第675話 義憤を胸にしまい

 脇腹をさすりながら踊りへ目を向けると、胸の代わりに腹を触られた女性が、腹いせに男の頭をガシガシ叩いている。

 僕も含めて、全体的に何とも締まりのない感じだな。

 踊りを見ている観衆からも、大きな笑い声が聞こえているぞ。


 「はぁ、女の人が可哀そうですわ」


 〈アコ〉が盛大に溜息を吐いている。


 「なぜ踊れないほど、お酒を飲むのでしょう」


 〈クルス〉は大きな疑問があるらしい。


 「あそこに、泣き出した人もいるよ」


 〈サトミ〉は心から同情しているようだ。


 僕はお酒を飲んで、少し酔った頭で良く考えた。

 ここは、何も言わずに黙っていよう。


 その後男達は、水の入った樽に頭をザブンと入れられて、酔いを強制的に覚まされたようだ。

 ドボドボになって、口からピューと水を吐いてやがる。


 再会された踊りで、何とか胸を触ることが出来たようで、女性から〈よし〉〈よし〉と頭をなぜられているぞ。

 だけど《ラング》の若い男達よ、それで良いのか。

 パートナーの女性から、母親みたいに頭をなぜられて、喜ぶなんて情けないぞ。


 僕は湧き上がる義憤を胸にしまい、引き続き沈黙を守ったのは言うまでもない。




 春の嵐は、凶事を一緒に連れてくると、昔の人が言ったらしい。


 《ラング》の町を強風が吹きすさぶ日に、王宮からの知らせがもたらされた。

 《サハン》の町が、〈青白い肌の男達〉に占領されたと言う衝撃である。


 万に迫る大軍が町へ、怒涛(どとう)にように押し寄せて、なすすべが無かったようだ。

 〈王都旅団〉と〈西部方面旅団〉の連携が、まるでとれていないから、嫌な予感が以前からあってはいたんだ。

 心配していた結果になってしまったな。

 嫁や臣下達も、この知らせを聞いて一様に暗い顔になっている。


 僕は努(つと)めて明るい顔で、「直ぐに王国が《サハン》の町を取り返すさ」と皆に言い聞かせた。

 だけど、この言葉には何も根拠がない。

 一時だけの安心を、自分と嫁達に与えたかっただけだ。


 それにしても〈青白い肌の男達〉は、どこから大軍勢を集めるのだろう。

 たぶん、他国に根拠地があるのに違いない。

 そう考えないと辻褄(つじつま)が合わないが、そう考えても辻褄が合わないところも多いな。


 一度戦いに敗れただけだと、僕達は思い直して、日常生活に戻っていった。

 《サハン》の町は、《ラング領》から遠く離れているから、今直ぐ危機的なことになるとは思っていなかったんだ。

 臣下達はより《ラング領》を発展させようと邁進(まいしん)しているし、僕は執務や裁判を順調にこなしていった。

 〈アコ〉は女主人として《ラング伯爵家》を引きしめて、〈クルス〉と〈サトミ〉は学園に熱意を込めていたと思う。


 ただ戦争の影が忍び寄ってきたため、《ラング軍》の陣容を騎兵五十人と歩兵五百人に編成することに決めた。

 〈青白い肌の男達〉が万に迫っているのなら、このくらいでは全く足りてはいないが、経済的にも人材的にもこれが《ラング領》の精一杯なんだ。

 それにしても王国はどう動くのだろう、会議の招集も何もないけど、長年の平和で思考停止になっていないことを祈ろう。




 それから一年の月日が、瞬く間に過ぎていった。

 〈青白い肌の男達〉に、二つ目の町を占領されたと、悪い知らせがまた入ってくる。

 僕達はその知らせに顔を曇らせながらも、日々の暮らしを一生懸命に送るしかない。

 一年の間は概ね平凡であったが、何もなかったわけじゃない。

 何個か印象深い出来事があったんだ。



 「〈タロ〉様、大変だ。殺人事件だ」


 《ラング衛兵隊》の〈ネス隊長〉が、青い顔をして執務室へ飛び込んできた。

 いつものように〈ガハハハッ〉とは笑っていない。

 殺人事件なんだから、笑っている場合じゃないよな。


 「うっ、誰が殺されたんだ。犯人は分かっているのか」


 「殺されたのは、〈ナサ〉って言う名のチンケな野郎だ。殺したのは、最近移住してきた〈カカ〉って名のあんちゃんだ」


 うーん、〈ナサ〉って、どこかで聞いたことがあるような名前だな。


 「それで犯人は捕まえたのか」


 「えぇ、殺った時は酔っぱらっていやしたが、死んだと分かったら、その場で腰を抜かしやがったんです」


 「そう言うことは、事件は昨日の夜のことなんだな」


 「そうです。深夜です。新町の飲み屋で起こりやした」


 「そうか。事件現場はどうなっているんだ」


 「現場検証のため、そのままにしてあります」


 「僕も現場を見た方が良いのか」


 「えぇ、〈タロ〉様の知り合いに、ちょっと関わりがあるんです」


 えぇー、僕の知り合いが、この殺人事件に関係しているのか。

 誰だろう。

 誰が殺人事件なんかに巻き込まれたんだ。


 殺人現場である新町の飲み屋行くと、野次馬の中に〈リーツア〉さんを見つけた。

 〈リーツア〉さんが、この殺人事件に関わっているのか。


 「〈リーツア〉さん、どういうことになっているんだ」


 「あっ、ご領主様、ご足労様(そくろうさま)です。どうも、酔っ払い同士が喧嘩して、打ち所が悪かったらしいですよ」


 うーん、〈リーツア〉さんは関係がないんだな。

 〈腹鍋屋〉の店が近くだから、見に来ているようだ。

 単なる野次馬だな。

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