第465話 蜜柑色

 三人の手が、スベスベで柔らか過ぎるんだよ。

 僕は何にも悪くない。

 悪いのは、笑いながら僕を洗っている、この三人なんだ。


 極楽のお風呂に、入っているみたい。

 僕の肌を、三十本の指が、しなやかになぜ回しているよ。

 あぁ、昇天してしまう。


 今度は僕が、凹凸を入念に洗い昇天させて、あげなくっちゃな。


 お風呂から上がったら、次は食事だ。

 三人が代わる代わる、僕に料理を食べさせてくれる。

 でも、食べさせてくれる間隔が、短過ぎて、僕は呑み込むのに必死だ。


 ふぅ、嬉しいとは思うけど、それ以上に苦しいぞ。

 ワインで、流すしかないな。

 僕に集中している顔を見てると、ゆっくりしてくれとは、言えなかったんだ。


 ご飯も食べて、お風呂にも入って、やっと人心地ついたぞ。

 いよいよ、討伐の話だな。


 でも、部屋に帰ったら、今日はもう眠りましょう、と言われた。

 疲れているから、明日で構いませんと、三人が言い出したんだ。

 僕は平気だよ、と言ったけど、ベッドに連れて行かれた。


 僕の左右には、〈アコ〉と〈クルス〉が、添い寝してくれている。

 股の間には、「へへっ」と笑う〈サトミ〉がいるんだ。

 この態勢では、気になって、とても眠れないぞ。


 そう思っていたんだが、直ぐに眠ってしまったらしい。

 三人に温めて貰えて、とても安心したんだ。帰って来たと感じたんだ。

 だから、直ぐに眠りにつけたと思う。


 ただ、悪夢を見てしまった。

 おっぱいが目の前にあるのに、蜘蛛の糸に縛られて、揉めない夢だ。

 僕は死に物狂いで手を伸ばすが、おっぱいに届かない、悲しい夢だった。




 〈サトミ〉が、元の家に置いてきたものを、取りに行きたいと誘ってきた。

 取りに行くだけで、僕をどうして誘うんだろう。

 でも、〈サトミ〉には、何か意味があるんだろう。


 今住んでいる人に断って、〈サトミ〉の部屋に入った。

 〈サトミ〉の部屋は、二階にある、とても小さな部屋だ。

 元は一つだった部屋を、後で無理やり、壁を作って仕切った感じに見える。


 「〈タロ〉様がこの部屋に、来るのは久しぶりだね。前に来た時は、〈サトミ〉が〈タロ〉様の許嫁に、なって直ぐだよ。それで、〈タロ〉様が〈サトミ〉の家に、遊びに来てくれたんだと思う」


 ふぅん、僕はこの部屋に来たことがあるのか。


 「そうだったかな。覚えてないや」


 「そう。〈タロ〉様が、小さな時だったから、覚えてないか。でも、〈サトミ〉は、ハッキリ覚えているんだ」


 「僕達は、その時何して遊んだの」


 「ううん、遊んだりしなかったよ。お話もしなかったな」


 「へっ、じゃこの部屋で何をしたんだ」


 「ずっと、二人で黙って座ってたんだよ」


 「はぁ、黙ってたの」


 「うん、一言も話さなかったと思う」


 「それは、何かゴメン。何か話したら良かったな」


 「ううん、〈タロ〉様、それで〈サトミ〉は、良かったの」


 「せっかく来たのに、黙ったままか。困ったヤツだったんだな」


 「ううん、〈サトミ〉は困らなかったよ。お母さんが亡くなって、〈サトミ〉は、おしゃべりをしたくなかったんだ。だから、有難いって思ってた」


 「そうか。〈サトミ〉は辛かったんだな」


 「そうだったと思う。〈サトミ〉は、お友達もいなかったから、〈タロ〉様が来てくれたんだと思う」


 「でも、何にも役に立ってなかったな」


 「違うよ。〈タロ〉様は、〈サトミ〉と一緒にいてくれたんだ。それも、何も言わずに。〈サトミ〉は、その時、〈タロ〉様となら一緒に、いられると分かったんだ」


 「えぇ、一日だけで分かったの」


 「そうなんだ。〈タロ〉様は、〈サトミ〉がしゃべらなくても、平気だったもの。〈サトミ〉が黙っていても、そっとしておいてくれて、ずっと傍にいてくれたんだよ」


 「でもな」


 「それに、夕方になって帰る時、何も言わずに、微笑んでくれたんだ」


 「そうだったのか。でも、僕は変わっただろう。今は普通にしゃべるよ」


 「うん、〈タロ〉様は変わったね。でも、〈サトミ〉も変わったんだ。今は黙ったままじゃないでしょう」


 「そうだな。〈サトミ〉は、結構おしゃべりだ」


 「あー、〈タロ〉様、ひどいな。〈サトミ〉は、おしゃべりじゃありません」


 「ははっ、〈サトミ〉はどうして、話すことが出来るようになったの」


 「それは、〈タロ〉様も一緒だと思うけど、お母さんがいないことに、慣れたんだと思う。そればかり思っていても、何にもならないと気づいたんだよ」


 「そうか、〈サトミ〉は偉いな」


 「ううん、そんなことはないよ。気づかされたのは、〈タロ〉様だよ。〈タロ〉様が、遊びに来た日から、〈サトミ〉は〈タロ〉様のことを、考えるようになったんだ」


 「どうしてなの」


 「今まで、見たことがない種類の人だから、不思議に思ったんだ。それに、将来お嫁さんに行くんだから。それは、気になるよね」


 「確かに、そうだな」


 「うん。だから、段々、お母さんより〈タロ〉様のことを、考える時間が増えていったんだ。少しだけいた、お友達も、離れていったから、〈タロ〉様のことしか、考えられなかったのかな」


 「へぇー、僕のことか」


 「それで、〈タロ〉様へ聞きたいことが一杯になって、お父さんに相談したんだ。〈サトミ〉の方から、話しかけたから、お父さんはすごく喜んで、直ぐに願いを叶えてくれたんだよ」


 「それで、〈サトミ〉の方から、遊びに来てくれたんだ」


 たぶん、話の流れでは、こういうことなんだろう。


 「〈タロ〉様も、覚えていると思うけど、少しずつ少しずつ、おしゃべりが出来るようになったよね」


 「僕の方が、時間がかかったな」


 僕が入り込む前の、〈タロ〉君は、そんな個性のヤツだったらしい。


 「そうだね。子供の時は、女の子の方が、成長が早いんだよ」


 うーん、そう言う問題じゃないと思うな。


 「そうか」


 「でもね。子供の時のことは、もう終わったことなんだ。今が大切だと、〈サトミ〉は思う。だから、〈タロ〉様が一杯詰まったこの部屋から、思い出を取り出しに来たんだ。ううん、取り出して捨てに来たんだ。もう〈サトミ〉は大人になったから、あの時の〈タロ〉様は、もう必要ないんだ。今は大人になった〈タロ〉様が、側にいてくれるもの」


 「思い出を捨てるの」


 「少し違うかな。あの時の〈タロ〉様を、〈サトミ〉の心の奥に、蜜柑色に包で仕舞(しま)い込むんだよ」


 「でも、良い思い出みたいだから、時々は思い出すんだろう」


 「ううん、仕舞ったまま、もう出さないよ。だって、蜜柑色のこの部屋で〈タロ〉様が微笑んでくれてから、〈サトミ〉はもっと沢山の思い出を、〈タロ〉様から貰ったもの。もう出す場所が、見当たらないんだ」


 「蜜柑色か」


 「うん、〈タロ〉様から、手に蜜柑を置かれた時、あの夕日の色が蜜柑色に変ったの」


 僕は、〈サトミ〉をそっと抱きしめてから、小さな手を握った。


 〈サトミ〉には、話かけたりはしない。

 顔を見詰めて、微笑んだだけだ。

 〈サトミ〉は、ほぉっと柔らかく笑い、僕の手を握り返してくる。


 今も夕方だけど、〈サトミ〉があの日見た色とは、少し違うのだろう。

 夕日が透けて黄金に輝く、〈サトミ〉の髪を触ろうと思ったけど、今は止めることにした。


 この部屋にいる僕は、そんな在(あ)り来(き)たりなことは、しないヤツだ。


 人の心に、強く入り込むことは、決してしない。

 慎(つつ)ましい少年だったと思う。


 意図的じゃないと思うが、〈サトミ〉の心に色を取り戻したのは、素晴らしいお手柄(てがら)だ。

 〈タロ〉君がしたことだけど、何だか、すごく誇らしくて、嬉しくなってしまう。


 〈サトミ〉と一緒に、思い出の部屋から、夕日の中へ出て行く。

 空を見上げれば、雲が赤く染まっている。綺麗な夕焼けだ。明日は晴れるだろう。


 「〈タロ〉様、手を繋いで欲しいな」


 「うん、分かった」


 僕は〈サトミ〉と、手を固く繋いだ。

 この手を離すことは、もう、あり得ない。


 僕は〈サトミ〉の手を引っ張って、路地の暗がりへ連れて行った。

 そして、桃色の唇にキスをしながら、おっぱいを揉むことにする。

 僕の記憶によれば、ここの先っちょも、桃色のはずだ。


 〈サトミ〉は、蜜柑の香りじゃなくて、今は、もっと甘い匂いがしている。

 〈サトミ〉は、「はぁ」と溜息をついて、「〈タロ〉様は変わり過ぎだよ」と小さな声で呟(つぶや)いた。


 でも問題はない。ここは、幼い頃の、あの思い出の部屋じゃない。薄暗い路地なんだ。

 うーん、それもどうなんだろう。


 〈サトミ〉は、僕の手を引っ張って、明るく話かけてきた。


 「〈タロ〉様、もう帰るよ。でも、明日も沢山、おしゃべりしようね」


 僕と〈サトミ〉は、手と長い影を重ねて、お話をしながら帰った。

 この絆(きずな)が、永遠に続けと、僕は願っている。

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