第435話 安眠妨害

 でも、〈リク〉はダメだ。〈カリナ〉の家を、青い顔で見ているだけだ。

 おぉ、自分の家でもあるな。


 「伯爵様、この砂糖煮は、リンゴの香りがして美味しいですね」


 〈アィラン〉君は、食べたら落ち着きを取り戻したようで、嬉しそうに言ってきた。

 今までは、食うや食わずだったから、リンゴを食べたことが殆どないのだろう。


 「おぉ、そうか。一杯食べろよ」


 「良いのですか」


 「あぁ、〈リク〉は、食べないようだからな」


 〈アィラン〉君は、〈リク〉を横目で見て、パンに手を伸ばした。

 〈アィラン〉君も、こりゃダメだと思ったのだろう。ピンポン。


 それから、三人で〈南国果物店〉を閉めて、店の奥でぼーっとしていた。

 僕達は椅子に座っていたけど、〈リク〉だけは、外で立ったままだ。

 僕がウトウトし始めた時に、〈アコ〉の声が聞こえてきた。


 「〈タロ〉様、お湯を。お湯を早くしてください」


 台所の明かりが漏れる窓から、身を乗り出して、木の桶を振り回している。

 おっぱいも、ブルルンと唸(うな)っているようだ。


 「よーし。任せとけ」


 「お願いしましたわ」


 〈アコ〉の顔は、さっきより切迫しているようだ。陣痛の間隔が、短くなってきたんだろう。


 「種火は、まだ残っているはずだ。〈アィラン〉君は、吹きまくれ」


 「はい。〈アィラン〉、吹きます」


 「後の二人は、薪を持ってきてくれ」


 「了解です」


 「うぉ」


 一人、熊みたいなのもいるぞ。


 僕も井戸から、水をくんで鍋に、ザバッと流し込んだ。

 吹いている〈アィラン〉君にかかったけど、本人も僕も全く気にならない。

 薪は、ごうごうと燃えて、夜空に火花をバチバチと飛ばしている。

 鍋の中の水は、ブクブク湧き上がり、真っ白な水蒸気を立ち昇らせた。


 「お待たせ」


 僕は〈アコ〉に、お湯を入れた桶を手渡した。


 「お願い。もっと」


 おっと、「お願い。もっと」が発せられた。


 こう言われたら、男はハッスルしなくては、ならない不文律(ふぶんりつ)がある。

 壊れるまで律動させろ。


 「薪をもっとだ。〈アィラン〉君は、もっと吹け。井戸も、もっとざぶんざぶんだ」


 男達三人が、汗を流して湯を沸かしていると、叫び声が聞こえてきた。


 「ぎゃー、痛いー」

 「ぎゃー、無理ー」


 〈カリナ〉の怒号のような叫び声だ。強烈な痛みに、実際怒っているのかも知れない。


 「〈カリナ〉」


 〈リク〉は、大声で叫んだけど、足は小鹿のようにプルプルしている。

 台所の窓までも、歩いて行けないようだ。

 まあ、いきんでいる所へ、突撃されても困るから、これで良いか。

 ほっとこ。


 今度は、〈サトミ〉が窓からお湯を取りに来たので、状況を聞いてみた。


 「もう、生まれそうなの」


 「まだ、少しかかるって」


 〈サトミ〉は、心なしか青い顔で、教えてくれた。

 〈カリナ〉の痛がり方を見て、怖くなったのだろう。

 僕は、男に生まれてきたことに対して、人生で一番嬉しくなったね。


 「〈タロ〉様は、どうして嬉しそうなの」


 「そりゃそうさ、新しい命が誕生するんだ。すごいことじゃないか」


 本当のことは、言えないな。全くの嘘でもないしな。


 「うん。そうだよ。すごい瞬間にいるんだね」


 〈サトミ〉は、口をグッと引き締めて、寝室の方へ決然と歩いて行った。


 その後何時間も、〈カリナ〉の怒りの叫び声が、夜空に轟轟(ごうごう)と響き渡たる。

 〈カリナ〉の叫びは、まるで、世界のありとあらゆる理不尽さに、挑戦しているようだ。

 そして、〈リク〉の「〈カリナ〉」という、苦しげな咆哮(ほうこう)が、重低音で夜の道を驀進(ばくしん)して行った。


 二人につられて、〈ガリ〉の遠吠えまで始まる始末だ。


 夫婦揃って、何て近所迷惑なんだろう。こいつ等は、猛犬夫婦か。

 出産が落ち着いたら、売り物のスイカを持たせて、謝りに回らせよう。

 そうでもしないと、この地域から追い出されてしまうよ。

 パーフェクトな安眠妨害だ。


 「ぎゃー、死ぬー」


 〈カリナ〉が、一段と大きな叫びを放った後、〈カリナ〉の家は静まり返った。

 バタバタしていないので、問題は生じていないと思う。


 たぶん、あまりの痛さに、〈カリナ〉は叫ぶことも出来なくなったのだろう。


 「ご領主様、〈カリナ〉は大丈夫でしょうか」


 〈リク〉が、真っ青な顔で聞いてくる。


 「あぁ、たぶん大丈夫だろう」


 「あっ、たぶん、だろう、って… 」


 〈リク〉が、衝撃を受けた様に、口を開いたまま固まっている。

 もっと、安心出来るような言葉が、欲しかったのだろう。

 でも、僕には状況が分からないし、いい加減なことも言えないよ。

 気になるなら、自分で台所の窓から、聞けば良いだけだ。

 ほっとこ。


 また、椅子に座ったら、眠くなってきた。

 もう真夜中だし、お湯をとにかく、大量に沸かした疲れが出てきたな。

 〈アィラン〉君も、駆け落ち若夫も、隣でウトウトしている。

 〈リク〉だけは、ずっと立ちっぱなしだ。どんだけ体力があるんだ、コイツは。

 お化けだよ。


 この世界では、出産に父親は立ち会ったりしないんだな。

 出産は、女性だけのものって言う考えなんだ。

 僕には、どれが正解かは分からないけど、〈リク〉の様子を見ていると、色々と考えさせられる。

 〈リク〉が役に立たないことだけは、ハッキリと分かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る