第399話 焼けた火箸

 〈リーツア〉さんは、顔をしかめて難しい顔をしている。聞きにくいな。

 〈リク〉は、何だか落ち着かない感じだ。

 〈リーツア〉さんをチラチラ見ているし、しきりに学舎町の方を気にしている。

 あっちの方向に、《人魚の里》があるのか。


 「〈リク〉、船長だけでは心配なので、案内をして欲しいんだ。場所は知っているか」


 「は、はい。少し剣呑(けんのん)な場所ですから、しっかりと護衛をします」


 「へへっ、〈リク〉も、やっぱ行きたいよな。嫁さんは、腹ぼてなんだし。ヒィヒィ」


 「あっ、ちょっと、船長さん。何てことを言うのですか。怒りますよ。言葉に気をつけてください」


 おぉ、温厚な〈リク〉が怒った。怒ったのは、何気に初めて見るな。

 〈リーツア〉さんも、目を吊り上げて怒っているぞ。


 親子同時に怒られても、船長は平気な様子だな。顔の皮膚が甲羅並みなんだろう。

 もはや、妖怪だな。泥亀妖怪〈前甲羅〉だ。

 「見えないよぅ」って、しわがれた声で、きっと泣くんだろう。


 〈アィラン〉君が、《新ムタン商会》に繋ぎをつけてくれるので、辻馬車代を渡した。

 渡したのは往復分の倍の額だ。余ったお金は、〈アィラン〉君のお駄賃ってことだ。


 〈アィラン〉君は、満面の笑みで「行ってきます」と走っていった。

 えっ、辻馬車を使わずに、走っていくんじゃないよな。ハーフマラソンくらいあるよ。

 大丈夫なんだろうか。行き倒れにならないことを、《マサィレ》達のために祈ろう。


 〈アィラン〉君の戻ってくる間、船長の独演会が始まった。

 泥亀妖怪〈前甲羅〉が、泥のような加齢臭を吐き散らしながら、嬉々として話してやがる。


 《人魚の里》の由来は、船乗りに一目惚(ぼ)れをした、人魚の少女の物語にあるらしい。

 人魚はその船乗りに会うため、陸に上がったが、死ぬ瞬間まで会えなかったと言う悲しい話だ。

 生活費を稼ぐため、娼婦に身を落として、愛しい船乗りを捜し続けた純愛のストーリーだ。

 死病に侵された人魚が、最後に夢が叶って船乗りの腕の中で、安らかに天国に昇っていったラストが涙を誘う。


 まあ、船長の話だから、涙が出るはずもない。脂ぎった汗が、鼻の上で玉になっていただけだ。

 それを拭いた手で、僕を絶対触るなよ。


 《人魚の里》は、要するに歓楽街なんだな。水商売の女性が、沢山いるところなんだろう。


 「俺も船乗りだぁ。人魚の娘っ子を、待たせちゃいけなんだょ」


 「ふん、いやらしい」


 〈リーツア〉さんが、目を怒らせて、こっちを見ている。

 エロ小話は好物だけど、歓楽街はお気に召さないようだ。


 〈リク〉は、どうしてか、プルプルと小鹿のように落ち着きがない。

 さっき、《人魚の里》に行くことを、〈カリナ〉に黙っていてと頼んで、断られたらしい。

 情けない。人助けなんだから、堂々としろよ。


 「その。あの。その。ちょっと良いですか。〈リーツア〉さん、分かっていると思うけど、これは人助けなんだよ」


 「ふん、それは《人魚の里》から、帰って来た時に判断します」


 〈リク〉が耳打ちしてくれた情報によると、昔〈リク〉の父親、〈リーツア〉さんのご主人が、やらかしたことがあるらしい。


 「軍の付き合いで仕方なく」と言ってたくせに、首にキスマークをつけて帰って来たことがあったようだ。

 〈リーツア〉さんは激怒して、そのキスマークを赤く熱した火箸(ひばし)で、焼き消したらしい。

 ご主人はそれで、全治一か月の大火傷(おおやけど)を負(お)ったそうだ。

 ひぇー、怖すぎる。


 〈リク〉は、それを見てトラウマになったのか。子供の時だから、印象が強烈だったんだろう。

 父親がのたうち回っていて、母親が般若(はんにゃ)の面(つら)になっていたんだ。

 大人でも、滅多(めった)にない恐怖体験だよ。


 〈リク〉と行くのを止めようかと、相談しているうちに、〈アィラン〉君が帰ってきた。


 用意の良いことに、辻馬車を三台も一緒に連れて来ている。

 あぁ、〈アィラン〉君は、もっと頼りない少年じゃなかったのか。

 今回は、期待外れが正解なんだよ。


 「伯爵様、この馬車に乗ってください。お頭が、ぜひお会いしたいと言っておられます」


 あぁ、〈アィラン〉君に退路を断たれるとは思わなかった。


 〈リク〉も、負け戦の殿(しんがり)を務めるような、悲壮な覚悟をしている目だ。

 心配しなくて良いぞ。火傷の薬代は、出してやるよ。


 「若領主、手土産に酒を持っていくぜぇ。仁義を切らなくちゃならねぇぜ」


 船長は、酒瓶を抱えてノリノリだ。《マサィレ》達も、全く違う意味でノリノリだ。

 いそいそと馬車に乗り込んで、出発を待っている。直ぐに出発をしないと、五月蠅そうだな。


 〈アコ〉と〈クルス〉と〈サトミ〉、誤解をしないでくれよ。

 焼けた火箸は、ご勘弁願います。僕は焼けた火箸に、全く耐性はないんだ。



 《人魚の里》は、まだ夕方なのに、もう賑(にぎわ)い始めている。


 路地の両側にあるのは、けばけばしい装飾のお店ばかりだ。

 その前で、僕達に声をかけてくるのも、派手な化粧をした女性達だ。

 強いお酒の香りに、桃色の吐息(といき)の匂いが、混じって漂ってきた。

 むせかえるような、夏の初めの黄昏が始まっているんだな。

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