第6話 流転

 聖鎧を纏った老兵は無敵の強さを誇った。


 偵察の者たちが恐れ、近づけないほどに。


 早馬で追っても追跡出来ず、やっとのことで聖鎧らしき戦跡についてみれば惨状。


 異形のモノたちの遺骸が、そこかしこに散らばっている。


 遠くではまだ戦いが続いており、異形のモノ達が聖鎧に蹂躙されていた。


 偵察という任務でありながらも、ともすればともに戦えると思っていた。


 状況を観察し、把握し、そして、近づいてはならないことを知る。


 聖鎧は、お伽話に出てくる竜をイメージさせた。


 人が竜になり、そして、人を守る。


 そういった伝説が新たに生まれるかもしれない。


 偵察の者たちが生きて帰れて、しかも、人間の世界が続けばの話だ。


 異形のモノ達を肉塊に変えつつ進む聖鎧は、後続からは見えない。


 聖鎧の戦いを目にできるのは、僅かな偵察隊のみ。


 後続の隊列は進んではいるものの、南の地に壁を作らねばならないのだ。


 南の地にも資材はあるだろう。だが、運べる資材は運ぶ。足りないという事はあってはならないのだ。


 騎馬隊が前衛に、食料や資材を運ぶ馬車が続き、歩兵が最後に並ぶ。


 人と人とが争うときに、隊列を組む。そういう場合は有効だろう。


 異形のモノ達の前に歯が立たない騎士達が前衛でなんの意味があるのか。


 隊列の中の食料や物資が襲われた時、歩兵が駆けつける。だが、それも異形のモノ達であれば蹂躙される。


 だがしかし、隊列は作らない訳にはいかない。


 北の城より南の海へ。


 その途中、避難している民衆が食料欲しさに襲ってくるかもしれない。混乱に乗じて、空き家になった民家で盗みを働く野党も増えているという情報もある。


 人は窮地でも団結しきれはしない。


 最後を感じた時に、己の満たされていない物を満たそうという者も多いのだ。


 恐らくは聖鎧が異形のモノ達を倒してくれているはずだ。聖鎧ならば勝てるだろうと信じきっている。だが、聖鎧が異形のモノを倒し、無人になった町や村が安全かといえば、そうではないのだ。


 心を壊された人間もまた、人間の敵になる。


 幸い、ここまで進む間に異形のモノとは遭遇していない。


 異形のモノ達の侵攻が遅いのか、それとも、聖鎧の功績か。だが、隊列の進行は遅い。異形のモノへの恐怖が漂っている。


 聖鎧が異形のモノと戦っているかどうかもわからないのだ。


 ただ、走り去っただけかもしれない。


 その後を追い、報告するための任務をおった者たちは居る。しかし、そう度々は戻っては来ない。


 そしてまだ、一度目の報告もない。


 聖鎧が異形のモノと戦っていることを信じて、聖鎧が倒されていない事を信じて進むしかないのだ。


 先頭を行く騎士達は、その事を知っている。


 後続の兵士や義勇の者たちは、聖鎧を信じ、いや、勇者を信じて進んでいる。


 一番恐怖に取り憑かれ、しかし、決定をくださねばならない先頭の足が鈍っているのだ。


 後続に悟られてはならない。


 士気の低下に繋がり、ひいては、資材や食料を持ち出し逃げ出す者もいるかもしれない。


 皆が逃げ出し僅かな人数ともなれば、聖鎧が異形のモノを撃退していても南に壁を作れない。


 みんな知らない。少年が一人で何時間も逃げ回れたことを。


 一つの町で逃げまわり続け、異形のモノを留められたことを。


 異形のモノが苦手な物を見つけたことを。


 錆びた剣でも関節の継ぎ目ならば刺さったことを。


 民衆が逃げる時間を稼げたことを。


 聖鎧がたどり着くまでの時間を稼げたことを。


 だから、歩調は変わらない。


 ゆっくりと慎重に、恐怖と向かい合いながら、隊列は南へ進んで行く。


 隊列の遅さに不満を漏らすものも出始め、また、ゆっくりではあるが休まない事に不満を漏らすものもいる。


 異形のモノ達の恐怖に直面せずに北の城へ避難した者の中には、ただ北から南への荷物運びと、その後の建築程度に考えている者もいる。


 誰もが緊張感を維持しているわけではない。


 異形のモノがいつ現れるか分からない状況ではあるが、晴天に恵まれのどかな道を進む行軍は、気を緩ませるには十分だ。


 恐怖と緊張の中では人は誰かにすがり、その言葉に従うことで安心する。しかし、安穏としたのどかな状況の中では、人は自分の欲求を優先する。ましてや、今から恐怖と緊張の極地へ行こうとするのならば、人の歩は進まない。


 結果として、気概が残っている者たちが声をかけ、離脱者を出さないようにと心がけないとならなくなる。


 もし聖鎧がただ走り去り、異形のモノ達が目前に現れたとしたら。


 聖鎧の真の姿を知る者たちに緊張の緩みはない。しかし、勇者伝説を信じ、聖鎧が起動したと聞いた有志達は違う。勇者の後を行けば安全だ。ただ進み、南に壁を作ればいい。壁を作ってる間も勇者様が守ってくださる。


 お伽話や神話と思っていた聖鎧。それがみんなの敵を倒してくれている。


 尾ひれが着き、膨らんだ勇者物語が真実であると思い込む者たちにとっては、この行軍での緊張の緩みは仕方がないことかもしれない。


 大変なのは、やはり先陣を進む者たち。


 後続がだらけるのを叱咤激励し進ませ、しかし、自分たちはもしもの時の為に前を気にしなければならない。


 調査団は未だ戻らず。


 すれ違ってしまったのかもしれないと思いつつも、それならば北の城から追って報告が来るだろう。


 聖鎧にもしものことでもあれば、それもまた、報告があるはずだ。


 騎士達は待ち続けていた。それゆえ、時間が過ぎるのを遅く感じる。


 まだかまだかと思うばかりに焦る。


 行軍は進む。しばらくすれば調査団の報告を得るだろう。そして歓喜して足を早めるだろう。


 聖鎧がただ動くものに牙を向けているだけとも知らず、我らが勇者と崇め勇んで進むだろう。


 聖鎧が動いているうちに後続がたどり着けば、その結果はどうなるか。


 高位の騎士のみが想像できる結果と、行軍に参加する殆どの者との想像とはまるで逆。


 だが、騎士は追いつかねばならないと自分に叱咤する。


 壁を作らねば、今の脅威が去っても次が来るからだ。


 苦悩は聖鎧に追いつくまで続くだろう。


 聖鎧に追いつくまでには、しかし、かなりの日数を必要とするだろう。





 南から中央にかけて、異形のモノ達は侵攻した。


 しかし、西や東の町に被害が無いわけではない。


 南の町と同じように、南の地に出来た道から現れた異形の者たちは住民たちを襲っていた。


 しかし、南の町は開かれた町。対して西と東の町は閉ざされていた。


 町の周囲に壁があり、それらが異形のモノの侵攻を妨げていた。


 元々は人々が争う際と、山賊が多く出る地域で有ることが壁の理由だ。


 人間の世界と言っても狭い。恐らくは、海を超えれば多くの世界があるのだろう。だが、ここで暮らす民衆にとっては、ここが唯一の世界。


 町から、村から、追い出された、逃げ出した者たちが山賊となり見知った相手のはずの民衆を襲う。


 日々の糧を得るために、畑を荒らす。


 最初はただの柵程度だった。しかし、それらは簡単に壊され、畑は荒らされ続ける。


 柵など何度でも作り直せる。しかし、それにも限度がある。我慢の限界を超えた民衆は、城壁のような壁を建てた。


 山賊となった者達との隔たりを本格的にしたのだ。


 幾つもの門は普段は開放されているが、夜には閉まる。


 門番は自警団。小さい町の長でさえ、領主気取りになる。


 そんななか、異形のモノが現れた。


 町の外で異形のモノと出会った者たちは、笑顔で挨拶しながら殺された。


 危険を感じた他の民衆は町に逃げ込み、騒ぎは暴動となった。


 暴動を騎士が鎮め、迎撃を指揮する。


 すぐさま門は閉鎖され、壁の上から矢を射るも、異形のモノ達には通じない。


 異形のモノは獲物を求め、森へも侵攻した。


 森へ、丘へと逃げ、逃げ場を失った山賊たちは町の門を叩く。


 決して開かないとわかっていても、一縷の望みをかけて町の門へ詰め寄る。


 しかし、山賊たちはそのまま扉の一部となった。


 異形のモノたちは、壁さえ登る。


 どうやってかは解らないが、壁に手足をかけて登ってくる。


 だが民衆にとっての幸運は、不運な山賊たちが多く居たことだった。


 わざわざ壁を登り射るかどうかもわからない餌をさがすよりも、死にものぐるいで挑んでくる餌を選んだのだ。


 壁に張り付いた異形のモノもまた、地に降り餌を貪った。


 そして、異形のモノが町の外で虐殺を行う間に、町の人間は家の窓に板を打ち付け、ドアに机を立てかけ、全ての出入り口を塞いだ。


 人間相手ならは多少は有効だろう。


 しかし、相手は異形のモノ。


 ふたつ目の幸運は、西と東に散った異形のモノ達が少なかったことだろう。


 山賊を虐殺し、食い殺した後、異形のモノ達は元来た方向へ戻っていった。


 得られる餌を得たあと、その場を後にしたかの様に。


 異形のモノは去った。


 また来るかもしれないという恐怖を町に染み込ませて。


 次に来た時には、自分たちがああなるのかという恐怖。


 それは町の中でさえ聞こえていた。


 町の外で行われる虐殺。


 山賊の悲鳴と苦悶。


 町長のとろこへの外の監視役からの報告。小さな町だ、そんなものはすぐに広がる。


 家に閉じこもって居ても響き聞こえる断末魔が、耳についてはなれない。


 人が死を間近にして泣き叫ぶ時の声。


 助けを求めてすがり、だが、助けを得られない時の絶望の怨嗟。


 町は自らを仮死とし、息を潜めて異形のモノ達が通り過ぎるのを待つ。


 明日を生きるために、今を屍として過ごす。


 地下室を持つ家はそこへ、屋根裏をもつ家はそこへ。誰もが逃げ込んで息を潜める。


 食事なんて出来ない。


 食べ物を食べて、、その食べたものの匂いに、異形のモノが気づくかもしれない。


 誰ひとりとして、危ない橋を渡らない。


 町で迎撃を指揮した騎士達もまた、息を潜めていた。


 兵士達も、自らが放った矢がめり込みもせずに弾かれた事を目にしている。


 敵いっこない。


 そう思わせる圧倒的な恐怖を、異形のモノ達はもっていた。


 異形のモノが去った後も、恐怖は続く。


 いつまた訪れるか解らないという恐怖。


 終わっていないということは、始まる可能性の恐怖が残るのだ。


 数日の静寂ののち、民衆は恐る恐る外に出た。


 乾いた血と肉塊。


 食い散らかした。そういう表現がにあう。


 だが、食い散らかされたのは人間。


 凄惨たる光景だが、民衆はこらえて森へ向かった。


 静かに伐採し、町の壁を補強する材料をこっそりと集める。


 今はこの町の近くに異形のモノは居ない。しかし、居るかもしれないという恐怖。


 まるで通夜のように静かに、材料集めと運びこみは行われた。


 そして、町は天井まで作られ、一つの閉鎖空間となった。


 誰も入れない。誰も出れない。


 閉ざされた町となった。

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