第468話 偉大な一歩
「〈タロ〉様、荒涼(こうりょう)とした平原が、どこまでも続いていますね」
〈クルス〉が、僕に話かけてくる。
対岸から見ても、高い木がなく、草も疎(まば)らなのは、分かっていた。
だけど、初めて、対岸に踏み出したんだ。
感慨(かんがい)深いものがあるんだろう。
僕と〈クルス〉にとっては、小さな一歩だけど、《ラング領》のとっては偉大な一歩かも知れない。
これはどう考えても、言い過ぎだ。
「そうだな、本当に広い。疎らにしか草しか生えないのは、水が不足しているのかな」
「ふむ、〈タロ〉様、あの水車で水をくめば、ここも農地に出来そうですだ」
農長が、顎(あご)に手をやりながら、重々しく言ってきた。
思慮深(しりょぶか)い自分を、演出しているんだろう。
「少し大変そうだけど、そうなると良いな」
「うんだ。直ぐに畑は無理そうだども。まっ平だけ、牧場(まきば)が良い感じですだ」
「おぉ、そうか。それなら、馬や牛を増やしていこう」
「ほほっ、牛ですか。乳製品を本格的に、製造するのもありですな」
〈クサィン〉は、誰でも思いつく発想を披露(ひろう)してくれたぞ。
テンプレとは思うが、乳製品を自前で製造するのは、良いことに違いない。
供給が安定するし、領民の食卓が、より豊かになりそうだ。
「そうだな。肉も安くなると、皆も喜ぶだろう」
「〈タロ〉様、ざっと見渡したところ、魔獣の痕跡(こんせき)はありません。ただ、動物の気配も少ないです。ウサギが数匹と、遠くの方に鹿が、見えただけです」
〈ハパ〉先生は目も良いのか。
この人のことだ、視力を高める鍛錬でもしているんだろう。
聞かない方が幸せな、鍛錬方法だと思う。
「そうなんだ。簡単に言うと、豊かじゃない。痩せた土地ってことなんだろう」
「そうですら、〈タロ〉様。火山の影響で、土が酸性なんですだ」
おぉ、農長が、それらしいことを言ったぞ。
「何か。解決策はあるのか」
「石灰を撒けばいいだども。ぼちぼちになりますだ」
この広い大地に、石灰を撒くのは、気の遠くなるような作業だろう。
採掘を行って、運搬する必要もある。
少しずつしか、出来ないと思う。
解決は解決だけど、すごく長期的な解決だ。
孫の代まで、かかるってやつか。
「はぁ、豊かな農地を作るのは、簡単ではないな」
「はぁ、全くだ」
農長には、地道に取り組んで貰おう。
やることが増えたら、《入り江の姉御》の店へ、入り浸ることは無くなると思う。
子供達の世話をしてくれている、奥さんに恩返しが出来るな。
「だけど、農長には期待しているぞ。数え切れないほどの馬が走り回り、丸々と肥えた牛が草を食(は)んでいる、夢の牧場を作ってくれよ」
「おぉ、夢の牧場。お任せくだされ、作ってみせますだ」
農長は、こう言って、生えている草を引き抜いている。
まさか、牛に成り代わって、草を食むつもりか。
さすがに、違うよな。持って帰って、牧草になるのか調べるんだろう。
「ご領主様、見てください。〈蒸し草〉が沢山生えていますわ。これは、万能薬で、血にも腸にも効くんですよ」
〈ドレーア〉さんが、ちょっと興奮して、菊の葉っぱみたいのを見せてくれた。
「へぇ、すごいな。名前の「蒸し」は、どういう意味があるんだ」
「あっ、それは。煮出して出る蒸気で、身体を温める、治療方法からきています。女性が好む治療法です」
〈ドレーア〉さんは、少し顔を赤らめて、僕に説明をしてくれた。
どこに赤くなる要素が、あったんだろう。
「〈タロ〉様、この紫の花は〈刺し花〉と呼ばれています。毒消しの効能が、あるのですよ」
〈クルス〉の指差す方向には、ツンツンした花弁の花がある。
「へぇー、触ったら痛そうだな」
「うふふ、尖(とが)った見た目ですが、柔らかいので大丈夫です」
〈クルス〉は、嬉しそうに〈刺し花〉を採取している。
触っても問題ないようだ。〈刺し花〉とは、見た目だけでつけたんだな。
その他にも、〈クルス〉と〈ドレーア〉さんは、所々で腰を屈めている。
鑑定が直ぐには出来ない、薬草らしきものを、手際よく採取しているようだ。
〈クルス〉によると、〈根ほり〉と呼ばれる小さなスコップで、全草を掘り起こして、紙を重ねた冊子みたいのに、一束ずつ挟み込むらしい。
そして野帳に、日付や採集場所を記入して、メモと簡単なスケッチも描くそうだ。
はぁー、かなり地道な作業だ。僕には、とても続けられそうにないな。
僕達は少しずつ、川から離れて、奥地の方へ歩いて行った。
薬草採取に合わせて、歩いているため、亀のような進行速度だ。
〈リク〉と〈ハパ〉先生は、左右に分かれて、少し先行している。
危険を、いち早く察知するためだが、今のところ何も危険はないようだ。
後ろ姿が、伸び伸びとした感じだから、聞かなくても分かる。
「〈タロ〉様、ここには、ウサギが生息していますし、きっと狐もいると思います。馬に乗って、狩をするのも良いと思いますね。かなり良い鍛錬になりますよ」
はぁー、〈ハパ〉先生は、何でも鍛錬に結びつけるな。
ふぅー、〈リク〉も、頷いてやがる。
まあ、確かに。
鹿なら、軍の実践的な訓練に、良いかも知れない。
獲物を追い出す犬の代わりに、兵士を走らせて、待ち伏せ部隊と連携させるのは、臨機応変さが養(やしな)われると思う。
犬の代わりにされても、《黒帝蜘蛛》と比べれば、歓喜して犬を選ぶだろう。
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