第3話 逃亡の果て

 人間の世界のほとんどが蹂躙されていた。


 まだ攻めこまれていないだけ。


 残されてる場所は、北の地。


 作物もあまり作れず、家畜を育てるにも不向きな場所。


 採れるのは僅かな種類の山菜程度。


 栄養価もほとんどない山菜程度しか育たない痩せた土地。


 過酷な土地ゆえ、用途が限られる。


 騎士や兵士の訓練所として。


 極刑に処せられた者を投獄する場所として。


 騎士や兵士は、この地で死刑囚を殺し、人を殺すことに慣れる。


 死刑囚は勝つことを許されない戦いを強いられ、戦いに見立てられた処刑をされる。


 勝つこと。生き残ることがわかっている戦い。だが、相手を殺すことは本当。


 騎士や兵士は、ここで負けることは許されない。


 相手は死刑囚であり、死刑執行が訓練の一つとなっているのだ。


 それだから、死刑執行の場所は闘技場の様になっている。


 戦いの際には観客席は騎士や兵士で埋まり、人の殺し方を学ぶ。


 最低な場所だ。


 北へ出向いた者は、人の心を失う。


 そういう言葉まで有るほど、この土地は忌み嫌われている。


 だが、それ故の強固な城がある。


 投獄されたものの一味が襲撃し、死刑囚の奪還を企てた等もあった。


 死刑囚達が徒党を組み、脱走を企てた事もあった。


 その度に城は強固になった。


 人間が内側からも、外側からも、自由に出入り出来ない城。


 それだからこそ、異形のモノ達さえも簡単には入り込めないだろう。


 王都からの避難は列を伸ばし、今や北の城は人で溢れている。


 王族を筆頭に貴族、騎士、兵士。それだけで城は満杯だ。


 領主や騎士の後を追い逃れてきた町民や農民には居場所はない。


 城のさらに山側の森に、息を潜めて隠れている。


 世界が終わろうとしている。


 人間の世界が終わろうとしている。


 異形のモノが、人間を殺し、喰う。そして、誰も居なくなる。


 そうして人間の歴史が終わるのだと。


 誰もがそう感じ、恐怖に怯える。


 北の地という寒さも相まって、自分達が崖っぷちに居るという事実におののく。


 まだこの地に異形のモノは来ていない。だが、時間の問題だろう。


 人々が通った跡をたどり、たどり着くだろう。


 もう、この地しか残されていないのだから。


 誰もが終わりを感じている。


 人々は兵士に、騎士に、領主に、王にすがろうとする。


 城門は開かない。


 城は妙な静けさに包まれている。


 人間世界の上位の者達がひしめき合うように中に居るはずなのに。


 人の気配さえも遮断するほどの強固な要塞なのか、それとも、王たちは更なる何処かへ逃げたのか。


 情報がなければ無いほど、人は不安になる。


 不安に駆られた人たちは、簡単に暴挙に走る。


 寒さに耐えるのも、いつ異形のモノが来るかも分からない状況にも限界だ。


 一人が城の裏門に走る。


 普段なら門番がいるであろう場所には誰もいない。


 橋は跳ね上げられ、深い堀が城への接近を阻む。


 だが、戦用の堀はさほど深くはない。あくまでも敵の侵攻を止め、矢を射るための堀。


 北の地では水を張れば逆に氷が出来、敵の侵攻を妨げられない。それゆえ、一般人であっても時間があれば乗り越えられる。


 一人が駆け出すと、我もわもと人が城に押しかける。


 釣り上げられた橋に塞がれた裏門。


 開かないことを知りつつも、民衆は声を上げて助けを求める。


 静けさに支配された北の城。裏門だけが民衆の声であふれる。


 ここが異形のモノに知れているかは分からない。


 ここに異形のモノが来るのかもわからない。


 だが、怖い。


 暖かい場所であればまだ違ったであろう。


 極寒の地ゆえに、人の心から余裕を奪う。


 いつしか、北の城の付近に集まった全ての民衆が、裏門へと押しかけていた。


 堀の中で転び、後続に踏みつけられて怪我をするもの、果ては、死人まで出ている。


 だが、城からは何も無い。


 まるで誰も居ないかのように、城からはなんの返答もない。


 誰も居ないのだろうか。


 誰しも頭に過ぎらせ、しかし、言葉にはしない。


 入れてくれ、助けてくれ、と懇願するだけ。


 そこはまるで地獄であった。


 地獄の様相の裏門。そして、しかし正門が静かに開き始めていた。




 日も暮れかけた黄昏時。


 町の北に位置する丘に幾つもの狼煙があがった。


 まばらにあがるそれは、僅かな煙で何かの合図でも無い。


 火をつけたのは少年。


 火を付け、すぐに身を隠せる場所へと移動した後、様子をうかがう。


 町は既に無人。


 人を、喰らうための人を探して徘徊する異形のモノが居るだけ。


 そんな時に、狼煙だ。


 異形のモノに狼煙が見えるかはわからない。だが、少年は見えるだろうと思い実行した。


 一箇所でなく、多数に分けたのには、一応だが意味がある。


 薪を集め時間を見計らったのにも意味はある。


 落とし穴にも意味がある。


 効くとは思えないし、素通りされるかもしれない。しかし、時間は稼ぎたい。


 少しでも知恵を絞り、直接戦わずに異形のモノを混乱させたい。


 混乱すれば、少しは抵抗になるだろう。


 洞窟へと逃げた人たちが心配だった。


 北の遠く離れた場所へと逃げた人たちのための時間も稼げる。


 騎士達は北へ向かった。


 その騎士達に追いつければ、僅かな望みもあるかもしれない。


 落とし穴の底と周りには油をしこんだ。


 幾つもの焚き火を作ったのは、油に足を踏み込んだ異形のモノに日が燃え移る事を期待してだ。


 焚き火自体で人が居ることを思わせ、落とし穴と油で動きを鈍らせ、ともすれば燃やす。


 異形のモノが火に耐性があるかはわからない。しかし、どんな生き物でも炎に包まれれば無事では済まないはずだ。


 来た。


 わらわらと町から異形のモノ達が迫ってくる。


 何処にそんなに居たのか、すごい数。


 わずかな数の焚き火に、どんな反応をしたのだろう。


 まっすぐに向かってくる様は、形容しがたい恐怖。


 あの群れに捕まれば、一瞬で食いつくされるだろう。


 足が震え、手にした伐採斧が滑り落ちそうになる。


 歯がガチガチと噛み合わない。


 今にも腰が抜けそうだ。


 油の沼地を軽々と越え、異形のモノ達は焚き火にたどり着いた。


 火の周りを警戒しながら囲んでいく。


 少年の位置から異形のモノ達の姿がはっきり見える。


 逃げまわっているあいだは、全容をじっくり見る機会など無かった。だが、何かに似てると思った。


 だが、あまりに大きさが違ったために、気付かなかった。


 蟻だ。


 巨大な蟻だ。


 人間よりも一回りも二回りも大きく、そして、手足は普通の蟻よりも少なく太い。


 頭が2つ有るのも居れば、3つあるのもいる。


 しかし、蟻だ。


 人間は自分より小さい昆虫だからと蟻を侮っている。しかし、普通の蟻といえど、家に巣食えば柱を食い尽くし家を壊す。地面を穴だらけにし、陥没させる。そんな蟻が、人間を捕食する大きさとなって襲いかかってきていた。


 少年は息を飲むことしか出来なかった。


 油にまみれた異形のモノに、蟻に、火が燃え移る事を祈る。


 燃えろ。


 燃え移れ。


 しかし異形のモノは安々とは火には近づかない。


 しびれを切らし打って出る事は簡単だ。しかし、死ぬ。


 自分が火に飛び込めば、何匹かは捕まえるために手を伸ばすかもしれない。しかし、油に火が映らなければ、それだけだ。


 ここは異形のモノに火が燃え移ることを祈って逃げるべきなんだろう。


 なんとか見つからない程度の距離だが、下手な行動をすればすぐに見つかってしまう。


 一体どうすれば良いのか。


 逃げる場所なんて無い。


 戦うすべもない。


 ただ、もし火を怖がるのなら、火で倒せるのならと試した。


 異形のモノは火に集まった。だが、それだけだ。


 油に飛び火する程の距離までは近づかない。


 後が――無い。



 

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