第395話 僕の心が危機

 傾いて倒れそうな家の立て直しを、中心となって支えることが、辛いんだろう。

 僕でも嫌だし、誰でもそんな役目は御免だと思う。

 責任が肩に重くのしかかるし、理不尽な目にも合うんだろうな。

 現に、性奴隷にされそうにもなっている。


 年頃の貴族のお嬢様なんだから、きらめくような青春を、謳歌(おうか)したいと思っていたんだろう。

 ときめくような恋愛も、経験したかったんだろう。

 まあ、貴族だから、政略結婚かも知れないけど。


 「ごめんなさい。暗い顔を見せてしまいましたね」


 「伯爵家の経営状況が、良くないのですか」


 「ふっ、酷いのですよ。蓄えは底をつき、商売も上手くいきません。雇えるお金がないので、臣下も大勢、暇を取らせたのです」


 敵だった僕に、内情を話すのか。

 僕が余所の人間だから、苦境がバレても、影響がないと思っているのか。

 性奴隷になるはずだったから、僕に何かしらの縁を感じている可能性もあるな。

 まあ、相当メンタルにきているらしい。

 誰でも良いから、苦しい思いを聞いて欲しかったのが、本当のところだろう。


 「商売って、何をされているのですか」


 「大したことは、してないのです。領地で取れた農産物とお酒を売っているのですわ。でも、足元を見られて、買い叩かれてしまうのです。私は直ぐかっとなって、粘り強い交渉が苦手なのですよ」


 一度、弱音を吐いたためだろう。止めどなく弱音を吐くな。

 これはちょっと困ったな。こんな暗い話は、聞かない方が良かった。

 やっと《黒帝蜘蛛》から抜け出したのに、また暗い気持ちがぶり返しそうだ。

 積み込みの間の時間潰しのはずが。困ったことになったな。


 「そうなんですか。僕は貿易の真似事をしているので、良かったら買い取りましょうか。農産物は何ですか」


 「えー、買い取って頂けるのですか。売り物になるものは、リンゴなんです」


 「ほぅ、リンゴですか」


 おぉ、寒い国なので、リンゴが採れるのか。リンゴは、素晴らしい果物だと思う。

 リンゴは医者いらず、と言われている位だ。


 「リンゴは、《インラ》国で沢山採れるので、あまり値段が高くないのです」


 あちゃー、自分で自分の商品の、デメリットをバラしちゃうのか。

 優秀と思っていたけど、結構バカなのか。


 「そうですか。取引が初めてなので、それほど量は買えませんが、適正価格で良いですよ」


 そう言う僕も、バカだ。同情して高く買うのだからな。


 「はっ、ありがとうございます。助かりました。それと、あれですけど。家の一番の売り物のお酒は、いかがでしょう」


 《チァモシエ》嬢の顔が、パッと明るくなって、暗さが一気になくなった。

 嬉しそうに僕を見る目が、輝き出している。

 笑顔が無邪気な感じで、まだ少女に近いんだと思ってしまう。


 「お酒ですか」


 お酒は、今、物納されている最中だよ。さらにお金を出して買えと言うのか。

 全然、売れていないのだろう。そりゃ、暗くもなるわ。


 「お酒も、《インラ》国では、どこも製造していますので、競争が激しいのです。《アルプ》国では、いかがでしょう」


 「いかがでしょう」「いかがでしょう」と言われてもな。

 僕はお酒をあまり飲まないから、お酒の事情は全く分からない。でも乗りかかった船だ。

 〈深遠の面影号〉の船倉にもまだ余裕がある。


 「はぁ、分かりました。お酒も適正価格で買いましょう。でも量はしれていますよ」


 「わぁ、ありがとうございます。例え少量でも救われました。売り先が増えると、交渉が有利になるのです」


 《チァモシエ》嬢は、僕の手を両手で包んで、頬を薄っすら赤く染めている。

 冷たい印象が消えて、雪解けした後に花が咲いたような、輝くような表情になった。

 微笑みながら、僕を熱く見詰めている気がする。これは、結構デレているんじゃないのか。

 色々な可能性が、頭の中に浮かんでしまうよ。


 《チァモシエ》嬢が、中々手を離さないので、ドキマギしながら辺りを見回した。

 決して、〈アコ〉と〈クルス〉と〈サトミ〉に、見られることを警戒したわけじゃない。

 三人が《インラ》国に、いるはずがないし、僕は何も悪いことをまだしていない。


 ただ、視線を感じる。手を包まれて、にやけている僕が見られているようだ。

 これはマズイんじゃないか。汗が背中をタラリと流れた。

 でも、《チァモシエ》嬢の手を振り払わない、僕がいる。


 「《チァモシエ》様、ちょっと良いですか」


 「良いですわ。《チァモ》とお呼びになって」


 何なんだ。すごい勢いで、デレ始めているぞ。

 あまりにも辛いから、少し優しくされた僕に、依存し始めたのか。

 これは、これでありだ。だが、危険で危ないな。僕の心が危機的だよ。


 「ち、違うんです。あそこで僕を見ているのは、誰なんですか」

 

 「あっ、あれですか。あの人達は戦争奴隷です。《ベン島》の最初の衝突で、捕虜にした人達ですね」


 そうか。僕の父親が戦死した時の戦闘で、捕虜にされたんだな。

 どこの軍かは分からないけど、賠償金が払えなくて、解放されていないのか。


 視線が僕に、突き刺さっている気がする。皮膚がピリピリ痛い。

 敵将の娘が美人なので、援助をしようとしているのを咎(とが)められている。そんな目だ。

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