第454話 侮辱

 〈リク〉と〈マサィレ〉は、二人でしっぽりと静かに、話しをしているようだ。

 この二人は、どういう訳か馬が合うらしい。

 共通点はどこにあるんだろう。前は、兵士だったということはあるな。


 でも、子供が生まれた話は避けていた。

 〈リク〉は、かなり情けなかったし、〈マサィレ〉は子供を思い出してしまうので、避けたのだろう。

 そうしたらこの二人は、何の話をしているんだ。

 兵士時代の苦労話でも、しているんだろうか。面白くなさそうだな。


 「ぐへぇへ、奥さん、俺にお酌をしてくれぇよ」


 船長は、エールを止めて、《インラ》国の酒に変えたようだ。

 周りの客を見ると、もう料理を食べにきた、家族連れは帰ってしまっている。

 その代わり、酒を飲みに来た、おっさんやおじいさんばかりだ。


 《インラ》国の酒を置かせているのは、《ラング》に限定すると、この店を含めて二軒しかない。 

 そのせいもあってか、結構流行っているらしい。席が、ほぼ埋まっているぞ。


 「おい、女。俺にも、酌をしろよ」


 かぁー、いきなり大声を出すなよ。

 それに「女」って、言い方があるか。


 この初老のおっさん、悪酔いしてやがる。それにしても、失礼過ぎるな。


 「はっ、ごめんなさい。ここは、そういうお店じゃないんです。手酌でお願いします」


 「あぁ、何だと。そのじじいには、しただろうが」


 何だ。

 このじじいは、また怒鳴りやがって、偉そうにするな。

 てめぇなんかに、誰が酌をするかよ。

 早く三途(さんず)の川へ行って、奪衣婆(だつえば)に六文銭でして貰え。


 それに、あんたより船長の方が、一ミリくらい若いぞ。

 ブーメランのように、帰って来て、頭に突き刺さっているな。

 それで、ブーメランの形に、頭が禿げているのか。

 辻褄(つじつま)は、合っているな。


 「あぁ、じじいって言ったな」


 「それがどうした。目障(めざわ)りなんだよ」


 船長も、じじいなんだから、じじいと言われて、怒るのはおかしいと思う。

 そこじゃなくて、奥さんに、怒鳴ったことを怒れよ。


 それに船長が、お酌させたことが、そもそもの原因だろう。

 このガマガエルは、ほんとロクなことをしない。湿った土の中へ帰れよ。


 「誠に申し訳ないのですが、もう止めてください。ここにいる方々は、とてもお世話になった恩人なんです」


 「けっ、どうせ王都でもやっていた、たらし込みなんだろう。そのじじいにも、股を開いたくせに」


 ― ピーン ―


 と音が店中に、鳴り響いたと思う。


 その瞬間、店が緊張状態に突入した。

 張りつめた空気が、固形のように、充満して動かない。


 船長は、じじいを殴ろうとしているし、店主は唇を噛締めている。

 〈リク〉は、剣をすっと手元に引き寄せて、〈マサィレ〉は泣きそうだ。


 苦労を共にした仲間を、こんな風に傷つけられるのは、とてもやるせないのだろう。

 友達である店主の心情を思うと、いたたまれないのだろう。


 開店早々の店で騒ぎを起こせば、客足が遠のくと、我慢をしているのが堪らないのだと思う。

 例え相手が悪くても、新参者には怖い話だ。


 だけど、辛い目に遭っても、未来に向かって歩いていた、あの黄色いおばちゃんだぞ。


 あの日、見たんだ。

 セクシーなドレスを着ても、人の好さが滲み出ていた姿を知らないのか。

 帰ってこない夫を待ちながの、慣れない仕事がどれだけ辛いか。


 黄色いおばちゃんは、侮辱されて良いはずがない。


 「ふふっ、そんなわけないでしょう。私が股を開いたところで、誰も喜びはしませんよ」


 ぐっ、黄色いおばちゃんは、少し笑っているぞ。


 でも、笑う気持ちになるとは、絶対思えない。

 小さな白い前掛(まいかけ)けを、掴んでいる手が震えている。


 夫の前で、汚れた女だと言われたのに、それをもう一段自分を落として、この場を収めようとしているんだ。

 泣きたいほど、悔しいのに、笑っている。


 おー、僕の出番だ。

 アクセルをベタ踏みして、フルスロットルで、発進するぞ。


 伯爵で領主の権力を、見せつけてやる。

 このジジイを、蟻のように踏み潰してやるぜ。

 さっき言ったことを、泣きながら後悔するがいい。

 僕の本気を食らって、絶望の海をのたうち回れっ。


 「おい、〈ナサ〉のおっさん、この店から、今直ぐ出て行け。お前みたいな、恥知らずの声を聴きたくねえんだ」


 あー、嘘だろう。

 先を越されてしまった。

 僕の出番はどこへ、飛んでいってしまったんだろう。

 さっきの僕の意気込みを、どうしてくれるんだ。

 間抜けみたいじゃないか。


 「あぁ、お前、恥知らずって誰に言ってんだ」


 「耳も悪いのか。何度でも言ってやるよ。立場の弱い人をなぶるのは、恥知らずって言うんだよ」


 「そうだ、お前のことだよ。子供を失くして、参っている女房を叩き出した、恥知らずだよ」


 「恥知らずは、もうこの店には二度と来るな。ここの大将と女将さんは、この前の戦争で酷い目に遭ったんだぞ。それをあんな侮辱をするなんて、人として終わっているな」


 「大将と女将さんは、心機一転、《ラング》にやってきたんだぞ。それを《ラング》の人間が、下品な悪口で邪魔をするのか。情け過ぎる。そんなヤツは、《ラング》に不要だ。店だけじゃねぇ。この《ラング》から、出て行って欲しいな」

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