第3話



 女性社員とは世知辛いものだ。


 およそ男性とは性別以前、からだの作りから違うので——それでいて、その差異をくみとることのできない何某なにがしから、仕事を頼まれる。力仕事はつらい。お怒りの電話口をとるのは厳しい。よこしまに目線を投げられるなど以ての外。

 とどのつまり、他人きわまりない異性と仕事をともにするのが、際限なく嫌だった。


 だから、同性に癒しをもとめる。彼女の場合、


「だってさ、同僚ゼロ。それでいて部署にいるのが一癖二癖の怪人ばかり。……ゲームに携わるお仕事にぎつけた、と思えば仕打ちはこれで——」


 いまはわえる髪飾りも放り、そのままに腰まで下りた黒髪。湯上りの彼女は、わりかし値の張った櫛でそれを器用にくしけずり……


 近頃に導入してみたアロマ化粧水をぶち込める保湿機を、足で抱く。


「デバック作業はホンモノの地獄絵図を呼ぶからさ……。たいてい、見つかるなの思いで目をつぶったバグほど見つかる。それもリリース直近にね? 遊び心で無断導入したイタズラシステムは棄却ききゃくされるもの」


 細い息を吐きつらね、どんより顔を曇らせる女。

 まぁ、ここまでは会社疲れを言霊ことだまのように語る一般人だ。きっと対峙する相手には、慰めをもとめる具合の。


 なので、異常なのは対面する側。


『今日もよぉく頑張ったの。が撫で溶かしてやろう』

「ほぉおぉおおおッ」


 液晶画面。4Kテレビ。もっと言えば、アニメブルーレイの一部分。

 女性はパーフェクトに記憶したシーンを切り抜いて、最高画質、ロリにたらふく甘やかされていた。


 もちろん如才じょさいはない。軟質マネキンにカイロをはりつけた疑似手のひら。かぎりなく未発達のボディを再現するように特注したシリコン枕。そして、意のままに起動するよう調整した静音ドライヤー。


 女は、ヴァーチャルを乗り越える算段をつけている。


 あたかも隣にいるような息遣いきづかいパートでは、ドライヤーを。

 今のようにこちらへ触れる動作があれば、軟質マネキンに。

 からだを預けるようなシーンの場合、シリコン枕へ。


 ハッキリと言おう。変態である。生物学上で女のカタチをしただけの、真っ黒に汚れたきわめつけの変態である。


『いついかなる時も、余が隣におることを忘れるな。ユ、ウ、ギ』

「ぐごがぁあッ! 破壊力バツグンだぜ推しボイスの名前呼びィイィイイ」


 游戯——桐ノ宮きりのみや游戯ゆうぎは、このアニメにおける推しキャラシーンをひとくさり記憶している。


 それだけに、音声パターンを分析。音波からつまびらかにして、違和感のないように我が名を呼ぶようサンプリングしていた。抑揚、息継ぎ、一コマ、いずれをとっても完全なユウギという名前呼びを、仕立て上げているのだ。

 きわまっている。お高いヘッドフォンを購入したのも、これこのため。


「ぐッ、ほはぁ……よしこのまま入眠のシーンへシフト……ォ……。このまま一挙、極楽至上の一日終了を遂げるっ」


 いさみ、猛り。游戯はラストスパートにとりかかるよう、トラックリストを変える。


 その過程だ。役目を果たさないよう——つまり邪魔を許さないよう、通知をまるきり切っていた筈のスマホ。

 それが、バイブレーションをり行った。


「ぐぅッ? これからってトキに面妖な邪魔立てを……! というか通知オフってるでしょう、なんだってシステムの壁を越えて——、」


 一件の新規メール。それも迷惑フォルダー行きのものだ。

 これには火山噴火も斯くやにいきどおり、だが、


「仮想物立体化技術——?」


 聞きなじみのないシステムであった。

 電子を取り扱う以上、そしてお金が発生する商品である以上、游戯は定期的に量子関連の講演会へ顔をだしているが……


 さて、本当に聞き覚えのない単語である。それも仮想物の立体化——つまり、あくまでも平面でしかないデータの塊を、現実のセカイに落としこむという妙技。

 それは夢にまで見て、ついぞ実現のために予算を傾けているものだ。たとえば会議で取り沙汰ざたになっているとすれば、聞こえよがしに食いつく自信がある。


 もっとも、他人の手柄でさえも釣られてしまうのだから……


「そんなもの、できるワケがないでしょうに……」


 游戯は知っている。その道筋は未知ではなく既知だ。


 そもそもだ。根っこの部分からして、二次元上に生きる生物種をここに落とし込むには、

 たとえ生身の人間を素体として見做みなしたにせよ、そこに三次元を生きていない生命の魂は入りこまない。どんな情報を詰め込んだツギハギのものであっても、それは本物ではないのだ。せいぜいできのわるい贋作がんさく止まり——すなわち、いまの游戯がクラフトしたような、命なき偶像。


「いまどきタチが悪いわね。……真偽を調べるのも一苦労だから、そりゃあ一般的にオタク一本釣りはできるのでしょうけれど——フフン! 残念ね、私はそんな幼稚技術つうじな、」


 ひとりで得心し、合点がてんし、いまにも高笑いでメール削除を決め込むその折だった。


「国家守衛……?」


 文末の差出人名義は、しくも国であった。個人という単位ではなく、一国。


 目に触れた怪異は、それだけではない。

 メールの趣旨が、システムの未来運用のため試験者モニターを募集している、と。


「……。ハン。なによそんな怪しさ満点の釣り広告、そんなイージーにひっかかるワケが、ワケが……ないじゃあないの」


 瞳が揺らいだ。まつげが、焦燥にかられたよう震える。


 たしかに、個人では絶対的に不可能なシステムだ。研究施設を貸し出してもらえるワケでもないし、そもそも研究者だなんて思ってもいない游戯。しょせんひとりの行き過ぎた廃人、栓のないことは見切りをつけるべきで……


 だが、そこで耳朶じだを触れた言葉がいけなかった。もっとただせば、トラックリストの切り替えを不十分にしていた、游戯の落ち度。


『いつまでもだ。余はいつまでだって、ソナタとの出会いを待つ。のみじゃ』

「……ッ」


 和装をしたロリっ子は、はかなげな眼差しをスクリーンいっぱいに映し出す。

 シーンとしては、主人公と一時でさえ離別するとき。……決して、游戯にだけ向けられたシーンではない。物語の主役である者に、宛がわれた想いである。


 解っていた。そのみ分けは、十二分と解っているハズだった。


「…………。上等ね、すたらせるつもりなんてサラサラないわよ」


 推しにいついかなる時でさえエンカウントすることがありえる。そう胸に誓って身なりていどは整えていた游戯、そのまなじりを決した。

 いや或いは。結局、こうして誰かが先進的なシステムを作り上げることを、待ち望んでいたのやもしれない。


 ただ、了承からまもなく返答メールがあたえられるのは頂けない。監視されているような心地だ。そしてまたも迷惑扱いされて、正規のフォルダーには入っていない。


「……不安、ね」


 舌を巻き、游戯は本音をこぼす。


 だが当選してしまったものは仕方ない。ひとまず眠りについて、詳細なことは明日から考えることとしよう。

 その得心とくしんぶりを、おもいきり裏切られたものだが。


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