第8話 破滅回避?
空気が凍ったという表現は、まさに今みたいな時に使うのだろう。
家族全員での夕食。それだけなら微笑ましい団欒を思い浮かぶ者が多いだろうが、現在の状況を目にすれば即座に前言撤回するに違いない。
私も、父も、母も、頬を引き攣らせた表情で固まっていた。唯一この食卓で動いているのは、もしゃもしゃとマイペースに夕飯を食べ進めるお兄様のみ。
「……て、天理。今、何と言った?」
「え? 惨めな人だねって。自分の不出来を棚上げして、よくヤッちゃんをなじれるなー」
震える声で訊ねた父に、更にお兄様が追撃の暴言を放つ。
極めて平然と。特に緊張した様子もなく。食事の感想を述べるかのような自然さで、生みの親に対して悪口を述べていく。
お兄様は我が家のタブーである。典型的な毒親である両親をして、本能的に避けたくなるような恐ろしさがある。
しかし、しかしだ。如何に避けていようとも、ここまであからさまに罵倒されては、父とて引き下がるわけにはいくまい。
プライド的にも、なにより当主という立場的にも反論しないわけにはいかないだろう。
事実、父は憤怒の表情で怒鳴り声を上げ。
「っ、この馬鹿息子! 親に向かって──」
「うるさい。ご飯中に叫ばないでよ」
──お兄様の放つプレッシャーによって、その勢いは見事に叩き潰された。
「っ……!?」
「ひっ……」
「ひぇ……」
父が椅子にへたり込む。母が掠れた悲鳴を上げる。私も全身から冷や汗が吹き出た。……少し離れた位置で控えていた使用人たちも、あまりのプレッシャーに身動ぎ一つできなくなっている。
重い。ひたすらに空気が重い。ただお兄様が不快感を示しただけで、重力そのものが切り替わったかのように重い。
「……マジですの……?」
しかも、それだけにとどまらない。衝撃の事態はまだ続く。周囲の調度品がカタカタと音を立てて揺れ始めたのだ。
唖然とした。両親の前でありながら、口調を取り繕うこともできなくなった。だって意味が分からない。こんなこと普通はありえない。
──この人、魔力もオーラも使うことなく、不快という意思のみで物理的な干渉を実現している……!?
「いやいやいや……」
確かにこの世界は、ゲームシステム寄りのファンタジーだ。『魔法』だけでなく、ゲーム内で使われていた『スキル』の類も実在している。
だがこれはゲームではなく現実なのだ。スキルにしろ魔法にしろ、システムコマンドなどという無機質なものでは断じてない。
魔法は魔力を、スキルはオーラを消費して発動させるだけの特殊技能。それ以上でも以下でもない。
どちらもダンジョンから供給されるファンタジー要素を使っているだけで、タネも仕掛けもあるれっきとした技術なのだ。
──だからこそありえない!! 何でこの人はファンタジー要素をいっさい使わず、ただの威圧感に物理的な影響力を付与しているんだ!?
「ご飯中は静かに。騒いだりしたら、他の人のお皿に唾がとんじゃったりするしね。父さんが気をつけるのはもちろんだけど、母さんも注意ぐらいしてよねー」
「「っ……!!」」
お兄様の口調は軽い。普段のそれとなんら変わらない。いつも通りの、風船のようにフワフワとした喋り方だ。
だが放たれる圧は洒落になっていない。『殺気』のような分かりやすい敵意ですらないのに、どうしようもなく身体が強ばる。
特に意識を向けられていない私ですらコレなのだ。直接不快感を向けられている父と、ついでに巻き添えを喰らった母が感じている重圧は、一体どれほどのものなのだろうか。
「あ、そうそう。伝えようと思ってたんだけど、ヤッちゃんは半年ぐらい僕が鍛えるから。学校の方にはいい感じに伝えといて」
「っ、ぁ……」
「あとトレーニング用の施設、訓練所付きの別荘あったでしょ。そこも貸し切っておいてね。近くに久遠家所有のダンジョンがあるところがいいな」
「ぁ、ぅ……」
「ただ煩わしいのは嫌だから、使用人や警護の人員は最小限で。余計な口を挟まないメンバーにしてくれる?」
「……っ!!」
お兄様の口から、信じられないような要望がいくつも飛び出してくる。
常識的に考えて、了承などできるはずがない。毒親だとか、そんなの関係無しに却下されて然るべきだ。
だが言えない。保護者である両親も、サラりと巻き込まれている私も、お兄様の言葉に否と口を挟むことができない。
さながら蛇に睨まれた蛙。いや龍に睨まれたオタマジャクシだろうか。
私たちは、捕食者を前にして固まる餌ですらない。本来ならば意識すら向けてこない圧倒的な怪物に、自我を宿した災害に何故か睨まれている小さな命だ。
「それじゃあ、諸々お願い。できれば明後日までにね。──分かった?」
「ぁ……」
「分かったかなって訊いてるんだけど」
「「──」」
一瞬。本当に一瞬だが、お兄様の背後の空間が揺らめいた。
それと同時に幻視した無数の瞳。人のソレでは決してない、力ある超常の存在の瞳。
──それは龍だ。お兄様のアビリティ【龍頭荼毘】によって使役される無数の龍たち。その全てが神話に名高き怪物がモチーフとなった、人の身では到底敵わぬ超存在の群れ。
「「っ……!!」」
コクコクと両親が頷く。どこまでも必死に、何度も何度も首を縦に振っている。
わずかに覗いた狂気の光景は、人の心を折るには十分すぎる代物であった。
「よかったー。ワガママに応えてくれてありがとうねー。じゃあご馳走様でしたー」
そう言ってお兄様は、にへらと気の抜ける笑みを浮かべて食卓から去っていった。
「……」
それは暴力と呼ぶにはあまりにも大人しく、害意と呼ぶにはあまりにも穏便。
されど従う意外の選択肢など存在しない、抵抗の意思すら湧かない絶望があった。
「あれが本当のお兄様……」
『久遠天理』は裏ボスである。ゲームにおいて世界を救った主人公たちを、何度も粉砕した最難関のエンドコンテンツである。
──それが現実となったのがアレなのだ。裏ボスとして無数の廃プレイヤーに血反吐を吐かせた、その力の一端がアレなのだ。
「……」
死を連想するプレッシャーから解放され、放心状態となった両親を眺めながら思う。
「──私、これからあの人に質問しないといけないんですの……?」
ていうか、あの人の形をした終末みたいなバケモノに、私はしごかれることになるんですの?
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