第460話 白い繭

 僕の当たらない勘が、当たってしまったようだ。

 無事(ぶじ)、地獄に着いてしまったらしい。


 僕の前後にいる、おっちゃんと〈ハパ〉先生が、緊張状態に入った。

 〈リク〉も、僕の横まで戻ってきて、護衛してくれるようだ。

 〈ハパ〉先生が緊張するなんて、原因は一つしか、思い当たらない。

 《黒帝蜘蛛》の縄張りに、入ってしまったんだ。


 予定の行動だけど、今なら、まだ逃げられるんじゃないかな。

 淡い期待を、考えてしまう。


 「兵士は、臨戦態勢をとれ。〈ハヅ〉は、先頭で旗を掲げなさい」


 〈ハパ〉先生の有無を言わさない声が、僕達の気を引き締める。


 そして、ここに至っては諦めるしかない。

 僕だけが、逃げるわけにはいかない。

 と思う。


 〈ハヅ〉は、頬(ほほ)を数回叩き、踏ん張って、畳んでいる旗を掲げた。

 頬を叩いたのは、そうでもしないと、身体が動かなかったのだと思う。

 足は、間接の緩(ゆるい)い人形の様に、カクカクとしている。

 普通なら笑う動きだが、笑うどころか、誰も声を出さない。


 皆も分かっているんだ。あれは、近未来の自分の運命だと。

 〈ハヅ〉の周りを、板を持った兵士が取り囲んだ。

 後は「石鹸もどき」か、と思ったその時だった。


 ― ストン ―


 と高い木から、大きな物体が、音もなく降りてきた。

 《黒帝蜘蛛》の文字通りの降臨だ。

 八つのヘッドライトに、ダンプカーの身体を持つ、大魔獣だよ。


 「ヒッ」


 と誰かの、堪え切れなかった短い悲鳴を合図に、大蜘蛛から、シュッと糸が発射された。

 その先には、狙い通りに〈ハヅ〉がいる。

 ヒラヒラと動く旗が、お気に召さなかっただろう。


 大蜘蛛も狙い通りだが、僕達も狙い通りだ。

 はてさて最後は、どちらの狙いが、正解なのか。


 取り敢えず〈ハヅ〉は、糸に絡みつかれて、大蜘蛛の方へ引っ張られて行く。

 兵士達は、その隙を狙って、板で大蜘蛛を囲うことが出来た。


 〈ハヅ〉は、糸でグルグル巻きにされて、すでに大あごの前だ。

 糸で口を塞(ふさ)がれて、悲鳴は出せないらしい。

 血走った目を異様(いよう)に見開いて、僕か〈ハパ〉先生を、悲しく見ている。


 人間の目って、あんなになるんだ。

 怖すぎて、とてもじゃないが、正視出来ないな。

 目を逸(そ)らしておこう。


 板で押さえこまれた、大蜘蛛は、盛んに足を動かして逃(のが)れようとしている。

 板の隙間から、糸も盛大に吐き出した。


 当然それは、目の前の〈ハヅ〉に絡みついてしまう。

 〈ハヅ〉はもうすでに、白い繭(まゆ)と、なっている状態だ。


 もう、血走って怖い目を、僕へ向けて来られない。

 目を逸らす必要が、なくなったな。


 〈ハヅ〉がもし、この繭から出られることがあれば。

 羽化した蝶のように、キラキラしたものへ、生まれ変われると思う。

 だけど、怨念が凝縮して、腹がドブドプな蛾(が)となるかも知れない。

 今は、僕か〈ハパ〉先生を、すごく憎んでいるはずだもん。

 ははははっ。


 板で抑え込んでいる間に、「石鹸もどき」の出番だ。

 兵士達が、「石鹸もどき」をかけ始めた。

 見る見るうちに、大蜘蛛は、泡に覆(おお)われていく。


 大蜘蛛も逃げようと必死だが、兵士達も必死だ。

 すごい量の「石鹸もどき」を浴びせられて、大蜘蛛は泡に塗(まみ)れている。


 なるほど。

 〈ハパ〉先生が、狩れると言ってたのは、あながち嘘じゃなかったんだ。

 このまま、抑え込んでいたら、簡単に終わるな。


 この考えが、いけなかったんだ。

 これが、フラグが立つ、と言われる現象なんだな。


 急に、大蜘蛛が身震いを始めて、板で抑え込んでいる兵士を、跳ね飛ばしてしまった。

 あっと、言う間の出来事だ。


 たぶん、兵士もいけると思って、少し油断があったのだろう。

 人間は、長時間集中出来ないってことだ。


 そう他人事のように考えていると、大蜘蛛は、お得意の跳躍をしやがった。

 それも、バカなのか。僕の目の前にだ。

 くそっ、〈ハパ〉先生の方へ行けよ。


 僕は、少しだけスキルを使って、大蜘蛛の側面に回った。

 こうすれば、斜め前方の〈ハパ〉先生か、その横の〈リク〉と、大蜘蛛は対峙(たいじ)することになる。

 僕は側面から、牽制(けんせい)くらいはさせて頂こう。


 大蜘蛛が選択したのは、〈ハパ〉先生だ。

 本能的に、最大の敵を察知したのだろう。


 〈ハパ〉先生と、大蜘蛛の戦闘が始まった。

 大蜘蛛は、八本の足のうち、二本を使って〈ハパ〉先生を攻撃している。

 大きな魔獣だけあって、攻撃の一回一回が、すごい威力を秘めているのが分かる。

 〈ハパ〉先生が、剣で攻撃を弾く音が、すごく重たい。


 それだけじゃなくて、二本の足の素早いこと。

 目に捕え切れない、速さだ。


 ただ、さすがは〈ハパ〉先生だ。

 危なげなく、捌(さば)いておられる。


 しかし、大蜘蛛の身体が硬すぎて、傷もつけられないみたいだ。

 止めをさす方法がないって、言っておられたのは、こう言うことか。

 これじゃ、ダメじゃん。


 兵士達は、〈ハパ〉先生が引きつけている間に、もう一度、板で押さえつけようとしている。

 ただ、大蜘蛛も〈ハパ〉先生も、動いているため、上手く行かないようだ。

 それに、押さえつけても、また跳ね飛ばされる気もする。


 兵士達も、〈ハパ〉先生も、そのうち疲れるだろう。

 これは、マズいんじゃないのかな。詰んだ気もするぞ。

 どうしよう。

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