第574話 小魚を焼いている屋台
「せっかく誘ってくれたから、少しだけ顔をだすよ」
「へへっ、英雄様が来てくれたら、皆の気合が爆上がりだぞ」
〈ラオ〉、止めてくれ。
そのような発言はフラグと称(しょう)して、悲しいことの引き金なんだよ。
たぶん、皆の気合は平坦(へいたん)なままだと僕は思うな。
〈ラオ〉達に連れられ《新ムタン商会》へ、歩いて向かうことになった。
しばらく前の喧騒(けんそう)は嘘みたいになくなって、日が落ちる直前の〈ラング広場〉にはチラホラと人がいるだけだ。
明日へ備えて、いやらしい男達は英気を養っているのだろう。
掃除を請け負った人達だけが、せかせかと動いているのがやけに目立つ。
〈ラング広場〉を突っ切る道の途中に、小魚を焼いている屋台が見えた。
勤勉なのは良いけど、今日は売れそうもないぞ。
「《ラング伯爵》様、お断りをさせてくだせぇ。お怒りにならないように、どうか頼んます」
大柄でスキンヘッドでギョロ目の〈アン〉兄ちゃんが、身体を縮めて僕へ申しわけなさそうに言ってきた。
「僕が怒ることなの」
「へぇっ、あそこの屋台で小魚を焼いているのは、〈マサィレ〉の元のかみさんなんです」
おっ、良く見るとそうだな。
小魚を炭で焼いている姿が、前より老(ふ)けて見える。
「あの方が、〈マサィレ〉さんの奥さんなのですか」
「〈アコ〉違うよ。元だよ」
「とても悲しそうですね」
「〈サトミ〉は見てられないよ」
許嫁達は元奥さんを見て、悲しさを抱(いだ)いていると言っている。
女と男の感情の違いなんだろう、僕にはそう思えない。
「僕に断(ことわ)りがいるのはどうしてですか」
「あの小魚は、《ラング領》の塩魚の小っちゃいヤツなんだ。《ラング伯爵》様は、〈マサィレ〉と親しいから、気分を害されると心配しているんです」
「知っていると思うけど、〈マサィレ〉は小っちゃいヤツじゃないよ」
僕は平静に話したつもりだけど、嫌悪感を含んでいたらしい。
「姉(あね)さんをどうか許してあげてください。あたいは、姉さんに一杯世話になったんだ。苦しい時の《新ムタン商会》の女どもは、皆恩を受けたんだよ。だから、少しでも返したいんだ」
いつも僕をからかっている〈ミオ〉が、真面目な顔付きで僕に訴えてくる。
《ベン島》で暮らしていた子供時代は、こんな顔をしていたんだろうな。
〈マサィレ〉の元奥さんが、それほど良い人なら、どうしてと余計に思ってしまう。
でもそれは、僕が問い質(ただ)すことじゃない。
僕は〈マサィレ〉と友達だと思っているが、夫婦間の問題に割って入ることをしてはいけない。
身体を重ねて日常を重ねて夢まで重ねるのだから、他人が気軽に入って良いものではないはずだ。
だから、僕は事実だけを伝えておこう。
それを聞いた相手がどう受け取るかは、その人の気持ち次第だと思う。
〈アン〉兄ちゃんの話では、〈マサィレ〉の元奥さんの再婚相手の持病が重くなって、元奥さん家族が困窮しているらしい。
〈マサィレ〉の子供の生活が、今厳しいことになっているんだな。
だから、僕がこう言うのを許してくれるはずだ。
「〈マサィレ〉は、《ラング》に移住した子供達の世話を頑張っています」
「うっ、うぅ、〈マサィレ〉は子供を大事にしていたからな」
スキンヘッドでギョロ目の〈アン〉兄ちゃんの目から、涙が溢れて止まらなくなっている。
「なんで姉さんは、もっと前にあたい達を頼ってくれなかったんだよ。前のあたい達が、そんなに頼りなかったのかよ」
〈ミオ〉は泣き崩れて〈ラオ〉に支えられている。
支えている〈ラオ〉の表情も硬く、虚空(こくう)を睨みつけているようだ。
あの時自分に、もっと力があればと思っているかのようだ。
許嫁達も、《ラング》で子供達に囲まれている〈マサィレ〉を思ったのだろう、泣くのをじっと堪(こら)えている表情だ。
僕の言ったことは嘘じゃないけど、〈マサィレ〉の元奥さんを責めていることは否定出来ない。
ただ、今から《新ムタン商会》で決起会が始まるんだ。
《新ムタン商会》にとっては、大切なことなんだと思うから、こんなお通夜(つや)みたいな雰囲気は良くない。
「〈マサィレ〉は、《ラング》で新しい人生を始めています。《新ムタン商会》の皆さんも、これから決起するんでしょう」
「おぉー、《ラング伯爵》様の言う通りだ。俺達も頑張って頑張って、もっと頼って貰える実力をつけなくちゃいけねんだよ」
「〈ラオ〉、泣いたりしてゴメンね。私はもう昔を悲しんだりはしない。前を向いて歩くよ。皆が待ってくれているから、早く行こう」
〈ミオ〉は涙を拭い、僕に腕を絡ませてグイグイ引っ張り始めた。
あー、この女は何を考えているんだ。
僕の腕におっぱいが当たっているぞ。
「ちょっと待ちなさいよ。あなた、〈タロ〉様から離れなさい」
〈アコ〉がプルプルと怒りで震えながら、〈ミオ〉の手を引っ張っている。
「いやらしいことは止めてください」
「もう、〈タロ〉様に引っ付くな」
〈クルス〉と〈サトミ〉も、〈ミオ〉の身体に抱き着いて引き剥がそうとしている。
「ふっふふ、幸せそうだから、ちょっと悪戯がしたくなるのよ」
〈ミオ〉は僕から引き剥がされてケラケラと笑っていた。
「はぁ、だったら〈ラオ〉と手を繋げば良いだろう」
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