第456話 ずっとお店は続く
「若領主様を始め、皆さん、どうもありがとうございます。泣いたらいけないと思ったのですが。皆さんの優しさが、目に染みて堪らないんです」
奥さんが、そう言って「わー」と大泣きし出した。
店主も奥さんの背中をさすりながら、「うっ」「うっ」と涙を零している。
店主も奥さんも、飲み過ぎじゃないのか。
一杯だけで良かったのに、付き合い過ぎだよ。
「私も人生を、《ラング》でやり直しているんです。《ラング伯爵》様が治められている《ラング》は、やっぱり素晴らしいところですね。今日、痛いほど分かりました」
〈マサィレ〉さんよ。痛かったら、ヘッドロックをもう外せよ。
酔いが回って船長が好きになったんじゃないよな。
ガマガエルなんだぞ。キモ過ぎるぞ。
「ははっ、そんなに煽(おだ)てても、酒代以外はもう出さないぞ」
「ふふっ、出せと言われれば、致(いた)し方ございません。ご領主様に成り代わって、親衛隊長の私めが、お出しましょう」
〈リク〉が、珍しく酔っている感じだ。
コイツは酔ってもあんまり変わらないので、分かり難いな。
今は単身赴任中で、〈カリナ〉と遠く離れているから、ハメを外しているのかも知れない。
「おぉ、〈リク〉さんよ。何を出すんだい。あれか」
船長が、気持ち悪い顔で笑っていやがる。男の局部でも良いのか。
さすがはガマガエル。悪食の極みだな。
「さては皆さま、とくと御覧(ごろう)じろ。近くへ寄って、見てらっしゃい。出し物は、兵隊時代の宴会芸ではありますが。苦節十数年この芸だけで、幾多の宴会を乗り切った、曰(いわく)くつきの出しもので、御座(ござ)います」
〈リク〉はそう言うと、服をガバッとめくりあげ、腹をむき出しにした。
どうしたことでしょう。
いつの間にか、腹には人の顔が書いてある。
えっ、まさか。最初から、腹芸をするつもりだったのか。
料理屋で、こんな展開があると思ったのか。
今さらながら、恐ろしいヤツだ。震えが止まらないよ。
今後の付き合い方は、良く考えさせて貰おう。
〈リク〉の腹芸というか、腹踊りは中々なものだった。
皆は、大爆笑で笑いが止まらない。
店主も奥さんも、涙を流しながら笑っている。忙しいことだな。
宴会芸と言って、バカに出来ない完成度だと思う。
これ一本で、究極の体育会系である軍隊の宴会を、制覇(せいは)しただけのことはある。
うーん、制覇はしてないのか。
普段、くそ真面目な〈リク〉が、思い切り滑稽(こっけい)な動きをするだけなんだが。
あまりのギャップで笑ってしまう。
お客さんも笑っているけど、〈リク〉を知っていればいるほど、笑ってしまうぞ。
もっと腹がブヨブヨだったら、完璧だったのに。
そこは、改良すべき点だな。
〈リク〉が大うけなのが、たぶん、気に入らないのだろう。
腹がブヨブヨのおっさんが、飛び入りしてきた。船長のことだ。
ただ、船長には全くギャップがないので、何も面白くない。
そもそも、腹に顔が書いてない。
焦った船長が、僕に目配(めくば)せをしてきたので、アドバイスをしてやった。
耳元で「カエルように跳んでみろ」と言ってやったんだ。
船長が、「ゲロ」「ゲロ」と反吐(へど)を吐(は)くように鳴いて、ドタンと跳んだら、爆笑の渦だ。
酔っているのか、年なのか。まともに跳べてないんだ。
どうして、あんな無様(ぶざま)な動きが出来るのか。不思議としか言いようがない。
わざとなら一流の芸人だ。
でも、普通に跳ぼうとしているようだ。
「あれあれ、おかしいぜぇ」と小さく聞こえている。
きっとガマガエルの精が、宿っているのだろう。人体の神秘を見せられたよ。
〈マサィレ〉は、やっぱり変態だと分かった。
コイツも、お腹をめくって、カエル跳びを始めやがった。
ただ、船長のようには跳べていない。動きがわざとらし過ぎて、全く笑えないんだ。
でも、〈マサィレ〉はとても嬉しそうに、「あはは」と大きな声をあげて笑っている。
お客さんも、店主も奥さんも、皆、笑っている。
だけど、僕は絶対に腹をめくらないぞ。
めくるのはスカートだけと、密(ひそ)かに決めているんだ。
僕が腹をめくれば、《ラング領》は終わってしまう。
腹踊りをするような領主では、領地の舵取(かじと)りが出来るはずがない。
腹の探り合いの貴族社会で、腹を晒すのは、自殺行為だ。
領主の腹は、決めるためにあるんだ。立ててもいけないし、もちろん、黒くしてもいけない。
要は領主の僕だけは、まともでいる必要があるんだ。
第一、あんな恥ずかしいことはしたくない。
僕は青年で、鈍感なおっさんじゃない。
とてもじゃないが、自分をまだ捨てられないよ。
そこで僕は、「カエルの前に牛が来た」と叫んだ。
船長も〈マサィレ〉も〈リク〉も、キョトンとしているだけだ。
「牛は「もう」って鳴くだろう」
「あははっ、若領主様は、もうかえる、ですか」
奥さんは、良く分かっている。黄色いおばちゃんだった、ことはあるな。
僕の壊滅的な駄洒落(だじゃれ)を、陽気にすくい上げてくれた。
苦労している人は、やっぱり違うね。
「はー、つまんねぇ」
船長は、定番のど失礼だ。腹が、ブヨブヨのことはある。
それで僕達は、お店を後にした。
あまり長居をしたら、お店の迷惑になってしまう。
明日の仕込みも、頑張って貰う必要がある。
明後日も、一年後も、十年後も、ずっとお店は続くのだから。
夜道をフラフラと歩く、僕達の明日には、きっと二日酔いが待っている。
「ゲー」「ゲー」と吐いて、まだカエルの真似が止められない。
僕もカエルの仲間になってしまったよ。
「気持ちが悪くて、《ラング》の町なのに、嘔吐(おうと)してしまうぞ」
「かー、くだらない」
「ぴー、腹が、くだりそうだぁ」
冷えたのか。
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