第434話 お湯

 〈リク〉は、火打石を何度も何度も、こすっていたようだ。


 「ご領主様、火が。何度やっても。火が着かないのです」


 〈リク〉は、火打石を持ったまま、涙を流していた。

 何やってるんだ、コイツは。力が入り過ぎて、火打石が欠けているぞ。


 〈アィラン〉君は、火が着いていないのに、真っ赤になって火吹き棒を吹いている。

 何やってるんだ、コイツも。自分の温度を、上げてもしょうがないぞ。


 僕はお風呂の釜から、燃えている薪を一本取り出して、即席の竈へ差し込んだ。

 〈アィラン〉君が、火吹き棒を吹くと、勢いよく薪は燃え出した。


 鍋を竈にかけて、水を入れたら、どっと疲れが出てしまったよ。


 「おぉ、火が燃え盛っています。やっぱり、ご領主様は天才だ」


 〈リク〉が大声で叫んで、〈アィラン〉君は、ただひたすら火吹き棒を吹いている。

 僕はもっと疲れてしまう。


 「〈タロ〉様、お湯を。お湯を早くしてください」


 〈アコ〉は、台所の窓から身を乗り出して、木の桶を振り回している。

 大きなおっぱいも、合わせて振り回してる感じになっているが、今はそれには目を瞑(つぶ)ろう。

 エッチなことを、考えている場面ではない。


 僕は〈アコ〉の手から、桶を受け取って、大きな鍋からお湯をくんだ。

 お湯が手にかかって熱いけど、そんなことを言ってはいられない。

 僕は、お湯の入った桶を渡して、次の桶を受け取った。


 「〈アコ〉、まだぬるいけど、お風呂も沸かしているよ」


 「〈タロ〉様、分かりました」


 〈アコ〉はなぜだか、僕に「チュッ」とキスをして、寝室の方へ消えていった。


 僕と〈リク〉と〈アィラン〉君は、その後もお湯を沸かしまくった。

 今で生きてきた中で、これほど大量のお湯を見たことがない。


 「〈タロ〉様、お湯はもう良いです」


 〈サトミ〉が、台所の窓から、半分以上身を乗り出している。

 落ちそうに見えたので、僕は〈サトミ〉の胸を支えてあげた。


 「あっ、〈タロ〉様。〈サトミ〉は、落ちたりしないよ」


 〈サトミ〉は、少し笑って僕に「チュッ」とキスをして、寝室の方へ消えていった。


 やることがなくなった、僕と〈リク〉と〈アィラン〉君は、その辺にへたりこんでいる。

 〈リク〉がまた、真っ青な顔で、ブルブルと震え出した。

 何なんだコイツは、いい加減にしろよ。


 日が沈んでも、〈カリナ〉の家は騒然としている感じだ。

 〈アコ〉〈サトミ〉〈アーラン〉ちゃんが、バタバタと動いている。

 〈クルス〉と〈リーツア〉さんと若妻は、寝室の方にいるようだ。

 当然、〈カリナ〉もそこにいる。

 後、引っ張られてきた、おばあちゃんもいるのだろう。


 そこへ、〈南国茶店〉で働いていた、駆け落ち若夫が帰ってきた。


 「ご領主様、一体何が、起こっているのですか」


 普通は〈リク〉に尋ねると思うが、今は無能者に近いから、僕に聞いてきたんだろう。


 「〈カリナ〉の陣痛が、始まったみたいだ」


 「えぇー、そうなんですか。妻も〈カリナ〉さんの家にいるのですね」


 コイツも、〈カリナ〉の家って言うんだな。名前は何だったかな。

 男だからか、覚えてないや。


 「見てないけど、たぶん、そうじゃないかな」


 駆け落ち若夫は、慌てて自分の家である隠居に、入っていった。

 荷物を置きに行ったのだろう。


 「もう夜か。お腹が減ったな」


 女性陣にも聞いてみようか。台所の窓を開けて、〈サトミ〉に呼びかけた。


 「どうだ。お腹は減っていないか。何か買ってくるぞ」


 「うーん、〈タロ〉様。ちょっと聞いてくるね」


 しばらくすると、〈サトミ〉が窓までやってきた。


 「〈タロ〉様。館の台所に、今朝焼いたパンと、しまっておいた《インラ国》のリンゴの砂糖煮があるらしいの。それを持ってきて欲しいって、言ってるよ」


 「分かった。パンとリンゴの砂糖煮だな」


 僕と駆け落ち若夫は、台所の扉を全開にして、ガサゴソとリンゴの砂糖煮を捜索した。

 パンは直ぐに見つかったけど、砂糖煮の瓶(びん)が、戸棚の奥の方にしまってあったんだ。


 パンと砂糖煮の瓶を、適当な籠(かご)に詰めて、僕はまた窓を開けた。

 今度は、〈アコ〉が顔を出してくる。


 「〈タロ〉様、その籠を頂くわ」


 〈アコ〉は、籠を受け取って窓を閉めた。

 《チァモシエ》嬢から買った、あのリンゴは、砂糖煮になっていたんだな。

 売れ残りでパサパサになっていたから、有効利用したみたいだ。


 あれ。僕のお腹はどうなるんだろう。今日は、夕食抜きなのか。


 「〈タロ〉様、残りは男連中で食べなさいって」


 〈アコ〉が、そう言って、窓から籠を返してきた。

 慌てて食べたのだろう。砂糖煮が口についているぞ。


 「〈アコ〉、顔を近づけてよ」


 「えっ、こうですか」


 僕は〈アコ〉の口元に付いてた、砂糖煮をペロッと舐めとってあげた。


 「ひゃっ、〈タロ〉様は、もう。そんなことは、後でしてください」


 呆れたような感じで、〈アコ〉は、窓を勢いよく閉めてしまった。

 舐めたので分かったが、砂糖煮とはジャムのことだ。


 「皆、このパンに砂糖煮をつけて、食べよう」


 駆け落ち若夫は、「ありがとうございます」と言って、パンにジャムを塗り出した。

 大きな声で言ったから、〈アィラン〉君も、パンを籠から手で取っている。

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