところで救助に向かうだろうか。


 南に壁を建設するために人員は欲しい。しかし、避難している者がいるかどうかさえわからず、しかも、異形のモノが居れば壊滅だ。


 避難したとしても、追いつかれていれば民衆も既に全滅しているはず。


 南の町に居た事の有る騎士達はみな、洞窟の事を知っていた。


 そこに避難するかもしれないことを知っていた。


 だが、誰一人、口にだすものは居なかった。




 レイモンド・アスレイ。


 貴族の様な響きではあるが、農夫の息子である。


 ただし、孤児だ。


 幼いころに見つけられ、里親に引き取られた。


 見つけられ、というのも南西の海岸付近で見つかった稀な存在。


 恐らくは何か理由があって海に出ようとした家族でもいたのだろうと言われた。


 赤子を入れるにしては頑丈な籠に入れられており、それゆえ、海の荒さに耐えたのだろうと。


 海は常に荒れ、海の上の空も荒れている。


 しかし、海の幸は僅かながらある。


 それは漂流物だ。


 流れ着くものは、ほとんどがゴミだ。粉々になっていたり、切れ端であったりと、まともなものはない。


 しかし、異世界の物は高値が付く。


 ある程度原型が解れば、それこそ凄まじい金額で取引される。


 原理や用途がわからずとも、珍しい物に金を出す道楽者は、どこにでもいる。


 常に荒れ、渡れない海。しかし、漂流物が他の世界が有ることを知らせる。


 しかし、この世界の王としては、それは禁制品だ。


 自らが世界全ての王として君臨しているのだと。


 この世界が全てだと民衆に言い聞かせ、そして、支配する。


 そうやって、王族は常に王としての地位を守ってきた。


 だから、他の世界から赤子が流れ着くとは考えられない。あってはならない。


 赤子は何らかの理由で海に出ようとした者達の残滓。そうに違いないとされた。


 そして、赤子は処分された。


 されたはずだった。


 異世界の人間かもしれない。人間の形をした違うモノかもしれない。そういったモノを残すわけには行かない。そういう判断が行われた。


 だが、姿形はどう見ても赤子。


 殺すには忍びない。海に戻し流せば、確実に死ぬだろう。


 処分はアスレイという姓を持つ騎士に任された。


 騎士は赤子を処分したと報告し、その上で、人の形をした別のものであっても、赤子を処分した自分が許せないと騎士の地位を返上した。


 そして、妻と共に西の町から南の町へと移住した。


 騎士の地位を返上した自分が西の町にいては、他の騎士に申し訳ないという理由だ。


 西の町から南の町までは多くの村が点在する。


 その村々で日々の糧を得て、居場所を求め、子を成し、南の村に腰を据えた。


 アスレイは妻と二人で旅をしていたはずだった。しかし、幾許もなく子連れになっていた。


 元気な男の子が母親に甘える姿は微笑ましい。


 父親にしかられ、しかし、いたずら心を抑えられずにはしゃぐ姿は普通の男の子だ。


 南の町に腰を据えた後も、騎士であった事は隠し農夫として居着いた。


 学識があるため、町でも重宝された。


 親はそうでも、レイモンドはと言えば物覚えが悪く、力作業が得意な方だった。


 親子なのにねぇ。とよく言われた。


 レイモンドにとっては、それが不服だった。


 自分も頭が良いはずなんだと。


 父親は騎士として訓練を積んでいたこともあり、屈強な体をしていた。


 しかし、数年前から病を患い、やせ細っていた。


 家計を助ける為にレイモンドは畑仕事に精を出した。


 遊びたい年頃なのに、との両親の心配ををレイモンドの笑顔が吹き飛ばす。


 レイモンドにとってなにより大切なもの。


 それは両親の笑顔。そして、妹の笑顔。


 なにより守りたいもの。家族。


 妹の一言が響く。


「リリはお兄ちゃんを信じてる」


 げほぉっと一気に吐き出した。喉の奥にまで入りこみ、肺にまで流れ込んでいた物を。


 視界がぼやけている。


「俺、どうしてたっけ……」


 死んでいたはず。


 息絶え、油と異形のモノの体液に水没し、長い時間沈んでいたはずのレイモンドは起き上がった。


「……あ、あれ……? えっと……俺、なんで生きてる……?」


 無造作に立ち上がり見回すと、壮絶な光景。


 異形のモノ達の残骸、そして、油と体液で妙な色に染まる大地。


 自分の倒れていた所を見て、吐き気を催す。


「あの時、腰を……あれ? 怪我がない……?」


 腰の辺りをさぐっても、腰に巻いていた鞘を固定するベルトとその周りの衣服がなくなっている。


 もの凄い痛み。あれは絶対にえぐられたと思った。


 焚き火に手を伸ばした瞬間に、上から叩き潰された。


 そこまでは覚えているが、その後が思い出せない。


 なにがあったのだろうか。


「なんだこれ」


 えぐられたであろう場所の皮膚が、角質化していた。


 妙に硬い。かさぶたにしても妙だ。


 変にそこだけ熱い。


 ぐらりと倒れそうになるのを、なんとか踏ん張る。


 足がおぼつかない。


 力が入らない。


 よろよろと町を見下ろせる場所へと向かう。


 今の自分には何も出来ないと解っていても、確認せずにはいられなかった。


 異形のモノの残骸。


 王の軍隊が駆けつけてくれたのだろうか。


 精鋭たちが、異形のモノを退治してくれたのだろうか。


 そうだと良いなと思いながら、丘へ向かう。


 足を引きずり、なんとか丘の頂上へ。


 丘から、町が見えた。


 行軍が見えた。


 町から南へと向かう行軍。


 行軍は既に町を越え、南へと進んでいる。


 どこにも異形のモノの姿はない。


「やった……やった……援軍だぁぁぁっ!!!」


 レイモンドはその場にへたり込んだ。


 

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