第605話 初夜の記憶が一切ない

 執事の〈コラィウ〉なんて、おいおいと泣き出す始末だ。


 「苦節四十年、この日を迎えられて感無量(かんむりょう)です」


 僕がどうしようもないヤツで、結婚なんか出来ないと思っていたんじゃないだろうな。


 緊張が解けて空(す)きっ腹に一杯飲まされたから、相当酔ってきたぞ。

 僕が食べられる料理は、近くにはないみたいだ。

 遠くのテーブルにあるご馳走に、金を払っているのは僕なのに、これは非道だと思うよ。


 「ふふふ、〈タロ〉様。皆さん楽しんでおられるようですね」


 「そうだな。でもお腹が空いたよ」


 「まあ、そんなことを言って。今は我慢して下さい。皆さんのお祝いを受けるのが、優先するに決まっていますわ。後宮に帰ったら食べさせてあげますから、今は辛抱ですわ」


 「くぅーん、厳しいな」


 「一食くらいなんですか。さあ、もっとニコニコしてください。それとも私と結婚したことで、笑えないんじゃないでしょうね」


 「そ、そんなことはありません」


 僕は無理やり笑顔を作って〈アコ〉の手を握った。

 笑顔だけでは乗り切れないと思ったんだ。


 「もう、〈あなた〉ったら。人前ですわ」


 そう言いながら、〈アコ〉は嬉しそうな顔をしている。

 長く付き合ってきた成果が出たな。

 メイド頭の〈ドリー〉や 〈ハヅ〉の嫁の〈プテ〉に、ラブラブぶりをからかわれながらニコニコと話をしている。


 もう手を離したいのに、タイミングがなくなったぞ。


 僕はその後も、〈カリタ〉や雑貨屋のおじさんや、パン屋の若店主、宿屋兼飲み屋兼食堂の主人らに、次々に酒を飲まされた。

 《入り江の姉御》の母親には、いかさまみたいに何度も注がれてしまって、もうこれ以上飲めないよ。


 白い雲がクルクルと渦(うず)に吸い込まれて、白色がもっと白く凝縮(ぎょうしゅく)されていくぞ。

 これはあれか、〈アコ〉が花嫁衣裳の下に履いてたショーツを、僕が脱がして空に放り投げたのか。

 酔っ払いが空に向かって「《ラング伯爵》、ばんざい」と叫んでいるので、きっとそうだ。



 目を開けば、見られない白い天井が、視界一杯に広がっている。

 えっ、また転生したのか。


 「〈あなた〉、早く起きてください。もうお昼前ですわ」


 あれー、再度転生したのに〈アコ〉の声が聞こえるぞ。


 「えっ、〈アコ〉がどうして」


 「はぁ、かなり寝ぼけていますわ。早く顔を洗っていらっしゃい」


 僕は顔を洗い歯を磨いたら、少し頭がハッキリとしてきた。

 確か、昨日結婚したんだ。

 〈アコ〉はもう僕の嫁なんだ。


 だけど、昨日の初夜の記憶が一切ないし、頭がズキズキ痛いぞ。


 「ほら、〈あなた〉。これに着替えてください。ふー、昨日酔い潰れてそのまま寝られたので、シャツがクシャクシャになってしまいましたわ」


 〈アコ〉はクシャクシャのシャツの皺を伸ばしながら、蔓(つる)で編んだ籠の中へ入れている。 

 どうにかして綺麗にするのだろうけど、このビラビラのレースはもう着たくないな。


 「〈あなた〉、胃腸に優しくと思って麦粥(むぎがゆ)を作りましたわ」


 わっ、ドロドロで鼠色の液体だ。

 オートミールみたいなものだな。

 すごく勇気が試される、色と粘(ねば)り気(け)だな。


 これはまた、結婚生活の分岐点じゃないのか。

 ロールプレイングゲームのように、困難な試練が次々と出てくるぞ。

 やり直しが効かない人生と言うゲームを、僕が上手くクリア出来るかとても心配だよ。


 「おぉ、美味しそうだな。〈アコ〉が作ってくれたの」


 これほどドロドロなのは、絶対〈アコ〉に決まっている。


 「ふふ、そうですわ。たんと召し上がれ」


 僕は二日酔いで吐きそうなのを、根性で我慢して完食を果たすことが出来た。

 自分で自分を、良くクリアーにしたと褒めてあげたい。


 「ふふ、完食ですね。お代わりがいりますか」


 「ううん、まだ二日酔いなんだ」


 「そうですか。少し飲み過ぎですわね。お薬を飲んでください」


 「薬って、二日酔いの」


 「〈あなた〉がいつも飲んでいる薬ですわ。滋養強壮にも精力増強にも、すごい効果があると言ってましたよ」


 あのドドメ色の薬か。

 飲めと言われたけど、全く飲んでいなんだよ。

 新薬だし色がちょっと怖いから、抵抗感がものすごくあるんだ。


 「分かったよ。飲むよ」


 たぶん一粒くらいでは、死んだりはしないだろう。


 「〈あなた〉、お風呂に入ってきてください。気分も良くなると思いますわ」


 「うん、分かった」


 一瞬、「一緒に入る」と言いかけたが、言葉には出来なかった。

 まだ、照れがあるし焦る必要はないんだよ。


 お風呂から上がり用意してくれた服に着替えたら、二日酔いもかなり収まって来たぞ。

 白いソファーに座って〈アコ〉が入れてくれたお茶を、まったりと飲むとやっとお腹と気分が落ち着いてきたな。

 そうなると、横に座っている〈アコ〉の唇が、艶やかに光っているのが気になって仕方がない。


 僕が顔を見詰めているのを感じて、〈アコ〉も僕の顔を見てじっと動かなくなった。

 結婚して初めてのキスは、婚約時代と違うようでもあり、変らないようでもあった。

 ただ〈アコ〉の身体が、気のせいかも知れないが、キスしている間もかなりリラックスしていた感じがする。


 「ふふ、こうしていると結婚したんだって、思いますね」


 〈アコ〉は僕の太ももに手を置いたまま、微笑んでいる。

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