第6章 二年生は、危惧・危険・危機

第369話 今、この時

  いよいよ、新学期が始まる。僕は二年生だ。でも、何かが変わったようには思えない。

 当たり前だけど、身体も全く変わっていない。

 二年生になったといっても、人間が作った便宜的な制度に過ぎないからな。


 自分で変わろうと思わなければ、何も変わらないのは自明のことだ。

 無理やりでも、二年生になったんだからと、変っていかないといけないのだろう。

 ただ強く、一ミリでも、あそこが大きくなったら良かったのにと思う。

 何時まで経っても、一年生だよ。


 二年生だから、当然入舎式は関係がない。一年生の始動より、遅く始まることになる。

 これは、都合の良いことでもある。

 〈サトミ〉の入舎式に、父兄として参加出来る時間が生まれた。

 〈サトミ〉に、一人ボッチの淋しい思いをさせなくて済んだのは、大変有難いことだ。


 入舎式には、〈アコ〉と〈クルス〉もついて来ることになった。

 二人とも、《王国緑農学苑》が、どんなところか興味があるだろう。

 それに〈サトミ〉のことが、心配なんだと思う。

 友達だし、妹のように思っているのかも知れない。


 蔦の絡まった門柱を見て、二人は思ったとおり、「おぉ」っと唸っている。

 この門を初めて見ると、皆こうなるよな。この門柱に、歴史の重みを見せられている気がする。

 それと、無機物が有機物に変っていくような、不可思議な感覚にも囚われてしまう。

 この門柱は、他にはない《王国緑農学苑》の象徴なんだと思う。


 この前、付属牧場で見かけた、下働きのおじいちゃんが、入舎式の壇上に上がってきた。

 演台を拭くのかと思っていたら、そのまま喋り始めているぞ。

 えぇー、どうなっているんだ。〈サトミ〉も驚いて、「おじいちゃんが」って呻いていた。


 良く見ると立派な服を着ているから、どうも下働きじゃなくて、学苑長だったらしい。

 人は見かけによらないな。《王国緑農学苑》は、すごいと思う。

 入舎式でも、大事なことを教えてくれたよ。


 入舎式で人が集まるためだろう。大きな売上を目指して、売店は気合が入っている感じだ。

 並べられた農産物も多いし、店員の配置数も普段より多いと思う。


 店員の中でも、一番身体の小さな実習生の女子から、牛乳を買うことにした。

 〈サトミ〉もそのうち、この売店で、売り子をするかも知れないと思ったからだ。


 「牛乳四本ですね。ありがとうございます。搾りたてですよ」


 「ありがとう。頑張ってね」


 小さな実習生は、はにかんだ様な笑顔で、代金を受け取ってくれた。

 代金の受け渡しで、僅かに手が触れた時に、サッと顔を赤らめたよ。

 まさか、僕に一目惚れしたんでは。でも、僕は君の期待には応えられないんだ。

 あぁ、罪作りな僕を許して欲しい。


 「〈タロ〉様、顔がにやけていますわ」


 「〈タロ〉様、そんなに嬉しいのですか」


 「〈サトミ〉と一緒の学舎の人なのに。〈タロ〉様は」


 「違うよ。誤解だ。初々しいと、思っただけだよ」


 もう一度、初々しい小さな実習生に目をやると、なぜか手を洗っているのが見えた。

 三人がジト目で僕を睨んでいるのが、少し煩わしくて、とても愛おしくなる。


 一瞬生じた雑念を振り払うため、僕は腰に右手を当てて、真直ぐに立って胸を反らした。


 「〈アコ〉、〈サトミ〉、《ラング伯爵》家では、牛乳はこう飲むのが伝統なんだ。良ければ僕と同じように飲んでみてくれ」


 僕は、搾りたての牛乳を、腰に片手を当てながら飲んでみた。

 横で〈クルス〉も、僕と同じように、片手を当てて飲んでいる。


 「あれ、〈クルス〉ちゃんは、もう飲んでいるよ」


 「〈サトミ〉ちゃん、これは《ラング伯爵》家の伝統なのですよ」


 「えぇ、そうなんだ」


 「初めて聞きましたわ。牛乳の飲み方に伝統があるのですか」


 「そうなんだよ。僕が今作ろうとしているんだ」


 「〈タロ〉様が、今、ですか」


 「そう。今、この時だよ」


 「まあ、良いですけど。どこにも迷惑はかかりませんわ」


 〈サトミ〉は、クスクス笑いながら、腰に手を当てて牛乳を飲みほした。

 笑いながら飲んだから、口の周りが白くなっている。

 それを見て、僕と〈クルス〉は、笑ってしまった。

 〈サトミ〉も笑っている。〈サトミ〉は自分が笑われているのに、平気で自分も笑うんだな。

 〈サトミ〉は、すごい人間かも知れないな。


 〈アコ〉は、何とも言えない顔で、腰に手を当てながら、牛乳をチビチビと飲んでいる。

 背筋を立てて胸を張っているから、メロンおっぱいが、ドドドンと前にせり出している感じだ。  〈アコ〉の巨乳を、父兄のおっさんの何人かが、ガン見してやがる。


 僕は慌てて〈アコ〉の前に行って、見えないようにしてやった。

 この巨乳は僕のもんだ。お前らに見せてやるか。ざまあみやがれ。


 「ふふ、〈タロ〉様、ありがとうございます」


 〈アコ〉はどうしてだが、何とも言えない顔から、機嫌の良い顔に変っていた。


 これが、伝統の持つ力なんだろう。




 「〈サトミ〉は、明日から、いよいよ《王国緑農学苑》生なんだな」


 「うん。〈タロ〉様、〈サトミ〉は、やれる気がしているんだ」


 うーん、何がやれるんだろう。勉強なんだろうな。


 「そうか。それは、頼もしいな」


 「そうなんだ。〈サトミ〉は頼もしいんだよ。任かしておいてよ」


 うーん、僕は、何を〈サトミ〉に任しているんだろう。分からないけど、まあ良いや。

 何にしても、やる気があるのは良いことだ。


 僕達は馬車に乗って、〈南国果物店〉に帰っていった。

 〈サトミ〉は明日から、学舎行の馬車に乗って、《王国緑農学苑》へ通うことになる。

 〈サトミ〉とは、僕が執務をする時に逢えるな。逢えるのは夜になるな。

 夜か。楽しみだな。

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