第436話 生まれた

 夢で〈クルス〉が、何か言っていた気がする。

 僕に何か、報告があるような感じだった。


 少し眠っていたらしい。少し頭が、ぼっーとしている。


 「〈タロ〉様、お湯を。お湯を早くしてください」


 〈アコ〉が、また窓から声を出している。もうかなり疲れているのだろう。

 声が弱い。


 僕達はまた急いで、お湯を沸かし続けた。

 もう慣れたもので、スムーズにこなすことが出来る。

 大汗をかいて、お湯を沸かしていると、寝室の方が急に慌ただしくなってきたようだ。

 台所の窓から見ると、寝室の扉が開いたのが分かった。


 「おーい、生まれたよ」


 「元気に、泣きましたわ」


 〈アコ〉と〈サトミ〉が、窓を開けて、誕生の報告をしてくれた


 「おぉ、やっと生まれたか」


 僕は返事をしたが、〈リク〉は涙を流して「おぉー」と唸(うな)り続けているだけだ。

 感動と何か得体の知れない感情に、支配されているらしい。

 身動きも、何も出来なくて、唸ることしか出来ないようだ。


 ほっとこうか。


 しょうがないな。

 僕は、伯爵で領主で雇い主だ。それに、結構長く付き合っている。

 特別な絆が、あるのかも知れない。


 僕は、〈リク〉の手を引いて、〈カリナ〉の家の入口に引っ張っていった。

 〈リク〉は放心状態で、僕に手を引かれるままに、ついてくるだけだ。

 入口の扉を開けると、〈サトミ〉が仁王立ちで待っていた。


 「〈タロ〉様と〈リク〉さんは、汚いのでお風呂に入ってください」


 人を汚物みたいに言うなよ。酷いな。

 僕と〈リク〉は、しょうがないので、お風呂に入った。


 〈リク〉は放心状態が続いているため、僕が身体を洗ってやった。

 ただ、あそこは遠慮させて頂いた。僕も気持ち悪いし、〈リク〉も嫌だと思う。

 

 妊娠中だったので、最近は、おしっこ以外には使用していないだろう。

 おしっこは、細菌学的には綺麗なものらしいので、洗わなくても何も問題はない。


 〈リク〉の背中は、大きいけど、今は肩がドンと落ちている。

 身体が一回り以上、縮んでいる感じだ。全く頼りがいがない背中だ。

 一切、キュンとなる要素がない。しょぼくれている感じにしか見えない。


 身体も拭いてやり、寝室の前まで引っ張っていった。

 扉が開いたので、〈リク〉の背中をドンと蹴ってあげる。

 こうでもしないと、扉の前で硬直しているだけなんだよ。


 「あなた、見て。私達の赤ちゃんよ」


 〈カリナ〉は、疲れ果てた様子だが、満足そうに微笑んでいる。

 〈リク〉は、おずおずと手を伸ばして、我が子の頬を触った。


 「〈カリナ〉」


 コイツは、〈カリナ〉としか言えないのか。


 「はぁー、しっかりしなさいよ、〈リク〉」


 〈リーツア〉さんの、苦笑気味の言葉には、疲れが混じっていた。

 〈カリナ〉のあの絶叫を、至近距離で聞き続けたんだ。そりゃそうなるわ。


 「良く頑張ったな、〈カリナ〉」


 「ありがとうございます。ご領主様にも、お世話になりました」


 「それと、お産を手伝ってくれて、皆、助かったよ。ありがとう」


 「ぐわぁ、皆様、ありがとうございます。この御恩は一生忘れません」


 〈リク〉は号泣しながら、皆に向かって、壊れたように何度も頭を下げている。


 〈クルス〉も疲れているようだけど、僕の腰に手を回して微笑んできた。


 「〈タロ〉様、命の誕生は、こんなにも胸が熱くなるのですね」


 僕は〈クルス〉の頭を、ポンポンしながら、部屋の中を見渡した。

 駆け落ち若妻は、隅の椅子に座って、強張った顔しているように見える。

 あれだけ〈カリナ〉が、痛いと喚(わめ)き散らしたんだ。

 それは、それは怖いと思う。


 〈アーラン〉ちゃんの姿が見えないのは、どこかで寝ているんだろう。

 産婆のおばあちやんは、ニコニコと〈カリナ〉に話かけている。


 きっと色々と強い人なんだろう。お年寄りなのに、疲れている感を見せていない。

 産婦に、余計な不安を抱かせないためだと思う。お産の達人だな。


 〈アコ〉と〈サトミ〉も、笑っているし、女の人は強いなと思う。

 〈カリナ〉のあの痛がり方で、ドン引きしないのが不思議だ。


 赤ちゃんを中心に、試練を達成したチームのような、結束の輪が広がっている。

 当然、僕と〈リク〉は、その輪には入ってはいない。


 生まれた赤ちゃんも、皺(しわ)くちゃで、おサルさんのようにしか見えない。

 でも女性達は、皆、可愛いと言って、顔を覗(のぞ)き込んでいる。

 心の底から、可愛いと思っているようだ。表情が笑み崩れているから、そう思う。


 それになぜだか、透き通った顔って感じなんだ。


 すべきことをやった。

 やれることをやった。

 やりとげてみせた。

 すべきことが分かった。

 やれることが分かった。

 やりとげてみせる。


 ただ一途に、思いを心へ秘めている感じなんだ。

 僕の薄っぺらい気持ちとは、あつさが違うと思わされた。

 僕はやることしか、考えていない。



 お風呂に入った、〈アィラン〉君と駆け落ち若夫も、赤ちゃんを見に来た。

 〈アィラン〉君は、「可愛いですね」と言ったけど、上面(うわつら)の感じだ。

 駆け落ち若夫は、「次は僕達の番です」と言って、駆け落ち若妻の肩を抱いていた。

 ケッ。これだから、イケメンは嫌なんだ。


 産婆のおばあちやんが、帰ったので、僕達もお暇(いとま)することにした。

 新しい家族が増えたのだから、後は、家族の時間だろう。


 ただ、帰り際の産婆のおばあちやんの一言で、疲れがどっと押し寄せた。


 「あんなに、お湯はいりませんよ」

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