第459話 地獄の門
それでも、行進は続けて、森の端までやってきた。
ここから先は、狩人の親子が案内をしてくれる。
「ご領主様、〈ハパ〉師範、ご苦労様ですら。あの大蜘蛛を、退治してくださるそうで、有難いことですわ」
「それでは、案内を頼みますね」
〈ハパ〉先生は、近所の美味しい店に、案内されるような気楽さだ。
この狩人のおっちゃんも、あまり怖がってはいないな。
「二人とも、《黒帝蜘蛛》が怖くないのか」
「そうよな、怖いですわ。だど、今日は軍が一緒ですら。それになんていうても、〈ハパ〉師範がおられますわ。〈ハパ〉師範が、ボグッと退治されますら」
あぁー、ここにも、〈ハパ〉先生の信者がいたのか。
《ラング軍》の精鋭は、狩人の親子の案内で、森の奥深くへ分け入っていく。
見上げると、首が痛くなるほど高木(こうぼく)が、太陽を遮(さえぎ)り、昼なお暗い森だ。
下生(したば)えは、暗いせいであまり密ではなく、その点では歩きやすい。
ただ、日陰を好む羊歯(しだ)や着生植物が、蔓延(はびこ)っていて不気味な印象を受ける。
木の幹から突然咲いている、鮮やかで複雑な形状の花が、不安を掻(か)き立ててくるようだ。
先頭は、狩人の息子が案内やってくれている。
とても無口な男で、まだ一回も声を聴いていない。
大きな山鉈(やまなた)を振るい、藪を切り開いて、道を作るのがかなり大変そうだ。
一人では、時間がかかると思ったのだろう。〈リク〉も隣で、山鉈を振るっている。
〈ハパ〉先生が、僕の傍にいるため、行進時の護衛は必要ないとの判断だ。
次は、先陣を任されている〈ハヅ〉だ。
軍旗を掲げる役目だが、今は旗を畳んで持っているだけだ。
何の役にも、立っていないな。
中団には、兵士と荷車が進んでいる。
森の中で、荷車を引いていくのは、とんでもない重労働だ。
バカと言ってもいいだろう。
荷車を運ぶため、十五人の兵士が、広範囲の枝や蔓(つる)を切り払う必要がある。
使っている道具は槍だ。
槍の使い方としては、どうなんだろう。
後の十五人は、荷車を抱えるようにして運んでいる。
森の中では、引っ張るだけでは少しも進まない。
三十人とも、大汗をかいて、ヒィヒィ言っているのが哀れになる。
最後部は、狩人の親と僕と、殿(しんがり)に〈ハパ〉先生の配置だ。
一応、僕は領主だから、守って頂いているらしい。
「ご領主様、枝から、ヤマビルが落ちてくるだわ。お気をつけてくだされ」
ぎゃー、僕は慌てて木を見上げた。
あそこにある黒い物は、そうじゃないのか。
あっちにも、こっちにも、それらしい物体があるじゃないか。
兵士達も、一斉に上を見上げている。皆、青い顔をしているぞ。
ただ、〈ハヅ〉だけは、突然、変な踊りを踊り始めた。
狂ったように、首元を広げて、首筋を手で払っている。
ギヨギヨギョッ、首に張り付いているのは、とても大きなヤマビルだ。
ブニュブニュとした身体を、ムネムネと動かして、血を吸っているらしい。
《黒帝蜘蛛》に遭遇する前に、もう地獄の一丁目だよ。
僕は、どうしてこんな所にいるのだろう。
領主で伯爵じゃなかったのか。
「うわぁ、早く。早く、ヒルをとってくれ」
〈ハヅ〉の情けない声が、森の濃い緑に吸い込まれていくようだ。
ここは、やっぱり人間が、踏み込んで良い場所じゃないんだよ。
魔境なんだと思う。
「はっはっ、こりゃ大物だわ。今、塩を振りかけるでな。大人しくするら。《ラング》の岩塩は、ヒルに良くきくぞ。わっはっは」
狩人のおっちゃんは、何でもないように、笑ってやがる。
あなたには、何と言うこともないのかも知れないが。
こっちは、もう神経がズタズタなんだ。
「あっ、だめらよ。もちっと我慢しろ」
〈ハヅ〉は、ヤマビルが首に張り付いているのが、堪らなかったのだろう。
制止を無視して、手で払ってしまった。
そのため、首から鮮血が、途切れなく流れ出してしまっている。
ヒルが血を吸う時は、麻酔成分と、血液凝固因子(けつえきぎょうこいんし)の働きを阻害(そがい)する成分を、人体へ同時に注入するらしいです。
まあ、何と言いましょうか。怖いとしか、言いようがありません。
〈ハヅ〉の軍服は、もう血まみれだ。
《黒帝蜘蛛》と遭遇した時に、流す血は残っているのだろうか。
とても心配になるな。
《ラング軍》の精鋭は、どんどん森の深部に、入っていく。
「おっと、危ない。毒蛇がいたわ。こいつら、毒を持ってると思うて、おうちゃくで、動きよらんわ」
また、狩人のおっちゃんが、何でもないように呟(つぶや)いた。
「へっ、毒蛇がいたの」
「森の浅いとこはいねいが、こんだけ深いといるらな。もう、三匹目だわ」
「えっ、そうなの。どうして、言わないんだ。噛まれたら、どうするんだよ」
「はぁ、踏まなきゃでぃじょうぶだわ。しんぺいしなさんな、全部おっぱらってやんからよ」
そう言われてもな。僕は直ぐに足元を見た。
足元には、うねうねとした長いものが、そこら中に散らばっている。
大半は木の根っこか、落ちた枝だとは思う。
でもな。
あの妙に生々しい光り方は、きっと毒蛇の鱗(うろこ)だ。
茶色い水溜りから覗いている、三角は、毒蛇の頭に違いない。
あぁ、上からはヤマビルが降って来るし、下には毒蛇が潜(ひそ)んでいるのか。
兵士達も首を上下に、せわしなく動かして、後一歩で恐慌状態だ。
〈ハヅ〉の目には、キラリと光るものが見える。限界が近いのだと思う。
もう僕達は、ここで地獄の門を潜ったのだろう。
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