第487話 先生の咀嚼音

 〈ヨヨ〉先生の今日の装いは、リゾートを意識されているようだ。


 リラックス感を意図された、軽やかな布地を元に、ゆったりとした着こなしをされている。

 キャミソールみたいな、ノースリーブの白いワンピースが、ハイレベルでエロい。

 透け感で、涼しさと色香を、両方出していると思う。


 胸元はチラ見えで、脇の下は丸見えだ。

 さらに、軽やかな布地が、豊満なボディに纏(まと)わりついている。


 リゾートホテルに滞在している人妻が、若い愛人と、気怠(けだる)い昼を、過ごすような服だと思う。

 籐(とう)の椅子に座って、嫣然(えんぜん)と微笑むのだろう。


 生徒達は、〈ヨヨ〉先生の若い愛人のつもりなのか、〈ヨヨ〉先生を舐(ねぶ)るような目をしている。

 舌で唇をペロペロと舐めるさまは、頭が軽い猿としか思えない。


 たぶん、白昼夢の中で、〈ヨヨ〉先生に脳みそを、チュッと吸われたんだろう。

 頭蓋骨(ずがいこつ)が半分切られたのも、気づかいないまま、ストローでチューと吸い上げられたに決まっている。

 気づかないのは、下半身に血が集まり過ぎて、脳に酸素が運べなかったからに違いない。


 僕は、断固(だんこ)として思う。

 ストローじゃなくて、直(じか)に唇で、吸って欲しいと。


 「先生は、確信に燃えております。画期的な音楽の、練習方法を遂(つい)に編み出したのです。検証は、もう済んでいますのよ。協力者は燃えましたし、先生も火のついたように燃え盛りました。効果は絶大です。皆さんも、ご一緒に燃えましょう。今から、目隠しを配りますので、目に装着してください」


 生徒達は、先生の配られた目隠しを、渋々(しぶしぶ)とつけている。

 渋々なのは、先生のエロい身体が、見えなくなるためだ。

 今日は、いつも以上に透けているからな。


 それでもつけたのは、先生の若い愛人に成れると、思っているバカばかりなんだろう。

 もちろん、僕も目隠しを、素直につけたと報告しておこう。


 「皆さんのうち、敏感な方は、もうお分かりでしょう。目が見えないと、音に敏感になるのです。ビクッビクッと反応してしまうのです。それは、音を身体で受け入れる感受性が、大幅に増えたと言えるでしょう」


 そう言って、〈ヨヨ〉先生は大きくドラムを叩いた。


 「おぉ、〈ヨヨ〉先生。振動が伝わってきます」


 生徒達は、吃驚したように、先生に感動を伝えている。

 確かに、音は大きかったけど、振動というほどじゃなかったぞ。

 こいつら、良い子ブリやがって、そんなに愛人に成りたいのか。


 僕も、「ブルブルしてます」と、大きな声で叫びました。


 「はい。皆さん、分かって頂けましたね。あなた達は、今、感受性の塊です。今度は、一人一人に音を聞かせますので、私の音を受け取ってくださいね」


 先生は、生徒一人ずつに、音を聞かせているらしい。

 でも、「今から聞かせますよ」と言う、先生の声しか聞こえない。

 後は生徒の「あぁー」と呻き声だけだ。


 しかし、疑問が頭をもたげてくるな。

 視覚がなくなったら、音に敏感にはなるのは、間違いないと思う。

 ただ、それだけで、音楽の練習になるんだろうか。


 だが、その疑問は、一時封印しよう。

 先生が、僕の横にやってきたんだ。

 今は、先生の音に集中する時だ。


 「〈タロ〉君には、特別な音を聞いて貰いますね。英雄ですからね」


 あー、先生が僕の耳元で、「クチャ、クチャ」と唾液を、混ぜるような音を出している。


 「どうですか。先生の咀嚼音(そしゃくおん)が、骨を伝わって聞こえますか」


 これは、アレだな。先生は、勘違いしているんじゃないか。

 自分の咀嚼音が、骨伝導で聞こえることと。

 人は音を、鼓膜以外(こまくいがい)でも聞いてることを、ごっちゃにしているんだろう。


 ただ、それがどうして、音楽の練習になるのかは、依然として不明だ。


 細かいことを抜きにして、先生の「クチャ、クチャ」音は、とてもいやらしい。

 柔らかい穴の中で、少し粘性(ねんせい)がある液体を、かき混ぜている音だと思う。

 とても湿っていて、かなり温かい。


 先生の言うとおり、燃えるように身体が、熱くなってしまうよ。


 「〈タロ〉君、聞こえていますか。先生のお友達が、全員、先生のこの音を聞いたら、敏感になったと言ったのですよ」


 「はい、先生。僕も、大変敏感になっています」


 「まあ、やっぱり、〈タロ〉君も。それでは、これはどうですか。この音は、全てをさらけ出したお友達にしか、聞かせていないのよ」


 次に先生から、聞こえて来た音は、「ぺち、ぺち」としか、聞こえなかった。

 何の音かは、分からないけど。聞こえてくる高さが、想像を掻(か)き立てる。


 目隠しを取るには、怖い音だと思う。

 目隠した目の奥に、許嫁達が叫んでいる光景が、浮かんでくる。

 だから、危ないところで、目隠しを取らなった。


 「ふっふっふっ、〈タロ〉君。次は、何もかも見せ合えるように、なりましょうね」


 〈ヨヨ〉先生の目隠しの授業は、終わった。


 目隠しを取って見た、先生の上気した顔は、この世のものとは思えない。

 エデンの園で、禁断の果実を渡そうとしている顔に、近いんじゃないかな。

 フラフラと近寄ったら、色んなものを、チュッと吸われてしまいそうだ。


 「皆さん、目隠をして、感じることが出来たと思いますが。人は耳だけで、音を感じているわけではありません。身体全体で、聞いていると言えるでしょう。ですから、皆さんが演奏する時も、楽器だけじゃなく、身体も使って演奏することを心がけてください。ふふっ、身体で音を出すんじゃありませんよ。自分出した音に、乗れるような、演奏が出来ればそれが一番です」


 えー、笑っているけど、先生は、自分で音を出していたじゃないか。

 あれは、何だったのだろう。


 先生の授業は、難しいな。


 ただ、言えることは、〈ヨヨ〉先生の授業は刺激的だ。

 五感を余(あま)すことなく、刺激してこられる。

 何度受けても、飽きるってことがない。

 何度受けても、鼓動(こどう)が早くなる。


 何十年経っても、妖艶(ようえん)な先生の姿と共に、覚えていると思う。

 そう言う意味でも、先生は、素晴らしい先生だ。

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