第584話 ピンク色の霧
僕達は隅の方へ来たので、今休憩しているテーブルには親しい人がいない。
でも〈アコ〉を独占出来るので、それも良いと思う。
「〈ラト〉と踊ってくれるとは。〈ロロ〉は、本当に優しい人なんだな」
「うーん、〈ロロ〉は優しいと思いますが、〈ラトィキロ〉さんと踊ったのは、王子のためだと思いますわ。〈サシィトルハ〉王子の味方を、少しでも増やすためでしょう」
「えっ、そうなの。王子のことが好きなんだ」
「うーん、嫌ってはいない感じですね。王子が好きだから踊った訳じゃないと思いますわ」
「そっか。僕は〈アコ〉が大好きだから、踊っているんだけどな」
「あっ、もう、いやだ。さらっと言わないでください。私はどうしたら良いんですか、大好きな〈タロ〉様」
〈アコ〉が僕の胸に顔を埋めてきた。
僕はそっと〈アコ〉の肩を抱いて髪の匂いを嗅いでみる。
新入生歓迎の時と比べると、成熟した匂いがしているんだろうな。
「ごっほん」
良い雰囲気を邪魔したのは、〈ソラ〉だ。
こんなところに、生息(せいそく)していやがったのか。
隣にいるのは地味で真面目そうな女性で、胸元が開いていないドレスを着ている。
僕達は初対面の挨拶を交わした。
〈アコ〉は地味な女性の顔は知っていたが、あまり接点がなかった感じの対応だ。
殆ど話したことがないんだろう。
「〈タロ〉は、どこでもイチャイチャしているな」
「えっ、そんなことないだろう」
「あははっ、発表会の〈アコーセン〉さんの詩を聞きましたよ。どう考えても、深い仲ですね」
地味な見た目だけど、明(あ)け透(す)けな性格のようだ。
ズバッと言われて、〈アコ〉がおたおたしているぞ。
「ははっ、ご想像にお任せしますよ。友達が呼んでいるようなので、失礼しますね」
僕と〈アコ〉は、これ以上からかわれるのが嫌だから、この場から離れることにした。
「〈タロ〉様、私の詩を聞いてどう思いました。皆は重過ぎるって言うんですよ」
そうだよな。
誰が聞いても、あれは重いよな。
「うーん、僕は嬉しかったな。〈アコ〉がいじらしくて可愛いと思ったよ」
「うん、うん。〈タロ〉様だけは、分かってくれるのですね。私は一途(いちず)で可愛い女なんですもの」
〈アコ〉は楽しそうに少し跳ねて僕の腕に、また絡みついてくる。
ボヨンボヨンとおっぱいが、肘に当たって凹んでいるぞ。
おっぱいが、痛くはないんだろうか。
鍛えているから大丈夫なのかな。
会場の真ん中を歩いている時に、最後の曲の演奏が始まった。
最後だからか、すごくスローなテンポだ。
ステップを踏むというより、ユラユラと歩く感じにしかならない。
僕は〈アコ〉の顔を見ながら、腰を抱き寄せてゆっくり踊った。
二人の腰は合わさったままだけど、〈アコ〉はニコニコと笑っている。
他のペアは、ここまで密着して踊ってはいない。
婚約している人達もいるのだろうし、恋人達もいると思うけど、僕と〈アコ〉を超えていないな。
何だか嬉しくなって、ニヤニヤとなってしまうぞ。
「〈タロ〉様、どうしてそんなに、嬉しそうなのですか」
「はははっ、〈アコ〉と踊っているんだぞ。嬉しいに決まっているじゃないか」
「ふふふ、私も同じですわ。もっと抱き寄せてください。もっとイチャイチャしたいんですの」
周りの目を気にしないで、僕は〈アコ〉に強く押し付けた。
もう卒舎だから、からかわれることを心配する必要はないし、〈アコ〉の気持ちを大切にしたいんだ。
僕達に触発されたのか、他のペアの密着度が増して〈健武術場〉がピンク色の霧に包まれていっているようだ。
男のうめき声と女の色っぽい声も、〈健武術場〉に響き渡っているぞ。
僕もうめいて、〈アコ〉もあえいでいたかも知れない。
これじゃ僕らは、最スケベな世代と言われ、〈健武術場〉で不純異性交遊を堂々としたと伝説になるのかな。
まあ、ならんわな。
先輩達の舞踏会のことを、知りたいとは全く思わなかった。
舞踏会で知りたいと思うのは、踊っている相手の全てだからな。
僕は〈アコ〉の顔をじっと見詰めて、左手でグッと腰を引き寄せて、右手をお尻に当てている。
もう手は握っていない。
〈アコ〉のおっぱいは揺れて、僕は腰を揺らして、二人はフラフラと〈健武術場〉を彷徨(さまよ)っている。
周りの目も気づかず、嘲笑(ちょうしょう)も耳に入らない。
何かをめくるめくような液体の中を彷徨っているんだ。
どう考えても、さかりがついたエロガキが、こすり合っているだけじゃねえか。
自制心っていうものが、羞恥心っていうものが、まるでないんだな。
ご先祖(せんぞ)さんは、泣いていますよ。
〈卒業記念舞踏会〉が終わり、僕達は《黒鷲》に帰ってきた。
〈アコ〉も友達と「きゃ」「きゃ」と話しながら、《白鶴》へ帰っていった。
着替えを済ませてシャワーを浴びて、皆の様子を見ると。
遠方のヤツは、親が泊まっている宿に向かうようだ。
王都に家があるヤツは、もう実家に帰ってしまうらしい。
皆大きな荷物を抱え、部屋を引き払う準備が整っている。
係の先生に出て行く部屋の確認をして貰い、お別れの言葉を言っているな。
僕にも別れの言葉を投げてくれる。
「〈タロ〉、お前と会えて良かったよ」
「〈タロ〉、また会おう」
「〈タロ〉、元気でな」
「〈タロ〉、楽しかったよ」
「〈タロ〉、さようなら」
「それは僕も一緒だ。友達になれて良かったよ」
「おぉ、直ぐに会えるさ」
「お前こそ、元気でな」
「僕も楽しかったよ」
「うん、さよならだ」
人の温かみを失くした《黒鷲学舎》が、ガランとしている。
こんなに皆が、早く出て行くとは思わなかったな。
もうここは、僕がいて良い場所じゃないと強く思う。
希望に燃える新たな学舎生を、受け入れるために備えている場所なんだ。
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