第5話



 それだけに、現実世界ではとてもお目にかかれない雲の上が信じられなかった。色素しきそのうせた透明な景色、目をしたに向けなければ色はみえない。


 継語つぎかた雄魔おうまは死んだ。目が覚めてより数秒、雄魔は自認する。


「あ、アァ……?」


 スプリングでも仕込んであるかのように、上体をね起こす雄魔。意識がある。痛みは尾すら引いておらず、あれだけ暗さを帯びた視野もクリアだ。

 ためしに、胸ぐらを触れてみる。


「……? ふぅん、血糊ちのりゼロ————なんだ、どうなってやがる?」


 胸郭きょうかくの穴は、しっかり塞がっていた。血潮は漏れ出ていないし、心臓の鼓動もたしかに伝わる。さっきが嘘のようだ。

 本当に嘘のよう。ヒロイン運姫ゆうきの姿はもうなくて、それどころかあの背景すらもない。雄魔はもはや、乗り込んだ装置が嘘っぱちであるとしか思えなんだ。


 そこで、可能性を否定しにかかる声、


「……ム。起きたかのぅ、雄魔」

「————は?」


 雲間に紛れるよう、しっとり佇んだちっこいの。腰を折り、静かに凛烈りんれつにこちらを眺める幼女。

 そんな妙ちくりんが、一掬ひとすくい、糸束のような銀髪を掌でくと——


「ほぅれ、ソナタの大好物、膝枕じゃぞ〜。ほれ、ほぅれ」

「……なんだお前。っつーか、膝枕、だぁ……? された覚えはねぇ。そして、お前に見覚えなんざ毛ほども、」


 言いさして、止まる。


 見覚えはなくもない。雄魔はこの居姿を、甘ったるいボイスを、こちらを必ずやで溶かしてしまいそうな雰囲気を——知っている。

 ブルーレイがつい最近に発売された作品だ。とりわけ、一人のキャラクターが刺さる層を選ぶだろうと話題を呼んでいたもの。


「お前……白雪しらゆき、か?」

「うむ。たしかに余は白雪で間違いないのぅ。フフン、魔術の祖、はじめて世界を一○○○○年とおさめた王——で、違いないのぅ!」

「……そうか。ああそうだな、ネットCMでもこんなキャラクター性だったな」


 銀の幼女はシンデレラバストを大いに張り、誇る。

 この柳眉りゅうびも、くりくり丸っこい瞳を縁取る純銀のまつ毛も、どのカタチに曲がっても愛らしい口元も、ひどく可愛い。が、


「生憎だな。それに冗談だとすればタチの悪ぃ。俺はずっと前から心に決めている、アプローチがどれだけしくじろうが悄気しょげない、……そんなカノジョだけを」

「ふむぅ。……はて、それはあやつのことかのぅ?」

「ん?」


 風にでもそよぐよう、あらぬ方角を示す指先。ちっぽけなそれにつられ、雄魔はぐるりと首を回し……


 やがて、つくづく巡り合わせのわるい運命へ嗟嘆さたんをおぼえる。


「はな、ッ、離れろぉう! 私よりふくよかな胸を押し付けるなッ、畜生ちくしょうイイ匂いね⁉︎ 髪もサラサラで喜ばしいこと、美少女がよぉ!」

「拒まれてないと感ぜる。だからもっとめる、く」

「ぐ、がががが……っ! 多幸感……‼︎」


 見知らぬ女性が、見知ったカノジョに組みふされている現実。現実感の乏しい現段階、もっとも現実味から離れた光景であった。

 しかしリアリティ——ヴァ―チャリティからえらくあぶれた、それこそ雄魔となんら変わりのない肌質であることが、なにより驚きの種である。


 ただ、その点にかぎれば向こうも同様。

 見知った顔が、見知らぬ顔の隣にはべっている。


「おうおぅなんだよそこなアナタ! 隣にいる子、ウチの子でしょ返して! このヤンデレっ子を代わりにしてあげるから、返してよ!」

「そりゃあ願ったり叶ったりだ、な、……だが」


 世辞せじ抜きで、もっとも求めていた提案だった。

 むろん、この幼女を召喚した主人が彼女であるか、そもそもこの女性はテスター参加者であるか否か。順序をただして問いただすことは山積みだったハズだ。


 それらをすっぱ抜いて、ダイレクトに目の前の大切な存在をスワップしよう、と。


「できたら苦労しないんじゃあ、ねぇのかな……?」

「何を……?」


 直感にすぎない。雄魔は隣の幼女にも、べったり絡みつく目の前のヤンデレにも、不穏なファーストインプレッションを感じてしまっていた。

 とりわけヤンデレさん——


「まだ生きてるとか笑えない。しっかり貫いたのに、深度が足りなかった? なら今すぐにでも即死の刃をあげる」


 雄魔を見るなり、不愉快げに目をすがめた。


「こ、ォ————っ……ぐ、あ……ッ」

「ちょ、いくらなんでも嫌われすぎよアナタ⁉︎ 何、どんな不貞を働いたの?」


 もはやデレの部分を省いただけの存在だ。雄魔に対する風あたりは、仕留めたハズなのにしぶとく生きている虫ケラ同様。

 さしもの雄魔も卒倒しかけた。


 いやしかし、液晶画面越しでは日常茶飯事であった。ずば抜けて好感度をあげづらく設定された運姫は、ヤンデレとしてのゾーンに入るまでが長い。それでいて口舌くぜつには、加減のない嫌悪ぶりが滲み出ていた。


 往時おうじ、雄魔は、それを懸命に耐えてルートに入った。

 だから、もうちっとやそっとでは心を折らない頑強さを手に入れたハズだ。


「リアルと、ヴァーチャルの、……決定的な差なんだよなァアアこいつがァッ」

「な、によアナタ……どんな複雑怪奇な表情なのよ……?」


 次元をひとつへだてるのではなく、対面といめんでダイレクトにぶつけられる。この簡素で、されど致命的な差に、果たして雄魔は耐えあぐねた。

 被虐体質でもなければ、責め苦に喜びを見出すこともない雄魔。当然のことながら、推しにそしり口をぶつけられてすっかり心を砕かれていた。


 ある種、営業スマイルのようなものを期待していたのやもしれない。あるいは、作中での冷ややかな態度に接することはないだろうと……


 故に、非情さを味わった気になって、雄魔はくずおれるのだ。


「……あ、もしかしてこの子、アナタが呼び出したのかしら? だとすれば——うぅん、そうね。……辛いわよね。いいえ辛すぎるわ。あんなもの絶対的な拒否だもの……っ」


 傷心し、うつろに焦点を結ばぬ瞳。立ち膝のままフリーズした雄魔へと、女性は同情をたっぷり抱いた。

 ああしかし、


「ぬ……。今さっきのべっとり甘やかされるだけの落魄おちぶれ女郎——ええいつまらぬぞ! ソナタのように受け身すぎるやから、見ていても何の起伏もない!」

「ヅァァァアァアァァァアア⁉︎」


 いよいよ口火を切った銀の幼女、白雪。誹りの矛先は女性へと向いており、くわえて面識のあるふうだ。


 だが特筆すべきは、人の身にあまるような阿鼻叫喚をあげた女性。


「あ、ぐおぁ……ッ、冗談だよね、白雪ちゃん……⁉︎ アナタはいつだって母性のかたまり、そのちいちゃなおっぱいで無限の癒しを与えるまさしく天使そのもの!」

「……ふむ。言語が通じぬか? ではありていに。……興味ないぞ、ソナタに!」

「グギィアアァアァァァアアッッッ‼︎」


 あたかも神経を野ざらしにしたように、喘ぎ叫ぶ女。激痛にもだえ苦しむような素振りであるが、実際、外的なダメージはいっさい負っていない。

 しかし、こちらも雄魔の例を復習さらう。付け足せば、白雪というキャラクターには癒しを見出していただけに、否定的な言葉をかけられるとは思ってもいなかったのだ。


 そこで新たなる主人の危殆きたいを見咎め、銃剣片手、運姫が庇うかたちで躍り出る。


「ほぅ? 刃としての機能を備え、警棒のような打撃もさることながら、生体電気の流れを銃弾として撃ち出す——なかなかの三要素じゃ」

「……説明していない。一目で、そこまで把握を?」

「何、のパートナーたりえる雄魔の記憶に探りをいれただけじゃ。幸か不幸か、ソナタはしっかり雄魔の記憶に爪痕をきざみつけておるようじゃからのぅ」


 それぞれがみ違えたパートナーを認識する。


「不思議。出会ってそこそこもしないクセ、恋人顔。……フシギ」

「そういうソナタとても、出会って数分もたたずにそこな女郎を愛しておるのじゃろう? フフン、十二分な異常じゃよ。

 ……それだけに、訪れたこのセカイがきなくさい異常にある、とわかる」

「イレギュラー?」

「うぅむ。まぁ一口にこれだ! と断言はできぬがの。……なにかしらの不都合が、呼び出されてよりずっと体をい回りおる。まるで自分の体じゃないように、自分の体に戻りたいように」


 稜線りょうせんを描くこともなくストンと平たい胸板、その上をなぞるように幼気なゆびさきは滑り——ぴたりと静止。心臓の位置。


いて語れば、ここが異常じゃな。心臓の機能——は、果たしておるが」

「違和感? それとも嫌悪感?」

「どちらもじゃ。ココロの在りどころがここじゃないと騒ぎ立て、そのうるささが無性に腹立たしい。ひょっとすればオカルティックなことが絡んでおるかもな、なにせ魔術に通ずる余がここにおるワケで——」

「ヤ、それは趣味嗜好だから。私もそう。だからフシギ。ここのセカイ、さまざまな得体の知れない存在がひしめき合うように


 かねてより二次元上にしか存在しえないヤンデレと幼女。ふたりは如才じょさいなく警戒したまま、情報の足りない現在を整理整頓する。

 それでも決定的なマスターピースが足りていないので、推理パートとはいくまい。


 はじめに白雪が溜息をこぼし、しとしと泣き崩れる雄魔のとなりに座禅する。


「うむ。しょうことなし。……やや気は乗らぬのじゃが、探偵ごっこめいたことをせねばなるまいて」

「ふぅん。乗った」

「ほほぅ存外、話の分かる奴——。そぅれ、そこな女郎を叩き起こせ。ひとまず、このセカイにもともと住んでいる二人から事を聞く方が、利口りこうじゃろう」


 いつのまにやら話の主導権を手繰たぐる白雪。


 ただし、運姫にとって不思議とこの幼女は好ましい。少なくとも、ずしんと沈みこんでいる少年に比べれば、だが。

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