第673話 肩を叩くだけだ
〈サトミ〉は涙ぐんで、〈マサィレ〉のことをすごく喜んでいる。
共感する力は、女性の方が優(すぐ)れているって本当だな。
だけど僕は、少し引っかかってしまう。
子供はいい。
子供には何も罪はない。
だけど元奥さんのことは、今後どうするんだ。
今回のケースでは、子供と元奥さんを引きはがす選択肢はないから、子供と暮らせば元奥さんが自動的についてくるぞ。
だけどそれは、〈マサィレ〉の問題で、〈マサィレ〉が決断することだ。
「おぉ、〈マサィレ〉良かったな」
〈マサィレ〉の友人ならば、〈マサィレ〉の感動を少しでも分かち合ってあげたい。
この先がどうなろうと、今の感動は決してまがい物じゃないはずだ。
「へへっ、それでですね。《ラング》で、一緒に住むことにしたんです」
〈マサィレ〉が、照れたように笑っている。
そうか。
そう決めたのか。
〈マサィレ〉が幸せになれる希望を持っているのなら、僕が反対することは何もない。
〈頑張れよ〉って、肩を叩くだけだ。
僕も結婚して、男と女の関係に対して、考えが少し変わった。
それは極端な二つの想いだ。
一つは、裏切って他の男に抱かれたなら、決して許せない憎悪の感情だ。
もう一つは、フラフラと他の男に抱かれても、最終的に僕を選んでくれたなら、男としてソイツに勝ったってことで嬉しいって感情だ。
ただ、最終的かどうかは検証出来ないので、元の鞘(さや)に戻るかはまた別の問題だ。
何でも受け入れてしまう、鞘であるかも知れないからな。
だけど、〈マサィレ〉の場合は違うか。
相手が死んだから、戻って来たってことだよな。
「嫁が言うには、重い怪我をした人を一人ぼっちにして、出ていけなかったって言うんですよ」
うーん、本当にそうなんだろうか。
現に死んでしまったのだから、本当に重い怪我だったのかも知れない。
だけどよりを戻すには、真実がどうあれ元奥さんとすれば、そう言うしかない気もするな。
「ご領主様に肩を叩かれ、前を向いて生きることが出来る気がします。俺はやりますよ」
〈マサィレ〉は、拳をグッと握って何かを睨みつけている。
それは元奥さんなのか、怪我で死んだ男なのか、それとも自分自身なのか。
〈マサィレ〉にも、分からないと思う。
〈マサィレ〉が、《ラング》で子供の世話をしていたのも、前を向いてた気がするし、本当に分からないな。
「〈マサィレ〉、後悔すると思ったら、がむしゃらになれよ」
「えぇ、もう良い人だけは止めます。我(が)を通すことも必要だと分かりました」
〈マサィレ〉はそう言って、速足で帰っていった。
〈マサィレ〉が大切だと思っている人達が、〈マサィレ〉の帰りを待っているのだろう。
「〈ターさま〉、安心してね。〈サトミ〉は何があっても、〈ターさま〉としかキスもしないよ」
僕の気持ちを察してくれたのだろう、〈サトミ〉が僕の両手を自分の両手で包み込んで、優しく微笑んでくれる。
僕の心は一遍に明るく満たされて、暖かい何かが身体中へ沁み渡っていくようだ。
「〈サトミ〉、ありがとう。僕は、〈サトミ〉が泣き叫んで嫌だと言っても、絶対に〈サトミ〉を離さないよ」
「えぇー、〈ターさま〉。〈サトミ〉のあんなとこを、昨日以上に責めないで。〈サトミ〉が嫌だと泣いたら、もう止めて欲しいんだよ」
僕は〈サトミ〉があまりに可愛いことを言うから、テーブル越しにキスをすることにした。
僕が顔を〈サトミ〉に近づけると、〈サトミ〉も近づけてくれる。
「ちゅっ」と幸せの音がした気がするな。
《ラング領》へ帰る〈深遠の面影号〉の甲板の上で、〈マサィレ〉の元奥さんが、深々と僕に頭を下げてきた。
〈マサィレ〉の態度からすると、もう元は取れている感じだ。
これから《ラング》の町へ住むのだから、領主に筋を通しておこうってことだろう。
ただ、頭を下げているのに、奥さんが堂々とし過ぎているように思う。
子供のためとはいえ〈マサィレ〉を見限って、重傷人を抱えているからと〈マサィレ〉を拒絶したんだからな。
それに一番どうかと思うのは、〈マサィレ〉に大きな嘘をついていたことだ。
現夫が重傷を負い重荷(おもに)となった途端(とたん)、都合良く前の夫が帰ってきたので、〈はい。さよなら〉は、あまりに非道だと考えたのかも知れない。
〈事情が許せば〈マサィレ〉とよりを戻したい〉と言えば、ドロドロとした救いのない争いになってしまうと考えたのかも知れない。
だけど、何か割り切れないものがあるんだ。
しかし〈サトミ〉達嫁は、〈マサィレ〉の奥さんの行動を、仕方がないものと理解しているようだ。
こんな場合に、〈男と女の間には《ラング川》が、滔々(とうとう)と流れている〉と言うのだろう。
何回も〈サトミ〉と一体となったつもりでも、その行為は所詮(しょせん)粘膜を刺激し合っただけなんだろう。
だけど、勘違いでも良いと思う。
パートナーと一つになれたと思うのは、それほど悪いことじゃないはずだ。
「ご領主様、私は子供を育てるために、夫とあの人に申し訳ないことをしました。特に夫の〈マサィレ〉には、多くの償(つぐな)いをしなければなりません。私は冷たい女なんだと思いますが、夫に償いをする機会を与えられて、心から嬉しいのです」
〈マサィレ〉の奥さんは背筋をピンと伸ばし、涙を流し続けていた。
それを見ている〈サトミ〉も、「えぐ」「えぐ」と泣きじゃくっている。
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