第565話 一皮むけて

 「終わったから帰ろうと思うんだけど、着替えをどうしたら良い」


 「それでしたら、そこの部屋で着替えて頂いて、職員用の裏口から出ればどうですか」


 「裏口があるのか。それが良いな」


 僕はまた〈クルス〉に手伝って貰いながら、作業服に着替えた。

 〈クルス〉が用意してくれたので、式典用の礼服は紙袋に入れている。


 〈クルス〉が礼服を仕舞ってくれている隙をつき、背中から抱き着いて唇を奪ってみた。


 この制服を着た〈クルス〉とキスが出来るのは、これが最後のチャンスだと思ったんだ。

 独身時代が終わりを告げるので、やんちゃな時代の思い出作りなんだよ。


 「んんう、〈タロ〉様は、このような場所で何を考えているのですか」


 〈クルス〉は心底呆れた顔で僕を見ている。


 「良い思い出になると思ったんだよ」


 「はぁ、ならないと思います。キスが短過ぎて覚えていられる気がしません」


 「それじゃ、もっと長くしようか」


 「いえ、結構です。私は実習を抜け出してきているのですよ」


 それから、〈クルス〉に手を引かれて〈王事局〉の事務スペースを縫(ぬ)うように裏口まで案内された。


 「〈クルス〉、ありがとう。でも手を引くほど、入り組んでいたかな」


 「うふふ、私をジロジロと見る人がいるので、私が誰の婚約者か分からせてあげたのですよ」


 「はぁ、ジロジロ見られたのか」


 「えぇ、でももう大丈夫です。《ラング伯爵》の婚約者に、手を出そうとする人はいませんよ」


 「そうなの」


 「そうなのですから、〈タロ〉様は心配しなくても良いのです」


 賢い〈クルス〉がキッパリ言うのなら、それが正解なんだろう。

 でも、〈クルス〉の身体をジロジロと見たヤツは許せんな。


 〈アコ〉といい、〈クルス〉もか、この国の役人はロクなヤツがいないぞ。

 マジで国の行く末に、暗雲(あんうん)が立ち込めているな。



 僕が〈南国果物店〉へ紙袋を置いて、〈兵舎通り〉に戻った時には第三班はもう影も形もなかった。

 暗くなったから、今日の作業は終了したんだ。


 良く考えたら僕は、お昼ご飯を食べていないぞ。

 お腹を空(すか)かして夕暮れの町に、ポツンと作業服で立っている僕の何と悲しいことよ。

 勲章よりも、この寂寥感(せきりょうかん)をどうにかして欲しい。


 後二日あった実習は、かなり淋しいことになった。

 僕に誰も話しかけてこないし、話しかけても緊張気味の返事しか返ってこなかった。

 そうなので、僕は黙々と報告書を記入するしかない。


 夢を持って就職した若人にも、こんな目に遭っている人がいるのだろうな。

 得難い経験を積ませて貰ったと思い、第三班の人達へ「ありがとうございました」と頭を下げて実習を無事終えることが出来た。

 第三班の人達は、微妙な笑顔をしていたように思う。



 実習が終わった僕は、〈リク〉と一緒に《アンサ》の港へ向かっている。

 馬の鞍には、〈南国果物店〉にあっただけの蜜柑と表彰状を乗せている。


 蜜柑は怪我を負った〈海方面旅団兵〉へのお見舞いだ。

 表彰状は食べることも出来ないが、命を賭けて立ち向かってくれた〈海方面旅団兵〉へ一日でも早く届けたかったんだ。


 〈海方面旅団本部〉では、〈副旅団長〉とその奥さんが僕達を待っていてくれた。


 「ははっ、〈旅団長〉様、お疲れ様です。今日か明日には来られると思っていましたよ」


 〈副旅団長〉の方が、どう見ても疲れている感じだ。

 勲章を貰ってあれほど喜んでいたのに、顔がやつれている気もするぞ。

 あっ、勲章を貰って喜んだから、これほど顔がやつれたんだ。


 「来ることが良く分かったな。表彰状を皆に早く見せたかったんだよ」


 「おほほっ、〈旅団長〉様お久しぶりですわ。この度は勲章を授与され大変おめでとうございます」


 〈副旅団長〉に比べて、奥さんの方はより貫禄(かんろく)がついて、顔もツヤツヤしているぞ。


 「ははっ、これも奥さんが、能力を発揮してくれたお陰だよ。それとこの蜜柑を、手数だけど怪我をした〈旅団兵〉に渡しておいてくれないか」


 「えぇ、分かりました。高価な蜜柑のお見舞いを、〈旅団長〉様から頂いたら皆喜ぶと思いますよ」


 この後、〈旅団兵〉に集まって貰い、国王からの表彰状の伝達を行った。

 〈旅団兵〉は感慨深(かんがいぶか)げにしていたと思う。

 一転、特別手当の支給の決定は、大きな歓声で迎えられた。


 やっぱり表彰状よりは、現金だよな。

 僕も、そりゃそうだと思う。


 それから料理を頼んで、また小規模な宴会をすることにした。

 急なことだったけど、奥さんは瞬(またた)く間に段取りを整えてくれる。

 優秀過ぎて、もはや女神の域だよ。

 お尻が大きいから、豊穣(ほうじょう)を司(つかさど)っているんだろう。


 費用はもちろん、僕のポケットマネーだ。

 僕は小金持ちだから、これぐらいはどうってことはないんだよ。


 乾杯の後で〈副旅団長〉に増員のことを確認したら、「もう採用の準備を進めています」と胸を張って答えていた。

 ただ、その横で奥さんが「うん」「うん」と頷いていたから、どうせ殆どの事務を奥さんがしているんだろう。

 そうに決まっている。


 僕が奥さんの方を見てたからか、奥さんが僕に「〈旅団長〉様はまた一皮むけて、すごく良い男になられましたね」と微笑みながら言ってきた。


 えぇ、おかしいな。

 記憶にないぞ。

 何時の間に僕のあそこが、奥さんに見られていたんだ。


 豊穣の女神だから、生殖器の機能を確認出来るのか。


 ただ、褒めてくれた奥さんには悪いけど、でっかいお尻は許嫁の〈アコ〉で間に合っているんだよ。

 〈副旅団長〉から奪う気は、微量もないので僕のことは諦めて欲しい。

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