第480話 グーパンチ

 はぁー、もう夕方か。


 太陽が傾いてきたので、夕飯の準備をしなくてはならない。

 灯りがランプしかないので、日が落ちると用意が出来ないんだ。


 夕食の献立は、献上(けんじょう)して貰った、塩付け魚と干物がメインである。

 それと、ワインを二種類用意している。


 焚火を囲んで、チビチビお酒を飲むっていう、大人の夕(ゆう)べなんだ。

 僕の両隣りには、〈アコ〉と〈サトミ〉が、座っている。

 正面に座っている〈クルス〉は、少し淋しそうだ。


 さっき、〈クルス〉と手を繋いだから、今は〈アコ〉と〈サトミ〉が、僕の腕に手を絡ませている。

 僕は両手が塞がっているから、魚も干物も食べさせて貰っているんだ。

 まるで、王様のハーレムのようだな。


 もちろん、目立たないように、〈アコ〉と〈サトミ〉の太ももを触っている。

 内側はまだ、少し濡れているぞ。


 ただ、ワインも自分のペースで飲めないから、すっかり酔ってしまった。

 左右から、立て続けに飲まされるし、いつの間にか後ろにいる〈クルス〉も、飲ませてくるんだ。 

 おっぱいを背中に押し当てられたら、断れないんだよ。


 昼の疲れもあってか、僕は酔い潰れてしまったらしい。

 許嫁達に抱き着いて、「エッチです」「いやらしい」と、言われた後の記憶がないぞ。

 朝起きたら、頭がガンガンするし、塩が噴いた身体が気持ち悪い。

 最悪の朝を迎えてしまった。


 許嫁達も、身体がべたつくし、髪もバサバサすると、ぼやいてる。

 海水浴には、真水も必要なんだな。

 この世界で、海水浴が流行らない理由も、ここにあるんだろう。


 僕達は、朝食を少し食べて、帰路についた。

 二日酔いも収まって、皆でワイワイ騒ぎながら帰るのも、楽しいことだ。


 蛸にも、タイマンで勝てたしな。

 百点とは、とても言えないけど、海水浴とキャンプが出来て満足だと言える。

 最後の夏休みは、良い思い出になったと思う。


 ただ、四人で出かけることは、もうないかも知れないな。

 キスも出来ないのでは、許嫁達も不満だと思う。

 僕達も、大人になったんだろう。


 この夏の日に重なりあった、三人の溌溂(はつらつ)とした声は、これが最後なんだと思う。



 早いもので、もう王都へ帰る時期になってしまった。


 最後の夏休みなのに、楽しい思い出が、少ないような気がするな。

 どこかで、なにかが、おかしかったのだろう。

 もう後は、最後の冬休みしかない。

 どこでも、なんとしても、イチャイチャするぞ。


 猛烈で、燦然と輝き、噛みしめるような冬を経験することにしよう。

 唾(つば)が、溢(あふ)れて垂(た)れるような、興奮を味わいたいな。



 帰る前に、〈アコ〉の後宮を訪れることにした。

 許嫁達が、子供達の様子を見に行きたいらしい。

 誘拐仲間の絆は、中々なものがあるんだな。


 僕も、〈マサィレ〉の様子が、気になっていたから、ついて行くことにした。

 手ぶらではアレなので、子供達へのお土産に、絵の具を持っていくことにする。

 僕は、領主でお金持ちだから、ケチじゃないんだよ。


 許嫁達のお土産は、ハンカチとリボンだ。

 三人の周りに、女の子達が群(むら)がっている。

「きゃ」「きゃ」と甲高い声で、すごいテンションだ。


 可愛い、とか、似合う、とか、皆で褒(ほ)め合いをしている。

 これは、とてもじゃないが、近くには寄れないな。

 可愛らしい女の子達であっても、十人を超える集団には、恐怖すら感じる。


 許嫁達は平気で笑っているので、これが性別の壁なんだろう。

 これが男の子だったら、たぶん、平気だと思う。

 何をして遊ぶ、って言ってたかも知れない。


 僕に近づいて来たのは、ボッチの男の子のただ一人だ。

 手には、ピカピカの泥団子が、大事そうに握られている。


 「おぉ、お前、やるな。ピカピカじゃないか」


 ボッチの男の子は、黙ったままで、何も言わない。

 ただ、顔を少し歪(ゆが)めたのは、たぶん、笑ったんだと思う。


 「これは、魔法の素材だ。団子を虹色へ変るぞ」


 僕は、男の子に絵の具を手渡した。


 「こぉぉぉぉ」


 男の子は、絵の具を胸に抱いて、吸っているのか、吐いているのか、良く分からない息をしている。


 僕の持ってきた絵の具を、気に入ってくれたらしい。

 でも、直ぐに外へ飛び出して行ってしまった。

 頭ぐらい下げろよ。困ったヤツだな。


 「《ラング伯爵》様、あの子に、お土産をくれたのですね。ありがとうございます」


 「でもな、〈マサィレ〉。何にも言わないで、行ってしまったよ」


 「それは、すみません。まだ、心を開いていないのですよ」


 「そうか。まだ、信頼が薄いのだろうな」


 「ふふっ、ご領主様が、この前遊んで頂いてから、随分(ずいぶん)変わったのですよ」


 あれ、この中年の女性は誰だ。どこかで、見たことがあるな。


 「〈サーレサ〉さんも、そう思いますか。少し変わってきましたよね。落ち着いてきた気がします」


 〈マサィレ〉が、名前を呼んだので、思い出した。

 この人は、文句ばかり言ってた、あの初老の女性だ。


 ボサボサの髪は、スッキリと纏(まと)められて、もう目は据(す)わっていない。

 穏やかな目をした、中年のご婦人に変っている。

 年も若く見えるぞ。


 男の子は少しだけど、あんたは、劇的に変わったな。


 「さすがは、ご領主様です。一人ぼっちの、男の子の心が、お分かりですね」


 うーん、どういう意味だろう。

 一見(いっけん)、褒められているようで、デスられているような気もするぞ。


 「はぁ、今のは、どういう意味なんだ」


 「ふふっ、私はご領主様が、お母様を亡くされた時、館に行って、母親代わりになりたいと言ったこともあるのですよ」


 はぁー、このおばさんは、やっぱ危ないわ。

 見ず知らずの人が、いきなり母親代わり。

 あり得んな。


 おまけに、質問と答えがずれているし。

 自分勝手と言うか、周りが見えないタイプだと思う。


 「ご領主様と、事故で死んだ息子は、同い年なのですよ。とても他人とは思えなかったので、だから言ってみました。その時は、叶(かな)いませんでしたが、今はこの子達の母親代わりになれました」


 おばさんは、僕にそう言うと、女の子達の方へ去っていった。

 足取りは、ウキウキと嬉しそうだ。


 何か、本当に大丈夫なの、って気がするな。

 結局は、誰でも良いから、誰かの母親になりたかったんだな。

 失ったものの代償が、欲しかったと言うか、愛情を注(そそ)げるものが欲しかったのだろう。

 危(あや)うい気も、かなりするが、上手く嵌(は)まる気もする。

 周りのサポート次第だと思う。


 旦那の盗み聞きを、不問にしてやったんだ。

 農長の奥さんが、何とかしてくれるだろう。


 一皮も二皮もむけた、〈マサィレ〉も、いることだ。悪いことには、ならないと信じよう。


 さよならを言って、許嫁達と帰る時、男の子が走り込んできた。

 手には、赤い水玉模様の、泥団子が光っている。


 おぉ、水玉か。それも赤か。

 僕の予想が、見事に裏切られたよ。


 全面に色を塗るか。せいぜい、マーブル模様だと思っていた。

 コイツは、センスがあるんじゃないか。


 僕は、男の子に向かって、親指を立ててニカッと笑ってやる。


 そのお返しだろう。


 男の子は、僕に向かって、小指をピンと立てやがったんだ。


 男の子に周りには、女の子が十人位、「きゃぴ」「きゃぴ」と群がっている。

 「わぁ、すっごく素敵ね」「とっても、光っているよ」と、男の子へ抱き着くように密着してるぞ。


 あぁ、コイツは、僕に勝ったつもりなのか。

 お前は、三人の女しかいないが、俺は十人だと言いたいんだろう。


 くそっ、負けたな。三倍以上じゃないか。


 僕は、ガックリと肩を落として、扉へ向かう。

 負け犬にとって、この場は地獄なんだよ。


 「〈タロ〉様、待って。小指を出してあげて」


 はぁー、この負け犬の僕に、最後まで戦えっていうのか。

 なんて、残酷なことを言うんだ。


 僕は、さすがに憤(いきどお)りを覚えて、グーパンチを放ってしまう。


 あっ、いけない。

 いくら十人もの、ハーレムを築いていたとしても、相手は子供だ。

 僕は、顔面の手前で、グーパンチを止めた。


 引きつった笑い顔を、僕はしていたと思う。

 たとえ負け犬であっても、最底辺の意地はあるんだ。


 男の子は、僕のグーパンチに、小さなグーパンチを「コツン」と当てた。


 その顔は、ふてぶてしい笑いに、包まれてやがる。

 ケンカでも、お前には負けない、って言いたいんだろう。


 情けないことだが、僕は目尻に涙を溜めて、振り返らずに後宮を後にした。


 「ふふふ、嬉しかったのですね、あの子。顔が輝いていましたわ」


 「うふふ、〈タロ〉様も、あの男の子も、男なのですね。通じ合っているところが、とても素敵です」


 「あはぁ、〈タロ〉様。拳(こぶし)での別れが、かっこ良かったよ」


 許嫁達は、情けない僕を、蔑(さげす)んでいるのだろう。

 だから、僕は聞こえないように、口の中で「あぱ」「あぱ」と途切(とぎ)れなく言いながら、速足で帰ることにした。


 ただ、完全に、聞こえないようには出来ない。

 微(かす)かに聞こえる内容は、僕を非難(ひなん)していないぞ。

 「輝く」「素敵」「カッコ良い」、って聞こえたな。


 泣かなくても、良かったらしい。 

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