第7話 勇気の代償
行軍が南の町にたどり着いた。
調査団の報告は受けた。
異様なまでの聖鎧の強さ、速さ、そして、残虐さ。
聖鎧は南の町を抜け、海岸部まで到達しているという。
南の町は既に安全圏。
聖鎧が取りこぼした異形のモノは、囮役を引き受けた足に自信があるものが、聖鎧の進む方向へとおびき出した。
全ての異形のモノが排除できたわけでない。しかし、安全で有ることは確かめられたと報告された。
報告に、行軍は浮き足立っていた。しかし、同時に奇妙だとも感じていた。
南の果てで調査団と遭遇した異形のモノ。
その強さ、残虐さ、そして数。
それらを聞いたから、人間たちは王都さえ捨てて北へと逃げたのだ。
しかし、南の町での被害は軽いとも思える。
人と人のの争いでは家屋は壊され、金品は略奪される。だが、ここでは人が居なくなっているだけ。
目的は人間。だから、町の建物自体は無事なのだろう。それゆえ、被害が軽く見える部分もある。
だが、人が殺されたにしては、それらを感じない。
南の町に入った時の戦いの傷跡。
恐らくは異形のモノ達が振るったであろう爪あとが、そこかしこに残っている。
傷跡は壁に、地面にと残っているが、戦場特有の血の匂いがしない。
人が死ねば、血を吹き、肉が残る。だが、奴らは肉を喰らう。
全てを喰らい尽くしたとしても、その欠片は残り、腐るだろう。
腐臭はするはずだ。そして、血の匂いは町中にこびりついているはずだ。
しかし、それがない。
平和な人間世界の騎士といえど、その程度の勘は働く。
ここで誰かが足止めしたのだと。
いったいどうやって?
どんな方法で挑み、足止めしたのか?
どんな風に戦えば、足止め出来たのか?
この町から撤退したという騎士も居るが、その騎士さえも不思議そうにしている。
方法は、誰かが考えたのだろう。
人々が救われたのなら、なによりだ。いや、救われたのだろうか。
その場で喰われたとは限らない。異形のモノがどれほどの知恵を持つかわからないのだ。
民衆が捉えら得られている可能性もある。
調査団は聖鎧を追う一方で、民衆の現在を把握しようと動いている。
どうして異形のモノが、ここで足止めされたのかも調べるらしい。
報告は北の城の王へとなるだろう。だが、前線であるこの行軍にも知らせを貰えると聞いた。
だからでもある。聖鎧は、異形のモノを撃退したとわかる。
民衆が逃げ延びたと思える。
町の外では、別の匂いが、別の物の残骸が転がっている。
それらが民衆が捕まっている事を、わずかに否定している。
捕まえ、どこかに留め置くのであれば、あれほどの数は転がっていないだろう、と。
町に入る前に躊躇したのは、それのせいだ。
これが異形のモノか。
幾つもの肉塊に散らばったソレは、原型をとどめているものは少ない。
だが、原型をとどめているものを調べるのにも躊躇する。
もしまだ息があれば。
そう考えると、調べようとした途端に襲われるかもしれないという怯えが湧き出す。
行軍が近づくのを待って、一気に襲ってくるかもしれない。
聖鎧が、こいつらを倒したのだ。
だから大丈夫なはずだ。
根拠の無い信頼を頼りに、一人が肉塊に手を伸ばす。
硬い甲羅の表面はぬめりとした体液に覆われ、それは異形のモノの全身を包んでいる。
継ぎ目の部分にあたる関節らしく場所は、幾つもの腱が固まっており、ナイフで切って見ようとしても跳ね返される。
腱の目に合わせてナイフをねじ込み、こねくり回して中を見ようとすると、死後硬直か、それとも腱を動かした反応か、異形のモノの体がピクリと動いた。
声を上げて飛び退くと、周りの全員に緊張が走る。
杞憂とわかるも、やはり怖い。
たとえ瀕死であろうとも、一匹でも残っていれば隊列は全滅するだろう。
伝え聞いた異形のモノの力ならば、人間の隊列など一捻りだ。
油断は命取りになる。安全であることを確かめつつ進まねばならない。
高位の騎士は、それゆえ、聖鎧の恐ろしさも感じる。
牙をむく相手がいなくなれば、異形のモノがいなくなれば、聖鎧の牙の行く先はどこか。
殆どの者は、隊列が牛歩である理由を異形のモノへの警戒であると理解している。しかし実際のところは、聖鎧にたいする警戒でも有る。
この隊列自体も無駄かもしれない。
異形のモノが絶え間なく押し寄せてきているのであれば、聖鎧は倒れるまで戦い続けるだろう。
それは、道の敵へも及ぶかもしれない。そうであれば、聖鎧の背後に壁を建てられる。しかし、聖鎧が内陸で戦い続けていたら、近くに現れた動く人間たちはどうだろうか。敵とみなすかどうか。
また、敵に勝ち続けるとも限らない。
聖鎧が倒されていたら、その後の脅威は避ける方法はない。逃げ惑う隊列の者たちが容易に想像出来る。
油断は無い。だが、油断していないとしても、襲われたら終わりだ。
自らの律して、恐怖を退けながら行軍は進む。
誰も気づかない。
異形のモノ達の残骸の中で、一人の少年が五体満足な状態で死んでいることに。
油と体液で泥になった土に埋もれ、少年が息絶えている事に。
その少年が、異形のモノ達の侵攻を阻んだ事に。
行軍が進む場所は、地面が硬い場所。
それゆえ、少年の遺骸はそのままだった。
もし誰かが気づいたとしても近寄らないだろう。
異形のモノの残骸の中に埋もれる人間。
下手に近づき、異形のモノが一匹でも動けばと思えば怖さが勝る。
キョロキョロと物珍しいと見回す有志達もいるが、それでもやはり気づきはしない。
泥に沈んでいるということも有る。五体満足であることは驚くべきことだ。それは、異形のモノ達に喰われていないということ。だが、沈んでいる事で、それは見えない。
有志は有志だ。行軍に参加したのは義勇の為だけではないだろう。騎士が死に、兵士が死に、その武器や防具が捨て置かれれば、拾って金に替える者もいる。騎士となれば装飾品もあるだろう。
行軍している間は律儀におとなしくしているが、いざとなればわからない。
そういった者は、例え異形のモノの体の一部でさえも、売り物と考える。
金になりそうなものはないか。そういう視点で周りを見回す。
そういう輩でも、やはり気づきはしない。
貧相な鉄板の軽鎧は兵士達の鎧に及ばず、剣においては折れて、何処に行ったかわからない。
意識を刈り取られるほどの痛みを感じる攻撃を受け、そして泥につっぷした少年。
最後に手を伸ばしたのは焚き火。その焚き火も既に消えている。
聖鎧と異形のモノとの戦いで、その焚き火の痕跡も踏みにじられていた。
既に何か有ったであろう程度にしかわからない。
行軍は今現在の最大の功労者であろう少年の遺体には、全く気づくことはなかった。
「お兄ちゃん……大丈夫かな……?」
少女のつぶやきが、岩肌に僅かに木霊し、闇に消えていく。
まっ暗な洞窟。
差し込む光も、ここまでは届かない。
洞窟の最深部にあたり、地底湖のほとり。
地下水の冷気が、空気さえ冷やしている。
入口からはどのくらい離れているだろうか。
入口は人が立って入れる大きさ。だが、途中で広いところもあれば、這いずってなんとか通れる場所もあった。幾つかの分かれ道もあり、ともすれば迷宮とも言えるような洞窟。
町の人間にとって、この洞窟は使い慣れた場所であった。
途中までは普通に入れることもあり、食料の保管等にも使われていたのだ。
だが、枝分かれした後の最深部へは、あまり人は訪れない。
別に怪物が現れるわけではない。危険な生物といえば、蛇や蜘蛛くらいだろう。それでも、気をつけていれば大丈夫な程度の毒だ。それらは稀に入口付近にも出没するため、対する対処法も民衆は熟知していた。
そんな最深部の地底湖のほとりに、数十人という人間がいる。
この洞窟に逃げた民衆は、皆ここに集まっていた。
枝分かれした先はいくつもあれど、何処がどうなっているか全てがわかっているわけではない。
行き止まりもあれば、地上につながっている場所もあるかもしれない。
何人もの人たちが洞窟を調べた。そして、この地底湖は発見された。
地底湖には特徴がある。
この地底湖の水は飲用にも利用できるほど綺麗だ。
そして、その周りに咲く光を必要としない苔の花。
自らが僅かな光を放ち、地底の湖畔に咲くゆえに妖精の花とも呼ばれている。
それが妙薬として珍重されているのだ。
だから、ここまでの道のりに不安はなかった。
異形のモノが入口を見つけ無いように、最後に天の岩戸のように入口を閉めた。
入口の扉は既に作ってあった。
町の名産ともなりうる妙薬の原料がある場所を、山賊等に巣食われてはかなわない。また、他の町や村の者が入って見つかれば、権利争いで戦いが起こるだろう。だから、危険だからという理由で入口に鍵をかけたのだ。
利権を秘匿し守るための扉と鍵が、自分たちの命を守る為に使われるとは考えていなかった。
「お父さん、お兄ちゃん大丈夫だよね?」
泣き出しそうな顔で見上げる顔に、父親は困っていた。
「レイは強い子だ。大丈夫。きっと大丈夫だよ」
レイモンド・アスレイ。少年の名だ。聖鎧が到着するまで、みんなを守った少年の名前。
恐らくはダメだろう。そう思いながらも、大丈夫と言わねばならない苦しさ。
いつでも笑顔で、何があろうと諦めない少年だった。
異形のモノ達が迫り来る。
民衆は怯え、戸惑い、混乱し、暴動が起きた。
みんな、どうすればいいかわからずに、ただ逃げ惑った。
家の屋根に登る者もいれば、酒蔵に閉じこもる者も居た。
道端で天を仰ぎ、泣き叫ぶものも居た。
そんな中、レイモンドと髭面の男、ガインが洞窟へ逃げろと叫んだのだ。
遠くで見ても、異形のモノの体の大きさはわかった。
あれなら、洞窟の奥へは入れない。
洞窟の中で王の軍勢を待てば、助かるかもしれない。
そんな意図があったかどうか、レイモンドとガインは町中に声をかけた。
ふたりとも、ただの農夫だ。ただ、ガインは一応は町で発言力があった。
今民衆が隠れている洞窟は、ガインが見つけ、探索し、妙薬を見つけたのだ。
もちろん、レイモンドは小柄で冒険心もあり、ガインが見つけた洞窟探検に同行した。
もともと発言力があったのに、その功績だ。
町が農作物以外で潤ったのは、二人の功績と言っても良い。
町では洞窟はガインの洞窟とまで言われ、領主からも一目置かれる存在であった。
そして、責任感も人一倍の男であった。
多少いい加減な部分もあるが、それが、周りにとっては気安さになっていた。
頼りになる男。
だからこそ、レイモンドと共に町に残り、囮を引き受けたのだ。
洞窟に詳しい者は他にもいる。俺なら大丈夫だ。
その根拠の無い自信で他の者をおしのけ、ガインは囮役になった。
レイモンドにだけ任せるわけには行かない。そういう気概もあっただろう。
みんなが止めるなか、レイモンドとガインは避難が始まったのを横目に、自警団の小屋へ向かった。
「だいじょうぶ。きっと大丈夫」
父親が少女の頭をなでる。
無事に帰ってきてねと言葉をかけた時、兄は優しく微笑んで頭をなでてくれた。
それを思い出し、涙ぐむ。
少女さえも、兄が死地に赴いたことを解っていた。
命がけで囮を引き受けた事を知っていた。
だが、分かりたくない。
なんで兄が、なんで。なんで。なんで。
母親も少女を抱きしめる。
少女の泣き声で悲壮感を綴られたか、自分たちの未来を悲観する者たちが泣き始める。
「静かにしろ」
異形のモノに気取られたくないと感じた誰かが叱責する。
しかし、泣き声は止むことはない。
薄ぼんやりとした光りに包まれ、地底湖の冷気を感じながら、数十人は身を寄せあっていた。
「お兄ちゃん……お兄ちゃん……」
少女の言葉だけが妙に響く。
他の声は、いや、声ではない。うめき声、泣き声。そういった声だ。
「リリはお兄ちゃんを信じてるよね?」
少女は、うんとだけ答える。
母親は頭をなで、「お兄ちゃんはきっと大丈夫」と言った。
ダメだと思っていてもなお、言わねばならない言葉だった。
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