第421話 ただの領地貴族
― バリーン ―
ガラス状の物が、壊れる大きな音がした。
この音には聞き覚えがあるぞ。中年猫の特典だ。守護の神獣の守りの音だ。
僕は、倒れている青白い肌の男の手を、思い切り踏み抜いた。
「ボキッ」と、骨が折れる音がしたけど、男は微動だにしない。
もう死にきっていたらしい。
〈ラオ〉や野次馬達は。「奇跡を見たぞ」と声を張り上げ大騒ぎだ。
カラフルな下着の女性達は、「英雄の許嫁は、やっぱり聖女で決まりね」とキャーキャー騒いでいる。
英雄と勇者は、別もんじゃないのか。
どんな場合でも、しょせん当事者以外は、気楽なもんだな。
茫然とする幼い女の子の横で、〈アコ〉と〈クルス〉と〈サトミ〉は、抱き合って大声で泣いている。
僕の背中は、汗でびっしょりだ。ほんの十秒のことだけど、生きている心地がしなかったな。
ぼーっと許嫁達を見ていると、年寄り猫が五m先に浮かんでいやがった。
「童貞のお前さんは、それなりに良くやったぞ。穴掘り犬の次ぐらいには、評価をしてええじゃろう。しかし、最後の最後は、分かっていたがハラハラしたの。〈ジュジュシュ〉の守護が、相応(ふさわ)しい乙女じゃな。幾久(いくひさ)しく懇(ねんご)ろにするんじゃぞ」
年寄り猫は、言いたいことだけ言って、パッと夜の帳(とばり)に消えていった。
お礼を言う間もなかったので、頭を九十度に下げておこう。
これで、さすがにもう事件は起こらないだろう。ふぅー。
〈ラオ〉に辻馬車を呼んで貰って、帰るとするか。精神的に疲れ果てたよ。
「伯爵様、残念なお知らせです。「王都旅団」が、出張(でば)ってきました。事情聴取が終わるまで、帰れないんじゃないかと思います」
えっ、事情聴取を受けるのか。まさか過剰正当防衛って、言われないよな。
僕は伯爵様で領主で海方面旅団長なんだ。
海方面旅団長は、ちょっと忘れていたけど、ここで最大限活用しよう。
結局、僕と〈リク〉は、「王都旅団」本部へ連れて行かれた。
許嫁達三人は、精神的な消耗が激しいので、〈南国果物店〉へ帰ることになった。
〈ガリ〉も一緒だ。「わん」「わん」と嬉しそうに鳴いている。
たぶん、早く帰って穴を掘りたいんだろう。
〈南国果物店〉に帰れば、〈リーツア〉さんと〈カリナ〉が、上手くやってくれると思う。
同じ年頃の女性もいるので、共感力も十分なはずだ。
包丁と鉄鍋の持ち主のおっちゃんへの賠償とか、〈ラオ〉とか、カラフルな下着の女性達のお礼は、〈ソラィウ〉に丸投げしよう。
〈ソラィウ〉の方が僕より、カラフルな下着の女性達とは、懇意(こんい)にしているからな。
これは嫉妬じゃなくて、適材適所という名の制裁(せいさい)だ。
夜になったのに、僕達は、まだ「王都旅団」本部で拘束されている。
直ぐには、帰らせては貰えないようだ。
おまけに、旅団長の〈セミセ〉公爵の尋問を受けている。
どうして、トップが尋問なんかするんだ。とてもやり難いぞ。
緊張するし、有耶無耶(うやむや)にも出来ないぞ。
「いやー。《ラング》伯爵は、本当に英雄なんだな。君の周りでは、いつも大きな事件が起きる。世は君を中心に、回っているようだな」
「はぁー、そんなことはないですよ。僕は英雄ではなくて、ただの領地貴族です」
「ふっふっ、夜も遅いので、言わせておいてあげるよ。聞きたいことは、三点だ。素直に話して貰えるかな」
「その前に、確認なのですが。こんな夜中にもかかわらず、旅団長、自らが来られているのは、なぜですか」
「それは、聞く相手が旅団長だからだ。敬意を払っているのだよ。それに英雄の話は直(じか)に聞きたいだろう」
こっちは必死だったのに、野次馬根性丸出しかよ。
「はぁ、気を使って頂いて、ありがとうございます。でも、部下の人でも構いませんよ」
「心配には及(およ)ばないな。私も若い頃は、凶悪犯罪の陣頭指揮をとったこともあるのだよ。久しぶりの捜査で、血が騒いでいるんだ」
げぇー、凶悪犯罪、捜査、僕は容疑者なのか。
「はぁ、分かりました。三つの質問とは何ですか」
「《ラング》伯爵もお疲れだから、手短に済ませよう。一つ目は、あの男達は何者だか知っているか」
「何も知りません。あそこで見たのが初めてです。ただ、街の住人は、噂になっている女性をさらう、犯罪組織と言っていましたね」
「うーん、そう言う意見もあるな。二つ目は、どうしてあの幌馬車に、婚約者が捕まっていると分かったのか」
「〈ガリ〉が、飼っている犬が、吠えて教えてくれました」
「ほう、《ラング》伯爵は、婚約者と一緒に行動していたのか」
「一緒ではないですが、近くにいたのですよ」
「ふーん、《人魚の里》の近くでね。三つ目は、あの男達を、どう思ったのかを聞かせて欲しい」
《人魚の里》の近くでね、って言い方が、何か嫌な気分にさせるな。
「あの男達は、奇妙だと思います。誰かに操られている、感じがしましたね」
「そうか。そう思ったか。また、聞かせて貰うかも知れないが、今日はこれで終了だ。もう解放するから、ゆっくりと休んでくれたまえ」
「ありがとうございます。それでは失礼します」
「あぁ、最後に忠告をするよ。若いので精力が余っているのだろうが、《人魚の里》に通うのは、程々(ほどほど)にしておくべきだ。婚約者をあまり心配させてはいけないよ」
げぇー、王都旅団長は完璧に誤解しているよ。僕は無実だ。
《人魚の里》に通った覚えは、まるっきりないぞ。
しかし、「天智猫」と「天跳駒」のことを話すわけにもいかないから、好都合と言えなくもない。
甘んじて、色ボケ貴族の若造を、受け入れるしかないのか。
何もしていないのに、僕が可哀想過ぎるぞ。
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