第2話 残される者
世界は幾つかの種族に分かれていた。
ともすれば異形とも思え、何もかもがお互いの常識とは違う。
世界の中で交流はほとんどなく、人間が住む世界もその一つ。
世界を隔たるものは海。
凄まじい潮流渦巻く、まるで激流のような海。
船など出せず、いや、船を浮かべることさえも出来ない。
もちろん、釣り糸等を垂れても、その激流の勢いで釣り竿ごともっていかれるだろう。
だから海で釣るという概念は無い。しかし、川は普通に魚が住み、命に水を与えていた。
空も同様だ。
暮らせる場所の空は穏やかだが、海の上にある空は違う。
まるで常に嵐のよう。
強風は時に陸地に及び、海の近くにある民家さえ吹き飛ばす。
この世界では、海は近づくだけで死を意味する場所になっている。
この世界にいくつの世界があるのだろうか。
誰も海を渡ったこともなく、誰も飛び越えたことがない。
だから、誰も世界の全容を知らない。
だから、誰も世界に他の種族が居るなんて知らない。
だが、世界には時として近しい場所もある。
常に激しい海。
しかし、大地は息づいていた。
そして、その大地の息づきは、出会いと災厄をもたらす。
遙か彼方での轟音。
海の嵐でもかき消せない轟音と、激しい海流でさえ打ち消せない振動が人間の住む世界に届いた。
まるで地面が飛び跳ねているかのような揺れ。
土壁は崩れ、石を組み上げた垣根はもろく崩れた。
恐ろしいまでの揺れは、三日三晩続き、人々は内陸へ内陸へと避難した。
人間の世界は広いとは言えない。だが、今の人口ならば十分な広さだ。
人間の世界の中央。そこは、王が住まう場所。
人々は助けを求め王のもとへと集まり、王はそれを受け入れた。
人々は自らの生まれ育った場所から、王都へと集まった。
そして地震から数ヶ月。
地震の被害を調査するために向かった騎士団からの調査が報告された。
だが、調査団自体は戻らない。
報告書を託された馬だけが戻ってきた。
託されたというよりも、馬の手綱に縛り付けられていたというのが正しいだろう。
鞍は血に染まり、馬自身も傷を負っていた。
帰ってきた馬は二頭。
一頭は王都の入口で倒れ果て、一頭は街の仲間で辿り着いた。
手綱に付けられた報告書は、報告書とは言えないものだったかもしれない。
海は割れていた。
海は割れ、空は荒れ、恐ろしき道が開かれていた。
恐ろしき道からは恐るべきモノ達が溢れ、それらはまるで飢えた獣の様な目をしている。
まさに異形と呼ぶに相応しいモノ達。
そして、異形の者との戦い。
調査団は、少ない手勢ながらも異形のモノ達を調べた。
割れた海の向こうから来ることは解った。
そして、それらは人間とは違った。
二本ではない足、二本ではない手、一つではない頭。
今までの世界には、人間と普通の動物しかいなかった。
昔から見知った動物との共存。それが普通だった。
そして人間が、その生命のピラミッドの頂点であった。
しかし、それらの異形は、今までに知っている全てと違った。
調査団の団長が意を決し、相手に対話を求めた。
言葉が通じるかわからない。
だが、話しかけてみる事は無駄ではないだろうと。
そして、笑顔で手を差し伸べた団長の頭は、まるでざくろのようにはじけ飛んだ。
異形の者が手を一振りすると、あまりにも簡単に団長の頭が飛んだ。
調査団の団員達は、何が起こったかわからなかった。
いきなりすぎた。
落ちた頭を他の異形のモノが拾うと、そのままかじった。
そして貪るように食べた。
怖気づきながらも、まだ血を吹き出す団長の体を、貪る異形のモノ。
敵だ。それも、致命的に相容れない敵だ。そう気づくまで僅かに時間がかかった。
そう、僅かな時間だ。しかし、その間に数人の団員が捕まり噛まれ、齧られ、貪られた。
逃げようとしても足がすくんだものもいた。
異形のモノは、人間を食べ物と解釈したらしい。
ひ弱で群れる、そして、群れてさえ自分たちが優位に立てる食べ物。
人間をどう思ってるかはわからない。しかし、異形のモノたちはまごうことなく敵であった。
報告書には敵の、異形のモノ達の姿は克明には記されていない。
もちろん、急ぎ書き記したであろうソレには、スケッチなどはない。
ただ、他の世界とを繋ぐ道が出来てしまい、そしてそこから、人間の世界への侵攻が始まったとだけ記されている。
王の側近たちは慌てた。
王への進言をためらったわけではない。
王はそれぞれの地域に領主をおいている。
王だけでは国民の意を汲めず、また、全てを見る事ができないためだ。
だから、領主というものが必要になる。
そして、その領主達が王の側近に頼み込んだのだ。
自らの領地の問題を自分たちで片付ける。
これは領主たちの意地であった。
意地が正しいわけではない。ただ、自分たちでなんとか出来れば、王のさらなる信頼が得られる。
つまりは権力欲しさだ。
自分が他の領主よりも優位に立つために。
問題が起きた領地の領主は、兵を募る。
自らの暮らす場所を取り返すのだ、と。
自らの暮らす場所を勝ち取るのだ、と。
異形のモノがどんなものであるのかもわからず、ただ、募られたソレは安穏と暮らしていた人間達に刺激を与えた。
自分たちの力で何かを成し遂げる。
人間と人間が戦う事はよくあることだ。
人間同士の戦いは、この世界ではよくあること。
領地の奪い合いは、王により領主に許されている。
国を揺るがすような戦いは許さない。だが、領地に関する奪い合いや話し合いなどは許されている。
一度領地を分配した王は、領主たちに領地の管理を任せていた。
そして、異形のモノ達の侵攻でも、同じように人間は徒党を組む。
髪を引っ張られないようにする程度の帽子、遠くからの矢があたっても貫通しない程度の厚手の革鎧。剣を交えても、その衝撃から手を守る程度の手袋。そして、沼地でも戦えるような靴。
その程度の軽装で馬にまたがり、異形のモノたちが上陸した村へと向かう。
異形のモノたちに取っては、それは「餌が来る」事を意味した。
剣を振っても僅かにめり込み、そして跳ね返される。
剣を突き立てても無駄。
力自慢の農夫が振り下ろすツルハシも、異形のモノに刺さることはなかった。
そして、叶わない事を察しての逃走。
意気揚々と進む後続と、逃げ帰る前線。何が起きたかわからず戦場は混乱する。
混乱は混乱を呼び、そして、そこで獲物を捕食し始める異形のモノ。
戦場は程なく血の海と化し、動いている人間はいなくなる。
そして無数の異形のモノと、咀嚼音。
僅かに生き残った人間は、他の人間の死体に埋もれて隠れ、息を殺している。
勝てない。どうやっても勝てない。
相手はまるで、息をするように人を殺していく。
死体に隠れた人さえも見つけ出し、新鮮だと言わんばかりに口にする。
誰もが怯えていた。
誰もが震えていた。
まだ生きている人間たちは、自分たちの最後の姿になるだろう光景を、何度となく目にした。
怯え、震えること。それは、つまり動いてること。
僅かな揺れに何故気づくのか、異形のモノたちは生存者を掘り起こす。
生き残っている者たちは有志だ。
軍人は最初に死んでいた。
最初に切り込み、最初に殺されていた。
後に残った者たちは、戦いの素人たちだけだ。
そんな中でどうしろというのか。
こんな時、一番生き残れる人間。それは、一番臆病な人間だ。
出陣の命令に戸惑い、全軍が進む中臆病風に吹かれて遅れ、そして、最後尾を進む。
そんな人間が最後に残る。
臆病ゆえ、逃げ足がある。
腰を抜かして逃げられないというが、ソレはあくまで立ち向かった後の話。
最初から戦場に行きたくない人間には腰を抜かしても、そこには敵は居ない。
まだ生きている馬に乗り、その臆病風で王都へと向かう。
もちろん、王都へ行って報告するわけはない。
王都への途中逃げ出すか、王都を越えて異形のモノたちから遠く離れるか。
だが、吹きすさぶ臆病風の中、わずかに残った勇気で王都への途中伝令を頼んだ。
自分はもう無理だと告げて、王都への伝言を頼んだ。
農夫ゆえ文字を習っては居ない。伝令等は書けない。
まだ異形のモノがたどり着いていない町で、兵士に伝令を頼んだのだ。
異形のモノの強さ、姿、数、そして、人を食う事実。人間は全滅した、と。
訝しむ兵士も、農夫の乗る馬を見て気づいた。
おぞましいまでの量の血が、馬の尻にこびりついている。
乗り手は異形の者にひと凪され、上半身を吹き飛ばされたのだろう。
その時の出血が馬の鞍から尻までにこびりついている。
そして、農夫の蒼白な顔と真に迫る言葉。
兵士はすぐに報告し、調査と報告の部隊が組まれる。
調査は戦わず、必ず生きて帰ること。克明に偉業のモノを調べること。悟られないこと。
報告は農夫の言葉を全ては信じることは出来ない。しかし、全滅の可能性あり、と。
追加報告は後ほどとした上での王都への報告。
早馬で飛ばしても数日は掛かる。しかし、王都からの返事が来たとしても、王都からの応援が来たとしても、この町はどうなるのか。
異形のモノが攻め込んで来ても、王の軍でさえ蹂躙されかねない。農夫の言葉を信じれば、人間の武力自体が子供がじゃれてる程度のものだ。
兵士は騎士に報告し、騎士は城主に報告する。
城を任されてる城主は領主に報告する。
そして領主は命令するだろう。戦えと。
領主が王に報告しても、戦えと命令するかもしれない。
先に向かった軍は、それなりに大規模だった。
僅かな先遣隊が蹂躙されたのだ。その後大規模な軍勢を送れば、人間同士の戦いなら怯む。
軍勢の多さで、勝敗を測ることもあるだろう。
しかし、異形のモノがそんなことを気にするだろうか。
ただのひ弱な餌としてしか人間をみていないのなら、大規模な軍勢は敵にとっての御馳走だ。
こちらの攻撃は一つとして効かなったと聞いた。
農夫はいつも空を見て、山を見て、畑を見て、そして天気や畑の状態を見て暮らしていた。だから、目が良いらしい。その目を持つ農夫が語ったのだ。ツルハシを弾いたと。
どれだけ剣を研げば斬れるのか、どれだけ力を込めれば刺せるのか、全くわからない異形のモノ達。
人間との戦いとは全く次元が違う。
兵が騎士に報告すると、騎士はお約束のように「我こそは!」と剣を掲げて民衆を盛り上げる。
そして城主も領主も逃げ出す。
あたりまえだ。
あんな敵、勝てるわけがない。
この世界にも信仰はある。
神に祈りを捧げ、異形のモノ達の排除を願う者達も居る。
狂信者達は、異形のモノに食われることこそ至福と唱え始める。自分たちは神の供物になるのだと。
信仰心のあるものたちは祈りながら食われるだろう。
狂信者達は食われてもなお、それを真実と信じるのだろうか。
異形のモノ達の侵攻は、今どの辺りなのか。
調査団は帰ってこない。
農夫は伝え忘れていたことに気づいた。
死体に隠れて息を潜めていた人さえも見つけ出し、食い散らかした異形のモノの事を。
どれだけ離れていれば安全かはわからない。しかし、近くにいれば確実に見つかるだろう。
嗅覚か、聴覚か、それとも他の感覚か、異形のモノ達は人間を見つける。
見つけて食らう。
調査団が帰ってこない理由は、それだろうか。
再び吹いた臆病風が、農夫を突き動かす。
町から逃げ出す。
簡単なことだ。何もかもかなぐり捨てて走りだせばいい。
逃げて安全なところに行きたい。
走りだした農夫は、しかし、後ろから放たれた矢で胸を穿たれた。
異形のモノ達とは反対方向へ走りだした、何も持たない農夫。
しかし、農夫は既に兵士に報告し騎士に見られていた。
反逆罪だ。
前線を離れて報告した時点で戦線離脱した罪。それはまだ、死を賭した報告のためとの解釈できる。しかし、この時点での逃亡は反逆罪とみなされた。そしてそれは、町から逃げようと考えていた者達への抑止力にもなる。
逃げることは叶わず、戦い食われる運命を受け入れろという命令。
戦っても勝てる相手ではないというのは知れ渡っている。
そして、負ければ捕虜でも奴隷でもなく、食われる。
そういう現実を目の前に、逃亡を抑止された。
こういう時に人間はムキになるか、怯えて放心するか、はたまた、現実から逃避する。
かなうわけが無いと知りながらも異形のモノに挑むもの。家の中で怯え死する時を待つ者。祭りでもするかの様に享楽に溺れる者。
全てにおいて死が待つと知りながらも、退路はない。
逃げることが許されてるのは、領主や城主といった権力者。
どうにもならない死への秒読みを待つだけ。
しかし、逃げたからと言って、逃げきれるわけではない。
人間の世界は狭い。
首都を超えた先に待つのは、幾つかの町。
城壁が有ると言っても、異形のモノを抑えられるとは思えない。
僅かな慰め程度の囲いなだけ。
異形のモノにとって、城は食べ物が収まっている箱程度に思えるかも知れない。
それでも人間は抵抗する。
出来れば助かりたい。そういった思いが積み重なった様な薄っぺらい希望。
僅かでも希望が有るなら、ソレにすがるのが人間だ。しかし、今回の襲撃には、恐らく無い。
まさに蹂躙。
異形のモノが進む先に、人は残らない。
人だった残骸の欠片が、人に流れていた血液が、わずかに残っている。
異形のモノは次々と人間の世界に上陸している。
王の間。
王の座を前に、側近や領主が整列している。
「どうにかなりませんのか?」
ため息混じりの声が、その場の空気の重さを更に加速させる。
「どうにも…」
側近の誰が言ったのか、全員が言葉を詰まらせる。
「せめて何かしら対策が出来ましたらな…」
空気の重さ。誰もが何も出来ないことを痛感している。
何かが出来るかもしれない事は知っていた。
だが、その何かをすることで、事態はいい方向へ向かうか、悪化するかは分からない。
「アレ…ですか…」
誰かが言うと同時に、他の言葉が「ダメだ」と遮る。
「あれは人を食らう。人を喰らえば、その後どうなるかわからない。神話の伝承のような眉唾ものだぞ」
人間の世界の伝承にあるアレ。
まるでパンドラの箱の様な言い草だ。
「…食らわせてみよ」
重い空気の中、口を開いたのは王であった。
「良い。食らわせよ。如何にしろ、このままでは滅びしか無い。」
ざわつく側近たち。
「食らわせねば、適合するかもどうかもわからぬ。ならば、死中に活を求めるしかあるまい」
側近たちが肯定を意味した頭を垂れる動作をする。
それ以上の会話は無い。
沈黙。
静寂。
誰もが動けず、喋れもしない。
重い沈黙は、王の意図をはかるものだろうか。王の次の言葉を待つものだろうか。
「具申お許し下さい。まずは騎士等忠誠心が高い者を選抜されては如何かと」
沈黙を破ったのは、末席に立つ領主だった。
「うむ。試せ」
王は無関心な風に応えた。
「わが領の騎士を数名選抜致しまして、試させていただきます。報告は後ほど」
末席の領主は、まるで影のように消えた。
消えた後はやはり重い静寂。
誰も言葉を発しようとしない。
いつしか、王がため息を付いた。
「新参ゆえの気概か」
軽いざわめき。
「…しかし、よろしいのですか?あれは未だに何かわかりません。もしただの化物であれば…」
「よい。どちらにしろ滅びの時だ。ならば、幕引きは自らの手によって行うのが王の勤めであろう」
王は立ち上がり、奥の間に消えていく。
側近たちや領主たちはお互いに目も合わせず、音もなく王の間を後にした。
誰もいなくなっていく王の間。
ただ、その静けさが死の予感を感じさせる様で、誰も振り返りたく無かったのかもしれない。
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