第416話 浮いている
《人魚の里》に、〈タロ〉の許嫁達が現れた。辻馬車に乗ってきたようだ。
「〈アコ〉ちゃん、ここが《人魚の里》なんだ。すごい服を着た女の人が一杯いるね」
「〈サトミ〉ちゃんの言うとおりですわ。ここに〈タロ〉様が通っているのですね。こんなに面積の少ない服を着た、女性と合っていると思うと、改めて許せない気持ちになりますわ」
「全くその意見に賛成です。道行く男性の顔は、醜(みに)く緩(ゆる)んでいると思います。〈タロ〉様も、同じような顔をしているのでしょうか」
「〈クルス〉ちゃん、気持ちは良く分かるけど、今はお店、《新ムタン商会》を捜すのが先ですわ」
「分かりました。それが最優先ですね」
「〈サトミ〉も捜しているんだけど、ないんだよ」
「そうですね。《海の天国》《一夜の人魚》《愛の無人島》って変な名前ばかりあって、「商会」がついたようなお店が見当たりません」
「確かにそうですね。それに周りの人達から、ジロジロ見られていますわ。嫌な感じがしてきました」
「〈アコ〉ちゃん、〈サトミ〉達みたいに、女性だけで歩いている人がいないよ。歩いているのは、おじさんばっかりだね」
「これは困りましたね。ここにいる女性は、全員水商売の女性だけです。私達は浮いているのでしょう。それにねっとりとした視線を、今も胸やお尻に感じています」
「やっぱり〈クルス〉ちゃんも、そうなんだ。〈サトミ〉も胸とお尻を見られている気がするの。〈タロ〉様だったら良いんだけど、他の男の人じゃ気持ち悪いだけなんだ」
「私は胸ですわ。胸ばっかり見られています。〈タロ〉様なら、平気なのですが、悪寒がしてきましたわ」
「ヒィヒィ、よう、ねえちゃん。俺達と楽しいことをしようぜ」
酒に酔った若者達が、許嫁達に声をかけてきた。
ニタニタとした顔で、三人の身体を舐め回すように見ている。
「何ですか、貴方(あなた)達は。私達は《新ムタン商会》を捜しているだけですわ」
〈アコ〉は、何とか返事を返したが、身体を硬くしているようだ。
「ハハハ、商会が、こんな所にあるわけないじゃないか。ここは、男と女がエッチなことをする場所だぜ。ねえちゃん達も、エッチなことをしたいんだろう」
「そんなことはしませんわ」
「〈サトミ〉は、エッチなことはしないよ」
「私達は、大切な用事があるので、構わないでください」
許嫁達は、怒りもあるのだが、それより怖さが優(まさ)っているようだ。
声は生気がない感じで、三人で身を寄せ合っている。
「ヒィヒィ、こんなところで、若い女だけじゃ危ないぜ。俺達が安全な所へ連れて行ってやるよ。お金はあるから心配いらないぜ」
「行きません。その方が危ないと思いますわ」
「〈サトミ〉は、絶対に行かないよ」
「もう、話かけないでください」
許嫁達は断固として拒否したが、その顔は青ざめていて、不安で仕方がない様子だ。
「なに、上品ぶっているんだ。値段を吊(つ)り上げるつもりか。いい加減にして一緒に来いよ」
目をギラギラとさせた若者達が、許嫁達の手を掴(つか)もうとした。
「ひぃ、逃げましょう」
「きゃー、怖いよ」
「いゃー、触らないで」
許嫁達は、悲鳴をあげながら、一目散に逃げだした。
目をギラギラとさせた若者達は、許嫁達に向かって「売女(ばいた)くせに、偉そうにしやがって」と大声で悪態(あくたい)をついている。
ただ、それは必死に逃げている三人の耳には届かない。恐怖心で、一杯になっているためだ。
許嫁達は、走りながら逃げる場所を捜した。
道行く男性が、三人には全て怖い人に見えてしまう。
そのため、大通りから、人気のない路地に入り込んで行ったらしい。
三人は悲鳴をあげていたが、《人魚の里》に集まっている人は、何の注意も払わない。
ここでは、よくある事だったんだろう。
「はぁ、はぁ。もう追いかけてきませんわ」
「ふぅー、怖かったね。〈サトミ〉は〈タロ〉様以外の男の人に、手を握られそうになっちゃったよ」
「はぁー、あの男の人達のいやらしい目が、身体にまだ、纏(まと)わりついているようです。とても不快ですね」
「〈アコ〉ちゃん、ここはどこなんだろう。人がいないね」
「それに、もう薄暗くなってきました。先ほどの通りと違って、ここには灯りがありません。早く出ないと、身動きが出来なくなりそうです」
「うーん、困りましたね。ここがどこだが、分かりませんわ。大きな通りに出て、辻馬車を拾いましょう」
「〈アコ〉ちゃん、どっちに行こう」
「灯りが多い方へ行こうと思うのですが、どっちも暗くて、迷っているのですわ」
「失敗しました。逃げるのに必死で、道順を覚えていません」
「〈サトミ〉達は、迷子になっちゃたの」
「〈サトミ〉ちゃん、心配にしないで。ここは街の中ですもの、何とかなりますわ」
「そうですよ。三人で力を合わせれば、この窮地(きゅうち)も乗り越えられます。だから、決して離れないようにしましょう」
「ふぁ、そうだよ。〈アコ〉ちゃんと〈クルス〉ちゃんがいるから、〈サトミ〉は平気なんだ。離れ離れにならないように、手を繋ごうね」
三人は、手を繋いで薄暗い道を慎重に歩き出した。
どこへ向かっているのかは、三人とも分かっていない。
ただ、その場でじっとしているのは耐えられなかったんだ。
― ギィー ―
建付(たてつ)けが悪い扉が開く音とともに、許嫁達の前に、突然、男たちが現れた。
全く声をたてない、青白い顔と手をした、数人の男達だ。
無表情で、一糸乱(いっしみだ)れない動きが、人間離れしている。
「ひぃ、逃げるのよ」
「きゃー、こっちへこないでよ」
「いゃー、なんなのですか」
青白い男達が、まともじゃないと瞬時に分かったので、許嫁達は大きな悲鳴をあげた。
さっきより、切迫して鋭い悲鳴だ。今度は、命の危険を感じたのだろう。
だがそれも、《人魚の里》では珍しくないんだろう。気にした人はいない。
もしかすれば、路地の奥なので、誰も聞いていなかったのかも知れない。
許嫁達は、あまりの恐怖に身体が動かなくなってしまった。
その場で三人が、ガタガタと震えて身を寄せ合っているだけだ。
でも、青白い男達が一歩前に出た時に、反射的に動き出した。
生存本能だろうか。三人が手を繋いでいたからか。
ただ、元来た道を走って逃げようとしたが、出来なかった。
直ぐ前に、また数人の青白い男達が待ち構えていたからだ。
三人は悲鳴をあげる暇(いとま)もなく、鳩尾(みぞおち)に当身(あてみ)を入れられて、気を失ってしまった。
三人の最後の言葉は「〈タロ〉さ… 」だったと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます