第4話 聖鎧

 少年が狼煙を上げる少し前。


 北の城では、ひとりひとりと人間が聖鎧に消えていくた。


 まるで絞首刑の台に昇るかのように、怯えた顔で聖鎧に昇る者たち。


 聖鎧の中央にある丸い部分に乗ると、今まで硬質的だったそれは途端にゼリー状になり、乗ったものは沈む。


 一瞬だ。


 音もなくゼリー状のソレに飲み込まれて、そして、消える。


 どんな装飾をつけていても、どんな宝飾をつけていても、それが残ることはない。


 まるで何も無かったかのように、聖鎧の上に乗ったものは尽く消えていく。


 王は立ち会うこと無く、北の城の執務室に篭ったままだ。


 執行は、この城を任されている領主が行っていた。


 事務的に次々と騎士、兵士を聖鎧に送り込む。


 沈痛な面持ちで行うそれは、死刑執行と何が違うのか。


 ひとりひとりと消えていく中、歯がゆさが隠せない。


 この城へ登城した騎士や兵士は、全て地下へ集められていた。


 志願した者も居れば、その場の空気に流され来てしまった者もいる。


 地上の城部分には王と側近だけ。


 地下からの通路は正門に続く部分以外は全て閉鎖されていた。


 ただの閉鎖ではない。板を打ち付け、土のうを積み、家財で押さえつけてだ。


 適合者が現れたとしても、正常な思考を保っているかは分からない。


 適合者が現れたとしても、どのくらい「保つ」のかも分からない。


 だから、聖鎧からの通路は、正門に通じる道だけが開放されていた。


 聖鎧の適合者が暴走したとしても、せめて異形のモノ達の方へと向かうように。


 祈りに似た気持ちで、次の騎士を呼ぶ。


 適合者であってほしい。しかし、適合者であっても喰われる事に違いない。だが、これ以上消えるとわかっていて、聖鎧に見を投じろと言い続ける苦痛は地獄だった。


 次、次、次、次、…。


 延々と消えていく騎士達、兵士達を見続ける。


 騎士はひとりずつ聖鎧のある場所へ来る。


 前の者が消えたあとに、その場に立とう等という者は少ない。


 断頭台で処刑があったあと、そこに自らの首を置けと言うようなものだ。


 次。その声に応じ入ってきたのは老兵であった。


 老兵は領主に一礼した。


 領主には、その顔に見覚えがあった。


 西の領主のもとで智将と謳われた男だ。


 自らの元で騎士に取り立てるとの進言に、自らの生まれ育った地を守ることこそ本望と断った男。


 この老兵ならばと一瞬期待し、しかし、眼下の聖鎧に視線を落とすと落胆する。


 恐らくは、この智将でさえ消えるのだろう。


 領主が言葉なく頷くと、老兵は聖鎧の上に立った。


 聖鎧の中央部がゼリー状になり、老兵を包む。


 沈むでなく、包んだ。


 領主が後ずさる。


 金属で出来た様な聖鎧が形を失くし、全てがゼリー状になる。そして、それは凝縮し老兵を包む。


 適合したのか。


 領主はそっと後ろ手に扉に手をかける。


 そのまま暴走しだしたら、まず自分が死ぬ。


 だが、扉を開けるまではしない。確かめねばならない。


 ゼリー状だった老兵を包んだ聖鎧が、まるで生物の外骨格の様に変形していく。


 老兵の姿は、既に別の生き物だ。


 人の形には近い。だが、違う。


 根本的に何かが違う。


 まるで爬虫類。硬いウロコに包まれた爬虫類の様だ。


 領主はそれを感じながらも、震えを抑えて声を出した。


「汝は王の剣なり!」


 騎士ならば、兵士ならば、この言葉に応じるだろう。


 形は既に安定したのか、静かに立っていた聖鎧を着た老兵。


「汝、勇者となりて侵略者を滅せよ!」


 聖鎧を着た老兵、いや、勇者は領主を一瞥するとスッと消えた。


 どこだ?と探す領主の視界の隅に駆け抜ける勇者の姿。


 正門へと向かって疾走していく。


 領主はへたり込んだ。


 ひっそりと影に隠れ守護していた守衛兵が駆け寄る。


「正門は開けておるな?」


 声はいまだ震えている。


 道は一つにございます。という守衛兵の言葉に頷く。


 聖鎧を纏った老兵は、人間の意志をもっていたのだろうか。


 領主の言葉に応じて走りだしたのだろうか。


 ただ、解ったのは一瞥された時に敵意を感じなかった。


 老兵が聖鎧をまとう前に一礼した時と同じ感覚。


 助かるかもしれない。救われるかもしれない。


 人間は、あの聖鎧に、勇者に、化物に救われるのかもしれない。


 以前に聖鎧に適合した者は、七日で消えたという。


 その時、残されたのは大地に捨て置かれた聖鎧のみ。


 まるで墓標のように、聖鎧は大地に残っていた。


 ものとの姿のまま、まるで何も起こらなかったかのように。


 老兵は、やはり消えるのだろう。


 だが、その前に異形のモノを滅してくれれば、もしかすれば。


 僅かな希望だ。


「王に…王に報告せねばな。私は報告へ行く。正門を閉じよ。同時に裏門を開放し、民衆を受け入れよ。せめてひとときの安らぎを与えてやれ」


 北の城から放たれた勇者という矢は、少年の居る村へ向かって放たれた。





 焚き火の炎は衰えだし、火に集まった異形のモノ達も散らばり始めていた。


 まずいと感じる。


 逃げられるだけの時間は稼いだと思う。しかし、時間は多ければ多いほど良い。


 小柄ゆえ捉えられずに逃げ続ける事ができている少年。


 見つかる。しかし、異形のモノの手からは逃げ続ける。


 見つかり続けなければならない。


 少年が見つからずに他の餌を求めだした時、逃げたみんなが危険に晒される。


 恐らくは異形のモノと対峙し、これほど生き残ったのは少年が初めてだろう。


 戦いを本分とした騎士や兵士達は向かっていく。


 向かっていくから近づきすぎる。


 倒すことを目的としているから、隙を見つければ斬りこむ。


 少年は違った。


 逃げ惑うだけなら、恐らくはすぐに捕まり、捕食されただろう。


 町では路地を使い、窓から屋根裏からと距離を取りつつ逃げた。


 隙を見つければ距離を取ることを優先し、向かっても距離を一定以上は自分からは縮めない。


 だから生き残っている。


 少年は逃げることで戦っていた。


 しかし、それもギリギリだ。


 異形のモノを焼き払おうと町から出て焚き火と油で罠を作った。


 しかし、失敗。


 油をまとわせた異形のモノの手足に火がつくことはなかった。


 しかし、油は多少は効くように感じた。油が付いた手を振る動作をしているのを何度も見ている。


 油がついてるのを嫌がっている?


 致命的な弱点ではないが、苦手なものを発見できたのは嬉しい。


 誰かに伝えられればもっと良いんだが…。


 少年は自分がひとりきりであることを痛感した。


 一人であることを感じると、唯でさえ極限に近い恐怖が、さらに高まる。


 人は恐怖が高まると、幾つかの状態になる。


 放心する、心を閉ざす、開き直る。


 少年は、開き直るタイプだ。


 ある意味、たちが悪い。


 罠を新しく作る時間はない。今の状況で逃げまわり、今ある罠を使うしか無い。


 少年は手近にある油を自分の体に塗りたくる。


 なんとなく思いついただけの奇策。


 油を塗れば、自分に火が燃え移ることもあるかもしれない。


 しかし、もし燃え移っても異形のモノに飛び込めば奴らも燃やせる。


 武器は手元に伐採用の斧と、盾代わりに出来そうだと持ってきた鉄鍋の蓋だけ。


 少年をしばし見失い探しまわる異形のモノ達の中心へ、少年は走りこんだ。


 打撃を直撃で喰らえば一撃で終わり。


 低い姿勢で異形のモノ達の間を走り抜ける。


 さしもの異形のモノ達も困惑したかのように一瞬だけ止まるが、しかし、すぐに襲いかかる。


 動きはそれほど速くない。


 少年を捉えるまでは行かない。


 時に捉えられそうになる度に、塗りこんだ油で滑る。


 巨大な手が振り回されるも、小柄な少年に当たる前に、異形のモノ同士がぶつかる。


 お互いの爪同士がぶつかり、弾け合う。


 少年の姿は常に晒されている。


 騎士や兵士が見れば、自殺行為にしか見えないだろう。


 しかし、足の速さくらいしか自慢のタネのない少年にとって、これが一番の策。


 身を隠せば、生きながらえるかもしれない。しかし、みんなが逃げる時間を稼ぐ。


 約束した。


 妹に生きて帰ると。


 約束は守れないかもしれない。けど、妹が逃げる時間くらいは稼げる。


 隠れていては、ソレは出来ない。


 油でぐちゃぐちゃになった地面を走り続ける。


 体力が凄い速読で削られていく。


 異形のモノがそれぞれ距離をとって動いていた理由がわかった。


 喰うときは一気に群れる。しかし、大腕で爪を振るう時は同類に当たらないようにしているらしい。


 食欲だけで動いてるわけじゃないらしい。


 だが、この状況。


 少年に攻撃を加えるために、近くに同類が居ても爪を振るう。


 異形のモノに人間の武器は効かなかった。しかし、同類の爪は簡単に異形のモノの硬い部分さえも傷つける。


 巻き添えで傷ついた異形のモノは、興奮したのか怒ったのか、仲間割れを始めた。


 少年は、しかし、それに気づかない。


 ただ頭にあるのは、異形のモノの間をすり抜けて走り続けるだけ。


 体力が保つ限り、それを続ける。


 一気に襲いかかられたら終わりだろう。だが、異形のモノ達は個々に仕留めようと爪を向けてくる。


 歩くのもままならない沼地と化した場所で走り続ける少年。


 すでに体力よりも気力で走っている。


 終わりはすぐに訪れるだろう。


 ごめんな、兄ちゃん帰れない。


 なんとかしようという気概の中に割り込む諦め。


 時間は少しは稼げた。


 あともし、少しでも抵抗できるなら火だ。


 火達磨になってでも、異形のモノに少しでも火をつけてやる。


 くすぶりだしたとはいえ、まだ火の絶えていない焚き火はいくつかある。


 そこは今いる場所よりも異形のモノが密集している。


 少年の方に集まりはしているが、他の餌を探す異形のモノもいる。


 たかられる前なら、なんとか焚き火を手に取れる。


 少年の思考は、単純になってしまっていた。


 今までのように蛇行せずに、まっすぐに焚き火に向かう。


 異形のモノにとっては、格好の的。


 少年が焚き火にたどり着く寸前、異形のモノの爪が横薙ぎに少年の胴体を襲う。


 薄い鉄板を胴体の形に合うように折り曲げただけの軽鎧。


 異形のモノの爪は簡単に軽鎧を引き裂く。しかし、表面に塗った油のおかげか、致命傷には至らない。


 焚き火にたどり着かないとと手を伸ばすも、届かない。


 異形のモノ群れてくる。


 だめだ、無理だったかと諦めが少年の心を支配した。


 幸運だったのか、意識はそこで途絶えた。


 

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