向日葵
向日葵
10歳、小学生の僕は遊び疲れて、自室にてスタースパングルドバナーを聴いている。これは別名アメリカ国歌だ。僕は最近この曲調にはまっている。この曲は国家の殿堂入りをしていると言っても良いと思う。僕にとって国家の金字塔だ。他の有象無象の邦楽などは取るに足らない。模糊とした音楽の潮流においてミュージシャンになるには清濁併せ呑む体験が必要だ。しかしながら僕はミュージシャンなんかにならないので別に構わない。60年代の洋楽の歴史を調べると、当時の著名なミュージシャンからは放蕩無頼の印象がする。セックス、ドラッグ、そんなものは馬鹿げている。特に僕はセックスが本当に異星人の文化であるように思える。僕は女性に興奮せず、女体にも興奮出来ないのだ。
その頃の僕は自分の母親といると非常に安心した。病弱故、日常些末な事にも僕は四苦八苦していたの。周囲の僕と同じ小学校に通う友人たちに、「お前はエディプスコンプレックス」だな。と僕は言われた事がある。僕は急遽、僕の日常生活に闖入したこのエディプスコンプレックスというやつを調べてみた。これは精神分析家のジクムントフロイトの提唱した概念で、自分の母親に性的な愛情を抱き、自分の父親を憎む事を端的に指し示した言葉であるらしかった。僕は自分の父親を憎む事はなかった。また母親を大事にはしていたが性的な感じは微塵も抱いたことがない。また、昔から僕は母親の全裸を見ても何も思わなかった。僕はその頃、周囲の少年少女たちの縦横さにある種の憧憬を抱いていた。僕は換骨奪胎と称して、自らの言語表現を更に豊饒なものにする為に様々な文章を図書館に入りびたり、その文字の世界に耽溺する事が多かった。
僕はある時から少年野球チームに入った。周囲の吐瀉物染みた少年たちは僕の苛立ちを更に増幅させた。僕には友達が出来たが僕はいっその事、友達と不和になってみようかと思った。僕の神経を苛立たせるのは僕の友達と、野球チームの仲間達、それから軍曹染みた野球チームの監督たちであった。中にはましな奴もいたが、そんな連中でさえ監督には弱かった。僕は監督たちの狼藉にあきれ果て、幻滅していた。しかしながら、僕もまたましな連中と同様に、沈黙を保っていた。
僕はある日友達と一緒にプールに出かけた。近くに駄菓子屋がある、古色蒼然なプールである。毎年夏になるとこのプールは開く。そこで僕は無邪気に友達と遊んだ。4人での遊びだった。そして僕たちは遊び疲れて帰る事になった。そして僕は頭がぼけていたのか誤って男子更衣室ではなく、女子更衣室に入ってしまった。僕は男子更衣室だと思い込んでいたが隣に下着を外した大人の女性を見ると、暫く硬直した。しくじった、そう僕は思った。僕は急いで女子更衣室を後にした。別に僕は当時から女体に飢えていた訳ではない。ほんの脳の誤作動があのような粗相を生んだのだ。僕はそう自分に言い聞かせた。そして女子更衣室の一件を見ていたらしい少女が男子更衣室まで来て、「追い出てこい!明日は血の月曜日だ」なんて訳の分からぬ事を僕に言った。また他にも彼女は彼女のあらゆるボキャブラリーを駆使して僕に罵詈雑言を浴びせた。僕は怯えて更衣室の一隅に隠れていた。僕はまるで殺人事件を起こしたかのような深い罪悪感に苛まれた。僕の友達は僕の事を外で待っていた。僕は怒鳴り込んできた小娘が去るのを見計らい早急に自転車に乗り、友達と共に帰って行った。ずっとずっと女性を想念に浮かばせると今でもあの小娘の罵声が届いてくる。これは僕の苦い経験の一つである。
僕は監督やプレイヤーに僕は嫌気がさしていた。仲間の一人から「凌我はRの事が過ぎだ」などありもしない変な噂を流されたりした。僕はほとほと嫌になった。次第に親にも野球を辞めたいという機会が増えていった。僕はあの活字を貪り読んで、自身の研鑽に勤めた平穏な日々に戻りたかったのだ。僕は僕の柔軟な頭脳にあのような汚らしく、騒々しいトポスをもたらした人間が許せなかった。そして一時の気の迷いとは言え、土人どもの集いである野球チームに入った事を痛烈に恥じた。そして僕は遂に父親に泣き落としをつかって、野球を辞める事になったのである。この記憶は僕のスポーツに対する呪詛や憎悪を図らずも生気させる事となった。
しかし当時から僕は女性について恋愛感情の欠片も感じる事はなかった。僕は小学校教師の乳房を押し付けられてもやはりちっとも興奮する事はなかった。僕の女性忌避の傾向は19歳まで続いた。僕は何故、全く別の生態系を持つ女性に好意を抱く人がいるのかも分からず、もしかすると世間で商業化されている資本主義的恋愛は催眠術のようなものではあるまいかと考えるようになった。「恋愛は催眠術」僕はそう言った。確かに恋愛はそのようなものであるのかも知れない。こいつは自分が愛するに値するのだ、と思った異性を好きになる。そして妻子を持ち、家庭を持ち、子々孫々に血脈を繋げていく。動物の繁殖行動の記録を垣間見ているような気持になるが、23歳の私はやはり恋愛についてまだまだ理解できないなと思った。
しかし僕は実は今、その催眠術にかかっている。それは半ば自己暗示的にかけたものである。なんでも僕の住む京都の自宅付近に最近ブロンドのモデル級美女が出没する。僕は彼女に一目ぼれをしてしまった。何やら彼女は侃々諤々の世間話によるとウクライナから来た外国人らしい。ヒールなしでも180㎝は優に超えている長身、そしてブロンドの美しい髪に端整な顔立ち。しかし、(恋愛は単なる催眠術なんだぞいや)(しかし、僕の孤独を解消するための大道具と思えば)(しかし女性なんてまだまだよくわからないじゃないか)(第一僕は同性からも軽蔑されているではないか、嘲弄されているではないか)僕の脳髄をそんな想念が縦横に駆け巡る。現在は仕事の休日の土曜日の午後である。「まあでも」自分に言い聞かせるように、また自分の意識を十分に思考に喚起させるように僕は言った。「僕は所詮統合失調症だしなあ」僕の統合失調症は16歳で幻聴や被害妄想などでの急性期に至った。僕は緊迫した、総毛立つような面持ちで母親と同伴で高校付近の心療内科を訪れた。最初は僕達への負担を軽減する為か精神科医の女医は僕を一過性の精神病だとみなした。そして向精神薬を服用する運びとなったのだが、その時から僕は常にせん妄状態のようになったり手足がむずむずするアカシジアだったり、過食や、またその他様々なの副作用に苦しめられる事になった。間近で僕の様子を見ていた父親は僕の窮状を薬のせいだと論断した。僕の父は中々僕を統合失調症だと認める事はなかった。思春期青年期などの人生の過渡期には誰もが精神的に不安定になる、お母さんは凌我に対して過保護すぎる、男なんだから存分に思い悩めば良い。第一、悪口は幻聴なんかじゃない、凌我が周囲の人間になにかしたんだろう、と彼は僕に言った事がある。この人はまだ僕の事を分かっていなかったんだと思い僕はがっかりした。また僕の兄弟達も僕に遠慮せず、謗りともとれる言動をとっていた。僕は精神的に完全に参っていた。幻聴や被害妄想で僕の視界は満たされていた。僕の社交性は急激に衰え、兄弟達に対してさえ、僕は普通の会話をする事はなくなったのである。そんな環境と意識の流れがあり、僕の統合失調症は更に混迷の時代に突入した。一度高校を退学しているので二度目の高校を辞めたいとは言えなかった。僕は変なところで気を使いすぎるところがあった。
そのままずっと僕の精神病は続いた。一度転院して僕の才能を激賞してくれた医師もいたが、結局高校生活そのものが僕にとって重荷となっていた。ずっとつらかった。なのに誰も僕を助けてくれなかった。僕自身も自分に対する嫌悪感を募らせ、日々僕の自己懲罰傾向が幻聴や被害妄想と徒党を組み、僕を苦しめていた。僕はファッション感覚で、死にたいなどという連中を今でも許せない。
僕は自分の狂人染みた思考に辟易としていた。また、また始まった。僕の何も生産しない、社会にとってゴミ同然の思考、そんな事をしている暇があれば金を稼げよ。僕は障碍者雇用の職場を今休職中だ。そして小説家活動を行いながら合間に本を読んだり、ネットをしたりしている。しかし僕は今や誰の神経も宥和したくはなかった。僕をここまで狂わせたのは人間であり、また僕をここまで生かしたのも人間である。僕は悪だとも善だとも結論付ける事の出来ない人間一般に対し、今でも慄然としている。しかしそんな人間の一人である女性を僕は好んでいたのだ。これは甚だしい二律背反のようにも、逆説のようにも思えた。ネットで彼女の写真が流れてきた。何事かと思った。すると彼女の名前はイポーンカと呼ばれているらしい。ロシア語で日本人女性と言う意味の語彙らしく、彼女は日本の事が好きで、動画投稿サイトや各種SNSを使って、日本の情報を海外に輸出したり、時には日本人視聴者に対してトーク動画を撮ったりしていた。彼女の動画を僕は見てみた。彼女の日本語は日本人のそれと区別がつかない程流暢であった。外国人タレントよりひょっとすると流暢かも知れなかった。僕はもう長い事テレビを見ていないが。そして品行方正な佇まい、僕は彼女の動画を見入るように眺めていた。今や僕はゴッホの向日葵を始めてみた時のような筆舌に尽くしがたい感動と美的な調和の虜となっていた。それは僕が数学の美と相対した時の感覚に近かった。僕は肉欲よりも彼女の美に魅了されていた。動画が終わった。僕は彼女の動画をもっと見たくなった。まるで群集心理の総代のような僕の世俗ぶりには僕はもうなす術がない。少年時代あれだけ見下していた大人の男の証がまさにその僕の下衆な行動に表れている事は一目瞭然だった。僕は狂ったように彼女の動画を見た。いつ寝たかは覚えていない。しかし薬を飲んだのは覚えているから、まあ統合失調症の再発の心配はないだろう、と軽い気持ちで高をくくっていた。怒涛の如く、日々は過ぎ去る。最近は特にそうだ。
僕は翌日の日曜日、目覚めた。僕はいつの間にか昼の2時ごろまで寝ていたらしい。僕は仰臥しつつ、携帯で自分のブログにいいねがついているかどうか確認した。何やら僕の力作の記事に多数のいいねがついていた。僕は少しいい気になったがそれも一瞬の事である。僕は読みかけていた作家の小説の続きを読んだ。実は昨日も読んでいたのだが、2冊読んだところで飽きてしまい、残りの時間はネットサーフィンやテレビで深夜アニメを見たりしていたのだ。先日の記憶を全て並べたつもりはないので読者は深夜アニメ鑑賞の描写などあったかと混乱するだろうが、僕は単にそれを省略していただけだ。
僕はいつも通り買い物にでかけた。昼食のおにぎりと夕食の豆腐と卵焼きを買いに来た。最近僕はダイエット中である。また節約中でもある。上京の資金を早く溜めるためには余分な支出は禁物だ。既に親からの仕送りも断たれてしまった。一日2食にして久しい。しかし僕はその2食で食べ過ぎてはダイエットの意味がないと思う。僕はインドアなので休みの時は自分の部屋からほとんど出る事はない。しかし買い物の際は、やはり別なのだ。
僕は通りでイポーンカを見かけた。僕は彼女に勇気を振り絞って挨拶してみた。返事が返ってこないとも限らない。僕は当たって砕けるつもりだった。すると彼女は驚いた顔をして、笑顔で挨拶を返してくれた。彼女が辛辣な人間でないことは何となく分かっていたが、挨拶を返してくれるとは。僕の職場の人間は僕に挨拶してくれないぞ、などと僕は思った。向日葵のイポーンカは僕をだしぬけに喫茶店に誘った。僕は嬉しかったし、予定もなかったので一緒に喫茶店に行く事になった。
「凌我、会いたかった」彼女はそう言った。えっと僕は疑問に思った。僕は彼女の事をネットでも妄想でもしきりに見ているが、彼女も僕の事を知っていたのか?僕は衝動的に彼女に聞いた。「どこで、僕の事を?」「現実とネット、双方よ。私、現実であなたを見た時一目ぼれしたの。本当にあなたは私の好み。でも声をかけられなかった。あなたは私なんかじゃ釣り合わないと思った。あなた、人を寄せ付けない態度をしているしね。日本中でも既に噂みたいよ、あなたの事。あなたは情報を遮断しているのか偏食しているかで気づいていないようだけど、ほら」彼女は僕に「御開帳―」と言って、彼女の携帯端末の画面を見せた。
僕の事が画面一面にかかれていた。なんだこれは、ツイッターみたいだけど。しかし僕なんか魅力皆無だし、そんな訳ない。僕の写真集のようなものも秘密裏に公開されていたらしい。僕の映りの良い写真がおびただしいまでにまとめられているサイトもあった。2チャンネルも見るかと言われたが、あそこは非常に屈折し、陰湿で、皮肉屋な連中のたまり場だと思っていたので僕は拒否した。
僕は案外人気らしかった。おかしなこともあるもんだな、と僕は言った。すると彼女はこういった。「いいえ、おかしなもんですか。あなたは本当に魅力的よ。多分芸能界に行っても随一じゃないかしら?」「僕はそこまで自信過剰にはなれないなあ。多くの人間に僕の顔が知れ渡っていると考えるとぞっとするよ。ひええ」イポーンカは爆笑した。僕が人を笑わせるのはもう8年ぶりだ。僕は諧謔なんてものを持ち合わせていない。少なくとも自分ではそう思っている。僕の冗談は痛ましく、その様子を見ると笑ってはいられない、というのが周囲の評価であった。僕は16歳で統合失調症の治療を始めてからというもの周囲の人間に自分が統合失調症だと言うようになった。勿論、精神病は不可視の病である。それにまだまだマイナスの偏見が多い。精神病は健常者である我々とは違って、意思疎通が出来ない。妄想むき出し、普通の生活が送れない、との声も散見する。僕は今でこそ、病気が良くなっているが、これもどれくらい続けられるか分からない。僕の病気は神出鬼没、複雑怪奇、僕は現在でさえも小康状態に過ぎないのではないかと思ってしまう。僕の病気を知るや否や、触らぬ神にたたりなしとの事で、敬遠する連中も多かった。また僕は周囲の人間の知的レベルに非常に失望していた。周囲の人間はそれのみならず品性下劣だった。僕は彼らと仲良くなろうとはしなかったし、彼らも僕と仲良くなろうとはしなかった。それはずっと、大学時代でも、そして今の僕の職場でも続いている。僕は現状を慮って、鬱になった。僕はこの先もこのままなのか、とげんなりする。
イポーンカは「どうしたの?元気なさそうに見えるけど」と怪訝そうな顔をして僕を見た。「ああ。いつものことだよ。僕は周知の通り、統合失調症でよく嫌な気分になるんだ。考えすぎ、感じ過ぎで。ずっとこの悪癖を克服したいとは思っているんだけど。僕は自分の病気を良くするためにアドラー心理学なんかも勉強したけど、結局僕はポジティブにはなれなかった。運命が僕をポジティブにする事を拒絶するのだ」
「そんな運命はない。あなた、アドラーを勉強したと言ったけど、アドラーの理論を人生に活かす事は出来ていないみたいね。人間が人生を複雑にしているのよ。人生が複雑なのではなく。何なら私と付き合ってみない?あなたの心の傷を癒してあげるわ、何ならシモの世話もやってあげる」
僕は吃驚した。いきなりの告白である。これほどの急展開はフィクションであっても珍奇なものである。僕はぜひ、付き合ってくれと言った。そして僕たちはカップルになった。彼女の家は僕の家から1㎞程西にあるらしい。今は留学前に貯めた貯金で生活をしながら学生をしているようだ。「ところで、君何歳?」「25歳よ」驚いた。年上だったのか。僕はその時から彼女に敬語を使うようになった。年上の彼女に普段から敬語を使わないと日常生活で敬語を使う習慣が消えうせてしまうと思ったからだ。全く日本語には敬語やら敬称やら、碌でもない概念があるものだ。
僕はその次の週に彼女とデートをした。おあつらえ向きのデートスポットに行った。彼女は自動車免許を持っておらず、僕も持っていない。僕たちは電車やバスを乗り継いでそこまで行った。僕の人生の初彼女は本当に可愛かった。長身フェチの僕が聞くころによると彼女は185㎝の長身らしい。僕も長身だが、彼女のような長身美人にはみなれていない。
彼女の笑顔は本当に可愛かった。11等身の体躯は本当に僕を淫猥な気持ちにさせた。タイプな女性に対する性欲。これはフロイトによれば性衝動、リビドーなのだが、これも一種の催眠術かも知れないと思った。僕はこの催眠術の世界に惑溺する事が統合失調症を劇的に良くさせるのだと思った。しかし僕は性的な事以外に、イポーンカの内面に惹かれた。ウクライナでは女性はあまり異性の顔で恋愛をしたりはしないらしい。勿論、顔は恋愛において重要な要素であるらしいが、余程の壊滅的不細工でない限り、第一印象で恋愛が必ずしもうまくいかなくなる事はないらしい。日本人はウクライナでよくウクライナ人の美人を嫁にしているらしい。日本人は富裕な事が多いらしく、日本人好きの女性のグループなんてものも存在するらしい。
イポーンカは僕を見た時、外国人かと思ったらしい。多分この人は北欧出身だろうと思ったらしい。あまり薄くなく整った顔立ちとずば抜けた長身からそう思ったらしい。僕は日本人には縄文系と弥生系があり、弥生系は目が細くて平たい顔の人で、縄文系は堀の深い顔立ちだ、したがって僕は縄文系に所属するのかも知れないと彼女に言った。彼女は腑に落ちた顔をしていた。
僕は1年後、彼女を僕の両親に紹介した。僕の両親は幸せな感じだった。彼女の方は25歳の時点でも僕と結婚したかったようだが、衝動的に行動を起こすのは良くない、少し時間を置いてからそれでも初心貫徹していれば結婚しようと僕は言った。僕の方も彼女とすぐにでも結婚したかった。しかし彼女の将来を考えるにあたって、あまり時期尚早な判断はしない方が良いと思ったのだ。実家の和歌山、イポーンカの体は他の日本人と比べてもまるで巨人とホビット族のようであった。僕はその事を見て悦に入っていた。君たちはイポーンカのような素敵な女性と付き合えるか?僕は既に神なのだ、などと思うようになった。これは危険思想だ。自分が神だなんて思う人間が本当に幸せになれるわけがない。僕はそう思って、これからは我慢して他人を軽蔑したり、罵倒したりしないことにした。イポーンカや僕たちの子供がそれを真似したら困る。両親は子供にとっての模範でなくてはならない。フロイト理論では超自我を両親の良心なんて言われるように性的発達という観点から見ても両親は重要だ。これから生まれてくる子供には、肛門期、口愛期、口唇期などがやってくる。僕は異性に興味を持てなかったが、自分に催眠術がかかったように思える存在は大切にし、それらに全力で夢中になってくれれば良いなと思う。僕は現代の子供にありがちな最初から諦めるような人生をわが子に送ってほしくなかったのだ。
僕がブラックヘイズを出して、死ぬまで、あと何年かは分からない。しかし出来るだけ、活字を読んで僕は日々を過ごそうと思っている。僕は統合失調症の認知機能障害で活字が読めなくなったり、理解できなくなったりする時もあったが、読める時は読んでおいた方が良い。特に今は活字離れが決定的だ。少量でも良いから活字に包まれて生活を送る事は人生において非常に糧になる。多くの先達達がそのような事を言っていた気がする。そして現代ではテクノロジーの指数関数的発達により、紙の本だけではなく、電子書籍も出現した。僕は部屋にスペースを取るのも嫌だから電子書籍を最近活用している、多分これは一生続くだろう。
燃えろ、燃えろ凌我。僕は今東京でイポーンカと同棲している。少し情報が欠乏しているので補足すると、イポーンカの本名はソフィアというらしい。ソフィア、素敵な名前だが彼女は周囲にはアポーンカを自称している。僕たちが特殊な間柄になってから僕はアポーンカの事をソフィア、イポーンカは僕の事を凌我と呼ぶようになった。そして僕は今精神障碍者専用の就労移行支援に通いながら自分にあった就労の為に色んな事に挑戦している。だから、魂を燃やすような気概で、僕は文章やプログラミング、資格などの勉強をするようになった。
いつだったか僕はソフィアに何故自分の事をイポーンカというのかと聞いた。彼女はそれは自分がウクライナ時代から日本オタクだったからだと答えた。彼女は最終学歴はドイツの名門ゲッティンゲン大学らしく、そこでも日本オタク、日本びいきとして知られていたらしい。海外では日本びいきの事をよくWeeabooと呼ぶのが一般的だとも彼女は言っていた。華やかで美しい外見から彼女の事を良く知らない野郎どもは彼女に欲情していたらしい。しかし彼女にピンとくる男は誰一人としていなかったらしい。「凌我を見た時、私、凌我を犯したくて仕方がなかったの」僕たちはベッドで交わってる時、性別が逆なら犯罪になっているような発言を彼女は易々とした。「だってアスリートみたいな逞しい長身で女の子みたいな顔してるんだもん。顔と身体が一致してないと思ったけど、同時に私はあなたの事でかくて可愛い、歩く燃え要素だと思ったわ」とそのとき彼女は続けた。僕は確かにでかすぎてよく人から驚かれる。しかし、歩く萌え要素か、僕は吹き出しそうになった。僕は自分自身の事をモンスターのように捉えているからだ。「とにかく凌我は僕のタイプだったの。あなたを見た時、これは運命だって思ったわ。今も私のウクライナやドイツの友人に凌我の事自慢してるよ。皆凌我の事を見て興奮してるし、可愛いって言っているわ」これは驚いた。僕の外見は海外でも通用するものだったのか。
僕はこうソフィアに言った。「僕、日本じゃ全然人気なかったけど。今じゃなくて、高校生まで」僕は23歳から作家生活により、様々な人々に知られる事になった。学術論文を3年間で22本も執筆したり、絵画制作なども行っていたのだが結局僕を有名にしたのは小説だった。僕の功名心を満たし、名声を得るには小説が一番成果があった。実は20歳の頃、精神病院を退院してから7か月ほど小説執筆もしていて、完成した小説を文学賞に送ったりもしていたのだが、どれも箸にも棒にもかからなかった。僕は上手くいかない現実に嫌気がさしそれ以来23歳まで小説執筆を辞めていた。そんな事を僕は考えていた。「そんなことないでしょ。きっと陰で人気があったはずよ。まあ私からすれば人気がない方が良いけど。だって凌我を私が独り占めできるから」ソフィアは満面の笑みで笑った。美しかった。似たような美しい笑顔を出来る人間は世界で一人としていないだろう。彼女もそれを理解しているらしく、僕を赤面させ、どきどきさせるためによく僕に笑顔を見せてくれた。
僕たちは日本のゴッホ展にも行った事がある。その頃はコロナが収束してマスクも義務的なものでなくなっていた。ソフィアはマスクをつけていても美人だが、やはり外した方が他の追随を許さない程の美人だな。彼女を褒める言葉を考えれば枚挙に暇がない。僕は彼女を美的感受性という視点でも愛していた。「これ、ゴッホの向日葵、有名なやつだよね」「この向日葵の絵、見てて情熱と温かさを感じるわ。ゴッホが描いていた時、それを思っているかどうかは分からないけど。とても大きくて、綺麗で」「そう、まるでソフィアのようにね。僕はソフィアと出会った時、まるでゴッホの向日葵のようだと思ったよ。美しくて、でも性欲なんかよりもっと澄み切った、神聖な僕の欲動が君を向日葵だと誤認した」「私が?嬉しい。ゴッホの絵は私も好きだから。それにそう言ってくれる凌我も私は大好きだよ」ドラマのようにくさいセリフを僕たちはお互いに言いあった。こんなシーン、僕は自分の人生では無縁だと思っていた。神は死んだ、そして統合失調症が僕の胸中で生まれた。僕は長い事苦しんできたし、今でも幻聴や被害妄想は僕の心理的機微に即してすぐに蘇る。しかし僕は自分に狂気があって、不安定でも僕を支えてくれるソフィアがいる。そして恩返しに僕も彼女を支えようと思った。結局恋愛が催眠術かどうかは分からない。しかし催眠が切れても、やはり僕はソフィアを愛し続けると思う。その頃から僕の愛はうわべだけのものではなくなっていた。
僕たちの幸せな家庭は、3人の子供を持ち、皆が一点の曇りも、偽りも、欺瞞もなく、皆で笑いあっていけるおとぎ話のようなものとなった。
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