第472話 おしっこ

 いつの間にか、眠っていたらしい。


 全く知らない土地の巡察だ。僕も〈クルス〉も、思ったより疲れていたんだろう。

 〈クルス〉は、隣でスヤスヤと寝息を立てている。


 僕は起こさないように、慎重に腕を抜いて、起き上がった。

 目が覚めたのは、おしっこが、したくなったためだ。


 テントを出て、見上げると、降ってくるような満天の星空が見えた。

 見知らぬ土地で、たった二張りのテントは、孤独だと感じる。

 あまりにも美しい星空に、言い知れぬ怖さを感じてしまう。

 背筋を何か冷たいものが、駆けあがって行くようだ。


 ただ、それよりも、おしっこだ。


 テントから、離れるため少し歩くと、テントに黒い影が張り付いている。

 あっ、あれは何だ。心臓が、一瞬凍りつくように強張(こわば)った。


 ただ、良く見ると、農長のシルエットだ。

 僕に気づくと、何でもなかったように、焚火の方へ歩いていった。

 コイツは。きっと、盗み聞きをしようとしてたんだろう。


 「農長、どういうことだ」


 「〈タロ〉様、すいませんだ。つい、気になってしまっただ」


 きーぃ、コイツは。牛や馬の交尾を、確認するのと同じにするなよ。

 僕と〈クルス〉は、子を取る家畜じゃないぞ。


 「はぁ、もう絶対するなよ」


 「分かりましただ。もう決してしませんだ」


 かぁー、農長を解任したくなるよ。いっそ《ラング領》から追放しようか。

 でも今回は、奥さんに免じて、許してやろう。


 ただ本当に、〈クルス〉とあれ以上のことを、しなくて良かったよ。

 この盗聴農長のことだから、誰彼構(だれかれかま)わず、子が出来そうだとしゃべりまくるぞ。


 僕は「疲れる」と思いながら、木に向かっておしっこをした。


 空を見上げれば、やっぱりそこには、天を覆い尽くす星が輝いている。

 農長の盗み聞きしたことも、僕が〈クルス〉のおっぱいを揉んだことも、星にはどうでも良いことだろう。


 小さく見える天の星も、実際は太陽の何倍も大きいらしい。

 僕は、この荒野で、とてもちっぽけな存在でしかない。

 昼間、遠目で見たウサギと、何ら変わりはない。

 刹那(せつな)を生きる、タンパク質などの塊に過ぎないのだ。


 はぁ、こんなことを考えても、しょうがない。

 熱を失ったあそこからは、もうタンパク質は出そうにない。

 代わりにアンモニアが出たから、それはそれでスッキリしたから、良いんだ。


 テントの中へ入り直したら、〈クルス〉は穏やかな顔で、寝息を立てている。

 僕は、〈クルス〉の腕の中へ、再度腕を滑(すべ)り込ました。


 あっ、おしっこをした後、手を洗ってなかったな。



 目覚めは思ったより、スッキリとしていた。

 〈クルス〉は、先に起きていて、もう身づくろいを済ませている。


 「お早う」


 「お早うございます」


 僕も服を着てから、汲(く)み置きされていた水で顔を洗った。

 

 昨日の晩は、これで手を洗えば良かったんだ。

 〈クルス〉で拭いた後だから、もう遅いな。


 反省しながら、テントを出で行こうとすると、〈クルス〉に待ったをかけられた。


 「〈タロ〉様、髪がぐちゃぐちゃです。私が、梳(と)いてあげます」


 「そんなに、ぐちゃぐちゃになっている」


 「はい。酷いことになっています」


 〈クルス〉は、僕の髪を丁寧に梳かしたくれた。


 「うふ、この櫛(くし)のことを、覚えていますか」


 「おっ、確か。お守りの、お返しに渡したヤツだな」


 「うふふ、覚えていて、くれたのですね」


 僕がした、初めてのプレゼントだからな。印象に強く残っているんだ。

 〈クルス〉は、嬉しそうに笑いながら、僕の両袖を掴んできた。

 僕は〈クルス〉の手首を掴み、手を広げて、身体を密着させた。


 「あっ、〈タロ〉様は、朝なのに強引ですね」


 目の前まで来た、〈クルス〉の唇に、「チュッ」とキスをする。

 離そうとした唇を、〈クルス〉は追いかけて、もう一度キスをしてきた。

 少し朱が差した〈クルス〉の頬(ほほ)に、朝日の眩(まぶゆ)い光も射していたと思う。



 僕達の巡察は、お昼過ぎの時間に、《ラング川》畔(はん)で終わりを告げた。

 帰路は、往きとは違うルートを選んだが、風景は殆ど同じだ。

 薬草以外では、あまり成果はなかったと思う。


 ただ、最初から今回は触りだけだ。本格的な調査は、この後何年も続くだろう。

 〈ハパ〉先生は、軍の良い訓練になると、張り切っておられる。

 可愛そうな我が兵士達よ。君達の運命に、不幸が少ないことを祈ろう。

 全く不幸が訪れないことは、最早、奇跡でも有り得ない。




 僕は、溜まっていた執務を、ダラダラとこなしている。


 《黒帝蜘蛛》の討伐や、巡察に駆り出されて、処理が滞(とどこ)っているんだ。

 はぁー。


 僕が望んだわけでもないし、無理やりだったのにと、大きな疑問が浮かんで消えない。

 ここにも、人の世の矛盾が、現れていると考察出来る。

 人が良い人物や、気の弱い人間の、時間とやる気を、搾取(さくしゅ)していると思うな。

 世界平和の実現は遠い幻だ。


 あぁ、もっと許嫁達とイチャイチャしたい。

 今は、夏休みなんだぞ。


 執務が大量に残っているのに、午前中は鍛錬を強制されてもいる。


 いつもどおり、〈ハパ〉先生の善意と言う名の、脅迫(きょうはく)に負けてしまったんだ。

 自分の弱い心が、ただただ恨(うら)めしい。

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