第418話 空を切り裂いて
でも、グルグルは「ブルン」「ブルン」と鼻息を吐いて、力強く地面を蹴り出した。
グングンとスピードを上げていく。
〈サトミ〉の匂いを、追いかけているのだろう。
〈ガリ〉が、猛スピードで駆けているのが見えてきた。
良く見えると思ったら、グルグルが家の屋根の上を走っているんだ。
屋根の瓦(かわら)を、軽やかに踏んで、風のように突っ走っている。
コイツには体重がないのか。瓦は何の音もたてていない。
僕は、風の塊に運ばれているらしい。
風を捕(つかま)えて、滑空している、軽(かろ)やかな燕(つばめ)になったんだ。
おじさんやおばさんの頭は、道を横切る時の、踏み台にさせて貰おう。
僕の許嫁が危ないんだ、喜んで貸してくれるだろう。
人の頭をポンポン踏んで、最短距離で突っ走れ。
おじさんのカツラが、ずれ落ちたけど、そんなことはどうでも良い。
おばさんの買い物かごが、吹き飛んだけど、ダイエットになって良いだろう。
おじさんの「おぉ、わしの秘密が」という絶叫と、おばさんの「夕ご飯を返せ」という怒号(どごう)が、遥か後ろの方から聞こえてくる。
〈ガリ〉は、死にもの狂いだ。
進行方向を歩いている人達が、大慌(おおあわ)てで道を開けていく。
離れた目から噴き出すような怒りが、化け物のように見えたんだろう。
全身の毛も、あり得ないくらい逆立って、途轍(とてつも)もない大きさに見せている。
おまけに、カーブで爪を痛めたのだろう。
血を撒き散らして駆けている様(さま)は、命をかけた試練を課(か)せられているようだ。
だけどスピードは、これっぽっちも落としてはいない。
「ウオー」「ウオー」と低く唸りながら、ひたすら四肢を動かし続けている。
〈ガリ〉、お前の鼻が頼りなんだ。お願いだ。どうか早く、〈サトミ〉を見つけてください。
グルグルのスピードも、〈ガリ〉に負けていない。やっぱり神獣だけのことはある。
もう直ぐ〈ガリ〉に、追いつきそうだ。
羽ばたいている鳥も、屋根の上の猫も、赤ちゃんのほっぺも、グルグルの疾走コースに過ぎない。
グルグルの走りを妨げるものは、この世に存在しないだろう。
同時に、〈ガリ〉の〈サトミ〉への恩返しを、妨げるヤツもいないはずだ。
そんなヤツがいたなら、僕が叩き切ってやる。
おっ、そう言えば、武器を何にも持っていないな。急いでいたんだから、しょうがない。
何とかなるだろう。
遠くの方に、馬車が数台見えてきた。白い幌(ほろ)を被せた、頑丈そうな馬車だ。
〈ガリ〉は、あの馬車を目指しているようだ。
近づくにつれて、怪しさが増えてくる。
馭者が、全く余所見(よそみ)をしていない。前しか見ないなんて、あり得ないと思う。
それに肌が、青白い。日を浴びたことが、ないような肌の色だ。
馭者なのに、怪し過ぎるぞ。不気味な男達だ。
もう、追いついたのか。〈ガリ〉が、猛然と馬車に吠えている。
地獄の番犬も、裸足で逃げて行くような、心の奥底からの怒りだ。
そうだ。もっと吠えろ、〈ガリ〉。
そうだ。もっと怒れ、〈ガリ〉。
吠えて、〈サトミ〉達三人を勇気づけてくれ。僕も今直ぐ行くぞ。
僕は獲物を狙う黒い鷲のように、空を切り裂いて、幌の上に舞い降りた。
手には、料理屋のおっちゃんが持っていた、包丁と鉄鍋を装備している。
〈ガリ〉の怒りの咆哮(ほうこう)に誘われて、野次馬になっていた、おっちゃんの物だ。
しばしの拝借(はいしゃく)をお願いしよう。僕の許嫁を助けるためだ。
まさか、嫌だとは言わないだろう。
包丁で幌を切り裂くと、中には、捕えられた女性と少女が、大勢縛(しば)られていた。
猿ぐつわを噛まされているので、顔が分かり難いが、三人はここにはいない。
焦(こ)げ付くような焦燥感が僕を襲う。逸(はや)る気持ちが、心臓をギュッと縮めてくる。
心が氷点下に向かって、下がっていくようだ。
隣の馬車の幌を切り裂いても、見つからない。
また隣の馬車の幌を切ろうとした時、青白い肌の男達が、僕の邪魔をしにきた。
幌を切り裂いているんだから、遅過ぎるくらいだ。
十人は超えているだろう。銀色に光る剣を構えて、僕がいる馬車を取り巻いてくる。
〈ガリ〉の咆哮と野次馬の声が五月蠅い中、無言でジリジリと距離を縮めてくる。
この状況で、無言と無表情は、あり得ない。
誘拐を企(くわだ)てる時点で、まともな人間じゃないけど、それ以上にまともさがない。
まるで操(あやつ)られている、ゾンビのようなヤツらだ。
だけど、知能が劣(おと)っているわけじゃないらしい。
男達の半数が幌に昇って、後の半数が下で僕を待ち受ける戦術をとりだした。
僕は昇ってこようとした、男の剣を包丁の背で弾き、鉄鍋の底で頭を強打した。
男は「ガアッ」って声を出して倒れていく。
始めて発した声は、生き物らしさを感じない。抑揚(よくよう)のないものだった。
やはりこいつ等は、存在が異常だと思う。この奇怪な人間の集団は何なんだ。
ここで時間をかけるのは、下策(げさく)と判断したのか、下で僕を待ち受けていた男達が、先頭の馬車に乗ろうとしている。
えっ、後二台の馬車を諦めるつもりか。
この男達の考えは、やはり理解が出来ない。誘拐が目的なんだろうが、何か変だ。
やはり、奇怪だとしか言いようがない。ただ、先頭の馬車には許嫁達が、捕えられているはずだ。
ここで逃がす訳にはいかない。
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