第358話 沈痛な歌声

 〈サトミ〉は、すがるような目で僕を見ていたが、助けることは出来なかった。

 〈アコ〉と〈クルス〉の冷酷な目が、僕のハートを粉砕したんだ。

 粉々にされた心を、元に戻すには、丸一日はかかると思う。繊細なんだ。

 だから今は、〈サトミ〉を助ける気力が、残されていないんだよ。


 逃げることしか出来なかった、僕をどうぞ許して欲しい。

 〈サトミ〉を甘やかそうと思っていたのは、本当なんだ。僕をどうか信じて欲しい。

 僕を憎んで、見捨てることはしないでください。


 それにしても、〈アコ〉と〈クルス〉は冷たいな。僕も役に立とうとしたのに。

 あの言い方はないだろう、〈サトミ〉のために、やっているのは分かるけど、とても悲しいよ。


 僕はこの悲しい気持ちを、リュートに乗せて歌った。

 物哀しい調べと、沈痛な歌声だったと思う。

 近くで、船員が大きな声で笑っているのが聞こえる。

 僕と違って、何か良いことがあったんだろう。


 これだけすることがないと、鍛錬でも良いと思う自分がいる。

 自分の気持ちに、恐怖を覚えてしまう。強制されてもいないのに、鍛錬をしようとしているんだ。

 淋し過ぎて、頭が変になっているんだろう。どう考えても、末期症状だと思う。


 とち狂った僕は、とうとう素振りと、型の練習を始めてしまった。

 教育は洗脳だと、聞いたことがあるが、鍛錬は身体に刻み込む、強度の洗脳なんだろう。


 僕は何を刻み込まれたのか分からないが、もうあどけない少年では、なくなってしまった。

 あの夏の日、トンボを追いかけた胸の高鳴りを、思い出すことも出来ない。

 今は、胸の高い所にある、先っちょしか思い出さない。


 ずいぶん、汚れちまったよ。


 お昼を食べに行こう。



 「〈タロ〉様、〈サトミ〉は初めてだけど。船の上で食べるご飯も美味しいね」


 あれー、〈サトミ〉は、この船に乗るのは初めてだったかな。全然覚えてないや。

 忘れていたことは、心の奥底に仕舞っておこう。


 「そうだろう。〈サトミ〉は、一杯食べて大きくなるんだぞ」


 僕は〈サトミ〉の頭をガジガジと撫でた。〈サトミ〉は満更でもない顔をして僕を見てる。

 えへへっと笑って、少し照れているようだ。


 「〈タロ〉様、〈サトミ〉ちゃんは、もう子供ではありません」


 「えぇ、もう立派な女性ですわ」


 二人とも少し機嫌が悪いな。〈サトミ〉だけ頭を撫ぜたせいだろう。

 それなら、〈アコ〉と〈クルス〉の頭も撫ぜてあげよう。


 「あっ、〈タロ〉様。何をされるんです。私も子供じゃありませんわ」


 「ひゃ、〈タロ〉様。髪を撫ぜる時に、耳を触らないでください」


 二人は、少し赤くなって文句を言っている。そんなことを言うなら、もっと触ってやろう。


 「〈タロ〉様、もう止めて。髪がぐちゃぐちゃになりますわ」


 「船員さんに見られています。恥ずかしいのです」


 二人は文句を言うけど、僕が撫ぜるのを邪魔しようとはしない。

 どうしてだろう。


 「〈タロ〉様」


 〈サトミ〉が、低くした声で僕を呼んだ。この状況が、気に入らないらしい。


 僕の手は二本しかないから、三人同時は無理なんだ。

 真ん中のは、位置も低いし自由に動かせない。本当に役立たずだな。

 役に立つ日が、本当に来るのだろうか。二年は長いな。


 僕は、〈アコ〉と〈クルス〉の頭を撫ぜるのを止めた。

 二人は、髪の毛を手で直しながら、ジト目で僕を見てくる。〈サトミ〉もジト目だ。

 三人同時にジト目で見られてしまった。


 こういうのを好きな人が、いるようだけど、僕は好かない。

 僕は蕩とろけた目が欲しいんだ。 

 真っ昼間から、こんなことでは、僕の頭が蕩けてしまっているな。

 夜だけにしよう。


 昼ご飯の後は、三人とも休憩にしたようだ。あまり根を詰めても、効率が落ちてしまう。

 集中と弛緩しかんのバランスが大切なんだと思う。


 「〈サトミ〉は、〈タロ〉様のリュートが聞きたいな」


 「おぅ、分かった。渾身こんしんの演奏を聞かせてあげるよ」


 「あはぁ、〈タロ〉様。気合が入り過ぎだよ。普通で良いよ」


 僕はリュートを何曲か弾いて、最後は歌も歌ってあげた。〈サトミ〉のために大サービスだ。


 「ふぅ、〈タロ〉様は、何でも出来るすごい人だと思ってたけど、苦手なものもあるんだね。少し安心したよ」


 「そうですわ。とても苦手なものがおありです。出来たら隠して欲しいところですわ」


 「〈タロ〉様は、自覚がないのですね。決して私達以外には、聞かせてはいけませんよ。他の人は私達みたいに、寛容かんようではないのです」


 〈サトミ〉まで、僕の歌を貶けなしてくれたな。

 〈アコ〉と〈クルス〉は、言いたい放題のボコボコにしやがって。

 どうして、僕のこの個性溢れる歌声を、正しく評価出来ないのだろう。

 芸術が理解出来ない、一般ピープルだよ。才能への嫉妬かも知れない。

 嗚呼ああ、人間って、何て醜みにくい生き物なんだ。


 「それじゃ、次は誰か歌ってよ」


 少しでもミスをしたら、徹底的に糾弾きゅうだんしてやろう。

 正義の鉄拳を、膨れ上がった自意識に、スカッとお見舞いしてやるぞ。

 燃え上がる正義の魂に、怖じ気ついてひれ伏すがよい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る