第404話 鬼

 一夜だけの、安い疑似恋愛に過ぎない。

 そう割り切って、船長は楽しんでいるのだろう。


 嘘で一時的なものより、本当で恒久的なものの方が、どう考えても価値が高い。

 嘘で一時的なものは、おっさんになってから楽しんでみよう。

 船長みたいに、その時には、それしか残されていないのだから。


 だから、話題を強制的に変えよう。


 「〈ラオ〉さん、もう一つ商売の話なんだが。塩漬けの魚と干物はどうだい」


 「ほぉ、塩漬けの魚と干物ですか。この店では出せないですが、やりようによっては、面白いかも知れませんね」


 「まあ、興味があったら、一度〈鱈腹町〉にある店を覗いて見てくれ。そこで出しているんだ」


 「おぉ、〈鱈腹町〉にもうあるのですね。近いうちに、見に行きますよ」


 「〈ラオ〉、私も連れて行ってね。《ベン島》を離れてから、全然、魚を食べられていないの」


 〈ミオ〉が不満げに言った後、〈リク〉と僕の両脇の女性も、魚が食べたいと言い出した。

 《ベン島》は、島だけあって、毎日のように魚を食べていたらしい。

 船長の隣の女性は、おっぱいを触られながら、いかに魚に飢えているかを力説している。


 船長に触られているのは、ペットが触っているのと、変わりがないのだろう。

 泥亀だから、少し臭そうにしているけど。


 アジトの二階は、魚の話が始まると、一気にほのぼのとした雰囲気となった。

 もう、女性がサービスしてくれる、お店じゃないみたいだ。

 故郷の懐かしい話を口々に話している。和気(わき)あいあいとした、単なる飲み会だ。


 僕の危機的な状況は、はるか遠くへ去ったな。

 〈リク〉も、リラックス出来て、〈カリナ〉が作った焼魚を自慢しているようだ。


 僕達はしばらく魚の話をした後、帰路についた。

 船長だけは、《人魚の里》へ、さらに潜り込むらしい。


 嘘で固めた疑似エサを、痩せた亀のように、半分分かっていながら食らいつくのだろう。


 

 数日後に、《新ムタン商会》から連絡が入った。

 残っていた元戦争奴隷の人達の、家族の消息が分かったらしい。

 住み込みで、商店の雑用みたいな仕事をしていたとのことだ。


 だから、《ラング領》に行くことには、何の文句も出ない。とても喜んでいるそうだ。


 ただ、〈マサィレ〉の奥さんと子供に、問題がある。

 〈マサィレ〉の奥さんは、〈マサィレ〉に合えないと言っているらしい。


 奴隷になったから、婚姻関係は消滅してはいるけど、会うことも出来ないのか。

 それと〈マサィレ〉の子供は、戦争が始まった時には、まだ乳飲み子だったんだな。


 〈ラオ〉が、ほとほと困り果てて、船長に相談したらしい。

 船長に聞いてもしょうがないと思う。下品な冗談を、下卑(げび)た笑いと一緒に飛ばすだけだ。


 ただ〈ラオ〉も、藁(わら)にもすがりつきたい思いだったんだろう。

 お調子者の船長を、利用しようと企んだ気がする。


 そんなわけで僕は、〈ラオ〉の策略にまんまと乗せられて、夕暮れの《朝日通り》に連れてこられた。

 《朝日通り》は、高い城壁に遮(さえぎ)られて、朝日が差さないことから付けられたクソみたい名前だ。


 船長は偉そうに、やり始めたことは、最後まできっちり尻を拭けて言いやがった。

 本当に嫌らしいおっさんだ。おめえと違って、ちゃんと尻は紙で拭いてるよ。

 てめえは、どうせ手だろう。不潔中年め。


 ただ僕も、〈マサィレ〉のことは気になる。

 元戦争奴隷の中では、圧倒的に言葉を交わした仲だ。 

 船の中で、奥さんと子供に会えるのが楽しみだと、話していた笑顔が脳裏に焼き付いて離れてくれない。


 今も手には、日雇いの日当で買った、奥さんと子供への贈り物を握りしめている。

 僕は〈マサィレ〉に、何をしてあげられるのだろう。


 元戦争奴隷で〈マサィレ〉の友人に、呼び出された女性が空き地にやってきた。

 女性の影は、長く伸びて、黒い塊に続いているようだ。


 〈マサィレ〉とその女性は、一mほど離れて、向かい合って立っている。

 〈マサィレ〉はもっと近づきたい素振りだが、女性の雰囲気が、それを許さないみたいだ。

 女性は、表情がない顔で、淡々と話をしている。能面のようで、かなり不気味だと思った。


 「〈マサィレ〉さん、無事戻ってこられて、本当に良かったです。誠にすみませんが、裏切るようなことをしました。私のしたことを許して欲しいとは、少しも思っていません。どうぞ、私が死ぬまで憎んでください。でも、私のことは早く忘れて、新しい幸せを掴(つか)んで頂きたいと願っています。遠くからではありますが、懸命に祈っております」


 「〈ネラ〉、俺はこうして帰ってきたのに、喜んではくれないのか」


 「生きて帰られることを、先日まで、毎日祈っておりました。今は、幸せをお祈りしています」


 「それじゃ、喜んでいないのか。それに、〈マト〉には、合わせてくれないのか」


 「申し訳ございません。あの子は、今の夫に懐(なつ)いております。まだ幼いので、混乱させることはしたくありません。私はあの子のために、鬼になったのです。人じゃない、鬼のすることです。親と子を引き裂くのですから、いくらでも罵(ののし)ってください。〈マサィレ〉さんは、そうされるべきです」


 「〈ネラ〉、おまえのことを愛しているんだ。〈マト〉に合えると思って、必死に耐えてきたんだぞ。それをこの仕打ちか」


 〈マサィレ〉の手から、贈り物が地面の泥の上に滑り落ちた。


 「〈マサィレ〉さんの愛した〈ネラ〉は、残酷な鬼になりました。鬼を愛していても、辛いだけだと思います。ただ、子供は、〈マト〉を立派に育てると誓います。命をかけております」


 「今の夫を捨てれば良いじゃないか。鬼なんだろう」


 「心は鬼なのですが、不思議と身体は人なのですよ。妊娠しているのです。鬼のくせに、笑ってしまいますね」


 「もういい。おまえは俺を捨てたんだな」


 「そう思って頂いて構いません。私は、とても大切なものを捨てて、子供を選びました。そのことを、後悔していません。〈マサィレ〉さんは、当然、間違ったことだと思われるのでしょうが、私は正しいことだったと思っています。後戻りは、もう出来ないのです。私には、もう祈ることしか出来ません」


 その後、〈マサィレ〉と奥さんは、長い間見詰め合っていた。

 〈マサィレ〉も、奥さんも、身じろぎ一つしないで、ずっと互いの目を見ている。


 日の光が、城壁に隠れる頃、〈マサィレ〉の瞳から涙が流れ落ち、手で拭(ぬぐ)ったのが見えた。

 それでも、奥さんは少しも動かず、〈マサィレ〉の顔を見詰めている。

 涙も流れてないし、悲しんでいる顔でもない。

 ただ、〈マサィレ〉を見詰めているだけだ。

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