冷えたウイスキーのある柔らかい構造

冷えたウイスキーのある柔らかい構造

 赤川洋英は居酒屋に到着した。待ち合わせ時間より早めについた。「よお、洋英」話しかけて来たのは友人の憲太だ。僕は他の皆は?と憲太に尋ねた。「なんか、カラオケ中らしい、まあまだ待ち合わせ時間じゃないし、俺らが早く着きすぎたんだな。まあ、野郎どもを待っていようぜ」、そして40分くらい私と憲太はカフェでコーヒーを飲んだ。夕方5時以降のカフェインは危険だと聞いていたが、私はそんな俗説は厭わない。血液型占いなどの通俗心理学と同じだとソースを調べずに勝手に私はそう思っている。「なんか、洋英、最近色んな人から人気らしいぜ。洋英のファンには芸能人も何人もいるらしい。赤川親衛隊だってさ、笑えるよな」私の知名度は何故か、突発的に勃興した。私の学問研究や芸術活動、趣味の活動をインフルエンサーが拡散し、人口に膾炙したというのがその経緯だ。

 私は憲太と出会うのは数か月ぶりだった。私の小説家としての執筆活動は自分との闘いである。孤独に耐えて、引きこもって、独自の作品を生み出すのだ。小説の世界を構成するのは生半可な事ではない。一度、途中で書くのを辞めてしまえば情熱を保って書き続けるのが非常に難航を極めるのだ。しかし私は内心この仕事が気に入っていた。少年時代には私は自分が小説家になる事を想像すらしていなかった。中学時代の私はプリンストン大学に入学し、世界的な理論物理学者となる事を夢としていた。それはアインシュタインの影響だ。私は彼のE=mc²の方程式に少年時代非常に感銘を受けたのが。質量とエネルギーは交互に変換する事が出来るのだ。質量はエネルギーになれる。そして質量イコールエネルギーではない。エネルギーは質量かける光速の二乗なのだ。私はアインシュタインがローレンツ変換やマクスウェルの電磁気理論から出発し、光速度不変の原理を発見し、それを特殊相対性理論として発表した事を科学史上の、そして僕の半生においても大事件であるように思えた。学校は退屈だった。軽薄な連中は愚にもつかない冗談を言ったり、交流と称して自身の友人をぞんざいに扱ったり、私はそのような事にほとほと呆れていた。絶句である。

  私は思春期にありがちな精神上の変化として抑うつを体験した。これは高校から大学3年まで慢性的に続いた。私はそれまでの少年時代、ずっと自分の人生には抑うつなどの試練が必要だと思っていた。すると天は私にその試練を与えてくれたのだ。非常に有難い事だ。私の高校、大学時代は一人も友達が出来なかった。恋人なども言うまでもない。私は自閉傾向を黙認していた。あの頃私は多くの人間を舐めていた。ヤクザや不良、そして周囲の善良な学生や人畜無害の教師でさえ舐めていた。私は彼らが愚鈍者総代に思えた。それに私の闘病生活を阻害する仇敵であるように思えた。私は彼らをネットで罵倒した。しかし憚らず言葉を巧みに利用して、ありとあらゆる罵詈雑言を私は放っていた。まあ少し過去の事を私は思い出した。しかし今の私はもはや正常だ。私には多くの友人がいる。

 私と今日の飲み仲間が出会ったのは仕事を通じてである。私は高校大学時代のような根暗なキャラを棄却して明るいキャラを演じた。それは私にとって改革であった。私の根暗の残滓は私に、何も悩まないのは愚鈍者のする事だと語り掛けてきたが、私はうるさい、そんなのは人間関係を苦手とするオタクのする事だ、私はオタクではない。したがって今までの私の根暗はかりそめのものなのだ。君たちは失せたまえ、私の人生から消えたまえ、幻聴の形態をとって私に語り掛けていた根暗を何度も何度も、意識的に拒絶し、無視していく内に彼らは完全に消えうせた。ちょうど統合失調症を罹患したジョンナッシュが自分の幻聴を徹底的に無視したように私も自分の幻聴を徹底的に無視した。実際私はナッシュの映画を観て非常に鼓舞されるような思いになったのである。

 私たちは遂に一同全員揃った。男同士の飲み会であるから当然感情の機微を察した対応などなかった。それに割り勘であった。私はウイスキーを飲んでいた。冷えたウイスキーだ。私は店で飲むウイスキーの方が家で飲むウイスキーより遥かにうまく感じる。プラシーボ効果だろうか?ちなみにコーラ割りのウイスキーだ。私は全然お構いなしにがぶがぶと飲んでいった。普段から酒漬けの生活を送っていけば生活リズムが崩れて、肥満になる事不可避だが、私はこういった友達と飲むとき以外は滅多に酒を飲まない。

 「洋英、なんだか小説執筆に悩んでいるんだって?ラインで言ってたよな?」結城はそんな事を言ってきた。私は「そうなんだよ、僕は私小説ばかり書いてきたせいか、どうしても停滞してしまう。僕の人生で特筆すべき事は人生における抑うつだったりするわけだけど、そんなもの誰もが経験しているものだし、それを如何に面白く書くか、またはかけるか、というのは小説家生活にとって生命線なんだよ。ブログの癖が抜けずに、やっぱどうしても私小説チックになってしまう」「小説は何をどう書いても良いんだよ」結城はそう僕に言った。「洋英が真面目でストイックなのは分かるさ、でも本当の意味で自由にならなければ読者を魅了するような作品は書けないよ。もし書けたとしてもそんなの小説家にとって自信にならないわな。心に靄を宿したまま生きるのは現代人にありがちな事だと思うけど」「現代人に限らず、心に靄を抱えるのは人間の常だよ」「違いねえ」結城と私はそのような会話をした。「君たちは最近どうしてるの?」結城は「俺には可愛い彼女がいるよ。彼女は本当に可愛くてね。アイドルなんか超えてるくらいだよ。しかも性格も良くて一生、俺と一緒にいてくれるって。俺たちはデートしまくったよ。勿論セックスもね。楽しい時間を過ごしているんだ今は。今日は俺は飲み会だって事で来なかったけどお前らにも俺の自慢の彼女を見せてやりたいぜ。あれ程の美女は中々いないぜ」結城ののろけ話が始まった。私は悔しかった。しかしそれ以上に私の友達が幸福である事に嬉しさも感じた。愛憎入り混じった私のこの心情は如何にして表現できるだろうか、私は小説家でありながら本来文系ではない。自分の言語表現には限界がある事も痛ましい程に知っている。大学教授から「君は頭が良いから理解力が高いけど、自分の考えている事を言語を用い表現する能力は弱い」と私は言及された事もある。実際、その通りだと思う。私はどれほど文学的な修行をしても中々うまく表現できない。書く小説のネタの為に専門知識を仕入れたり、語彙やレトリックを増やしたりしても結局それらが役に立ったという実感はない。これが私の限界なのだろうか。

 私は勝手にそんな事を考えて落胆していた。友達はそんな私を見て、何か傷つけるような事を私にしたのだろうかと不安になったらしく「なんか俺、悪い事言った?無意識に洋英を傷つけたのなら謝るよ。ごめん」憲太がそう言った。「いやいや、そういう訳じゃないんだよ。今でこそ僕は社交的になったけど、昔は内向的で、繊細でね、その時の名残がまだ僕の中にあるのかも知れない。ちゃんとこういう傾向は消した筈だったんだけどなあ」「それは俺も分かるよ」春樹はそう言った。「俺も高校と大学では色々と悩んで、遺書を書いた事もあるよ。公園で寝た事もあるし、やけ酒をした事もある。俺は洋英のように精神科で診断をもらう程じゃないけど、やっぱり病んでいたんだ。言っていないだけで、そういう人はたくさんいると思うよ。皆それぞれ苦しい事を持っているんだ。しかしそれでも奮起して、頑張って生きるのが男のあるべき姿だと、俺は思う」私は確かにそうだ、と思ったから確かにそうだ、と言った。一同は一笑に付した。私には何故だか分からない。私はよく昔から何気ない行動で他人を笑わせる事が多い。まあその笑いの大部分は嘲笑や冷笑と言ったものではないので私は別に構わない。私はウイスキーをちょっとずつ飲みながら彼らと話した。特殊な制限時間もないので、大抵居酒屋では店が閉まるまで飲むことが出来る。それに私の自宅もこの居酒屋から近いので気兼ねなく飲む事が出来る。私は今日はウイスキーばかり飲んでいるが、基本的に私はどんなアルコールでも飲める。科学実験のアルコールであっても。まあ私は出来るだけ早く酔いたかったのでアルコール度数が高く、のみならず私が高校時代から飲んでいたウイスキーを選択したという次第である。

 私は本当に良い気分になってきた。すると正樹が私に話しかけて来た。「洋英、お前今どんな研究してるんだ?」私は今は芸術創作に専念しているし、学問研究について出来る事はし尽くした、若干虚脱感もある。したがって私はこの先研究する事はよっぽどの事がない限りないだろう、といった意味の事を言った。「そういう正樹は今大学院でどんな研究をしたんだ?東大の大学院だろう?確か生物学を研究してたって聞いたけど、うろ覚えだけど、比較生物学だったっけ?」「そうそう、洋英は確か科学史の知識もあるんだったな、ダーウィンの『種の起源』が愛読書って言ってたな。俺も種の起源、好きだよ。もっともあれは近代生物学だし、現代の、俺が研究したゲノムを基にした生物学とはほとんど別物だけど」

 「今は民間企業で働いてるんだっけ?僕なんか障害者雇用だよ、賃金は少ない。まあ反面、障害に対して配慮はあるけどね」「洋英は統合失調症だっけ?前の名前が精神文r熱病ってやつか。幻聴とか聞こえるん?被害妄想とかあるん?」「あるよ、うんざりするくらいにね」私は先ほど、私が幻聴に打ち勝ったように言っていたが、あれは単なる嘘である。私は自分の行動を御する為に自分の認知に嘘を大量投下する事も多い。したがって私の心中は真実と嘘とが混在しているのである。多量な情報が錯綜している21世紀だ。いちいちこいつのあれは嘘だ、なんて判断する余裕のある人間はいない。そういう訳で私の嘘を証明する人間もいない。私の人間関係はそう言った性根の腐った、野放図によってなりたっている。私は言うまでもなく無頼だ。小説の作風にはあまり自分が駄目なところを露見させまいと懸命になっているが、私の無頼を看破している人間もいるだろう。日本人の平家インIQは国際調査にて世界三位らしいし。まあこれには不正がある可能性も大いにあるのだが、そんな事はどうでも良い。私は現実を見たいように見て、聞きたいように聞いて、感じたいように感じるのだ。私もまた居丈高な文章を書いたり、高飛車な発言をしたりはするものの、やはり下等な、退屈な、動物的な人間の一種であるのだ。今更それを否定する気はない。私は自分の矮小さ、脆弱さなんてものは認めている。昔は傲岸不遜でそれを認めようとしなかったが、歳月の経過が長くなるにしたがって、私は自分について無駄な抵抗をする事は辞めようと思うようになったのである。

 私はここ東京で障害者雇用として働く傍ら文筆活動を精力的に行っている。アインシュタインの特許局時代のように、仕事は退屈なのだが、空き時間がかなりあったので私は存分に創作する事が出来た。また東京というのは刺激的な場所である。私は210㎝で目立つので多くの人から声をかけられる。無論声をかけられるのはその長身ゆえというより私の作家活動が日本人に浸透したせいだろう。現在私は障害者雇用抜きでも生活できるくらいの収入がある。印税やら講演やら、諸々である。東大にも呼ばれて講演をしたこともある。今も昔も勉強の不振な私にとって東大の赤門をくぐるのは非常に気が引けたのだが仕事で呼ばれたのだから仕方がないと否応なしに私は赤門をくぐった。

 私はそういう思い出を思い出しつつ、友達との飲み会を享楽していた。憲太は「なんか洋英の月低高校では洋英が在学時、女の子みたいな顔の男子高校生がいると評判だったらしい。洋英、お前の事だよ」私は俄かには信じられなかった。幻聴かどうかは分からないが、往来を歩く人にはよく「おっさん」なんて言われるからだ。しかし長髪の男も東京では珍しくない、長身もまあ巨人並みにでかいがそれを悪口発生の口実にする無知蒙昧はいないだろう。私だけがおっさんなんて悪口を言われるのは論理的に考えても整合性があるようには思えない。やはりおっさんなんて言葉は幻聴なのかも知れない、私はそう思った。

 「まあ嫌われてなかったんなら良いよ」私は笑いながら言った。「誰が洋英を嫌うんだよ。洋英が悪口を言われるような人間じゃない事は明白だ。それなのに統合失調症の症状で嫌な方向に考えてしまうのは可哀そうだな」まあ実際私の容貌を褒めるような言葉は多かった。しかし誉め言葉であってもそれらが幻聴であるという可能性を完全に消すことは出来なかった。したがって私はそういった誉め言葉も無視していた。しかし私の評価の蓄積を帰納的に推理すればその誉め言葉は実は現実の音で、悪口は幻聴なのではないか?私は理屈ではそのような事を考えた。そして自分なりの結論に行きついた。私は自分のこの結論を重宝しなければならない、と思った。勘違いでも良いじゃないか、幸せに生きるには勘違いでさえも大局的に見れば養分だ。

 幻聴の恐ろしいところはそれが脳の誤作動であるという点だ。一般に統合失調症は脳の病気で脳内の神経伝達物質の過剰分泌による脳の化学的不均衡に起因するものであるらしい。またさらに恐ろしい点は、幻聴が被害妄想などと連合組合を一蓮托生し、私を苦しめる事だ。私のみならず同じような症状で苦しんでいる人も相当数いることだろう。私は世間の統合失調症の境遇を思えば、私はどうでも良いが、彼らは可哀そうだと思った。私は今や別にいつ死んでも良い。これは達観しているからか、死にたいからか、その内訳は定かではない。しかしながら私は世間の統合失調症患者に幸あれと願わずにはいられない。私は今や小説家として自立した生活を送れているが、世間の統合失調症患者は症状のせいで社会に馴染めず、障害年金や生活保護を受給している連中も少なくはない。まだまだ統合失調症への理解は足りない、私はそう思った。統合失調症患者が安心して過ごせるように私は更に悪戦苦闘していかなければならない。私が社会を変えられるのは文章や芸術だけだ、今となっては。なら私は自分の使命を果たして生き抜くのだ。そう考えるといつ死んでも良いという刹那的な自暴自棄は完全に消えうせた。全く、相も変わらず激動の脳髄である。これも統合失調症の症状なのだろうか、私には分からない。精神的な区域についてはまだ未開拓地、フロンティアである。私は一人の統合失調症患者として出来る事を粛々とやっていくしかない、そう思ったのである。

私の意識は徐々に混濁した。私はまるで深海に沈められるかのように自分の無意識の世界に沈んでいった。居酒屋の中でこんな事になるとは。私は夢の中で大きな脂肪の塊につつまれていた。柔らかい。このような柔らかさは私の不安などすべてを取り払ってくれる母性とつながった。私には現在妻はいない。しかし私にとってこの脂肪の塊こそが無意識的な母性の象徴であり、これこそが私の希求する女性像なのだと思った。無論、その脂肪の塊はデブやメタボのようなものではなく、均整の取れた、女型の脂肪の塊であった。彼女は言葉を発しない。私は彼女に語り掛ける。「僕はこのままで良いんだろうか?僕の人生はこのままで良いんだろうか?僕はこれまで懸命に生きてきた。良い友人たちも持った。しかし僕の中では何かが足りない」彼女は言った。「私はあなたのアニマ、あなたは私のアニムス。そしてあなたのお腹の脂肪が私を出現させるに至ったのよ」私は驚いた。私はデブになっていたのか、統合失調症は太りやすい病気だ。私はこれから食事制限をしようと誓った。私は申し訳なさそうに彼女に言った。「そうなると僕がおっさんと言われるのはこのだらしのない体が原因なの?」彼女はかぶりを振った。「いや、あなたはおっさんと思われてもないし、言われてもない。あなたはもっと自信を持って」私は釈然としなかった。少しでも太っていたら私のような弱者にはさらに差別が苛烈になるに決まっている。日本人はデブに対して容赦がない節もある。そもそもここのところ酒の量も増えてきた。そのせいかも知れない。私は自分の生活習慣を見直そうと思った。食事制限をしていこうと思った。私は孤独過ぎて、食くらいにしか逃げ場がなくなっているのだ。食事を楽しむのは良い事だが何事にも限度がある。私はずっと不摂生だったのかも知れない。これから、これから痩せてやる。私はそのような情熱を夢の中でめらめらと燃やしていた。まあ運動で出来る事などは限られているし、やり過ぎて体調を崩してしまえば元の木阿弥である。今は食事制限をやっていこうと思う。まだまだ若いのだからデブなんてみっともない。私はそう思った。

 巨大な女型の脂肪の塊はそのような事を私が考えている内に消滅していった。私は彼女との出会いに感謝していた。心底感謝していた。彼女との出会いがなければ私の肉体がみっともないものだという事に気づかずにいたに違いない。私にダイエットの気持ちを持たせてくれた、あの柔らかい構造に私は感謝していたのである。

 私は春樹の呼びかけで目が覚めた。私の夢は完結してしまっていたので興ざめというような気持ではなかった。むしろテンポの良い展開で私には都合が良かった。私は言った。「僕、ダイエットする事にするよ。本当にゴミみたいな肉体だからさ」皆はそれを聞いて笑った。私の惨めさを笑ったのだろうか、私は嫌な気持ちになった。しかしそこからの展開は私の予想を軽々と逸脱するものであった。「洋英、お前全然太ってないよ。気にするような程じゃないよ」「そうだよ、まあダイエットか、強いて言うならアルコール控えたりしたら洋英は若くて代謝も良い方だからすぐに痩せられるよ。そんなこの世の終わりみたいな顔しなくても良いから。大丈夫、大丈夫」私は友達の柔らかさに包まれて、泣きそうになった。しかしすぐに泣くのは男のする事ではない。私は「ありがとう」と彼らに言った。否、彼らのみならず夢と現実の柔らかい構造にもありがとうと言ったのだ。統合失調症の私にとって現実世界というのはシビアでシリアスで、無情で残酷なものだった。しかし彼らや夢を見て、あながちそうでもないかも知れないと私は思うようになった。

 「大体洋英は、周囲の目を気にしすぎ。皆そこまでお前の事を見てないよ。いや、これは別に洋英に魅力がないからとかじゃなくてね。統合失調症だから気にしすぎて病んでしまう気持ちは分かるけど、早まって自殺なんかしたら駄目だよ。洋英は才能があって、まだまだこれからなんだから」正樹はそう私に言った。周囲の友達も正樹のその言葉に賛同した。私は彼らに対して感謝の念を抱かずにはいられなかった。私は本当に嬉しかったのだ。絶望の長いトンネルを抜けると、そこは柔らかい構造であった。

 私は柔らかい構造という言葉を胸中で反芻して、サルバドールダリの『ゆでたインゲン豆のある柔らかい構造』を想起した。そういえば私は彼の絵にすごくはまっていた時期があったなあ、懐かしい。シュールリアリズムは多感な青年の感性にとって比類のない衝撃を私にもたらしたのである。

 大体統合失調症の幻聴は自分の劣等感や自己懲罰欲求に即して肥大化したりするものなのだ。すなわち私への悪口は全て私自身が思っている事であり、実際それほど容姿が醜いわけでもないのに私の外見に対して悪口を言うものなどいないだろう。カクテルパーティー効果のような側面も多少はあるのかも知れないが。

 私は私の友達に言った。「ありがとう、君たちの存在がなければ、僕はまた統合失調症を再発していたかも知れない。今も昔も君たちの存在は僕にとって一縷の希望だよ。どんな苦しい時でも君たちの事を思えば頑張れるし、今日の飲み会だってすごく楽しみにしていたんだよ、僕は。本当にありがとう。君たちは図らずも人間一人の命を救ったんだ。生きているのか死んでるのか、分からないような僕でも、こんな僕でも生きていても良いんだって思える勇気をくれたのはいつだって君たちだった。マスコミの人間は思ってもない美辞麗句をぺらぺら喋るけど君たちには直観的にだけど、そう言った卑俗さというか通俗性は感じない。本当にありがとう。僕は君たちの幸せを祈っているよ」私は思わず涙を抑える事は出来なかった。このような感動的な局面に相対すれば私はもうもはや泣くことしか出来ない。泣くなんて情けない。私は戦士だろ、私は男だろ、これから社会を変えるんじゃないのか。これから世界を変えるんじゃないのか。しっかりしろ、僕の超自我の検閲だろうか、よく分からないが知恵の雰囲気をまとった声が私の脳にこだました。これも統合失調症の症状だろう。結局私は統合失調症から逃れる事は出来ない。彼を殺すことも出来ない。この時から私は彼との決闘を放棄する事にした。私はこの病気と共存していかなければならない。すごく大変で、生きづらいだろうけど、これは私に課せられた使命なのだ。私は自分の不完全さから他人や、他の存在を愛する事を学ばなければならない。私は今こそ自分を変える勇気を持つべきだ。今こそ発想の転換の時期だ。私の存在は誹謗中傷の憂き目にあう事もあるかもしれないしかしそれがなんだと言うのだ。人間にはそんなものはつきものだ。

 その後も、彼らは私に優しくしてくれた。私は酒が入ると泣きやすくなるのか、いやそうではないだろう。私は彼らの特殊な柔らかさ、そして夢の柔らかさに触れて、その美しさと情熱に泣かずにはいられなかったのだ。しかし恥ずかしい、もう28歳の私がこんな風に人前で泣くだなんて。一人の時でも恥ずかしくて中々泣けないというのに。私の恥はこの場において、完全に変革された。私は一歩踏み出す勇気を持とうと思った。これからも私は生きてゆく。今まではその勇気がなかった。しかし私はもし、自分の進む道が間違っていたとしてもこの勇気は誰にも否定できない、純粋なものなのだ、と思った。

 もう深夜2時だ。私たちは解散して、各々自分の戻るべき場所に戻った。それはまるで人間の人生のようだった。私は結局どのような励ましを受けたとしても、また最愛の人を持ったとしても最後に頼るべきは自分自身だ。私は彼らに依存しない、甘えたりもしない。これから大人の男として懸命に生きてやると思った。私は如何に今の私の肉体や精神が揶揄されるようなものであっても信じたいものを信じようと思った。私は元来無宗教であるが、宗教という一般的な形式を持たない、この柔らかさそのものも宗教である、とみなせるのではないかと思った。

 私は家に帰った。そして友達のライングループで「今日はありがとう。何度も言うけど、本当にありがとう」と言った。彼らは、おう、洋英も頑張れよ、などと言っていた。私は嬉しかった。統合失調症を発症してから私は多くのものを穿った視点で見ていた。斜に構えていたと言っても良い。しかし私はこの局面で気づかされる。私は真の柔らかさを受け入れる準備が出来ていなかったんだと。私の人間社会における印象は、辛辣で、無味乾燥などと言った按配であった。これからは友達に心配をかけないように上手く人生を生きていこうと私は思った。

 そして私は翌日から仕事を懸命に行った。外は暑いので滅多に出ないが、部屋でなるべく横にならないように努めた。私は筋トレをすると鬱になってしまう類型の人間なのであえて筋トレはやらなかったが、腹筋に力を入れて姿勢を良くしながら小説の執筆をしているだけでもそうしない場合と比較してだいぶ変わってくる事も実感した。まだまだ私の人生は始まったばかりだ。私には大義がなかった。民主主義の政治形態は大義なんてもののいらあに政治形態なので当然である。僕はもう非生産的な、軽蔑されるような懶惰な生活は送らない。これまで懶惰な生活を送ってきたからお腹に肉がついたのだ。私は常に前向きに生きて、自分に鞭打って生きていく。たとえその先が茫漠たる闇であっても、人類史上稀に見る黒歴史であっても。私は自身の高校時代をふと思い出した。向精神薬によって急激に太り、女子からは相手にされなくなった。そして私はその頃、痩せようともしなかった。しかし今は自分のそういった欠点を解消しようと出来る事を懸命にやっていきたい。仮借ない世の中と相対して、私は自分の道を全うしなければならない。そしてそれは立派な事だ。黄金の精神に相違ないのだ。

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