第414話 立ち飲み屋

 〈クルス〉に変化を促(うなが)されて、僕も変ってしまったのかも知れない。


 〈クルス〉と一緒にいられて、美味しいお弁当が食べられたら、天国みたいな人生だよ。

 それ以下の人生は沢山想像出来るけど、それ以上はちょっと浮かばないな。


 「僕は〈クルス〉がいてくれて、すごく幸せだよ」


 「うふふ、〈タロ〉様、私もです。悲しいお話を聞きましたが、私が暗くなっても全く意味がありません。私は〈タロ〉様の隣を歩いて行くだけです」


 その言葉どおり、〈クルス〉は《赤鳩》へ送って行く今も、僕の腕に絡んでいる。

 もちろん、おっぱいもグイグイ当てている。


 「〈クルス〉、これも誘惑なのか」


 「いいえ。違います。私は、通りで誘惑はしないですよ。これは見せつけているのです」


 「えっ、誰に」


 「皆にですよ」


 「男は関係ないだろう」


 「まあ、そうですけど。私が〈タロ〉様のものだと、知らしめる意味はありますね」


 「ふーん、逆に言うと、僕は〈クルス〉のものなんだ」


 「不服ですか」


 「決してそのようなことは、御座いません」


 「うふふ、よろしい。褒美に胸を見せてあげます」


 〈クルス〉は、制服の胸元を大きく開けて、手で風を入れるふりをし出した。


 「うふ、〈タロ〉様。熱くなってきましたね。私はもう汗でびっしょりですよ」


 〈クルス〉のおっぱいは、確かに汗をかいていた。

 桜色の蕾もしっとりとしている。身体も熱くて、顔も赤い。


 「〈クルス〉、恥ずかしいんだろう。無理はするなよ」


 「ふぅ、少し恥ずかしいですけど、今が勝負の時なのです」


 えっ、何の勝負なんだろう。ラッキー助平と争っているのか。

 はぁー、その争いに挟まれたら、僕の理性は持たないぞ。

 負ける自信が、ありまくるぞ。




 《新ムタン商会》の〈ラオ〉から、商談の話が舞い込んできた。

 塩漬け魚と干物に、がぶっと喰いついてきたみたいだ。


 陸運業者代表の〈レィイロ〉、〈リク〉、〈ソラィウ〉と僕の四人で、《新ムタン商会》のアジトに向かった。商談だから本部だな。


 「ふっふっ、《ラング伯爵》様、ようこそ。またお会い出来て嬉しいですよ」


 「こちらこそですよ。塩漬け魚と干物に、興味を持って頂いて有難いです」


 「早速ですが、この度、我が商会では、立ち飲み屋を展開しようと考えているのです」


 「ほぉー、立ち飲み屋。座らないのですか」


 〈レィイロ〉が、驚いた感じで聞いている。立ち飲みスタイルは、珍しいのだろう。


 「そうです。三つの利点が、あると考えたのですよ。回転率、極狭不動産の活用、安い提供価格に伴う敷居の低さです」


 「ふーん、極狭不動産って沢山あるの」


 「《ラング伯爵》様、それが結構あるのですよ。夢だった店を出したは良いが、店が狭すぎて売り上げが伸びなかったのでしょう。そういう不動産は、立地の割に格安なのです」


 「ほぉ、目の付け所が素晴らしいですね。それで、確認なのですが、塩漬け魚と干物のどこが良かったのでしょう」


 〈レィイロ〉が聞いたのは、企業秘密的なことじゃないのかな。


 「はっはっ、あまり言いたくはないのですが、当然一番は味と値段ですよ。美味しくて安い物に、敵(かな)う物はありません。後は、煙と珍しさですかね」


 王都で魚は、あまり流通していないから、珍しさは分かる。

 でも、煙ってなんだろう。

 〈ラオ〉の顔を見ると、ニコニコとはしているけど、これ以上話すつもりはない様子だ。


 かなり真剣な目をしていると思う。


 立ち飲み屋は、初期投資も少なくて済む。

 ただ、新興の《新ムタン商会》にとっては、一世一代の勝負の面もあるのだろう。

 表面上は余裕をかましているけど、内情はどうだか分からない。


 「うちの商品を、高く評価して頂いてありがとうございます。これから末永く、お付き合い願いたいですね」


 〈レィイロ〉と〈ラオ〉が、ガッチリと握手を交わしてやがる。

 もう、商談は決まったようなことをするなよ。


 今までなかった形態の、立ち飲み屋を始めるんだ。リスクは、テンコ盛りなんだぞ。

 まあ、僕が苦し紛(まぎ)れに、《新ムタン商会》へ持ちかけた話なので、断る選択肢はないんだけどな。


 〈レィイロ〉、お前は運ぶだけだろう。リスクは全部僕にあるのだから、気楽なものだよな。

 一仕事しましたって感じで、笑いながら酒を飲んでいるのが、無茶苦茶腹立たしいぞ。

 酒を頭からかけてやろうか。


 まあ、商談をぶち壊すような真似は出来ないか。

 後のことは〈レィイロ〉と〈ソラィウ〉に任せて、僕と〈リク〉は帰ることにした。


 「もう帰られるのですか。商談がまとまった、お祝いをしようじゃありませんか」


 〈ラオ〉が、当たり前のように誘ってくる。

 水商売をやっていると、これが常識なのかも知れないな。


 「そうだよ。あたしと飲みたくないの。今日は、横に座ってあげるよ」


 〈ミオ〉が僕の首に手を回して、身体を押しつけてくるぞ。

 いやに馴れ馴れしいしいと思う。

 だけど、もっと、おっぱいを押し付けて欲しい。

 香水と大人の女の皮脂の匂いが、僕を濃厚に誘惑してくる。

 こんなの、どうしましょう。


 「せっかくのお申し出ですが、妻が臨月を迎えておりますので、帰らせて頂きます」


 〈リク〉が断固とした感じで、勝手に断ってしまった。

 僕も異存は、ないんですけどねー。


 〈リク〉の目に怯(おび)えを見たのか、〈ラオ〉と〈ミオ〉は、もう誘っては来ない。

 「仕方がないですね」「それは大変ですね」と、あっさりと諦めていた。


 僕も諦めて、〈リク〉と一緒に商会を出た。

 店の二階からは、〈レィイロ〉と〈ソラィウ〉の「可愛いね」「大きいな」と、にやけた声が聞こえてくる。

 嬉しそうに笑ってやがる。こいつらの、この所業を誰にチクったら良いんだろう。


 通りを歩き出すと、〈リク〉が、クンクンと自分の匂いを嗅いでいるようだ。


 「どうしたんだ、〈リク〉」


 「商会で、女性の匂いがついたようです。どうしましょう」


 〈リク〉は、すごく情けない顔をしている。戦争で勲章を貰った男とは、とても思えない。

 そんなに〈カリナ〉が怖いのか。


 あぁ、そうか。焼け火箸のトラウマがあるんだ。

 幼少期の心の傷は、精神の形成に多大な影響を与えるんだな。怖いことだよ。


 「うーん、何かの匂いで上書きしよう」


 「ご領主様、何か良い案があるのですか」


 「ふふん、さっき手がかりを貰ったよ。〈鱈腹町〉にある、うちに店に寄っていこう」


 「おぉ、焼魚の煙を一杯浴(あ)びるのですね。ご領主様は、やはり天才ですね。敬服(けいふく)つかまりました」


 ちょっと、褒め過ぎじゃないのかな。それに、浴びなくても、匂いはつくと思うよ。


 僕と〈リク〉は、店で塩魚と干物を炙(あぶ)りたおした。

 滴(したた)り落ちる脂を、わざと炭で燻(いぶ)して、もうもうと煙を立ち昇らせていたんだ。

 店長は大量の煙を見て、渋い顔をしていたけど、オーナーの意向には逆らえない。

 はははっ、僕は伯爵で領主で経営者だからな。


 「ご領主様、煙もすごいですし、魚の生臭具合(なまぐささぐあい)も最高です。海の幸に脱帽ですね」


 〈リク〉の記憶に、焼魚と炙った干物は最高だと、強く刷り込まれたに違いない。

 手で煙を掴(つか)んで、顔に塗りつけているほどだ。


 少年のように邪気がない笑顔を、なぜか痛々しく思ってしまう。

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