第589話 一心に祈る〈クルス〉

 僕と〈クルス〉は、〈クルス〉の卒舎式までの三日間をずっと一緒に過ごした。

 これほど長く〈クルス〉と二人切りでいるのは、初めてかも知れないな。


 〈クルス〉の希望で、《聖母子教会》へ参拝しに行くことになった。

 今回も〈クルス〉は祈祷(きとう)を頼んでいる。


 高い天井に描かれた極彩色の神話の下で、モザイク状のステンドグラスから降り注ぐ七色の光に包まれて、一心に祈る〈クルス〉の横顔はとても綺麗だと思う。


 隣で適当に手を合わせている僕とは、比べものにならない。

 僕が考えていたことは、〈クルス〉ともう一度することだけだ。


 「《ラング伯爵》様、お久しぶりで御座います。その節は大変お世話になり、誠にありがとうございました。熱心にお祈りをされているのですね」


 あっ、〈スアノニ女子修道院〉の院長さんだ。

 この教会に身を寄せているんだな。


 「こんにちは。大したことはしていませんよ。それから、王子からお話を聞いておりますので、《ラングの町》にドーンと大きな修道院を建てる予定です」


 修道院と学校を建てれば、新町の空白はもう怖くないぞ。


 「まぁ、《ラング伯爵》様、ご無理を聞いて頂きありがとうございます。貴方様に祝福があらんことをお祈りいたします」


 「いえ、いえ。王国からも資金が出ておりますので、あまり気にしないでください。でも本当に《ラング》で良かったのですか」


 「えぇ、最高の場所だと思っていますのよ。今日、奥様と熱心にお祈りをされているのを拝見出来て、間違っていないと確信いたしました」


 奥様か。

 熱心なのは〈クルス〉だけなんだがな。


 「院長様、申し遅れましたが、妻の〈クルース〉と申します。よろしくお願いいたします」


 あれ、〈クルス〉が誤解を解かないぞ。


 「この度、《ラングの町》に建てて頂きます〈スアノニ女子修道院〉の院長で御座います。こんなに可愛い奥様がいらしたのですね。《ラングの町》では仲良くしてくださいね」


 「ふふ、こちらこそ仲良くしたいと願っております」


 《聖母子教会》を出た〈クルス〉はとてもご機嫌だった。

 〈南国果物店〉に帰っても、ずっと微笑みが絶えない。

 夕食を食べ終えてからも、ずっと僕に引っ付いている。

 寝る前に長いキスをした後、らしくないことを言うほどだ。


 「〈タロ〉様、今日はまだ痛いのですが、明日は奥様の役目を果たしますね」


 院長に奥様と言われたことが、そんなに嬉しかったのか。

 〈クルス〉は僕の首に抱き着いて、もう一度キスを強請(ねだ)って部屋を出ていった。


 僕はとても嬉しいのだけど、〈クルス〉の変りように少しついていけないぞ。

 でも〈奥様の役目〉を、この前は痛いのを我慢して実践してくれたんだ。

 気持ちが良くいけたので、一生ついていきたいな。



 卒舎式の前の日、《赤鳩》に用事があると〈クルス〉が言うので、一緒に着いていった。


 《赤鳩》の門の前で、一人の《赤鳩》生が〈クルス〉を待ち構えていたらしい。

 髪が短くてズボンを履いた、ボーイッシュな女性だ。


 「やっと来たね。貴女に話があるから待っていたよ」


 「〈ミン〉、どうしたのですか。あの話はハッキリと断ったでしょう」


 「でも私は納得出来ない。貴女なほどの才女が側室に収まって、才能を腐らせるなんて許されないよ」


 「私の才能なんて、大したことはないです」


 「何を言うのだ。貴女が中心で研究した新薬は、画期的なものじゃないか」


 「新薬って言うほどの物ではないのは、〈ミン〉も分かっているでしょう。昔からある薬の成分の一部を、安価な材料へ変えただけでしょう」


 「それが画期的なのだ。誰でも買える薬を開発したんだよ」


 「ふぅ、〈ミン〉は《赤鳩》で教職をしながら、研究を続ければ良いと思う。それがあなたの幸せだから。でも私の幸せは《赤鳩》にはないのです」


 「〈クルス〉は本当に側室で幸せなのか。脳をブン回す心地良い疲れがいらないのかよ」


 「ご心配なく。今も隣にいる夫に、領地で初等教育をしろと無理難題を押し付けられて、脳を全力で働かせていますよ」


 「えっ、領民に初等教育。人数が多過ぎて無理だと言われているよ」


 「えぇ、側室になるだけでは許さない、情け容赦(ようしゃ)ない夫でしょう。私の能力を過大評価してくれているのよ」


 「うぅ、…… 」


 〈ミン〉という《赤鳩》生は、〈クルス〉の反論が意外過ぎて、言葉に詰まってしまったようだ。

 〈クルス〉は、その才能を見込まれて《赤鳩》の教職に誘われていたんだな。


 開発したという新薬は、今僕が飲んでいる薬なんだろう。

 思っていたより安全みたいだけど、薬効が何かとても気になるな。


 「〈タロ〉様、お手数をおかけしますが、〈南国茶店〉で少し時間を潰してから迎えに来てください」


 〈クルス〉は、〈ミン〉という《赤鳩》生を置き去りにしたまま、《赤鳩》の校舎へ向かって行った。

 僕は、門の前で〈ミン〉と残された形になったので、慌てて〈南国茶店〉の方へ歩き出す。

 話しかけられても困るからな。


 〈南国茶店〉でお茶を飲んで、従業員の〈テラーア〉に彼氏は出来たかと聞き、背中をどつかれて時間を潰した。

 もう童貞じゃないから、変な余裕があるんだよ。

 〈テラーア〉に、この〈変態セクハラエロ領主〉と思われたようだが、半分以上違っているぞ。

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